答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

三方良しの公共事業「改革」について

2016年03月10日 | 三方良しの公共事業

 

森崎さんが「三方良しの公共事業改革」に取り組むキッカケについて書いていた。

http://ameblo.jp/kotobuki5430511/entry-12137200404.html

以下、批判ではない。

「三方良しの公共事業」の旗振り役たるわたしだ。そのことについて発信してくれることに感謝しこそすれ、批判などできるわけがない。そのネーミングについて、わたしの考えをちょこっと書いてみたい(ホントにちょこっとになったらゴメンね)。


わたし、「三方良し」は大好きだが、「カイカク」という言葉は嫌いだ。

以前からそうだったかと言えばそうではない。有り体に白状する。けっこう好きだった。ではいつごろから?と指折り数えてみるがしかとはわからない。とにかく今現在のわたしは「カイカク嫌い」である。

わたしが理事の末席に座する「三方良しの公共事業推進研究会」、そのネーミングに「改革」という二文字はない。「三方良しの公共事業改革」を推進するための組織がなぜ?

時は8年前にさかのぼる。その設立総会でネーミングについて話し合いをしている最中、ある参加者からこんな意見が出た。

「カイカクのせいで我々は疲弊したんだ、っていう声を業界の人からよく聞くんです。だからカイカクって言葉はマイナスイメージを持たれるんじゃないでしょうか」

それを聞いたわたしは、「実際問題として改革せないかんやろ。それに改革するのはええことやろ。イメージがどうのこうのとかいう問題やないやろ」なんて考えの持ち主だったが、結局のところ「改革」の二文字は会の名称から外れてしまった。

時は平成20年。

この2年後に「コンクリートから人へ」のキャッチコピーのもと民主党政権による大幅な公共事業費削減という嵐が吹き荒れたことだけを目の敵にする業界関係者は多いが、それはいわゆる「小泉構造改革」で十分過ぎるダメージを受けていた建設業者にトドメを刺したに過ぎないとわたしは認識している。多くの業界人が頼みとする自由民主党もまた、「改革」でわたしたちをクラッシュしてきたのが事実だ。そしてそれはなにも、当時を振り返って今あらためて思うことではなく、そのころのわたしには確実にその認識があった。

だがそれはとりあえず置いておこう。

それよりもそのころのわたし自身の問題は(これは当時を振り返って今あらためて思うことですが)、「改革すなわち善なのだ」という世の中を覆う空気にどっぷりと浸かりながら、「変わる=改革=善」という思考の「単純化」と「思い込み」に自分自身が無自覚に陥っていたということだ。

8年という時が過ぎた。

いつのまにか期せずして、三方良しの公共事業「改革」の旗を振るなどという役割を引き受けてしまったわたしは、すっかり「カイカク」という言葉が嫌いになってしまった。

いやいやそれもまた、「単純化」と「思い込み」を排除するという文脈からいえば、同じように「嫌い」というひと言でくくるべきものではないだろう。

ということで「嫌い」という言葉はこう訂正する。


「改革」という言葉を安易に使うべきではない。


「改革すなわち善なのだ」という思い込みを前提にして「改革」を安易に使いつづけていると、身体も心も脳みそも単純化し、どんどんと蝕まれていく。カイカクカイカクというお題目ばかり唱える輩の言説は眉に唾つけて聞くぐらいがちょうどいい。なにより公共建設工事という世界の構成員たるわたしたちは、声高に叫ばれる「改革」によって叩かれつづけて来た。その当事者が無自覚に「改革」を唱えていいはずがない。そうわたしは思うのだ。

 

以上、三方良しの公共事業「改革」というネーミングについて考えた、の巻。初めて披瀝する考えではない。再びここにアップするキッカケをくれた森崎さんに感謝したい。

(あ、ちなみにわたしも、帯に書いてる「現場発!みんなにありがとうと言われる公共事業へ!」という言葉、好きですよ!)

 

 

 

 

 

新版・三方良しの公共事業改革

三方良しの公共事業推進研究会

岸良裕司編著

日刊建設通信新聞社

 

 

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