毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

街の校正シリーズ その6

2010年12月26日 23時58分54秒 | らくがき


 スタルものが、それかよ?
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12月4日の松田直樹

2010年12月07日 22時54分34秒 | 
 矢作俊彦の小説を読むと、長嶋茂雄を特別な選手としてリスペクトしていることをうかがわせるシーンが出てくる。そう、特別な選手はいる。マリノスにとって、松田直樹は特別な選手だ。目の前でキャプテンマークを地面に叩きつけて退場していく姿を見たとしても、それでも、彼は特別だった。その特別な選手に対して、マリノスは戦力外通告をした。
 ここ数年の低迷、それはディフェンスラインの不備によるものではなく(マリノスは失点の少ないチームだ)、明らかに得点力不足、そしてその原因はまるで使えない外国人補強というフロントのミスだった。それなのにディフェンスである松田を解雇って、まるで理屈が成り立たない。
 マツ(松田のことは「マツ」あるいは「ナオキ」と鞠サポは呼ぶ)がピッチに立った後半35分、会場はずっとマツの歌を歌っていた。もうあと10分しかその歌を歌えないもうあと10分しかマリノスのユニを着たマツを応援することができない、現実に胸が締め付けられた。



 やがて試合が終わり、ホーム最終節のセレモニーが始まる。全員がベンチコートを着ている中、マツは最後までユニでいた。ユニを着ている姿をぼくたちに見せていてくれた。



 ぼくたちはずっとマツのコールを歌っていた。監督のスピーチも社長のスピーチも関係なく、そもそも聞きたくもなく、ぼくたちはマツのコールを歌い続けた。


 そして、監督だの社長だのに背を向け、マツは歌い続けるゴール裏にずっと向かっていた。すごく悲しいけれど、これほど会場と松田直樹が一体となった瞬間はなかったかもしれない。そして、その甘美にして不幸な瞬間は終りを告げ、Fマリノスの松田直樹は、いなくなった。最後の無骨なスピーチをぼくたちは忘れない。
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マリノス君300試合出場おめでとう

2010年12月06日 18時16分34秒 | 



 心に降り積もる重いモヤモヤさえなければ、もっと楽しくマリノス君を祝福できたのに…


 ハーフタイムのトリコロールジェット風船。
 時が過ぎれば過ぎるほど、別れの時間が迫ってくる、そんな予感がぼくたちを包んでいた。
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鬼怒川 その二

2010年11月29日 20時18分33秒 | 観光
 利根運河から利根川に入るものの、鬼怒川は利根川の北側。つまり、利根川を渡らないと行けないわけなのだけれど、橋がない。ぼくはさ、マーケットガーデン作戦のアメリカ軍じゃないんだから、渡河するわけにはいかないのよ。で、橋を探す。文字とおり遠すぎた橋。結局12km以上迂回して鬼怒川近くへ。
 ここで、大イリュージョン。鬼怒川の河川敷探して走ってたら、はい、土手上のサイクリングロード発見。ほくほくして走ろうと近寄ると、「小貝川」との標識。へい、ジョージ、こいつったら間違ってるぜ、HAHA。負け惜しみであることは自分でもわかってる。ぼくはかなりの実力派方向音痴。国土交通省の標識と俺とどちらが信頼できるかは誰にでもすぐわかる。すげえなあ、自分でも感心する。鬼怒川のすぐそこまで行っていながら、河川敷探している内に別の川に来てしまう。大イリュージョニストだよ、だって、狐につままれたみたいだもの。
 かなり大きな音をたてて心が折れたのに気づきつつも、道を戻り鬼怒川を探します。はい、鬼怒川ありました。サイクリングロードもあります。やっぱり戻ってきて正解。気持よくしゃんしゃん走っていると、なんだか雲行きが怪しい。気候ではなく、道が。


 おいおい、さっきまでの整備されたサイクリングロードはどうなってしまったんだ?
 なんだか、いきなり不機嫌になる彼女に振り回される気持ちがする。
「さっきまであんなに機嫌よかったじゃないか?」
「なに? さっきまで機嫌よかったら一生ニコニコしてなきゃなんないわけ?」
「いや、なんで、急に怒り出したのかわからないって言ってんだよ」
「根本はね、その理由がわからないっていうあなたのにぶさがすべての原因」
「それ、原因と結果の論理レベルが一つ違う」
「ちがわないわよ。ああ、もう、そういうとこがほんとイヤ、わたしは論理レベルの話をしてんじゃないの。わたしはね、感情で生きてんのよ」
「それはそうなんだけど、さっきの説明だと、なんだかよく…」
「だからそれはあなたがにぶいから。いい? に・ぶ・い・から。わかる?」
みたいな鬼怒川。原因不明で、そして突発的な怒りの発作がおさまるまでぼくは揺さぶられ続けなければならない。そんな鬼怒川。鬼怒川の暗黒面。
それにしても、ごわんごわんと揺れていると、なぜだか決まって「わーれわーれは宇宙人だっ」と一人なのに一人称複数形自己紹介をしたくなってしまう、昭和の世代なわたくし。
 で、未舗装の砂利道すらなくなってしまって、完全な行き止まり。やれやれ、と一般道をつかず離れず走って、数キロ、なんだかほとぼりが覚めた頃鬼怒川に戻るとちゃんと舗装道になってる。
 なんだか、こいつは悪女の予感だよ。


ふいといなくなったきり帰ってこず、3日後、何事もなかったかのように帰ってくるような、そんな女、鬼怒川。
「ねえ、あたしが3日間外で何してたか聞きたい?」
「別に聞きたくないよ」
「そう。そう言うと思った。あなたが聞きたくないのは、勇気がないから。あたしはそういうとこが大嫌いなの」
「嫌いならなぜ帰ってきたんだ?」
「嫌いだから」
「え?」
「これからあたしがどこで何してたか話して、なぶってやろうと思ったからよ」

 なんだかわかんないけど、鬼怒川超悪女。翻弄されっぱなし。
 最終的にはですね、

 こんなような道になり、これはもうサイクリングロードではなく、ハイキングとかでしょ、ロードバイクじゃ無理よってことで、リタイア。他にも行き当たったら墓とか、鬼怒川隠し玉多し。
 その中で2つほどご紹介。


 行き当たったら墓だったから、それて未舗装の砂利&草道を走って、また行き当たったのがこれ。墓とか慰霊塔とか怖いんだけど。人っ子ひとりいないんだよ。たまに鳥がバサバサって音を立てるだけでびくびうしてしまう(もともと怖がり)。


 ハンターがこの小さな掲示に見てやめようと思うのか、それともこんなのに気づかないのか、ぼくがハンターなら断然後者である。それに人が多勢とか嘘。誰もいないんだって。だから怖いんだって。人がわんわんいたら、誰だって撃たないだろう? あえてそういう意図を持っている人以外は。それに多勢って、「たぜい」って読むんだろ? 揚げ足取るようで申し訳ないが。とにかく鬼怒川、最悪。整備しなさすぎ。半端にときどき走れるサイクリングロードがある分悪女。月に2日は最高で、残りは悪夢のような悪女。鬼怒川、ぼくの中でシャーロット・ランプリング認定。
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鬼怒川 その一

2010年11月26日 23時55分48秒 | 観光
 ふとした瞬間、思ってもみなかったことを欲望したことってありません? たとえば、歯を磨きながら、ふと、あ、俺、青森行って床屋になりてえ!とか。バス賃出そうと財布の小銭を探していたら、あら、やだ、わたし、四国の鰹節工場で働きたいのだわ、と気づいたりとか。
 人が意識するよりもずっと無意識の領域は広大で、自分自身からすると意外な思いつきかもしれないけれど、広大な無意識のグラウンドにその動機が転がっていたりするのだ。たぶん。ここで「ラカン的」とかそういう言葉を用いると格好いいのかもしれないけれど、ごくごく浅い部分でもツッコミが入ったらどうにもならなくなるので、自粛する。
 さて、前置きが長くなってしまったけれど、ある日ぼくはフライパンを洗いながら、ああ、雨が上がったら鬼怒川走りたい、と思った。それがどれだけ奇異な発想なのか、自分でも驚いたのだけれど、実は最近利根川が好きで、たぶん坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの逆で、利根川好きなら支流も可愛い、みたいな? って半疑問。
 そんなわけで鬼怒川へ。
 いつもの荒川(こないだ銚子行ったときもちょっとしか走らず、なんだか悪い気がするが)をちょこっと走り、R6から江戸川へ。20km走ると千葉に出るってなんだか意外。もっと遠い気がしてたのだけれど、松戸から江戸川を北上。やがて左岸に利根運河が現れます。この利根運河がなかなか気持ちのいい道。


 こんな感じ。ここをシャーっと自転車で走ってく。気持ちいい。実はここまで延々北風の中北上。下り坂だって漕がないと後ろ向きに登ってってしまうんじゃないかっていうくらいの向かい風。辛うござんした。ところが運河に入ると多少は北上するものの、方角で言うと東北東って感じでずいぶんラク。あたりの風景を愛でながら、ほおほお、そろそろ色づきおってのお、などと太閤気分でサイクリング(ごめん、豊臣秀吉のイメージが貧困すぎることは我ながらわかっています)。

 つづく!
 すみません、最近更新サボっていたので、どうしても金曜日中に更新したくて、尻切れトンボみたいで。あと4分で土曜日だっ!
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秋の歌 その二

2010年11月21日 23時51分19秒 | 観光
 今回はピアノをフューチャーしたものを2つばかりご紹介。
 一つは教授。
 年取ってどんどん格好よくなってく、坂本龍一。音楽を楽しみながらも、それを深く味わってもらおうと活動の幅もどんどん広げていっています。最近では自分のコンサートを無料でUST放送したりするなど、音楽という芸術、というか芸術そのものが本来持っている「贈与」について深く感じるところがあるように思われてなりません。そんな教授の「A flower is not a flower」を。






 2曲目はチック・コリアです。
 中学2年のときにジャズに出会って夢中になったわけですが、14歳の男の子になかなかレコードを買うお金などありません。そこでもう、定番中の定番を買って、それをカセットテープに録音して、レコードは大切にしまって、延々テープを聴いていました。聴くと痛んでしまうレコードはぼくにとってそれほど貴重なものでありました。
 で、そんな風に少しずついろんなものと出会っていったあるとき、「リターン・トゥ・フォーエヴァー」を聴きました。もう衝撃的で、ドビュッシーとこのユニットが僕の中で特別の存在になりました。今でもそう。どちらも、ものすごく風通しがよくて斬新で、自由である一方、音楽の内容が豊かで、とことんぼくを魅了しています。




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街の校正シリーズ その5

2010年11月19日 22時06分15秒 | 観光


 ほかに何ができるというのか?!
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オーケストラ!

2010年11月17日 19時49分39秒 | 映画
【ストーリー】劇場清掃員として働くさえない中年男アンドレイ・フィリポフ(アレクセイ・グシュコブ)は、かつてはロシア・ボリショイ交響楽団で主席を務めた天才指揮者だった。彼は、共産主義時代、“ユダヤ主義者と人民の敵”と称されたユダヤ系の演奏家たち全員の排斥を拒絶し、名声の絶頂期に解雇されたのだった。
 ある日、清掃中にアンドレイは、1枚のFAXを目にする。それは、演奏を取りやめたサンフランシスコ交響楽団の代わりに、パリのプレイエルに出演するオーケストラを2週間以内に見つけたいという内容だった。その瞬間、彼は、かつての仲間を集めて偽のオーケストラを結成、ボリショイ交響楽団代表としてパリに乗り込むことを思いつく。(amazon)


 ずいぶんと傷のある映画でした。コメディタッチで無茶を乗り越えようとするのですが、ちょっと無理。傷が目立ってしまいます。
 なぜこんなに傷の多い映画になってしまったか。それはこの映画が無茶なこと、もっと言えば不可能なこと、すなわち時間の不可逆性をくつがえそうとしたからです。人は決して過去に戻ることはできません。そしてその不可逆性は頭で理解するのではなく、身体がどんどん衰えていくような身体的な実感を伴う痛みとしてしか理解することはできません。
 しかし、この映画はその人間の条件を一瞬忘れ去らせようとします。その力が音楽にあるのだと主張します。そしてそのためにいくつもいくつも無茶なことをしてしまうのです。本番で彼らの演奏はひどい出だしをします。音がずれる、リズムが狂う、調子外れの節が流れる。でも、ひとつのきっかけで彼らは30年前にタイムスリップしてしまうのです。それがもう痛いほどよくわかる演奏と、そしてその背景の説明によってなされているのです。
 主人公アンドレイはかつてブレジネフ政権のユダヤ人弾圧に反抗し、音楽の道を絶たれ、今ではボリショイ劇場の清掃員として働いています。そんな彼がたまたま支配人室でシャトレ座からのオファーを告げるファックスを手にし、かつての楽団員を集め、偽ボリショイ交響楽団としてパリに旅立とうとするわけです。この段階でいろいろ無茶はあります。でも、けっこう軽微。で、マネージャーとしてかつて彼を逮捕、失脚させたガリガリの共産党員を選ぶわけです。彼の机には大きさの異なるレーニン像が一列に並んでいて、その描写で、彼の共産党へののめり込みをうまく描写しています。
 そんな彼がアンドレイのパリ行に興奮して、無償で参加を申し出ます。ここで見ている人は何らかの罠を感じるわけですよ。その描写にして、しかも30年前にソヴィエト共産党員としてアンドレイを失脚させているわけですから。で、彼がシャトレ座との交渉で敏腕マネージャーぶりを発揮します。そちらのWEBページではスケジュールが開いていたとシャトレ座が主張すると、内緒で石油王のプライベートパーティーに出演して高額のギャラをもらう予定だったのだけれど、それをキャンセルするんだから、それなりの条件じゃなきゃだめだと嘘をついて好条件で契約を結ぼうと。で、シャトレ座を納得させてその条件をFAXで送るのですが、ぼくが見ても、えっ?という感じ。ホテルは三ツ星、セーヌ川観光させて、滞在費は一人30ユーロ、夕食はトゥル・ノルマン(フランス共産党御用達レストラン、もう現存していない)。三ツ星のホテルって中級だし、滞在費一人30ユーロって、日本円で3200円くらい。FAXを見たシャトレ座の支配人が、これは何かの罠か、と疑うほどの低条件。もうそれくらい、彼らと世界とが隔たってしまっているわけです。ここに取り返しのつかない30年という月日が表現されていて、それはまるで通奏低音のように何度も何度もこの映画の中で繰り返されていきます。
 かつての仲間を訪ね歩いてパリ行きに誘います。ポルノフィルムのBGMを担当している者、タクシー運転手をしている者、ロマとして演奏している者、そんな中には「疫病神!」と叫んでアンドレイを追い返す者もいます。オーケストラの全員が全員彼を英雄視しているわけではない、この一つのシーンが人生の有限性を訴えていて秀逸でした。人生は有限で、その有限という条件の中で過去は取り返しのつかない重さを持つのです。その重さに対する一人ひとりの反応が違っていて当然なのです。
 こうした有限性はこの映画における人種問題についても同様です。すべての発端はユダヤ人問題でした。ソヴィエト連邦はイスラエルを割と早く承認した国でありながら、国内のユダヤ人を弾圧するという国内外でのダブルスタンダードをとった国でもあります。インターネット時代以前の共産国家に辛うじて成り立った危うい綱渡りでした。その綱渡りの中、多くの知識人は辛い立場に追いやられることになります。
 では、この映画の中でユダヤ人は弾圧に耐えぬいた気高い人種として描かれているでしょうか? 違います。ひとつの民族や体制を無限の正義、もう一方の民族や体制を無限の悪として描きません。どちらも有限の正義、有限の悪、ですから、どちらも正義や悪、両方に手を染めているのです。この映画でもユダヤ人親子は迷惑千万な振る舞いでオーケストラを混乱させます。
 なんだかんださまざまな混乱や行き違いの末、演奏が始まります。先程も言ったようにひどい出だしです。曲はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。アンドレイを含め、全員にとって、その曲は過去のある事件とつながりのある音楽でした。そして、女性ソリストがヴァイオリンを奏でると、彼らはその過去へ連れ戻されるのです。今そこで奏でられているまさに現在の音が、時を超え、彼らを過去のその時へ連れて行く。彼らはだから、その時の彼ら、ボリショイが絶頂期を迎えたと言われた頃の彼らとなって、演奏の質が急に変わるのです。この瞬間、この瞬間の奇跡にこの映画のすべては収斂していく、そんな感じです。なぜ彼女の音がそうさせたのか、それはぜひDVDで。
 こうした書き方だとなんだか重厚な映画のようですが、この映画の基調はコメディですので、どうぞ楽しんでください。写真持参で空港に行って、そこで偽造パスポートの仕上げをしたり、実は憎み合ってる大富豪の結婚式が見せかけの和気あいあいぶりから銃撃戦になるシーンなど笑えるシーンがいくつもあります。秋の夜長に。
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秋の備忘録

2010年11月15日 17時28分04秒 | 写真















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Fマリノス対FC東京 または八杉神社の呪い

2010年11月14日 21時10分00秒 | 
 優勝とは言わない。ACL圏内へ行けとも言わない。ただ、ACL圏内争いにはなんとかしがみついていて欲しい。そんな願いを込めて午後2時からの試合なのに10時に家を出る。渋谷で副都心線から東横線に乗換え(早くつながんないかな)、菊名に。まだ開場まで1時間以上あるので、菊名から日産スタジアムまで歩きます。途中、八杉神社という名の神社を見つける。当然由来をチェック。八王子神社と杉山神社があって、「神社の尊厳を守るため」「合併」で、2つ合わせて八杉神社、と。おいおい、三菱東京UFJ銀行とか、三井住友銀行とか、合併した銀行でさえ名前を残しているのに、神社のその名前、雑じゃないかあ? などと毒づきながら日産へ。だいたい2キロちょいくらい。


 日本代表に選ばれてるCB二人が怪我。みながみな、そこを不安に感じつつスタジアムに集結。しかし、そことは違うところの連携ミスで失点。あとはチャンスがありながらも、無得点。後半も停滞した試合運びで、もう、眠くなるほど。結局1点返したものの、1点取り返され、タイムアップ。もう、シーズン終盤でこのちぐはぐした戦いぶりは、なんだろう。あまりの不甲斐ない戦いを見せられた憂さ晴らしに、ピンチョンの「逆光」を買ってしまえと新横浜の三省堂書店に。この勢いがなきゃ買いませんよ、上下巻で9000円超えるもん、1700ページ超えるもん。で、売り場行けば、文庫、新書ばっかで単行本は
ごくわずか。しかも、外国文学少ない。わかるよ。こういう世知辛い世の中では、「わかる、わかる、わかるわあ」という同調意識が求められるから、芸術もドメスティックであったり、「癒し」であったりするのが「売れ筋」なんだろうけどさ、だけど、文化ってえのは、できるだけ自分が同調できないものに触れることも大切なのではないか、と思う。
 で、まあ、数少ない外国文学の新刊の棚に行ったんです。ピンチョンありました。2冊。ええと、「メイソン&ディクソン」の下巻と「逆光」の下巻。俺にどうしろ、と? なに、このある種マニアックな品揃えは。
 もうね、なんだかうまく行かない日はとことんうまく行かないんだ、と思い知らされ、しかも帰りに飛び乗った東横線は乗っちゃいけない日比谷線直通で、おまけに各停。
 八杉神社ディスったせいか、これ。八王子神社は牛頭天王の八王子を祀る神社で、杉山神社は、この神社自体は忘れてしまっているみたいなんだけれど、ほんとは五十猛神というスサノオノミコトの息子を祀っている神社。どちらも親は神仏混淆で同一とされているから、その合祀はあり得るものなんですね、きっと。だから、許してください。ごめんなさい。
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秋の歌 その一

2010年11月13日 23時10分22秒 | 音楽
 いつぞやのサマーソングに続いて、今年の秋の歌を、いくつか。
 日本の歌手で今一番好きな歌手は、と尋ねられれば、たぶんぼくの答えは寺尾紗穂。どの歌もよくて、とくに「燕の帰る晴れた朝.」は、ベスト。
 ここでは、「さよならの歌」を。この歌もいいんだよねえ。身につまされる経験のある方はきっといらっしゃることでしょう。「もう会えないから、今日から隣で、思い出したら微笑んで、私の隣で微笑んで」って。





 ぼくがジャズに出会ったのは中学2年のとき。たぶん、今までの人生で一番大きな一年は中学2年のときだと思う。とにかくいろんなことに夢中になった。大江健三郎に夢中になった、ドビュッシーに夢中になった、ウッディ・アレンに夢中になった。そして、ちびで痩せっぽちでメガネで運動なんか金輪際やりませんよ、というインドア文科系男子一直線のぼくは、中学2年のとき、ジャズに出会って恋に落ちたのだ。
 それがまさにこの曲。この演奏。マイルス・デイヴィスの未発表曲だけを集めたレコードが発売されて(ああ、そうだよ、レコードだよ、CDなんてもんはこの世に存在してない、紀元前くらいの話だよ、まだブッダ生きてたよ)、池田満寿夫のジャケがぼくにアートってこういうのいうんだぜ、と中身だけじゃなく、外見までいろんな教えを与えてくれた。そのレコード1曲目が、これ。今でもぼくがジャズを聴く原点。マイルス〜コルトレーン〜キャノンボール・アダレイへとホーンが続いてソロをとっていくのに、まったくくどくない、繰り返し感がまるでない。どれも清新で、音楽にあふれてる。ビル・エヴァンスのピアノも素晴らしくて、1958年の奇跡。



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銚子 その二

2010年11月09日 23時43分00秒 | 観光
 考えてみたら、家を出るときに作りおきのクラムチャウダーを食べ、「海まで95キロ」地点でおにぎりを2個食べただけで、すでに約160km走ってる。お腹がすく。半べそかきながら走っていたぼくたちにとって、サイクリングロードの終焉は予期せぬ出来事であるとともに、強いられた幸運とも言える。サイクリングロードを走っている限り、ぼくたち(ぼくと愛馬ロシナンテ、でも、彼は少食なんだ)に何か人間の食べ物を口にする機会はない。しかし、一般道なら、どこかにあるだろう、食堂とか、コンビニとか。そして、ぼくは自分の格好に思いを馳せ、コンビニを探す決意をする。だって、シルバー地(そういう地の服着たことある? というか今までの人生でそういう「地」って想像したことある?)に、緑と赤の模様のサイクリングジャージ。しかも、上下で、さらに下パッツンパッツン。食堂などで、「ええと、98年のロートシルトと、あ、今日の肉は何?」などと注文できます? できません。まあ、んな店もないだろうけれど。


 そんなわけで、国道沿いのコンビニで腹ごしらえをして、利根かもめ大橋有料道路へ。これで、千葉側からまた茨城県側に渡ります。なんかジグザグ。橋って、能でもそうなんですが、向こう側は異界とつながってそうなんです。ぼくも走っていて、先の見えないあちら側を過剰に想像して楽しくなります。


 橋から見た河口。ここにも先の見えない、空と海とが渾然一体となった風景が現れます。ぼくは天国とか地獄とか、人が死んだあと赴く世界ってそんな剣呑なのはごめんだな、と思うんです。ほら、このすぐ近くに、でも、なんだか先の見えない不思議な空間に、そんなところに案外永遠とか来世とかがあるんじゃないか、と。死者たちはすぐそこにいる。ただ茫洋としたあちら側の世界だけれど。そんな風に考えると、ぼくたちの世界はまた印象を変えるような気がします。つまり、生きることは死者たちとどう付き合うかによって変わっていくのではないか、と。ぼくたちは誰も一度も死んだことがないのに、他者の死によって、自分の死を予見的に知覚します。それは人の生にとって大きなことで、だから、他者の死は自分の生に大きな影響をもたらすのではないか、と思うんです。なんだか、腕が動かなくなってからのぼくは、変なことをいろいろ考えるようになってしまいました。


 20円払って有料道路を降り、振り返るとこの風景。
 ここから海はもうすぐ、いさんで走り、海が見えたときの嬉しさ。ここまで走行距離170キロ。


 もう、海はそこに見えてる!


 茨城県神栖市の空と海岸。






 おつかれ、愛馬ロシナンテ。半分砂に埋まりながら、「やったね」という表情のかわいいやつ。でも、実は前日にチャレンジして、いろんなとこを迷い、100キロ近く走って断念した再チャレンジ。2日で270キロ走りました。1日300キロ走れると一皮むけるんだけれど、景色の見えない夜(あるいは早朝)に走るのはいやなので、たぶん一生達成できない距離だろうなと。でも、海は自転車で行く甲斐のある場所だと思う。

 写真はiphoneで撮りました。自転車に積めるデジイチが欲しいですねえ。
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銚子 その一

2010年11月08日 23時03分44秒 | 観光
 暑くて、あまりにも暑くて自転車に乗れなかった夏。急に寒くなって自転車に乗ろうとしなかった秋。寂しげ目でぼくを眺めてため息をつく愛馬ロシナンテに、ごめんよとつぶやきながら家を出る毎日でした。
 ごめんよ、ロシナンテ。この週末はきみに付き合おう。「どこ行きたい?」「海に行きたいです、ご主人」
 よろしい、ただいつもの海じゃあつまんない。葛西も九十九里も夏に行った。銚子まで走ってこうぜ、ロシナンテ。
 6km走っていつもの荒川サイクリングロード。「久しぶりじゃないですか、今日はどちらまで?」あ、いかん、ここにも久しぶりの友人が。いや、今日はきみを走るんじゃなくて、どっちかってえと利根川メインで。「利根川っすか? じゃあ、北鴻巣までの60km、あるいは熊谷までの80kmお付き合いしますよ」
 尻尾振ってニコニコしてる荒川に、ごめん、またね、とつぶやきながら、そして自分にはどうしてこんなに非実在の友人が多いのか、人生間違えてないか、どんな幻影見えちゃってるんだよ、と、いろんな疑念を自ら打ち消しながら、荒川から国道6号線、そして江戸川サイクリングロード。ここから北風を受けつつ北上、流山の先から江戸川・利根川運河に乗って、いよいよ利根川、ここは茨城県取手市。ここまで80km。


 ここで遅い朝ごはん+プレ昼ごはん。ウォークマンでブルックナーの7番聴きながら、おにぎり食べてるだけで体の内側からどしどし幸福感が湧いてくる。幸せも不幸も、ものすごく近いところにあって、というか、むしろ自分の体の中にあるくらい近いところにあって、というか、だから、自分自身とそれは同一のものであって、ただそれをいちいち感じていたら日常生活が送れないから、当たり前のような感じで受け流しているけれど、でも、自分の体の中にほんといろんなものがあるってことを、自転車によってぼくは知った。
 走りだしてもしばらく両手放しでエア指揮者。
 サイクリングロードでのんびりと日向ぼっこしてるバッタを驚かせ、ごめんよごめんよ言いながら走ってく内に、何を思ったのか、ぼくの靴に張り付いて「いやいや、わたしは動きませんよ」って感じでしがみついてるバッタが一匹。こいつをお供に愛馬ロシナンテと三位一体、利根川を下ります。


 千葉側は整備が全然進んでいないので、茨城側を走ります。ここはJR鹿島線の鉄橋。手を伸ばせば触れそうなところを電車が走ります。実際走るとこ見たら迫力あるんだろうけれど、ダイヤが薄いので待っていられません。
 すべてのものはつかの間の存在です。ぼくと茨城側サイクリングロードとの良好な関係もやがては終りを迎えます。海まで19kmに至って、茨城側のサイクリングロードは消滅してしまいます。しかし、誰がそれを責めることができましょう。なぜなら、北から流入してくる常陸利根川によって、それまでのサイクリングロードを支え続けた陸地は中洲のような状態になり、2つの川の合流地点で水没してしまうのです。その運命をともに嘆くことはあっても、決して責める気にはなれません。
 わかりました。今までありがとう。千葉に渡りましょう。ええ、あなたもお体大切に。


 怖いっす。ロードバイクって、サドル高いんすよ。だもんで、右側の手すり、ほとんど役に立たないんです。お尻から上、ほぼアウト・オブ手すり。右によろけると転落死します。で、左はバンバン車が向かってくる。左によろけると轢死します。そしてその左右の余裕は、ほぼありません。遊びのない真剣勝負のような橋です。この橋はこれによってぼくに何を伝えようとしているのでしょう。人生の失敗できない際どさ? 厳しさ? 何やら、重いメタファーと恐怖に全身包まれながら、「怖いよー、冗談じゃねえよ、無理だってこんなの、いやいや、とにかく前だけ見るんだ、前だけ見るんだ、おー、トラック厳しいよお」などと、だれもいないことをこれ幸いに大声で怒鳴り、少しでも恐怖を忘れようとしつつ橋を渡ります。千葉に着いたときには、何か、何というのでしょう、少し大人になったような気さえしました。
 しかし、千葉も案外冷たい仕打ちを見舞います。
 残り19kmで仕方なく茨城側が消滅したのに対して、千葉側はまるで、まったくそれらしい理由を示すことなく、淡々と残り14kmで終了を言い渡してきたのです。


 終点標識。
 このあと、別に水没するわけでもなく、河川敷は延々続いているにも関わらず、ただ標識を立てて終了宣言。どうでしょう、それ。どこか努力不足を感じさせます。
 さて、そんなわけで、残り14kmで消滅してしまった利根川サイクリングロードですが、もちろん、ここで帰りはしません。愛馬ロシナンテも「ここまで来て海を見ないなんてことありませんよ、ご主人」とぼくを見上げてる。「でも、ご主人、ぼくのこと愛馬って呼んでくださるのは嬉しいのですが、ドン・キホーテに出てくるロシナンテってロバっす」
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喜多方

2010年11月06日 00時01分18秒 | 観光
 会津若松で只見線と間違えて磐越西線に乗ってしまったわたくし、やることなく引換してきました。ただ知らなかったのですが、会津若松から喜多方までは電化されていて、喜多方発郡山行きの電車がある、と。
 そんなわけで喜多方で降りて、ラーメンと蔵の街を見物。




 駅前の道をあちらこちら歩きまわりながらも、実はこのときはまだ右手が麻痺していて、とてもラーメンを食べるわけにはいかず。
 でも、せっかくだからと勇気振り絞って、お店に入り、フォークを所望。「取皿いりますか?」と聞かれるけれど、ぼく、子ども連れじゃないし。
 左手でフォークを使って食べたラーメンはなんだか懐かしい味がして美味しかった。


 東北に来るといつも思うんだけれど、空が美しいんだ。
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野沢

2010年11月05日 00時46分21秒 | 観光
 夏の備忘録。


 乗る列車を間違えて、訪れた野沢。ホントは会津若松から只見線に乗るつもりだったのに、磐越西線に。


 ここにも東北によく見られる大同年間の縁起話が残っている。毘沙門天や大同とか、東北人は素朴でそして少し悲しい。



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