立秋だそうです。
「秋来ぬと」と『古今集』の歌人が詠ったように、何とはなしに空気の気配が変ったように気がします。
原因を考えてみると、風向きがいささか変化して、大気の汚れが少なくなったことが、まず挙げられます。
それによって、焦点深度が深くなった感じがします。近距離のものから遠距離のものまでピントが合ったような、と言えばお分りになるでしょうか。
第二には、太陽の位置が若干低くなったことが、原因として考えられます。
これによって、影のつき方や色合いが微妙に変化してくるのね。
北斎の「ベロ藍」ほどではないものの、空の色も、気のせいか、青が深くなったような……。
敏行の歌のようには、「風の音」は変っていませんが、以上のような視覚的な変化もあるのです。
しかし、気温は相変わらず高いですなあ。
この辺は、まったく秋らしくなっていない。まだ、秋の卵が生まれた程度。
天体レベルの運動と、大気の変化との間には、かなりのタイム・ラグがあることを実感させてくれます。
けれども、風通しの良い拙宅では、今年は一度もエア・コンを動かさずにすみそう(本当は、ちょっとでも稼働させないと、機械のためには良くないんでしょうが)。
ですから、原発を取るか、エア・コンを捨てるか、ということになれば、小生は、躊躇なくエア・コンを捨てる方を選びますね。
窓には風鈴、毎日、表に打ち水をしているし、何という「エコ」な生活なんでしょ(単に、古い習慣が身についているだけ、という説もあり)。
Le vent se leve! . . . il faut tenter de vivre! (Paul Valery: Le cimetiere marin)
ということで、残暑お見舞い申しあげます。
「秋来ぬと」と『古今集』の歌人が詠ったように、何とはなしに空気の気配が変ったように気がします。
原因を考えてみると、風向きがいささか変化して、大気の汚れが少なくなったことが、まず挙げられます。
それによって、焦点深度が深くなった感じがします。近距離のものから遠距離のものまでピントが合ったような、と言えばお分りになるでしょうか。
第二には、太陽の位置が若干低くなったことが、原因として考えられます。
これによって、影のつき方や色合いが微妙に変化してくるのね。
北斎の「ベロ藍」ほどではないものの、空の色も、気のせいか、青が深くなったような……。
敏行の歌のようには、「風の音」は変っていませんが、以上のような視覚的な変化もあるのです。
しかし、気温は相変わらず高いですなあ。
この辺は、まったく秋らしくなっていない。まだ、秋の卵が生まれた程度。
天体レベルの運動と、大気の変化との間には、かなりのタイム・ラグがあることを実感させてくれます。
けれども、風通しの良い拙宅では、今年は一度もエア・コンを動かさずにすみそう(本当は、ちょっとでも稼働させないと、機械のためには良くないんでしょうが)。
ですから、原発を取るか、エア・コンを捨てるか、ということになれば、小生は、躊躇なくエア・コンを捨てる方を選びますね。
窓には風鈴、毎日、表に打ち水をしているし、何という「エコ」な生活なんでしょ(単に、古い習慣が身についているだけ、という説もあり)。
Le vent se leve! . . . il faut tenter de vivre! (Paul Valery: Le cimetiere marin)
ということで、残暑お見舞い申しあげます。
原発を作る口実になってしまうから、電気はあまり使わないようにしようとは思っているのですが、この暑さ。たまりません。
生き生きとした抵抗感こそ生だとヴァレリーが言うように、この暑さを生への抵抗として乗り切ってみようかな。
いや、乗り切ろうとil faut tenter ですね。
外へ出ると、カッと太陽が照りつけて
打ち水をいくらしても
撒いたそばから、どんどんと蒸発していきます。
確かに、気化熱を奪っているんでしょうが、
それ以上に新たな熱量が加わっているようで、
本当に、涼しくなっているんでしょうか?
それでも、家の中にいると、
風が抜けていくので
何とか昼寝などして、
最も気温の高い時間をやり過ごしています。
日中、自転車に乗って、熱中症などにならないよう
お気をおつけください。
では、また。