答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

再読:『保守思想のための39章』(西部邁)

2018年01月29日 | 読む(たまに)観る

 何をもって精神の上等と下等を区別するのか。いろいろな言い方が出来るが、おのれに懐疑を差し向けているか(それともおのれに満悦しているか)、様々な価値の葛藤のなかで平衡を持そうとしているか(それとも特定価値のみを過剰に追求して不徳にはまっているか)、近代主義を歴史の英知によって批評しているか(それとも近代主義を奉じつつ歴史の破壊に喜びを見出しているか)、といったようなことになる。(『保守思想のための39章』西部邁、P.206)


なんて一文に深くうなずきつつ、独り本を読む雨降りの日曜日。

晴耕雨読といえば聞こえはいいが、近ごろとんと「耕」のほうをする意欲がわかず、じっさいのところは晴読雨読。たまさか雨が降っているからといって、それを晴耕雨読などとは、ええカッコしいもよいところである。

とはいえ雨は降っている。

お供にと指名したのは西部邁、『保守思想のための39章』。約5年ぶりの再読である。

ほぼひと月つづいた目の痛みが、少しはましになってきたら、西部さんの遺作となった『保守の真髄 老衰狂で語る文明の紊乱』を読もうと思い、22日に注文していたが、本が届くのは2月9日だという。

 

保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱 (講談社現代新書)
西部邁
講談社

 

「Kindleにしとけばよかったか」と悔やむ気持ちがないではないが、読書という行為の必然としてブルーライトを浴びまくる電子書籍はしばらくのあいだできるだけ読まずにおこうという自主規制の最中だ。それならば、とこれまでに読んだ氏の著作のなかでわたしがもっとも感銘を受けた『保守思想のための39章』をチョイスした。

文庫本である。

だいじょうぶかいな?

と、その文字の小ささに恐れおののきつつ、また、おのれの眼(まなこ)がどこまで平静を保っていられるかを疑いつつも、なんとか『保守思想のための39章』を読了した。

 

保守思想のための39章 (中公文庫)
西部邁
中央公論新社

 

 感性における(それゆえ特定の感情にもとづくいろいろな仮説のあいだの)背反、矛盾、逆理は放置されてよいものではない。それを放置するのは、まず自分の感性のはたらきを狭める。それは自業自得と見放しておけばよいかもしれないが、自分の表現障害は他者とのコミュニケーションを阻害し、そうすることによって社会を精神的貧血に陥らせる。他者の感性は、それを理解するかぎりにおいて自己の感性の一部となり、したがって自己と他者とのあいだの感性的葛藤が自己の感性のなかにいわば移植されることになる。

 それゆえ、他者とのコミュニケーションに失敗するものは、自己を貧しいものにせざるをえない。つまり、他者理解によってもたらされる自己の内部の葛藤を放置すれば、自己の表現は混乱に見舞われる。そうだからといって他者理解を拒否すれば、社会に流通するメッセージは、感性のはたらきが殺ぎ落とされたもののみになる。その意味で、機械的に定型化される。現に情報媒体(メディア)にはその種のメッセージしか流通しなくなっている。

 感性の葛藤を引き受けるということは、その葛藤においてバランス(平衡)をとることである。そしてその平衡を実現するために(葛藤を処理することのできる)総合的な感性を鍛え上げることにほかならない。(P.36)

 

なんて一文に深くうなずく、雨降りの日曜日。



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