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脱ネガティブを計るべく、浮きつ沈みつ漂う女の戯言日記

金閣寺

2012-03-25 | 本・映画
ちょっとしたきっかけがあり、金閣寺再読。

すごく久しぶりに読んだので、大まかなストーリーは覚えているものの細かい描写はすっかり
忘れてしまっていて、初めて読む作品のように新鮮に読めた。

実際にあった金閣寺放火事件を元に犯人の見習い僧侶の告白として書かれているが、犯行に
至る状況や理由に全く理解が出来ず共感も持てない。
吃音や家庭環境からくるコンプレックスや被害妄想は、想像は出来ても行為を正当化させる
だけの説得力はない。
「金閣寺の優美さを呪い、反感を抑えきれなかった」という動機は、ひどく幼稚で身勝手。
コンプレックスを糧に見事に変容し、独自の美意識を完成させた三島とは余りに対照的である。
これは三島が選ばれた天才であったからで、ほとんどの人間が己に潰され方向を見誤るのかも
しれないが。

三島は犯人の口から想いを語らせる手法を用いながら、金閣を焼くという愚かな行為を
批判しているようにも思えた。
作品では最後に主人公は自死の為に用意していたカルチモンと小刀を投げ捨て、生きようと
思うところで終わるのだが、実際にはカルチモンを飲み切腹してうずくまっているところを
発見され、彼は一命を取り留め逮捕されている。
その後服役中に結核と統合失調症が進行し、26歳の若さで亡くなったそうだ。
主人公が自死ではなく生きようと決意してこの作品が終わるところに、三島ならではの解釈が
表れているように感じたり。

再建された金閣は焼失前のほとんど金箔の剥げ落ちた姿とは違い、創建時の姿を再現し美しく
金箔が貼られた。
この今の金閣の姿を承賢が見たなら、どんな風に思うのだろう。
美というものの力と怖さを感じながら、金閣を見る度私はそう考えずにはいられなさそうだ。