- (辞書より) 同じ釜の飯を食う(おなじかまのめしをくう)
:同じ共同体が同じものを食べることによって、同体として
の帰属意識を持つこと。あるいはそれを強化すること。
共に食事をする縁とは、大事なものです。
「同じ釜の飯を食った仲間」と昔の人は良く言いますが、
霊的に観ても、同じ場所で食事の時間を共有する事は、何か
の繋がりが発生する感じがします。
では、同じ物を食する事が大切なのか?
肉体的には、同じ食物を摂取する事は、同じ効果を体に及ぼ
すでしょう。 しかし、私が「食事」に感じる霊的に発生してい
る他人との繋がりは、食べ物自体の効果では有りませんで
した。
例えば、会社の食堂などでは同じ時間帯に社員が自家製の
弁当や、外部のコンビニで買ってきたパンや、食堂のメニューを
それぞれが食しています。 でも、その場の時間帯だけは、
霊的に同じ色で連帯感のオーラが発生しています。
もし、外部の人間や会社に不慣れな社員が、食堂に少し遅れ
て入ろうとすると、何か違和感を感じて躊躇してしまう、霊的
にデリーケートな人が居ると思います。
これも、毎日繰り返すと自分も、その場のオーラ色に同化して - 違和感が消えます。
つまり、食べ物自体よりも、同じ時間・同じ場所で食事行為を
する事が、霊的に共通する何かを発生させています。
これは、何かと考えてみましたら、浮かんで来た事は、
食事とは、食べ物の気・その場所の気・自己の霊体、この
三要素が合体する行為だと言う事でした。
昔は、日本人の主食は、御米でした。
御米は、天照太御神の神気を固めた食物です。
食事場所の気は、そこの地面の気。
すなわち、国常立太神の気です。
この2つに、自己の霊体の気が合一する行為が、食事です。
大袈裟に言えば、食事の度に小さい神人合一をしているとも
言えます。
食事場所を変えると、同じものでも美味しさが変わります。
自然の中で食べる御握りと、室内で食べる御握りは別物
です。
同じ釜の飯を食う仲間とは、同じ時間・同じ場所で神人合一
をする仲間でした。 体の中に、同じタイミングで異物を入れ
る行為を共有する事は、神聖な事かも知れませんね。
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