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脱ネガティブを計るべく、浮きつ沈みつ漂う女の戯言日記

方向性

2008-11-25 | 戯言あれこれ
あるアスペルガー当事者のグループを運営されている方の書いた
文章を読んで、何だかとても心に残ったのでここに記す。
その方がグループの運営に関わる上で留意している点の1つとして
あげていた事。それが下記。

『グループが「社会と折り合いをつける」であれ、「当事者としての
誇りを取り戻す」であれ、一方向に走っていくのを防ぐこと。
どんな目標であれ、一方向に走っていく目標は暴力的だ。そして、
目標を達成できていない当事者に対して前向きな感情を持つことを
強要し、否定的な感情を抑圧してしまう。
そして、その目標により到達した当事者を「成功者」としてもてはやす
風潮が生じてしまう。そうではなく、グループでは当事者たちが
それぞれの生き方を見つけ、全く違う方向に向かって走ってほしい
と思う。』

これを読んで私はアスペルガーのみに限らず、これってすごく広い
ところで共通する事柄ではないかと思った。
まず頭に浮かんだのは時折見かける掲示板でのやりとり。
自分が正しいと認めるもの以外への誹謗中傷、細かな言い間違いへの
揚げ足取り、子供の喧嘩のような問答・・・。
同じような境遇にある人だって皆全部が同じじゃない。
それぞれ違ってて当たり前だし、考え方も生き方も人それぞれだ。
こうしたいと思った事を全ての人が実現出来る訳ではないし、それは
選んでしない人もいればしたくても出来ない人もいる。
例えばGIDならば、SRSして性別変更するのが一番正しくて凄いのか?
手帳を取得できる者が障害者で、生活に支障があってどれ程生きにくい
としてもIQが高ければ障害者としては認められないのか?
そんな簡単なものではないだろう。
狭間で苦しむ人々の存在はなぜ軽んじられるのか。
努力もせずに自分がうまく行かない事を周りのせいにして、他人の気持ち
は考えず自己中心的になったり不満や無理を並べ立てるだけなのは
問題外だと思うけれど、1つの方向だけに走ってしまうのは危険な考え
だと感じる。
全ての人が満足して納得の行く形なんて有り得ないだろう。
ただその形は様々であって正解は1つではないのだから、自分とは違う
何かを認められるようで私はありたいし、そういう世の中であってほしい
とそう願う。

上に書いた方の文章の終わりにはこうあった。
『道は1つではなく、あらゆる方向に無数に広がっている。そのことを
忘れてはならないだろう。』