アドラーの『個人心理学講義』(岸見一郎訳、アルテ刊)を読んだ。
アドラーブームなんだそうだ。火をつけたのはベストセラー『嫌われる勇気』(岸見一郎、古賀史健)らしい。わたしが1つ2つと関連書を読み始めたのも同著がきっかけだ。してみるとたぶんわたしも、まんまとそれに乗せられた口である。
だが少なくともわたしの場合、今まで読んだいわゆる「アドラー本」はすべて岸見一郎さんが書いたものであって、アドラーその人の著書を読んだわけではない。とても興味を惹かれるところが多いのと同様に、「実際どうなのよ」と思わなくもない点も多々ある。
で、原著を読んでみた。原典を読まずしてわかったつもりになってはならないし、同時に読まないままわからないというのもいかがなもんだろうという思いがあって読んでみたのだ。とはいえ、日本語しか読み書きができないわたしのことだ。読んだのは岸見さんが翻訳したところの『個人心理学講義』である。
で、どうだったか。すんなりとは頭に入らない。そりゃそうだ。岸見氏が噛んで含めて解説する「アドラー」もよくわからないわたしが、ほぼ直訳のようなストレートなアドラーの文章を読んですんなりと理解できるはずがない。
とかなんとか思いつつ中盤も過ぎ、もうこれでオシマイにしようと思いつつ読んでいたのだが、終わり近くなるとまたぞろ次を、なんて気持ちになってしまった。
社会適応は、劣等性の問題の裏面である。人間が社会の中に住んでいるのは、個人が劣っており、弱いからである。共同体感覚と社会的な協力は、それゆえ、個人を救済するものなのである。(P.167)
とまあこんなふうな締めくくりに、「ふむふむなるほど」などとうなずきながら『個人心理学講義-生きることの科学』を読み終えた。
そうだ。この本全体を通じて、結局この主張がわたしのイチバンのお気に入りだったのだ。
たしかもっとわかりやすい表現があったぞ、とページをさかのぼると、あったあった、冒頭近くだ。
子どもが弱いので家族の中で生きるように、人間はその弱さゆえに、社会の中で生きるように仕向けられている。あらゆる人間は、ある状況においては、自分には能力がないと感じるものである。人生の困難に圧倒されているように感じるので、一人では困難に立ち向かうことができない。それゆえ、人間のもっとも強い傾向の一つは、孤立した個人とではなくて、社会の一員として生きるために、集団を形成することだった。このような社会生活は、疑いもなく、人の無能感や、劣等感を克服するのに、大きな助けとなるものであった。(P.28~29)
さて・・・
お次は、『人間知の心理学』(高尾利数訳)を読んでみようと思うわたしなのだ。
ふ~ ^^;
個人心理学講義―生きることの科学 (アドラー・セレクション)
アルフレッド・アドラー
岸見一郎訳
アルテ
岸見一郎、古賀史健
ダイヤモンド社
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