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人生100年時代、70歳以降の人生を健康に生きる為に必要な要素とは? 2024/11

2024-11-04 21:50:23 | 生活編

人生100年時代、70歳以降の人生を健康に生きる為に必要な要素とは?体は衰えるばかりだが「脳」は成長できる...?
  ゴールデンライフプランOnline より 241104 伊勢 孝雄


 古典や名著をひもとくと、75歳からの人生を黄金期として輝かせる方法が見えてきた――。人生100年時代の豊かな老後の過ごしかた。
※本記事は、伊勢孝雄氏の書籍📗『「老い」の秘訣』(幻冬舎ルネッサンス)より、一部抜粋・編集したものです


第三章 「林住期」を知る
75歳からは黄金期・収穫期
仕事から完全に引退して、一日24時間すべてが自分のための毎日が始まりました。75歳になり「林住期」を始めるには遅きに失するかもしれません。すぐに「林住期」の後半に到達して、長年夢見てきた「自由な時間」を取り戻すための作業が始まります。

いざその自由な時間をどう過ごすか、一瞬広大な平原の中にポツンと立たされている錯覚を覚えました。360度周りは何も見えません。

「自分はこれからどの方向へ進むのか?」

「その先に自分が求める世界が待っているのか?」

漠然とした希望と同時に、困惑もかすかに感じました。これまでの人生は、会社がやるべきことを与えてくれた。自分で考えなくても仕事があたえられた。毎年、それを繰り返すことが、これまでの人生だった。

「何をしてもいい」し、「何をしなくてもいい」。それがこれからの自分の人生の方向性だと思うと、楽しみと苦悩が相まって複雑な思いが心に忍んでくるような気分です。

これまでに経験をしたことがないことをこれから実践していくのだから、その思いは当然です。コップに半分ある水を見て、「まだ半分残っている」と思うか、「後、半分しかない」と思うかは心の持ちようです。「人生100年時代」とすれば、残りの時間は四分の一かもしれませんが。   

長い間待ち望んだ時が来たのだから、もちろん前者の気持ちの方が大きいです。「人生100年時代」といわれても、自分に残された時間は限りがあります。人生後半の「下り坂」の途中まで来て、老いが加速していくなか、これからの一日一日が大切な時間です。これまでのように、強制的に与えられ、期限を区切って実行しなければならない縛りはないですが、全ては自分が決めたことをやり遂げていくことが主な生きがいとなります。

「人生の黄金期」を最大に楽しむための条件は、
①健康、②お金、そして③孤独に生きること、これが三大要件です。
 幸いな事に、私はこれまで大きな病気や怪我をしたことがありません。病院への入院も一度も経験がなく、手術もしたことがありません。ここまで健康でいられたことに、両親に深い感謝しかありません。

 後半生の人生を健康に過ごすために、第一に心掛けることは「規則正しい生活」です。周りの人に世話にならず、自分が楽しいことをしていくためには、「健康」が第一です。人間の体内は「サーカディアンリズム」という一日25時間周期の「体内時計」が動いて体調をコントロールしています。

 朝になると目が覚め、朝日を浴びて昼間は活動し、夜になると眠気を感じ、寝ている間に昼間に起きたことを脳の中で整理して、次の朝を迎えるという、一連のリズムを正しく繰り返すことが健康の秘訣です。

 そのためには規則正しい生活習慣を実行しなければなりません。70代になると、体力も見た目も「個人差」が大きくなりますので、自分の身体に合わせて「健康」を慎重に管理することが必要と思います。
 そのためには、第1にウオーキングなどの適度な運動で足腰を鍛えること。
 次に、1日7時間の睡眠をとること。
 そして、食事は腹八分目とする。
「健康」が維持できなければ、「黄金期」の時を満喫することはできません。

 身体の健康だけでも十分ではありません。次に大事なのが、「脳機能」を正常に維持することです。
 人間の脳の中でも前頭葉は、40代から委縮が始まることが報告されています。前頭葉は、42 運動制御、感情コントロール、判断において重要な役割をしています。
年寄りが怒りっぽくなるのは、この前頭葉が委縮することが原因と言われています。感情のコントロールが難しくなるからです。

 70代後半の老人になると、約10%がアルツハイマー型認知症になるといわれています。脳内に「ベータ・アミロイド」と呼ばれるタンパク質が蓄積され、委縮することによって発症するといわれています。

 一方、高齢になっても、「脳」は成長させることはできるそうです。身体の「健康」を維持するのと同様に、「脳」の成長のためにも睡眠と運動による正しい生活習慣が重要です。そして、毎日を楽しく生きる秘訣は、知らないことを知ろうという明日への「意欲」と、未知への「好奇心」を持つことです。これらの要因が脳への栄養素となるのです。

 身体と脳の「健康」を維持することで、「林住期」をワクワクした気持ちで生活していくことがこれからの目標です。「意欲」と「好奇心」がキーワードです。
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🚶…清水北🚌〜向島駅前…観月橋〜宇治…> 241104

2024-11-04 20:36:00 | 🚶 歩く
🚶…右岸堤防道…隠元橋…左岸堤防道47km碑+…向島清水北🚌〜向島駅前🍫…向島(津田…東定講…上林)…左岸堤防道43.6km付近…観月橋…観
月橋〜宇治🍦…右岸堤防道…>
🚶11023歩2kg10F

☀️隠元橋24℃:雲多い秋空,風心地よく,散歩日和
宇治川運動公園では少年野球大会!
眺望がいい。
 散歩途中に気休めドリンク,キットカット,更に抹茶アイスコーンを求め宇治駅へ。晩夏?晩秋⁇緑は夏色!
風は秋!


ベランダ🌡️12℃/28℃




宇治川浚渫工事車



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日本語は日本列島で発生した孤立的言語だった? 歴史から日本語の「方言」を考える 2024/11

2024-11-04 03:21:25 | 📚 豆知識・雑学

日本語は日本列島で発生した孤立的言語だった? 歴史から日本語の「方言」を考える
  歴史人 より241104  柏木 宏之


 私たちが当たり前に使っている日本語は、世界中どこを探しても今のところ親戚関係にある語族が発見されていません。
 いいところまでは何度も行くのですが、決定打を欠いてルーツは未発見なのです。


■日本史における言語の変遷
 日本語のルーツを探して生涯の研究にしている方々がこれまでも数多くいました。
それは世界中の言語研究課題でもっとも難しいテーマの一つだそうで、まだルーツは未解明なのです。
 そこで遂に今では「日本語は日本列島で発生した孤立的言語だった!」という仮説が提出されています。
 考えてみると、人間は発声発音器官をもっていますので、どんな時代のどんな人種でもそれぞれのコミュニケーションに言語を使用していたはずです。

 余談になりますが言語学研究は人類に限らず、動物と人のコミュニケーション研究も行われています。
 そんな中で、類人猿とのコミュニケーションができるのかという研究がこれまでに幾度も繰り返され、チンパンジーやゴリラなどの類人猿には、我々ホモサピエンスと共通する感情のあることがわかっています。
 しかし発声発音器官をもたない類人猿がことばを発することはありませんでした。
類人猿やペットとの会話実験も興味深いものですが、人類同士となると最初から何らかの単語や文章を声にのせてことばとしていたに違いありません。


「西谷墳丘墓に埋葬されていた弥生時代の王と王妃の再現展示。
いったいどんなことばで会話をしていたのだろうか?
出雲弥生の森博物館展示/撮影:柏木宏之」


 現代の日本語には古い時代の単語やことばも残っていて、室町時代以降の御殿で使っていた女房詞(にょうぼうことば)というものがあります。
 たとえば「美化語」と呼ばれる「お」の字を頭につけることばに「おなら・おでん」などがあり、「~文字」とつける「しゃもじ・おめもじ」などがあります。
 もっと古く万葉調では若い女性が使う「マツエク」の「まつ毛」でしょうか。これは「目の毛」の古語で「ま(=目)つ(=の)毛」がそのまま現代に生き残っているといわれています。

 現代の日本語を研究すると大きく「琉球方言」「本土方言」の二つに分類されます。
本土方言はさらに「九州方言・西部方言・東部方言」と分かれて南九州から北海道までを網羅するのですが、もう一つ「八丈方言」という「八丈島と青ヶ島」の二島にしか残っていないことばがあるのです。

ⓒGoogleEarth
丸囲いが八丈島方言域にあたる。
※筆者が加工

 これは絶海の孤島に隔離されたように残されたことばなのですが、テレビ・ラジオ・インターネットなどの普及で島民でも使うことが少なくなり、ついに2009年にユネスコが「消滅危機言語」の「危険」に分類しました。

 私たちの日本列島の歴史は旧石器人から続きますので、その間に言語も発達したり消滅したり外来語が交雑したりを続けたわけです。もちろん現代のように新語も生まれたでしょうし流行する言い回しもあったと思います。宮中の女房詞などはまさにギャル用語のようなものですからね。
 そのうえ律令体制とともに漢字という表記を輸入し、中世にはポルトガル・スペイン・オランダ・イギリスなどからことばが流入し続けるわけです。
 漢語・和語・外来語・古語・新語が混在する日本語は、世界でも習得が難しい言語のひとつだといわれても仕方がありませんね。

 考古学は出土物という「物」にこだわって研究する学問ですし、文献学は「文書(もんじょ)」という文字や文に集中して研究する学問で、それぞれよりどころがあるといえばあるわけです。
 しかし「ことばや音」という「物として実物が存在しない文化」を研究するのは並大抵ではありません。現代では、まったく同じ成分で再現した銅鐸(どうたく)の音を聴くこともできますし、正倉院に残された琵琶の音を聴くこともできますが、古代人のことばを聴くことはできません。

 八丈語に残されている単語や文法には古代独特の「上代語」を聴くことができるそうです。考えてみればわが国は全国に無数ともいえる方言がありました。

 しかし明治政府が全国を統一し均一化する必要に迫られた時「標準語」を創り、その普及に努めるわけです。これを100年以上かかって完璧に成し遂げたのが現代のテレビやラジオの放送文化だったのです。それを否定的にはとらえませんが、放送が言語の消滅を高速化したのは間違いないでしょう。
 方言を残そうとする努力も各地で見られますし、今やあえて方言で放送する番組やタレントも多くなりました。まさに標準語でしか話さなかった放送文化の中で逆転現象が起きているのです。これは文化人類学の研究材料になるかもしれませんね!
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【ゴジラ生誕70周年】1954年から2023年まで全30作を一挙レビュー! 2024/11

2024-11-04 03:07:19 | 📺 映画・TV ・スカパー視聴

東宝が世界に誇る名優【ゴジラ生誕70周年】1954年から2023年まで全30作を一挙レビュー!  ゴジラ70年の歴史を一挙レビュー!
 Re:minder より 231104


 今年で70年という節目を迎えたゴジラ映画
祝・ゴジラ生誕70周年!そう、記念すべき第1作目の『ゴジラ』が1954年11月3日に公開されてから、今年(2024年)で70年という節目を迎えたのだ。その存在感と知名度は他の追随を許さぬ、まさに怪獣王の風格があるが、その道のりは決して平坦ではなかった。
 ここでその70年の足跡を振り返ってみたいと思う。なお、本稿では “日本製” かつ “実写” ゴジラにのみ絞って記すことをご了承いただきたい。


🦖ゴジラ誕生!大ヒットを記録
第1作『ゴジラ』1954年公開   監督:本多猪四郎 
 それまで特撮というものは主に本編を補佐するための存在であったが、この第1作の『ゴジラ』は初めて特撮が “売り” になった、本邦初の本格的怪獣映画ということで、全てが試行錯誤の中で製作された。
そして蓋を開けてみれば動員900万人を超える大ヒットを記録。
 本作が公開された1954年には、ビキニ環礁での水爆実験の影響で、漁船である第五福竜丸が被曝するという事件が起こっている。
 そんな中、水爆実験によって太古の眠りから覚め、放射能の影響で強大となった巨大怪獣ゴジラが都市を蹂躙する物語には、ただのゲテ物では終わらない、真摯なメッセージが込められていた。
 ゴジラは人々にとって恐怖の存在であると同時に、愚かな人間たちの犠牲者でもあるのだ。そこにこそ悲劇性を帯びたゴジラの独自性がある。以下、その後のゴジラ映画の変遷を記す。


🦖第2作『ゴジラの逆襲』1955年公開 監督:小田基義 
 大阪を舞台に、ゴジラと新怪獣・アンギラスがまるで闘犬のような獰猛な戦いを展開。偉大すぎる第1作は別格として、本作以降大半のゴジラ映画は敵怪獣とのバトルが “売り” になっていることを考えると、本作こそが元祖怪獣映画といえるかもしれない。


🦖第3作『キングコング対ゴジラ』1962年公開 監督:本多猪四郎 
 キングコングとゴジラの一騎打ちを企業の宣伝に利用する人間たちのドタバタと、本能の命ずるままにぶつかり合う両怪獣の迫力満点の戦いに最後まで目が離せない本作は、1,255万人という空前の観客動員を記録。


🦖第4作『モスラ対ゴジラ』1964年公開 監督:本多猪四郎 
 前作に続き主役級の怪獣同士の顔合わせとなったが、今回は悪役に徹した着ぐるみ怪獣ゴジラと、ピアノ線での操演による巨大蛾怪獣モスラとの戦いが、息もつかせぬ迫力で描かれた。


🦖第5作『三大怪獣 地球最大の決戦』1964年公開 監督:本多猪四郎 
 ゴジラ宿命のライバル・キングギドラが初登場。全身を金色に輝かせたその勇姿は、敵ながらあっぱれな格好良さ。それを迎え撃つのはゴジラ、モスラ、ラドンの地球怪獣連合軍。このあたりから徐々にゴジラは地球を守る怪獣に変貌していく。


🦖第6作『怪獣大戦争』1965年公開 監督:本多猪四郎 
 X星人に操られたキングギドラが再登場。これを迎え撃つゴジラとラドン。本作でゴジラが赤塚不二夫の漫画『おそ松くん』に登場するイヤミ氏よろしく “シェー” をしたことが一部のヒンシュクを買うことになるが、これを提案したのは他ならぬ特撮の神様こと円谷英二特技監督なのである。   


🦖第7作『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』1966年公開 監督:福田純 
 当初はキングコングを主役とする予定だったが、急きょゴジラが代役に立つことに。概ね脚本もキングコング主役版のまま流用されているようで、ヒロインにデレデレしたりゴーゴーダンスを踊ったり、本作でのゴジラは妙にお茶目。


🦖第8作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』1967年公開 監督:福田純 
 タイトル通りゴジラと息子のミニラが親子共演。本作の見どころはカマキラスやクモンガといった複数の敵怪獣が、いずれも着ぐるみではなくピアノ線による操演怪獣だった点が挙げられる。その仕上がりは芸術の域。   


🦖第9作『怪獣総進撃』1968年公開 監督:本多猪四郎 
 敵宇宙人の名がキラアク(すなわち “吉良悪” )星人なのは、当初 “怪獣忠臣蔵” というタイトルで検討されていたことの名残。クライマックスシーンでは(さすがに四十七士ならぬ47怪獣とはいかなかったが)11怪獣とキラアク星人、そしてまたまた登場のキングギドラとの激闘が描かれた。


🦖第10作『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』1969年公開 監督:本多猪四郎 
 怪獣は全て1人の鍵っ子少年の夢の中に登場する存在という異色編。特撮シーンも過去作品の流用が多く低予算は明らかだが,スケール感はともかく,少年目線で描いた良質なファンタジーとして一見の価値あり。  


 🦖第11作『ゴジラ対ヘドラ』1971年公開 監督:坂野義光 
 当時社会問題となっていた公害から生まれた怪獣・ヘドラとの戦いを描いた大異色作。元を辿ればゴジラもヘドラも人間が生み出した存在と言える皮肉。満身創痍でヘドラに勝利したゴジラが、人間たちをひと睨みして去っていくラストが印象的。


🦖第12作『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』1972年公開 監督:福田純 
 ゴジラ&アンギラス 対 ガイガン&キングギドラによるタッグマッチ。この時期のゴジラは “正義ゴジラ” と呼ばれるが、その呼び名に恥じぬヒーロー怪獣ぶりで、大流血戦の末に勝利をもぎ取る。ガイガンの “かっこいい悪役” ぶりも魅力。   


🦖第13作『ゴジラ対メガロ』1973年公開 監督:福田純 
 本作でのゴジラは電子ロボット・ジェットジャガーとコンビを組み、昆虫怪獣メガロと、再登場となるガイガンのコンビと対戦。子ども向けに徹した本作は、ある時期マニアから非常に毛嫌いされていたが、近年になってようやく本作の大らかな魅力が再評価されつつある。


🦖第14作『ゴジラ対メカゴジラ』1974年公開 監督:福田純 
 キングギドラに次ぐ名ライバル、メカゴジラが初登場。ゴジラに化けたメカゴジラと本物のゴジラが対峙する “ゴジラ対ゴジラ” の場面は見どころのひとつ。本作以降、ゴジラは自らの分身とも言える敵と度々戦うことになるが、本作はその嚆矢となった。


🦖第15作『メカゴジラの逆襲』1975年公開 監督:本多猪四郎 
 前作の続編ながら、明朗なアクション物だった前作と異なり、全編を沈鬱なムードが覆う本作をもってゴジラ映画は休止期間に入る。そして第1作目の『ゴジラ』以降、昭和の東宝特撮映画を支え続けた本多猪四郎監督の遺作となった。ラストで、夕陽を浴びて海の彼方に帰っていくゴジラの後ろ姿が胸に迫る。


🦖第16作『ゴジラ』1984年公開 監督:橋本幸治 
 満を持しての復活作は “ゴジラを人類の味方、正義の味方にしたのは、やはり誤りだった” と語っていた東宝の田中友幸プロデューサー念願の、“原点回帰” に徹した硬派な作品。ゴジラファンにとってはその存在自体がイベントと言えた一編。


🦖第17作『ゴジラ vs ビオランテ』1989年公開 監督:大森一樹 
 ゴジラとバラの花と1人の少女の細胞が1つとなって生まれた怪獣・ビオランテとの戦いが、監督:大森一樹、特技監督:川北紘一という新しい感性によって描かれた。超能力少女・三枝未希(演:小高恵美)は、本作以降平成 vsシリーズの通し役として活躍。


🦖第18作『ゴジラ vs キングギドラ』1991年公開 監督:大森一樹 
 タイムパラドックスを描くことにより、ゴジラの誕生秘話にメスを入れ話題となった、大森・川北コンビによる快作。そして本作からは『メカゴジラの逆襲』以来となる伊福部昭が再び音楽を担当、ファンを狂喜させた。


🦖第19作『ゴジラ vs モスラ』1992年公開 監督:大河原孝夫 
 前作に続き、人気怪獣が再登板。ファンタジー性を強調した川北監督の特撮、そして家族の絆などにスポットを当てたストーリーがマニア以外の一般客にも受け入れられヒットを記録。


🦖第20作『ゴジラ vs メカゴジラ』1993年公開 監督:大河原孝夫 
 人類の敵だった昭和メカゴジラと異なり、本作でのメカゴジラは人類が造った対ゴジラ兵器として登場。ラドンとベビーゴジラも絡んだ絢爛たるストーリーは最後まで飽きさせない。本作でも新曲を含む伊福部昭の音楽が全編を彩り、作品を盛り上げた。


🦖第21作『ゴジラ vs スペースゴジラ』1994年公開 監督:山下賢章 
 宇宙に散ったゴジラ細胞がブラックホール内で結晶生物と合体して誕生したスペースゴジラとの戦い。1957年の東宝映画『地球防衛軍』で怪遊星人の操るロボットだったモゲラが、本作では対ゴジラ兵器として登場。そこにリトルゴジラが絡んだり、ヒロイン三枝未希のほのかな恋が描かれたりと、盛りだくさんな一編。


🦖第22作『ゴジラ vs デストロイア』1995年公開 監督:大河原孝夫 
 “ゴジラ死す” という衝撃的なキャッチコピーの本作。1作目でゴジラを葬った兵器・オキシジェン・デストロイヤーと繋がったそのストーリーで、シリーズは一旦の幕を降ろす。


🦖第23作『ゴジラ2000ミレニアム』2000年公開 監督:大河原孝夫 
 1998年に公開されたハリウッド版の『GODZILLA』を経て、エイリアンとの戦いが描かれた本作からは再び日本製のゴジラ映画、いわゆる “ミレニアムシリーズ” がスタート。


🦖第24作『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』2000年公開 監督;手塚昌明
  1956年公開の怪獣映画『空の大怪獣 ラドン』でラドンの餌だったヤゴの怪獣・メガヌロンが再登場、本作では超翔竜・メガギラスに成長してゴジラと死闘を繰り広げた。


🦖第25作『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』2001年公開 監督:金子修介 
 金子修介監督はじめ、平成ガメラ3部作のスタッフが参画した本作は、破壊神ゴジラがバラゴン、モスラ、キングギドラの護国三聖獣と戦う娯楽巨編。


🦖第26作『ゴジラ×メカゴジラ』2002年公開 監督:手塚昌明 
 再び対ゴジラ兵器としてメカゴジラ(機龍)が登場。対特殊生物自衛隊(特生自衛隊)の女性隊員・家城茜(演:釈由美子)を主人公に据え、ゴジラとの死闘を描いた。


🦖第27作『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』2003年公開 監督:手塚昌明 
 前作に続き機龍が登場。さらに『モスラ』(1960年)とも世界観の繋がった展開でオールドファンをも喜ばせた上、死骸ではあったが『決戦!南海の大怪獣』(1970年)のカメーバが奇跡の復活。


🦖第28作『ゴジラFINAL WARS』2004年公開 監督:北村龍平 
 『あずみ』などの北村龍平監督によるアクション満載の怪獣総登場編にしてミレニアムシリーズ最終作。アンギラス、エビラ、キングシーサーなども久々の再登場。平成版の『怪獣総進撃』ともいえる娯楽大作。


第29作『シン・ゴジラ』2016年公開 総監督:庵野秀明/監督:樋口真嗣 
 庵野秀明総監督による本作は、実際に今の世の中にゴジラが現れた時、日本という国はどう対処するのかを、リアリティーのある描写で、時にユーモアを交えつつも緊迫感あふれる展開で描き、特撮ファン以外をも巻き込んで大ヒットを記録。


🦖第30作『ゴジラ−1.0』2023年公開 監督:山崎貴 
 終戦直後という時代設定で意表をついた山崎貴監督による本作は、米アカデミー賞の視覚技術賞受賞という快挙を成し遂げ話題となった。  


以上、駆け足で70年を振り返ってきた訳だが,ゴジラは時代の要請に応え,時に核の恐怖の象徴,時に正義の味方,時に悪役,時に父親(?)と,様々な役を見事に演じ分けてきた。 
 そんなゴジラという俳優は、死なないし、老けないし、作品や役柄に文句をつけない。東宝は実に素晴らしい “名優” を擁したものだと思う。
  これからもゴジラは、自らの哀しい出自を時に押し隠しつつ、私たちを永遠に楽しませてくれるだろう。

カタリベ: 使徒メルヘン
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