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その1 → プロローグ
その2 → (談志の)『文七元結』
その3 → 「どうしようもなさ」が「利他の本質」へと反転する構造
その4 → 合理的利他主義批判
その5 → 情けは人のためならず
その6 → 下心の先に
Youtubeに平成15(2003)年10月京王プラザホテルでの立川談志の高座が残っています。演目はもちろん『文七元結』。あらためて全編を聴いてみました。そのサゲの場面です。
通常よくあるサゲで噺を終わらせるのがあきらかにイヤそうな彼は(というかハナから終わらそうとしていないように見えます)、
「(麹町貝坂に元結屋の店を出し)たいそう繁盛したというおなじみの目出度い文七元結(でございます)」
とわざとおどけた口調で言ったそのすぐあと、
「だけどコレネやっててね」
と切り出して、「う~ん」と言いながら腕を組みます。
すると、その姿に客席は爆笑、本人もつられてうれしそうに苦笑いしながら、
「照れるからさあ、感情注入だってやりようがねえんだよな。だからとにかくメチャクチャにしてみちゃおかと。しょうがねえんだもん。順序よくやるったって、そんな順序立てた人間がいたらオレ気味わるいもん・・・」
ぐだぐだとした独白で、この人情噺の代表格である大ネタを、美談として終わらせることを拒絶します。
さらにそのあとしばし脱線して余談に遊び、
「でね、えらいとこ通りかかったんだから、しょうがないからやっちゃったんだという」
と談志流文七元結の真理をさらっと何気なくつぶやいたあと、
「言い訳みたいなもんをくっつけてこのあとをやるからね」
と観客に前置きをしてつけた談志流解釈によるサゲがこれです。
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「おう、おっかあなんだな、文七もよくやってくれてるしお久も幸せだ。ホントにありがたいと思ったよ。こうやって暮らせるのも文七のおかげっていうかお久のおかげっていうかオメエのおかげっていうか。ホントにオレはしあわせだと思うよ」
「おとっつぁん、なんぞっていうとそう言ってくれるのはイイッていやあイイケドさぁ。だけどアレ、お金が出たからこういう暮らしができるんだよオマエサン。アレ、出たほうが不思議なんだよ。出なかったらオマエサン、どうするつもりだったの?」
「おおそうか」
「そうかじゃないよ。前から言おう言おうと思ってたんだけど、まあイイけどさ、アレやっちゃって、名前、わかんないんだろ?なんとか思い出してくれたからよかったけど、わかんないままだったら・・」
「そう」
「何がそうだよ」
「あれはね」
「なにさ」
「聞いてくれよ」
「聞いてるじゃない」
「アレはオレがオメエ・・なんだよ・・最後の博打だったんだな。アレをうちへもってくるとね、チンタラチンタラまたやって、またおんなじになっちまわぁな。あれがホントの博打で、アレが凶と出ないで吉と出たっていうことでオレがあるんだから。アレでオレァぴたっと博打をやめたんだ」
「ほぉー、うまいこと言いやがったねぇ。そうかもしんないねぇ」
「そうだよ、それにしてもオメエなんだな、いくら貧乏ったって人のいるところでオメエ、すっぱだかで出てきたよ、よくあんなことできたな」
「おとっつぁん、アタシも裸になってはじめて人間がわかったっての」
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ここでいつものように深々とお辞儀をすると、客席からは拍手喝采。
ところがそれで終わると思いきや、やはりそれでも納得しなかったのでしょう。そのあとも談志のひん曲がった口から出る言葉は止みません。首をひねりながら、しぼり出すようにしゃべりつづけていきます。そのぐだぐだとした述懐が、わたしの今の心情に不思議なほどぴたりと重なりました。
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「え・・・やればやるほどなんかだんだんだんだん・・あぁ・・・ダメになってきてねえ・・・
でも今日はね・・芸能の神様がほどほどの罰則でゆるしてくれた・・でもね、じゃあなんでこの噺やったかというとね・・
ふっとなんとか・・自分のフィーリングというか思い入れで・・・そのときの様子でね・・なんとか騙して
お客さんも、ああイイよあれならっていう・・・共同のひとつの価値観が出てくるんじゃないかと思ったんですがねぇ。
当人が疑問を感じちゃった日にゃあお客さんは・・・・うん、またちょっと考えてみますよね・・・」
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ということです。
ではまたいつか。