答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

鈍感力

2016年03月24日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

ひところ「鈍感力」という言葉がもてはやされたと記憶している。

たしか小泉元総理が言ったとか・・・などという曖昧な記憶でしかないのだが、言葉だけはずっと頭に残っていた。検索してみると、2007年に渡辺淳一が書いた『鈍感力』という本がベストセラーになっており、それに呼応したのかどうかはよくわからないが、当時すでに前総理になっていた小泉氏が「鈍感力が大事だ云々」という発言をしたことで、大きな話題となったらしい。

そのころのわたしはといえば、CCPMや「三方良し」に取り組み始めたばかりで、人材育成がその導入の主たる目的だったにもかかわらず、成果を上げなければならないと目先しか見えずにしゃにむになっていたころ。まさに「良かれの思い込みが会社をダメにする」という典型だった時期だ。そんなわたしの心に、「鈍感力」などというテーゼが届くはずもない。元来が過敏と言ってもいいぐらい敏感な質なのに加えて、そのころは特に「鋭敏」でなければならないと思い込んでいた。

時は過ぎここ数年のわたしは、ことさらに「鈍感」であろうと努めてきた。他人さまがどう感じているかはわからない。あくまでも自分自身の心持ちとして「鈍感」であろうと努めてきた。なぜそうしようとしてきたか。わたしが「敏感」であることが、時として「よろしくない結果」を生み出している、あるいは将来に渡って「よろしくない結果」を生じさせる可能性が大いにある、ということに気づいたからだ。

結果、どうなったか(もちろん、今ある姿がすなわち結果ではないので現時点がどうなのか、ですネ)。

有り体に白状すると近ごろよくわからないのだ。

「鈍感」であろうとすると、ダッシュ力が衰えてくる。あるいは決断力が鈍る。はたまた感受性が乏しくなってくる。ような気がしてならないのだ。

ビジネスの要諦はスピードであるという、相変わらずのスピード優先思考が根っこにあるからだろう。そのために常に感性を研ぎ澄ませていたいのが本音の部分にあるところへもってきて、努めて「鈍感」たらんなどとしていると、自分自身の言動が、あまりにも悠長で「鈍重」に過ぎるように感じられて、「これでいいのだ~」などとはとてもとても思えなくなってくる。

いやいやそうではないのだろうことは承知している。「大智は愚の如し」あるいは「深い川は静かに流れる」というではないか。「鈍感」と「敏感」がひとつの個体に同居して、なおかつ「鈍感」のほうが衣としてある、そしてイザというときにはダッシュをして即断即決をする「鋭敏」さを表す。そうあるべきだとは理解しているのだ。だがそういうわたしは、爪を隠して獲物を狙う鷹でも鳴かずにネズミを待ち構える猫でもなく、どちらかというと吠える痩せ犬のほうに近い。「大智」などとは口にだすのも恐れ多い小人だ。なかなかどうして、生半なことではないのである。


ではどうすればいいのか。

たぶん、「価値観という思い込み」を変えることなのだろう。「鈍感」に価値はなく「敏感」にこそ価値がある、という思い込みから脱することができないからモヤモヤする。言い換えればそれは、自分自身の立ち位置があやふやだったりスタンスがふらふらしているということでもある。野戦軍の将である大久保忠教と天下のご意見番としての大久保彦左衛門は、同じ個体ではあっても役割が異なり、必然として、どのようなことに重きを置いて物事に対するのかという価値観も変化しなければならない(変な喩えで恐縮です ^^;)。

そしてそれを踏まえた今のところの結論はというと、

「やりつづけるしかない」

という、味も素っ気もウンチクも含蓄もないものになってしまう。

自分が決めたことならば、「愚痴は言うまいこぼすまい、これが男の生きる道」(なんてネ)

(といって、収拾がつかなくなりそうになってきたのでチカラワザで無理やり締めくくる (^_-))


 

これが男の生きる道/植木等

 

 

PUFFY 『これが私の生きる道』

 

 

 

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