一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

「派閥」という名のグループについて考えてみる。

2007-10-05 04:19:38 | Essay
今回は、小生らしくもなく、政治についての話題。

フランス人が3人集まると、2つの政党(与党と野党)ができる、といいます。
それならば、日本人が3人集まると、何ができるのでしょう。それは「閥」という名のグループのようです。

福田政権の成立にともなって、自民党の「派閥」はなくなったのかどうか、という記事が新聞雑誌に載っています。

これは「派閥」についての定義によって変わってくる議論なのね。

そこで、旧来の「派閥」の実態を見てみると、
「田中派は、戦闘集団といわれ、『田中軍団』と呼ばれるが、そのいかめしい呼称とは逆に、田中を『父』とする父長制的な構成で、家族的雰囲気がつよい。他のほとんどの派閥は、当選年次別に階層的につくられていて、高齢の五年生議員と若い一、二年議員が、一緒になって飲んだり、碁、麻雀など楽しむということはめったにない。ほとんどの議員が、代貸あるいはそれクラスの後輩(先輩の誤り?)議員を通じ、ワン・クッションをおいて親分である実力者に繋がっている。
田中派は、田中みずからが議員の一人一人に通じていて、父子のような形である。
一年生も、相談事があれば代貸を通さずに、じかに田中に会う。ともに雑談の時間をもったり将棋をさしたりもする。こんな光景は、他の派閥にはみられないことだ。」(戸川猪佐武『小説吉田学校 第八巻 田中軍団』)
となります。
この本も、他の作家(童門冬二がその典型)の『小説~』と称するものと同様に、小説にもなっていない低水準の「読み物」ですが、まあ、それなりに旧来の派閥の様子は分る。

何はともあれ、日本的な〈親分ー子分〉関係にあり、子分の親分に対する忠誠心に応じてポストや資金が配分される、という特徴を持っているようです(「ヤクザ組織」とよく似た組織。それが何より証拠には、「代貸」などということばが平気で使われている)。

また、そこで重視されるのは、人事(対人関係や義理・人情など)であり、けっして政策ではない、という点も指摘できるでしょう。
そうでなければ、戦後、政策すらはっきりしない何人もの総理大臣がいたことの説明はつきますまい。

そのような意味では、現在「派閥」という存在はなくなっている、とも言えるのでしょう。
しかし、旧来型の「派閥」はなくなったしても、変質した「派閥」はまだ存続しているようです。
「派閥集団によって作られるミクロコスモスが、政治家の自己承認の不足を埋める小さな共同体の役割を果たしていた。(中略)それ(=派閥)はポストや資金の配分、あるいは政策を形成するために必要な共同体というだけではなく、人を育て、鍛え、目標や価値を伝達する鍛錬の場として機能していた。」
「大方の派閥が犯した過ちは、余裕がなくなってもはや共同体などではなく、利益配分のマシンと化してしまったことだろう。」(吉田徹「寂しい時代の寂しい宰相」。「論座」2007年11月号)

これを別の言い方をすれば「強い〈しばり〉のグループ」から「弱い〈しばり〉のグループ」へ、ということになるでしょう。
そして、最後に残された「派閥」の〈しばり〉が、「利益配分」ということになります。

残念なことに、ここでも政策不在(ないしは軽視)という事実に変化はないようです。