今回が、ちょうど1,000本目の記事となります。
当ブログの読者の方々に、感謝申し上げます。
第1回が2005年の3月14日、途中に休みはなかったはずですから、それから1,000日(ほぼ3年)が経った計算になります。
ちなみに第1回は、「地上の音楽とアットリビュート」というタイトルで、モーツァルトの楽器使用法について語っています。
その間、文体に多少の変化はあったものの、基本的に「です・ます」体なのは変わっていない点。
当初は「です・ます」体に、変化をつけるため「だ・である」体や体現止めを入れるのに、若干の苦心をした覚えがあります。しかし、それも何回も繰り返していく内に、適宜な挿入ができるようになった気がします。
ただし、当初から意識的に話しことば的にしようと思っていたものの、なかなかその点は上手くいっていません。
まあ、幾分採り入れる程度でしょうか。
というのも、完全に近く話しことば的にするとなると、小生の場合、東京下町方言になってしまい、耳障りな方もいらっしゃるのでは……、とも思われるのです。
その代わりと言っちゃあ何ですが、小説では会話文のみならず、地の文でも、どしどし話しことば的にしてみたりして。
そうなるってえと、何だか落語くさくなってきますね、やっぱり。
これもやっぱり「方言小説」の一種なのでしょうか。
「方言小説」らしきものを書いていて気が付いたのは、このような文体だと、一文がどうしても短くなること。会話的な文体なので、複雑なことを言うには、あまり向いていないのでしょうかね。
それを上手く生かせれば、短文の積み重ねで、調子を出すこともできそうです。ハード・ボイルドの文体みたいにね。
さて、他の方のブログを拝見していると、ブログらしい文体というものがありそうです。
それは、先述したように、口語的であること。これは意識なさってではなく、自然にそうなってきているようです。おそらく、ブログには限らない、お若い方の文体の特徴の一つでもあるのでしょう。
小生も、そのような文体を参考に、できるだけ口語的であることを意識していこうとは思っているのですが、はてさて、如何相成りますか。
それでは、これからも引き続きのご愛読をお願いいたします。
当ブログの読者の方々に、感謝申し上げます。
第1回が2005年の3月14日、途中に休みはなかったはずですから、それから1,000日(ほぼ3年)が経った計算になります。
ちなみに第1回は、「地上の音楽とアットリビュート」というタイトルで、モーツァルトの楽器使用法について語っています。
その間、文体に多少の変化はあったものの、基本的に「です・ます」体なのは変わっていない点。
当初は「です・ます」体に、変化をつけるため「だ・である」体や体現止めを入れるのに、若干の苦心をした覚えがあります。しかし、それも何回も繰り返していく内に、適宜な挿入ができるようになった気がします。
ただし、当初から意識的に話しことば的にしようと思っていたものの、なかなかその点は上手くいっていません。
まあ、幾分採り入れる程度でしょうか。
というのも、完全に近く話しことば的にするとなると、小生の場合、東京下町方言になってしまい、耳障りな方もいらっしゃるのでは……、とも思われるのです。
その代わりと言っちゃあ何ですが、小説では会話文のみならず、地の文でも、どしどし話しことば的にしてみたりして。
そうなるってえと、何だか落語くさくなってきますね、やっぱり。
これもやっぱり「方言小説」の一種なのでしょうか。
「方言小説」らしきものを書いていて気が付いたのは、このような文体だと、一文がどうしても短くなること。会話的な文体なので、複雑なことを言うには、あまり向いていないのでしょうかね。
それを上手く生かせれば、短文の積み重ねで、調子を出すこともできそうです。ハード・ボイルドの文体みたいにね。
さて、他の方のブログを拝見していると、ブログらしい文体というものがありそうです。
それは、先述したように、口語的であること。これは意識なさってではなく、自然にそうなってきているようです。おそらく、ブログには限らない、お若い方の文体の特徴の一つでもあるのでしょう。
小生も、そのような文体を参考に、できるだけ口語的であることを意識していこうとは思っているのですが、はてさて、如何相成りますか。
それでは、これからも引き続きのご愛読をお願いいたします。