最近「○○を観た」ブログになっているので、たまには心の内を呟いてみる(笑)
これまでずっと自分の事をポリセクシュアルであると表してきていた。
”ポリセクシュアル”はビアンでもヘテロでもなく、でもバイと言うのもどこか
しっくりこない、恋愛対象を男女二元論に拘らない私が辿り着いた己を表すのに
ピッタリの言葉だった。
パンセクシュアルも同義語だったけれど、言葉の響きの好みからポリセクシュアル
の方を選んだ。
当時はまだどちらの言葉もほとんど知られていなく、ポリセクシュアルと言っても
「何それ?」という感じ。
これは数年経った今でも変わっていないかもしれない。
その後パンセクシュアルの方が浸透し、今では全性愛者の方は皆パンセクシュアルと
名乗っているのではないだろうか?(これまで他にポリセクシュアルと名乗るお方に
出逢った事がない。)
ポリセクシュアルの認知度が余りに低いので都度説明する事に段々違和感を感じてきて、
でも今更パンセクシュアルを名乗る気にもなれない。
そこでどちらも使わず、ただ「全性愛者」と言う事にした。
これもまぁ、それって何なの?という反応は大して変わらないかもしれないが(笑)
私自身は昔も今も何も変わっていない。
本当は言葉で無理に説明する必要なんてどこにもないのだろう。
それでもつい何かに当て嵌めて形を求めてしまうのは、人の悲しい性なのだろうか。
これまでずっと自分の事をポリセクシュアルであると表してきていた。
”ポリセクシュアル”はビアンでもヘテロでもなく、でもバイと言うのもどこか
しっくりこない、恋愛対象を男女二元論に拘らない私が辿り着いた己を表すのに
ピッタリの言葉だった。
パンセクシュアルも同義語だったけれど、言葉の響きの好みからポリセクシュアル
の方を選んだ。
当時はまだどちらの言葉もほとんど知られていなく、ポリセクシュアルと言っても
「何それ?」という感じ。
これは数年経った今でも変わっていないかもしれない。
その後パンセクシュアルの方が浸透し、今では全性愛者の方は皆パンセクシュアルと
名乗っているのではないだろうか?(これまで他にポリセクシュアルと名乗るお方に
出逢った事がない。)
ポリセクシュアルの認知度が余りに低いので都度説明する事に段々違和感を感じてきて、
でも今更パンセクシュアルを名乗る気にもなれない。
そこでどちらも使わず、ただ「全性愛者」と言う事にした。
これもまぁ、それって何なの?という反応は大して変わらないかもしれないが(笑)
私自身は昔も今も何も変わっていない。
本当は言葉で無理に説明する必要なんてどこにもないのだろう。
それでもつい何かに当て嵌めて形を求めてしまうのは、人の悲しい性なのだろうか。
ぱんとぽりでは、響きと言うか、意味が違うと思うな。
ぱんは全て、でしょう?ぽりはこれ、あれ、それも。
ぽりは、個を大事にしているし、当事者的感覚がする。出会った人との関係性すべて、みたいな。それに比べ、
ぱんの表現は第三者的な感じ。「すべて」と言う表現から感じるなあ。
・・・野球のグローブで言うなら、どのポジションでも守れますっていうグローブと、ピッチャー用、キャッチャー用、一塁手、外野手・・・いろいろグローブあります、との違いというか、ね。
ぱんの言葉が流布するのは、それぞれの差異よりも共通性を大事にしようという意味かもしれない。言葉を注意深く見守って行きましょう。
そう、パンは全てなんだよね。人だけじゃなく場所も表す。
パンの方がポリより広まって行った背景の意味って考えた事がなかったけれど、そういう視点で見てみるとまた興味深い。
秋の夜長に考えるにはちょうど良いかも(笑)