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 文化勲章に「ちばてつや」が選ばれた納得理由 2024/10

2024-10-31 01:11:26 | なるほど  ふぅ〜ん

文化勲章に「ちばてつや」が選ばれた納得理由
 東洋経済Online より 241031  南 信長:マンガ解説者


 漫画家・ちばてつや氏は85歳の今も「ビッグコミック」(小学館)で『ひねもすのたり日記』を連載する現役漫画家だ(筆者撮影)

 先頃発表された2024年度の文化勲章受章者の中に、漫画家・ちばてつや氏の名前があった。漫画家では初の受章とのことで、一人のマンガ好きとして喜ばしい。〈戦後漫画史の金字塔として語り継がれる「あしたのジョー」をはじめ数々の優秀な作品を発表し、漫画家の育成にも力を尽くすなど芸術文化の発展に大きく貢献した〉というとおり、ちば氏がマンガ界に残したものは極めて大きい。

⚫︎85歳の今も「ビッグコミック」で連載
 85歳の今も「ビッグコミック」(小学館)で『ひねもすのたり日記』を連載する現役漫画家だ。とはいえ、ある年齢以下の人にとっては、あまりなじみがないかもしれない。
『あしたのジョー』(原作:高森朝雄)は1968年から1973年にかけての連載だし、1998年に『のたり松太郎 駒田中奮闘編』の連載を終えて以降、短編がメインでストーリーものの連載からは遠ざかっている。
「ちばてつや」という名前や『あしたのジョー』のタイトルは知っていても、作品自体は読んだことがないという人もいるだろう。

 しかし、それなりのマンガ好きであれば、いろんな作品の中で登場人物が「まっ白に燃えつきた」シーンを一度は目にしたことがあるはずだ。
 たとえば、秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』116巻収録の「祝い隊・出動!!の巻」の扉絵では、三社祭でエネルギーを使い果たした両さんがまっ白に燃えつきて道端でビールケースに座っている。
秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(集英社)ジャンプ・コミックス116巻p145より
【画像】まだまだある「真っ白に燃えつきる」シーン
 高橋留美子『1ポンドの福音』では、修道院の可憐なシスターをめぐって主人公の大食いボクサーと恋敵になるイタリア料理店のシェフ(実は料理が苦手)が、連日の料理特訓を経てパーティ料理に挑んだあげく、まっ白に燃えつきる。
高橋留美子『1ポンドの福音』(小学館)ヤングサンデーコミックス4巻p49より

⚫︎マンガ史上最も数多く引用されたシーン
 これらは言うまでもなく、『あしたのジョー』で無敵の世界王者相手の試合で完全燃焼した主人公・矢吹丈が、リング上で「まっ白に燃えつきる」ラストシーンを元ネタにしたパロディ(もしくはオマージュ)だ。あのラストシーンがマンガ史上に残る名場面であることは論をまたない。と同時に、マンガ史上最も数多くパロディ&オマージュとして引用されたシーンであることも、おそらく間違いない。
原作:高森朝雄・漫画:ちばてつや『あしたのジョー』(講談社)KC20巻p260より

 朝日新聞夕刊連載の4コマ、しりあがり寿『地球防衛家のヒトビト』では、2010年4月5~7日の3回連続で、新入社員が厳しかった就職戦線を思い起こして燃えつきてしまう。
 2019年にドラマ化された丹羽庭『トクサツガガガ』では、ジオラマ作品の個性について苦悩するモデラーが主人公の何げない一言でまっ白な灰になった。
丹羽庭『トクサツガガガ』(小学館)ビッグスピリッツコミックス14巻p121より
 ほかにも、作:大場つぐみ・画:小畑健『バクマン。』、しげの秀一『頭文字D』、のりつけ雅春『マイホームアフロ田中』、とよ田みのる『これ描いて死ね』など、同様のシーンが登場する事例は枚挙にいとまがない。

 筆者が現時点で把握しているだけでも60近くの作品で、いろんなキャラがまっ白に燃えつきている。
つまり、それだけ多くの漫画家が、あのシーンを「誰もが知るマンガの基礎教養」として頭の引き出しに入れているということだ。
 読者の側も(実際に読んだことがなくても)知識としては知っている。名作と呼ばれるマンガは数あれど、ひとつのイメージがここまで広く共有されている例は、ほかにあるまい。

 もちろん、ちば作品がマンガ界に与えた影響は、そんなワンシーンにとどまらない。キャラクター造形、セリフ回し、背景描写、コマ割りや構図といったマンガ表現の根幹の部分を、ちば作品から学んだという作家は多い。

『AKIRA』などで世界的に知られる巨匠・大友克洋もその一人。『文藝別冊 総特集ちばてつや』(2011年)収録のインタビューで、ちば作品のセリフやコマ割り、構図の巧みさを絶賛している。自身の勉強のため、ちば作品のコマ割りをトレースしてみたこともあるという。
 影響レベルではなく心酔しているのが江口寿史だ。同じ『文藝別冊 総特集ちばてつや』の寄稿で、あふれんばかりの“ちばてつや愛”を吐露している。自身の作品の中でも『あしたのジョー』のパロディを何度も登場させており、例の「まっ白に燃えつきた」シーンなんてソラでそっくりに描けるに違いない。
『カイジ』の福本伸行は「ちばてつや賞」出身
 先日デビュー50周年&『アイドルを探せ』40周年記念として初の原画展を開いた吉田まゆみも『総特集 吉田まゆみ』(2024年)のインタビューで「やっぱり“ちばイズム”には染まってます」と語る。この「ちばイズム」という言葉は『カイジ』シリーズで人気の福本伸行も口にしていて、「『カイジ』にしても『アカギ』にしても、“ちばイズム”と言ったら何ですけど、やっぱり主人公は絶対裏切らないとか、人を殺したりしないとか、そういう温かさというか健全さというか、そういうものが根底にある」と述べていた(前出『総特集ちばてつや』)。
 福本伸行は「ちばてつや賞」出身。この賞は、単にちばてつやの名前を冠しただけでなく、最終候補作をちばてつや本人が読むことで知られる。
「ちば先生に読んでもらいたい!」という動機で応募する作家も多く、きうちかずひろ、さそうあきら、望月ミネタロウ、岩明均、山田芳裕、新井英樹、すぎむらしんいち、ハロルド作石、きらたかし、原泰久、野田サトル、コウノコウジ、こざき亜衣、池田邦彦、山本崇一朗など、錚々たる面々を輩出している。
 次代の才能を見出すという意味でも、マンガ界への貢献度は高い。

 なぜ、ちば作品はこれほど愛されるのか。どこがすごいのか。
まずは、大友克洋も参考にしたというコマ割り、構図の巧みさ。人物の位置関係、誰がどこにいて何をしているのかがひと目でわかる俯瞰(上から見下ろす視点)の構図を随所に織り込み、コマ割りで動きを見せる。
 手描きのマンガならではの独特のパース(遠近図法)で、人間の視野に近い自然な空間を作り出す。学園マンガ『おれは鉄兵』(1973~1980年)で主人公の鉄兵が仲間たちと寮の部屋から食堂に向かう場面などはその典型だ。
ちばてつや『おれは鉄兵』(講談社)KCマガジン18巻p8-9より

 空撮のような大都会・東京のビル群から、うらぶれた下町を歩くジョーの姿へとズームインしていく『あしたのジョー』のオープニングもまた名シーンとして語り継がれている。ジョーのプロテスト合格を祝おうとドヤ街の人々が集まって宴会をする場面では、画面の隅っこのモブキャラまでが生き生きと描かれているのに驚かされる。
原作:高森朝雄・漫画:ちばてつや『あしたのジョー』(講談社)KC6巻p134-135より

 しかし、そうした作画技術やストーリーもさることながら、ちば作品が愛される最大の理由は、やはりキャラクターにあるだろう。
 ジョーにしても鉄兵にしても、『のたり松太郎』の主人公・松太郎にしても、決して優等生ではない。というより、悪たれでダメな部分のほうが多い。そんな“はずれ者”たちを、愛情を込めて描く。
 彼らはしっかり食べるしトイレにも行く。髪やひげや爪が伸びたり切ったりもするし、時間の経過とともに年を取る。つまり、ストーリーのための手駒ではなく、作品世界の中で生きている。一人ひとりの生活者としての姿が見えてくる。だからこそ、読者は彼らに人間的な魅力を感じるのだ。

老境を楽しむかのように綴る『ひねもすのたり日記』
大家族ドラマ『1・2・3と4・5・ロク』(1962年)では庶民の生活を描き、
ピカレスクロマン『餓鬼』(1970年)では人間の業を描く。
ちば作品には珍しい恋愛劇『螢三七子』(1972年)の叙情も忘れがたい。
ゴルフマンガ『あした天気になあれ』(1980~1991年)の主人公・向太陽の「チャーシューメーン」の掛け声は、ちょっとした流行語にもなった。
現在連載中の『ひねもすのたり日記』では、物忘れが多かったり体が思うように動かない自分を包み隠さず、むしろ老境を楽しむかのように綴っている。

 そうした多彩な作品を描く一方で、2012年からは日本漫画家協会の理事長、2018年からは会長を務める。マンガ界を代表する立場として、表現規制問題についても先頭に立ち、90年代の有害コミック騒動時には『――と、ぼくは思います!!』と題した作品でも意見を表明した。満州からの引き揚げ体験をもとに、戦争の悲惨さを伝えることにも尽力する。
大御所中の大御所でありながら、少しも偉ぶるところがない。

 手塚治虫が「マンガの神様」なら、ちばてつやは「マンガの天使」とでも言うべきか。
とにかくマンガ界になくてはならない存在であり、文化勲章だけでなく人間国宝に指定してほしい。
少なくとも120歳ぐらいまではお元気でいてほしい――というのが、マンガに関わる人間すべての願いだと思う。


💋ちかいの魔球が!
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茂木健一郎「整理整頓がうまい方は…」断捨離・整理整頓のコツを脳科学の視点で解説 202410

2024-10-28 11:25:00 | なるほど  ふぅ〜ん

茂木健一郎「整理整頓がうまい方は…」断捨離・整理整頓のコツを脳科学の視点で解説

脳科学者の茂木健一郎がパーソナリティをつとめ、日本や世界を舞台に活躍しているゲストの“挑戦”に迫るTOKYO FMのラジオ番組「Dream HEART」(毎週土曜 22:00~22:30)。  より 20241027

TOKYO FMとJFN系列38局の音声配信プラットフォーム「AuDee(オーディー)」では、当番組のスピンオフ番組「茂木健一郎のポジティブ脳教室」を配信中です。
 この番組では、リスナーの皆様から寄せられたお悩みに茂木が脳科学的視点から回答して「ポジティブな考え方」を伝授していきます。


今回の配信では「整理整頓」に関する質問に答えました。
  パーソナリティの茂木健一郎

<リスナーからの相談>
 私はなかなか断捨離ができず、自分のワークスペースを整頓して有意義に活用することができません。散らかった部屋を見て構想は練るのですが、なかなか体が動かず途方に暮れる毎日です。
 どうすれば断捨離ができるのでしょうか。

<茂木の回答>
茂木:断捨離がなかなかできないお気持ちはわかるのですが、おそらく脳のなかの優先順位が違うのですね。僕も比較的ワークスペースの整理整頓はやらないほうです。
 なぜかというと、物の整理整頓よりも記憶の整理整頓というか、頭のなかでいろいろ整理したり、何かを思いついたりするほうの優先順位が高いからです。
 僕の場合はそうなのですが、あなたはどうなのでしょうか。

 基本的に脳は喜びを感じない方向には行かないので、「整理整頓をしないと喜びを得られない」みたいなことをすると、必ず整理整頓をするようになります。
 整理整頓がうまい方は、やることで脳が報酬系、ドーパミン系が活動して、脳が喜んでいる状況です。

 なので相談者さんも整理整頓をするときは、必ず好きな音楽をかけながら整理整頓すると、脳のなかで結びつきができます。
 脳にご褒美をうまく使ってやると、体が動くようになりますよ。

 そのことに関係するのが、片づけコンサルタント・こんまりさんこと、近藤麻理恵さんの「“ときめき”があるものを残す」という、こんまりメソッドです。
 僕はこんまりメソッドの深いところは、片付けをすることでときめきに出会える点だと思っています。
 つまり、片付けという行為が、ときめきという脳のご褒美と結びついている。
これがこんまりメソッドの深いところであると僕は思うのです。
 ですから、こんまりメソッドから連想するならば、相談者さんが片付けでときめけばいいのです。

 ときめきと結びつけることによって部屋の断捨離ができて、気持ちがいい。
こういう成功体験をすることで脳の回路が変わりますし、部屋の整頓を継続することも可能になります。
 とりあえず、明日から騙されたと思って好きな音楽を聴きながら部屋の断捨離をしてください。

 また、整理整頓をしているとき以外はその音楽を聴かないようにすれば、聴くために断捨離や整理整頓をしなければならなくなります。
 脳科学者はそういう形で、あまりやりたくないことをやるように導いております。
もしよければご参考にしていただけたらなと思います。

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音声版「茂木健一郎のポジティブ脳教室」
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<番組情報>
番組名:茂木健一郎のポジティブ脳教室
配信日時:毎週土曜 22:30配信(予定)
パーソナリティ:茂木健一郎
番組Webサイト:https://audee.jp/program/show/11745
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日本の「平和ボケ」はもはや立派な観光資源? 90%の若者が「平和」を実感、インバウンドを魅了する3つの強力要素とは 202410

2024-10-26 21:54:00 | なるほど  ふぅ〜ん

日本の「平和ボケ」はもはや立派な観光資源? 90%の若者が「平和」を実感、インバウンドを魅了する3つの強力要素とは
 MerkMal より 241026   仲田しんじ(研究論文ウォッチャー)


⚠️平和ボケは日本の観光資源
 観光は、訪れる人々に心の安らぎや新しい体験を提供する特別な活動だ。2021年の東京五輪は、その影響を見直す良い機会になった。五輪期間中、選手村では日本のもてなしが特に目立った。

 日本独特のホスピタリティや「平和ボケ」は、現代の緊張した状況のなかで、訪れる人々に安心感や癒やしを与えている。
 本連載「平和ボケ観光論」では、日本の観光業が提供する平和な環境での特別な体験が、いかに日本の「平和ボケ」が観光資源として価値を持つのかを探っていく。

※ ※ ※

 美しい水や空気は無料で,安全もタダで提供される社会に対して不満を持つことは難しい。しかし,それが当たり前になると「平和ボケ」が生まれるのかもしれない。

 平和ボケという言葉は、平和に慣れすぎて現実を見失う状態を指す。
具体的には、長い間平和な状況が続くことで、危機感や警戒心が薄れ、社会や自分の問題に対して無関心になったり、適切な判断ができなくなったりすることを意味する。
 この言葉は、主に戦争や自然災害、社会問題などの脅威が少ない環境で育った世代に使われることが多い。
 平和が続くことで、過去の歴史や教訓を忘れがちになり、危機への備えが不十分になることが心配されている。
 80年前、日本は滅亡の危機に直面した戦争を経験した。終戦後の混乱を経て、高度経済成長やバブル経済の崩壊、震災があったものの、戦争とはほぼ無縁の状態が続いている。
 今や日本は、世界に誇る「平和ボケ」国家になってしまった。

⚠️「危機感を持ったほうがいい」
 という声がどこかから聞こえてくるかもしれない。
実際、バブル経済崩壊後の長期低迷や「失われた30年」は、日本人の平和ボケに起因しているのかもしれない。

 一方、世界では今も戦争で命が失われ、治安が崩壊している地域や食糧不足に苦しむ場所もある。また、環境破壊が進み、健康が脅かされている地域も多い。

 五井平和財団が143か国4272人の若者に行った調査によると、自国が平和だと思う割合はほぼ同じだが、日本の若者の約9割が「思う」と回答しているのが興味深い。

 戦争や混乱する国際情勢のなかで、平和の存在は貴重で魅力的だ。「平和ボケ」の日本は、その存在を強く示しているひとつであり、最近増加しているインバウンドの人々もその魅力に引き寄せられている。

 オーストラリアの経済平和研究所が発表した2024年度の世界平和度指数では、日本は「軍事化」の分野で平和度が低下し、17位にランクダウンしたが、2023年は9位で、世界有数の平和度を誇っている。これは世界的にも評価されている証しだ。

 つまり、平和ボケは
「日本の観光資源」
ともいえるのではないだろうか。
かけがえのない水に対する安心感

 もちろん、日本以外にも平和な国は多いが、日本独自の平和ボケはどのように育まれてきたのだろうか。その主な要因のひとつは

「水」

だろう。

 日本の国土の約3分の2は山と森林に覆われており、水源が豊富で、水の心配をする必要がほとんどなかった。
この水に対する安心感は、日本人にとって非常に大切なものだ。

 さらに、日本は水道水が飲める数少ない国のひとつで、その水道水の品質は世界的にも高く評価されている。日本の水道水は「水道法第4条」に基づいて水質基準が定められており、「大腸菌群数」はゼロが基準で、カドミウムや鉛は1Lあたり0.01mg以下という非常に細かい基準が設けられている。
 世界196か国のなかで水道水が飲める国は、日本を含めてノルウェーやアイスランドなどわずか9か国しかなく、アジアでは日本だけだ。

 観光資源としても水の役割は大きい。多くの飲食店では水が無料で提供され、ウォシュレット付きのトイレが普及していることも、身近な安心感につながっている。
また、温泉やホテルの大浴場、銭湯、サウナなどの温浴施設が充実していることも、旅の満足度を高める要因だ。
 さらに、日本は大量の水を使って調理する料理、特に日本そばなどがあり、これも日本独特のフードメニューのひとつだ。日本では水をたくさん使った料理が可能な国でもある。
 ささいなことではあるが、カップ麺やインスタントコーヒーのためのお湯が自由に使えることも、旅のなかではありがたいポイントだ。

⚠️子どもが甘やかされる文化
  ルース・ベネディクト『菊と刀』(画像:講談社)
 日本の平和ボケの要因として、観光資源としての水が重要なキーワードになるが、次に挙げられるのが

「子ども」

だ。この子どもには、広い意味での“子ども的”なものも含まれている。

 愛知県長久手市にある愛・地球博記念公園内に2022年11月1日に開設された「ジブリパーク」は、コロナ禍でスタートしたが、コロナが収束するとインバウンド客が殺到することになった。

 日本経済新聞の調査によると、ジブリパークの入場者の
「約3割」
がインバウンドだそうで、その多くは家族連れや若者たちだろう。
 そもそも、コロナ前からジブリ美術館やサンリオピューロランドなどは家族連れに人気で、訪れる理由も子どもたちのリクエストが大きいことがわかる。

 もちろん、ディズニーランドやUSJなどの定番人気施設も多くの人に楽しまれているが、日本独自の施設が子どもたちに特に人気だ。
 例えば、神奈川県川崎市にある「藤子・F・不二雄ミュージアム」では、英語、中国語、韓国語の音声ガイドが用意されており、コロナ明けからインバウンドが急増している。

 また、ポッキーやチョコパイなどの日本のお菓子も外国の子どもたちに人気で、日本でしか味わえないフレーバーも多いため、訪れた子どもたちの楽しみが広がっている。
 多くの飲食店では子ども料金が設定されており,これもインバウンドにとって新鮮な体験だ。
 少し前にYouTubeで見た動画では、家族で日本旅行をした後、帰国時に子どもが帰りたくないと駄々をこねたエピソードが語られていて、非常に興味深かった。

 日本文化を語る上で欠かせない名著『菊と刀』(1946年)の著者で文化人類学者のルース・ベネディクト(1887~ 1948年)は、欧米では幼い子どもを厳しくしつけ、年長になるにつれて徐々に緩める教育が一般的であるのに対し、日本では幼い子どもが甘やかされ、成長するにつれて社会の厳しさを教えるという

「教育方針の違い」

について説明している。また、2022年に亡くなった思想史家の渡辺京二も、その著書『逝きし世の面影』(1998年)で

「子どもの楽園」

という章を設けている。この作品は幕末から明治にかけて日本を訪れた異邦人の訪日記を読み解き、日本の近代が失ったものの意味を根本から問い直している。
 日本を訪れた外国の子どもたちは、日本で自分たちが甘やかされていることを敏感に感じ取り、帰りたくなくなるのかもしれない。

⚠️女性が行動しやすい街の設計と風土
 日本の平和ボケ的観光資源の最後のキーワードとして
「女性」 を挙げたい。
日本では女性がひとりでも安全に旅ができる。
夜に女性が繁華街に出掛けても、よほどのことがない限り問題は起こらない。

 旅行会社では「女子旅」のプランが用意されていたり、飲食店で「女性料金」が設定されていたりすることで、女性の行動範囲が広がっている。カフェなどの飲食店では女性客が多いことも珍しくなく、街には美容院やネイルサロン、アパレル店、雑貨店などがたくさんある。なかにはそこでしか手に入らない商品も多いだろう。
 こうした女性が行動しやすい街の設計と風土は、インバウンドにも好意的に受け入れられているに違いない。

 2003(平成15)年の映画『ロスト・イン・トランスレーション』では、米国人女性(スカーレット・ヨハンソン)が東京の渋谷をひとりで散策する姿が印象的に描かれている。
 異国の繁華街にいる緊張感や危険を警戒する様子はなく、興味のままに自由に街を歩いている。このようなシーンが撮影できたのは、日本の安全性があったからだ。

 以前、海外旅行からの帰りの飛行機で、日本酒(ワンカップ大関)を飲みながらこれからの日本旅行について盛り上がっている白人女性ふたり組を見かけた。彼女たちは何度も日本に来ているリピーターのようで、日本に来るのを本当に楽しみにしている様子が伝わってきた。こんなにも日本が好きなファンがいることに驚いた。

 彼女たちのような日本のファンを増やし、平和な日本が今後もそのままであってほしいと願う人々の輪を広げていくことが、令和の観光政策の要だと考えている。
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ドイツ人の日本研究者が語る〉悲観論をやめ、日本らしい「独自の道」を歩め 2024/10

2024-10-19 10:33:00 | なるほど  ふぅ〜ん

〈ドイツ人の日本研究者が語る〉悲観論をやめ、日本らしい「独自の道」を歩め
 Wedge より 241019   野川隆輝


 私は大学生の頃に日本に興味を持つようになった。その頃は、漢字やお寺、建築物が中心だったが、特に興味を持ったのは漢字で、日本語クラスにも入った。
 初めて訪日した時のことは今でも忘れることができない。日本経済および経営の研究者として、今でも年に数回訪日するが、そのたびに気になっていることがある。
 それは、自国への不平不満─「日本はもうだめだ」「日本には希望がない」─を口にする日本の友人や知人が少なくないことだ。

▶︎ウリケ・シェーデ ウリケ・シェーデ(Ulrike Schaede)カリフォルニア大学サンディエゴ校 グローバル政策・戦略大学院 教授 ドイツ出身。9年以上の日本在住経験を持つ。
 日本の経営、ビジネス、科学技術を社会政策と経営戦略面から研究し、サンディエゴと日本をつなぐ研究所「Japan Forum for Innovation and Technology (JFIT)」のディレクターも務める。一橋大学経済研究所、日本銀行などで研究員・客員教授を歴任。著書に『シン・日本の経営』(日経BP)など。

 メディア報道もこの悲観論に加担してきた。「失われた30年」という言葉はその典型だ。技術の進歩によって外国語が瞬時に翻訳される今日、こうした否定的な論調は瞬く間に世界中を駆け巡っていく。「同じ話」が繰り返されれば、真実でなくとも次第に社会通念として受け入れられてしまう。

 日本はさまざまな社会課題を抱え、経済成長率や経済規模で再び「ナンバーワン」になることは困難である。だが、一人の日本研究者として日本の皆さんに伝えたいことは、日本にはまだ希望があり、世界の先駆者として、経済的繁栄に向け、よりバランスのとれた「新たな道」を切り拓いていける可能性を秘めた国であるということだ。

 そしてそれは、経済活動、政治的安定、社会的結束と企業の成功とのバランスを図った独自の着地点を探りながら、他国のモデルや制度に惑わされず、着実かつ持続可能な経済成長を追い求める国の姿として、これからの世界の新しいモデルになるかもしれない。

 「失われた30年」を経験してもなお、日本は世界4位の経済大国である。
その理由は、グローバルな技術リーダーであることに変わりはないからだ。
 米ハーバード大学のグロースラボが公表しているデータによれば、「経済複雑性ランキング」で日本は過去30年にわたって世界1位である。


 これは、「その国の輸出品の多様性と複雑性」と「製品の偏在性」という2つの指標に基づいている。製品の偏在性とは、どれだけ多くの国でその製品をつくれるかだ。
 つまり、経済複雑性が高い国は、高度で専門的な組織能力を幅広く保有し、複雑かつ希少で独自性のある製品を生産できるのである。
 日本は「失われた30年」の中でも、企業レベルでは特定の技術分野で中核的な強みを持ち続けてきた。
 さらに付け加えれば、日本企業は製造機械や部品のみならず、その他の中間財でも世界で圧倒的な市場シェアを占めている。

 例えば、半導体製造に欠かせないフォトレジストや液晶パネル用の偏光板フィルムのシェアでは、JSRが世界的なリーダーである。また、オリンパス、ペンタックス、富士フイルムのシェアを合わせると、医療用内視鏡で80%以上、特殊内視鏡では100%だ(いずれも2022年度)。

 このように、多くの主要な川上のセグメントで日本企業がグローバル・バリューチェーンを支えるキーテクノロジーを有しているのである。それらは目に見える「最終製品」ではないことも多いため、国内外の消費者はこうした日本の中間財の技術や生産設備の重要性に気がつきにくい。
 だが、この「ジャパン・インサイド」は日本の強力な強みである。それは、ある分野において「他の国が真似できないことを持っている」ということだ。

⚫︎変化の「遅さ」は停滞か? シリコンバレーは「お手本」か?
 私が「日本の再浮上」に期待できるとみるもう一つの側面は、進捗の「遅さ」である。時にはイライラが募り、無能だと誤解されることさえある。
 ただし、「遅い」からといって日本が停滞しているのではない。これは社会に損害を与えず「安定」を享受することと引き換えに日本が支払っている「代償」だと捉えることもできる。

📚シン・日本の経営 悲観バイアスを排す ウリケ・シェーデ 著
 渡部典子 訳 日経BP1210円(税込) 
著者は「今の日本の最大の課題は『絶え間ない悲観と憂鬱』とでも呼ぶべき考え方が蔓延していることだ」と説く。本書では、日本経済や日本企業の経営の観点から「長所」と「短所」を鋭く分析しており、最後は「日本には希望がある」の一言で締め括られる。著者が見た日本の希望とは─。

 1980年代に筆者が留学生として初めて訪日した時、多くの工事現場に「安全第一」と書かれた旗が掲げられていた。大勢の日本人が絶えず安全に気を配っていることは、諸外国と比較して規則や規制が多いことにも表れている。慎重でルールをよく守ることは日本人の文化の一つである。

 米スタンフォード大学ビジネススクールのミシェル・ゲルファンド教授の研究によれば、日本は世界で最もタイトな民主主義先進国のひとつである。「エレベーターの中で食事をしてもよいか」「歩道で歌うことに問題はないか」など、公共の場における特定の行動が適切かどうかを評価すると、ほとんどの人に「強い合意」がある。
 タイトな文化では多くの場合、予測可能性が高いことやルーティンが強く好まれる。日本の電車の定時運行はその代表例だろう。

 一方で、同じ研究の中で米国はルーズな文化の国の一つとされている。その中でも、最もルーズなのが、シリコンバレーを含むカリフォルニア州である。ただしここで重要なのは、タイトな文化であれ、ルーズな文化であれ、それは単なる「違い」にすぎず、評価の善しあしを示すものではなく、得意なことが異なる可能性があるということだ。
 例えば、前者が細部へのこだわりと相性が良いのに対し、後者は迅速なイノベーションに向いているかもしれない。

 日本の変化のスピードが「遅い」のは社会的選択によるものだということもできる。これが、経済的な繁栄と安定した社会を両立させる新しいシステムを見つけるという独自の道につながっている。日本を「遅れている」と考える人々の多くは、シリコンバレーと比較してそう言っているのだろうが、これは誤解を招く。
 日本のタイトな文化とシリコンバレーのルーズな文化を比較するのは、リンゴとオレンジを比較するようなものだからだ。

 たしかに、シリコンバレーの流動的で高速なアイデア市場は、外部から見ると魅力的だが、内部の実態は「食うか食われるか」の環境であり、社会や人間のウェルビーイングの大きな犠牲を払っている。誰もが知る一つの成功企業の背後には、聞いたことのない失敗企業がごまんとある。
 日本はこれとは対照的に、大勢の犠牲の上に一握りの成功者を生む「焼き畑」方式にあまり寛容ではない。シリコンバレーの仕組みを単に模倣するだけでは、成功の可能性は低いだろう。

 それに関連して、最近の米国社会は正常な状態ではなくなりつつある。なぜだろうか。私は、経済のみならず社会も「金融化」し、全てが「取引」になっているからではないかと思う。

 例えば、マイホームの購入目的は通常、(家族で)その家に居住することに加え、もう一つの側面として、その地域社会の一員になるためでもある。
 それが今は「投資目的」のためにマイホームを購入する側面が強くなっている。「Everything is finance」つまり、「生活全部が金融化」している社会になっており、米国に「middle class(中間層)」はいなくなった。
 いるのは、「ultra right」か「ultra left」という憂慮すべき状況である。
日本にはこうなってほしくない。

⚫︎認識すべき長所と短所 「世界1位」よりも重要なこと
 多くの日本人は社会の安定を求めているが、日本企業もいよいよ変革の時を迎えている。特に、「昭和的な価値観」の根強い会社や経営陣が二つの圧力に晒されていることが大きい。

 一つは、人手不足の圧力に常に晒されていることだ。しかも近年、日本では才能がある人の転職も盛んである。転職理由はさまざまだが、会社の労働条件や旧態依然の体質を好まない有能な社員は見切りをつけ、新しい会社を求めるようになっている。

 年配者からすると、「最近の若者は我慢が足りない」「自分の時はそんなことは許されなかった」という考えを持つかもしれない。だが、その考えを改めず、「昭和的な価値観」が支配する会社を変革する努力を怠れば、有能な人物からは選ばれなくなり、そうした企業は、ゆくゆくは淘汰される運命になるであろう。

 もう一つは、金利が徐々に上がっていくということだ。そうなれば、否応なく企業経営は方向転換をせざるを得ない。低金利の時代には、そこまで高い利益を上げる必要はなかったが、お金がより高価になった今、企業はより高い利益を生み出す事業戦略が必要になる。旧来型の発想から脱却した「経営戦略」が求められているのである。

 こうした状況の中でも安定を保ち、日本型のイノベーション・システムを確立させる道は必ずある。日本人が日本企業に適応した形でその仕組みをつくり上げていくべきであり、安易にシリコンバレー流や米国流を直輸入することは避けなければならない。

 日本の突破口は、「悲観と憂鬱」が蔓延している状況を打破することだ。

 21世紀で重要なのは、世界1位の経済大国になることよりも経済成長と社会の安定とのバランスをうまくとっていくことだと思う。経済的な生産活動と環境の持続可能性を両立させ、企業の進歩や人々の幸福を共存させることの重要性はいっそう増していく。

 この新しい道を見つけるための第一歩は、日本の長所と短所をトレードオフの関係として新たに認識することだ。
 日本人と日本経済にとって真に重要な目標に優先順位を付け、長所を伸ばし、短所を克服することに集中することが、日本の将来に道筋をつけるための戦略的な方法になるだろう。
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なぜ日本のマンガは、次々に「メガヒット」するのか  202410

2024-10-14 00:33:00 | なるほど  ふぅ〜ん

なぜ日本のマンガは、次々に「メガヒット」するのか
  ITmediaビジネス Online より菊池健


 この記事は『漫画ビジネス』(著・菊池健/クロスメディア・パブリッシング)に掲載された内容に、編集を加えて転載したものです。


⚫︎ 「裾野広ければ頂(いただき)高し」
 実は、この言葉は、名作『あしたのジョー』を世に送り、現在は日本漫画家協会会長のちばてつやさんが、ことあるごとに使っていた言葉なのです。首相や政府へのロビー活動の際にも使っていたのだとか。
 漫画家がたくさんいて、あらゆる種類の作品が生み出される環境が発展するほど、面白い作品ができて業界が発展するという意味です。これは、当たり前のことのように聞こえますが、日本のマンガが発展してきた真理なのだと私は考えます。

 2024年現在、日本に何人のプロ漫画家がいて、年間何作品が生まれているか、正確な数字は算出できないのですが、参考となる情報として、2010年頃、書店で漫画単行本を発刊する漫画家は約6000人、単行本のアイテム数は1万2000冊強あったようです。
 プロとして生計を立てている人だけでなく、漫画家志望者の人数も加えると、その裾野はさらに広いことが分かります。例えば、大学で漫画を教えているところが28校、専門学校が68校を超えており、合わせて推計で5000人超の漫画家志望の学生がいます。

 また、日本最大規模の同人誌即売会であるコミックマーケットが、コロナ禍前で最大規模を誇っていた頃には、1回の開催での参加サークル数が3.5万、申し込みベースだと5.1万という巨大な開催だったこともありました。

 しかも、漫画家や作品の数は、この数字が発表された2010年以降、さらに拡大の一途をたどっています。要因としては、主に3つが考えられます。

⚫︎拡大の要因
 1つ目は、スマホの普及により、電子書籍プラットフォームやマンガアプリから生まれた漫画の数が大きく増えていること。

 2つ目は、出版社などを介さない、個人による漫画販売が増えたこと。これは、コミックマーケットのような同人誌即売会で同人誌を発売するクリエイターや、Kindleインディーズマンガをはじめとしたデジタルプラットフォーム上で発信するクリエイターも当てはまります。

 3つ目は、いわゆるWebtoon(ウェブトゥーン)と呼ばれる縦読みのマンガを制作する、ウェブトゥーンスタジオの設立ブームが起こったこと。2年ほどの間に、70~80ほどのウェブトゥーン制作スタジオができたことが公表されました。また、それ以上の数の編集プロダクションや個人が、無数に新しいジャンルのウェブトゥーンに進出しました。

 紙で印刷して店頭に並ぶアイテム数だけで、年間で約1万5000ほどです(※1)。デジタル作品はこうした一元管理がなされておらず、年間の作品数で見ても、1万5000~2万ほど生み出されているのではないかという肌感です。

 これは、日本で映画が年間で676作品(※2)、近年の日本のテレビアニメ制作本数が300前後で推移している(※3)ことと比べると、かなり多いことが分かります。
 さらに、海外と比較してみても、年間で生まれる作品数は、米国のアメコミの新刊点数は不明ですが市場規模で半分ほど、韓国ではウェブトゥーンが2617作品(※4)ですので、日本のマンガの数は突出しているようです。

 漫画業界では、ヒット作品が生まれる確率は「千三つ」と言い、1000作に3作ほどの割合でヒット作品が生まれると言われています。つまり、ヒット作品をつくる唯一無二の方法はたくさんの作品をつくるということになります。

 生み出される作品が多いほど、ごくわずかな確率で生まれるとんでもないヒット作品が出て来る可能性が上がるのです。ごくわずかな作品を制作し、狙いすましてヒット作品をつくろうにも、なかなかそうしたことは起きません。

⚫︎週刊漫画誌という発明
 では、なぜ日本でここまでたくさんのマンガを生み出すことができたのか? 
それは、漫画雑誌、とりわけ週刊漫画雑誌という存在が大きく寄与しています。

 現在の漫画雑誌は、今から60年以上前の1959年に小学館の週刊少年サンデー、講談社の週刊少年マガジンが、同時に創刊したところから形づくられました。のちに集英社の週刊少年ジャンプ、秋田書店の週刊少年チャンピオンなども創刊し、それがマンガ発展の基礎となる、多数かつ多様な作品を産む土壌となり、ヒット作品を産み出す基盤になっています。

 これより前、貸本や漫画少年などその原型になるものはありましたが、今回は今のヒット漫画にフォーカスするため、あえて週刊漫画誌あたりから話をスタートします。

 週刊漫画雑誌というのは、世界に類のないユニークなものでした。

 紙のマンガの時代、先行していた米国のマンガであるアメコミの世界でも日本の「連載」の概念に近いかたちで、1話1話を20~32ページの冊子で販売する「リーフ」という形態をとっていました。また、週刊ペースに近い形態で発刊することもありますが、その場合は奇数話と偶数話で制作チームが違うなどといった、並列制作が可能な制作スタジオ形式を取るなど、1作に1漫画家と1編集者という日本のスタイルとは少し違うかたちとなっています。

 フランスのマンガ「バンドデシネ」にいたっては、芸術性を評価されるお国柄があるからか、1作家が1年間かけて単行本(日本で言うと新書1冊というようなページのボリュームのもの)1冊を作って発表するというようなかたちが多いようです(ヒット作家さんのインタビューによると、ネームや下書きを描かないなど、日本と違う所も多いようです)。

⚫︎週刊漫画誌の特徴
 日本の週刊漫画誌は、1誌当たりおよそ20作品が掲載され、1話20ページ前後のマンガを原則1カ月に4~5本、漫画家1人当たり年間で40~50本ほど掲載します。
 2024年現在の今でこそ、週刊連載は適宜1カ月に1週休載を入れるなどして、作家の体調を維持するようになりましたが、70年ほどの漫画雑誌の歴史のうち、ほとんどの期間は、毎週休まず漫画家が描き続けることが当然となっていました。

 先述の通り、アメコミなども早いペースの連載はありますが、1人の作家と1人の編集者が、読者が読んで満足するボリュームの作品を週に1度描いて出し続けるというのは、世界に類を見ないとんでもないハイペースでの作品の量産となり、これが日本マンガの豊かな裾野となっています。

 現在も出版され続けている複数の週刊少年漫画誌のほかに、ヤングジャンプ、ヤングマガジン、ビッグコミックスピリッツといった、少し上の世代を狙った青年向けの週刊漫画誌や、多数の月刊誌、隔週刊誌などが生まれ、漫画雑誌はピーク時で200を優に超える数となりました。

 一つひとつの媒体の発行ペースも早いですが、前出の「アメコミ」や「バンドデシネ」に比べると、そのレーベル数もはるかに凌駕します。よって、諸外国に比べるとはるかに膨大な作品を生み出し続けてきたこととなりました。

 そして、漫画雑誌はさまざまな読み手の属性を持っています。

 大きい括りとして、少年誌、青年誌、少女誌、女性誌、児童誌や成人向けの年齢層別、ファンタジーや歴史ものなどカテゴリーに特化するもの、BL(※5)やTL(※6)などのジャンルに特化するものなど、その中で多様な作品を育んできました。この膨大なジャンルの数も前出の「裾野」を構成する大事な要素です。

 これらの膨大かつ多様な媒体は、作品の多様性を生みました。

 この多数の編集部が子ども向けから大人向け、趣味嗜好性癖を広くカバーする豊穣なる多産の仕組みとなり、裾野を広める起点となっています。


▶︎著者プロフィール:菊池健(きくち・たけし)
一般社団法人MANGA総合研究所所長/マスケット合同会社代表
 1973年東京生まれ。日本大学理工学部機械工学科卒。商社、コンサルティング会社、板前、ITベンチャー等を経て、2010年からNPO法人が運営する「トキワ荘プロジェクト」ディレクター。東京と京都で400人以上の新人漫画家にシェアハウス提供、100人以上の商業誌デビューをサポートし、事業10周年時に勇退した。同時に、京都国際マンガ・アニメフェア初年度事務局、京まふ出張編集部やWebサイト「マンナビ」など立ち上げた。その後、マンガ新聞編集長、とらのあな経営企画、SmartNewsマンガチャンネル、コミチ営業企画、数年に渡り『このマンガがすごい!』(宝島社)の選者を務める。クリエイター支援やデジタルコミックの事業での事業立ち上げ、営業、企画、イベント、編集、ライティング等を得意とする。noteにて毎週日曜日に「マンガ業界Newsまとめ」を発信。共著『電子書籍ビジネス調査報告書2023』(インプレス総合研究所)のウェブトーンパートを担当した。2024年3月に、一般社団法人MANGA総合研究所を設立。
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