答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

『日本の村・海をひらいた人々』(宮本常一)を読む

2016年03月28日 | 読む(たまに)観る

日本の村・海をひらいた人々 (ちくま文庫)

宮本常一

筑摩書房

 

戦後すぐ、少年少女向けに宮本常一が書いた『日本の村』『海をひらいた人々』を合冊したのが本書。特に『海をひらいた人々』で描かれる古い日本人たちのヴァイタリティーと、北から南から東へ西へという海の民たちの行動範囲の広さ、そしてオープンマインドなその姿に大きな驚きを感じてしまったわたしなのである。

何か気の利いたことを、と頭をひねってみたが、松山巌氏が巻末で的を射た解説をしているので引用させていただくことにした。

 

 「海をひらいた人々」のなかに描かれる人たちは、魚を求め、鯨を求め、遠く故郷を離れた人たち、新しい漁法を考案するために別の土地の漁師たちに学ぶ人たちの姿である。私たち現代人は、一つの発明を自分の権利として手離そうとはしない。自分が得た利を他人の利へと広げようとはしない。それ故に、宮本が記したように、新しい漁法や漁場が遠く離れた所で点々と広がり、切り拓かれることに訝るのである。

 しかし、宮本ならば海は決して閉じられたものでないというだろう。海はときに荒れ、人々を拒絶する。が、同時に遠く離れた海の暮らしを伝える波ともなる。勇気ある人々は、その荒い波頭を越えていったのである。宮本が語っているのは、じつは現代の読者が疑問に感じることそのものなのだ。人びとの生活は自閉的ではなく、作り上げられる物や言葉はさまざまな土地の人が交流し、溶け合って生まれたということなのである。(P.275~276)

 

ここで紹介される人々は、日本人とはいえ明らかに現代日本人とは違う日本人たちであり、描かれている暮らしは今の日本とは大きく異っている。同じ系譜のなかにいるかどうかさえ疑問に思えるほど、今を生きるわたしたちはひ弱い。だが、わたしにはとても懐かしく感じられる。自分が知らないような昔々の話ではあるが、そこから感じとることができるのは、歴史ではなく郷愁だ。

文庫本を閉じたあと、さっそく同じ著者の別の本をポチったわたしなのである。

 
 
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