中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

【対訳】《雲郷話食》を読む: 油条

2011年02月09日 | 中国グルメ(美食)



 油条は、広東では薄く切ったのをお粥の薬味として入れて食べますが、北京では、昔は揚げたてを並んで買って、そのまま食べて朝食にしていたのを憶えています。そういえば、その頃の北京の油条は、あの細長い形で無く、平べったいもので、それを二つ折にして、油紙にくるんでお客さんに手渡していたように思います。しかし、そのような光景も見られなくなってしまいました。総じて、中国の食べ物は、徐々に広東風の料理に席巻されているような気がしますが、油条も同じ運命をたどっているのかもしれません。

■ 看電視,美国洛杉磯華人社会有売油条的,是台湾人,説是有華人的地方,就有豆漿油条。因而想起,油条的確是很好的東西。但是要現炸現吃,吃熱的,一冷就不好吃了。上海几十年来,油条倒是不断,過去是公家売,零售点很少,現在自由貿易,郷下人来上海做生意,新村附近菜場上,弄堂門口,早上売油条的更多了。只是近年早上起得晩,而且要跑出去買,幇忙的阿姨要九点多才来,所以平日很少吃到,因為縦然我跑出去,売油条的也早収市了。只有偶然女婿休息的時候,早上買菜順便買几根,吃一吃。他們住在隔壁,不拿過来,也就算了。春節后請来一位全天幇忙的阿姨照顧病妻,她年紀五十多了,早上睡不着,起得很早,焼稀飯,買油条,三角一根,很大很黄,拿回来還是熱的,就白粥吃,真是人間美味。吃慣了,不久她走了,便自己起早去買,毎吃油条白粥,不由地便想起知堂老人于淪陷第二年冬天写得一首詩:

            禅床溜下無情思,
            正是沉陰欲雪天,
            買得一条油炸鬼,
            惜無白粥下微塩。

・弄堂 long4tang2 上海などでいう横町。(入口に門があり、中に数棟から数10棟以上の住宅がある)
・淪陷 lun2xian4 陥落する。敵に占領される
・知堂老人 魯迅の弟の周作人
・禅床 chan2chuang2 座禅をする時に上に坐る座布団
・油炸鬼 you2zha2gui3 [口語]油条のこと。
 (「油で揚げた鬼」とはびっくりするような名前だが、後に紹介されるように、昔の北京では油条を生地を細長く切って揚げるのではなく、幅広の形状で揚げ、その結果でこぼこの鬼の顔のように見えたのかもしれない。)

 テレビを見ていたら、アメリカ・ロサンゼルスの中国人社会で油条を売る人がいて、この人は台湾人で、中国人の居る所には、豆乳や油条の需要があるのだそうだ。そう言われて考えてみると、油条は確かにたいへんすばらしいものだ。けれども揚げたてを食べないといけない。熱いのを食べないといけない。冷めると美味しくない。上海では数十年の間、油条は無くなったことがない。嘗ては国が売っていて、販売する所はたいへん少なかったが、現在は自由に取引ができ、田舎の人が上海に出てきて商売をするのに、ニュータウンの近くの市場や、横町の門の入口で、朝、油条を売る人が多くなった。ただ最近は朝起きるのが遅くなり、走って買いに行かないといけないし、お手伝いのおばさんは九時過ぎにならないと来ないので、普段はめったに食べられない。というのも、たとえ走って買いに行っても、油条売りはとっくに店じまいしているからである。たまたま娘婿が休みの時、朝、野菜を買いに行ったついでに何本か買ってきてくれるので、ちょっと食べる。彼らは隣に住んでいるので、持ってきてくれなくたって、構わない。春節の後、全日サービスのお手伝いのおばさんに来てもらい、病気の妻の面倒を見てもらった。その人は五十過ぎで、朝は寝ていられないので、起きるのがたいへん早く、お粥を炊き、油条を買ってきてくれた。一本三角(一角は一元の十分の一)で、たいへん大きく、キツネ色に揚がっていて、持って帰ってきてもまだ熱く、白粥に付けて食べると、本当にこの世の最高の美味である。食べ慣れてきたところで、彼女はやめてしまった。それで自分で早起きして買いに行き、油条と白粥を食べると、その度に思わず知堂老人が北京陥落二年目の冬に書いた詩を思い出す。

          坐禅をする座布団はつるつるしたままで、精神が集中できない。
          ちょうど、どんよりした曇り空で、いっそ雪が降ってくれた方がいい。
          油炸鬼(北京の方言で、油条のこと)を一つ買うことができたが、
          あいにく、ちょっぴり塩味の付いた白粥が無いのは残念だ。

■ 油炸鬼,白粥微塩,是很好的食品,自甘淡泊,這還是知堂老人未下海前所作,大約成于戊寅年冬日,現在読来,還頗耐尋思。不過我引至此処,只是意在説白粥与油炸鬼或油条早上趁熱吃,是人間美味耳。這里知堂老人用的是油条的数名詞,即“一条”,因為長的,所以叫油条。一般称一根。而北京過去満街都是油炸鬼,是環状的,或菱形的,両頭尖、中間成環状,叫“個”而不能叫“条”。也有小的,炸的時間長,色焦黄,叫“焦圈”。但是没有一根的長油条,我是第一次到天津,才吃到油条,説也奇怪,天津、北京,二百四十里,現在高速公路,一個鐘頭就可以到,真可以説是近在咫尺,但両地風俗就不一様,旧時北京只有油炸鬼,而天津却有油条,而且喝豆腐漿放咸塩,却又没有上海的咸漿,早点舗吃油条、豆漿,毎個卓上放一小碟白精塩,猛一看,還以為是綿白糖呢,我差点一下子倒在豆漿碗中,虧kui1得朋友攔lan2住我……

・下海 元の仕事をやめること。一般には、公務員等の仕事をやめて商売を始めることを言う。
 ここでは、周作人が北京を離れ、南京の汪精衛政権に出仕したことを言うのだろうか?
・戊寅年 ここでは1938年のこと。
・咫尺 zhi3chi3 [書面語]距離が極めて近いこと。咫尺(しせき)。(古代は8寸を“1咫”としたことから)
 [用例]咫尺之間。近在咫尺。
・咸塩 xian2yan2 塩。食塩

 油炸鬼とちょっと塩味の付いた白粥というのは、すばらしい食事で、ほんのり甘くさっぱりしている。これは知堂老人が北京を離れる前の作で、おおよそ戊寅年(1938年)の冬で、今読んでも鑑賞に耐える出来だ。しかし私がここに引用したのは、ただ白粥と油炸鬼や油条は朝、熱々を食べると、この世の最高の美味であることを言いたいだけである。ここで知堂老人が使っている油条を数える量詞は“一条”であるが、それは形が長いからで、だから油条と言うのである。普通は“一根”と数える。一方、北京では嘗て街中が油炸鬼ばかりで、形はリング状、或いは菱形であった。両端が尖っていて、真中がリング状になっているものは、数える時“個”と言い、“条”とは言わない。小さいものもあり、揚げる時間が長いと、色は焦げ茶色になるので、“焦圈”と呼んだ。しかし、すらっと長い油条は無かった。私がはじめて天津に行った時、そこではじめて油条を食べることができた。不思議なことに、天津と北京は、二百四十里(120キロ)離れていて、今は高速道路で一時間で着くことができ、咫尺(しせき)の間と言うことができるが、両地の風俗は異なり、昔の北京には油炸鬼しかなく、天津には油条があった。また豆乳を飲むときに食塩を入れることがあるが、上海の咸漿(塩味のついた豆乳)は無かった。朝食に店で油条と豆乳を食べた時、どのテーブルにも小皿に食塩が入れて置かれていた。さっと見て、白砂糖だと思い、私はもう少しで豆乳の碗の中に入れそうになり、幸い友人が止めてくれた……。

■ “油炸鬼”在北京又叫“果子”,又叫“麻花儿”,著名的《一歳貨声》中記云:“大焼餅、熱油炸鬼――”而兪曲園《憶京都詞》注云:“油灼果,俗称油灼檜,云杭人悪秦檜而作……”不過没有人詳考,只是大家随意叫而已。只不過現北京老式的油炸鬼已很少見到,大多已是上海式,或者叫作江南式的油条為多了,而且大多是外地人在集貿市場上売。几十年来,北京的変化太大了,連油炸鬼也多変成油条了。

  “油炸鬼”を北京ではまた“果子”とも呼ぶ。また“麻花儿”とも呼ぶ。有名な《一歳貨声》の中にはこう記載されている。「大焼餅、熱々の油炸鬼――。」兪曲園《憶京都詞》の注に言う。「油灼果(油炸鬼)は俗に油灼檜と呼ばれる。これは杭州の人が秦檜を憎んで作ったと言われる……。」しかし詳しく検証した人はおらず、皆が好き勝手に呼んでいるだけである。それでも、北京の昔風の油炸鬼はもうほとんど見かけなくなり、大多数が上海式、或いは江南式と呼ばれる油条が多くなった。そして多くは外地の人が交易市場で売っている。数十年の間に、北京の変化はたいへん大きく、油炸鬼も多くが油条に変わってしまった。

■ 上海以及南京、蘇錫杭湖等地,都是一様的油条,只是有大小之分。五六十年代以及七八十年代,上海大餅、油条店先公私合営,后来公営,直到七十年代,還有不少有手藝的老師傅,甜咸大餅、油酥大餅、油条、油糕、粢飯糕、咸漿、淡漿、甜漿,十分斉全,半両糧票一根油条,四分銭。一到蘇州,就是三分一根。価銭没有変化,但自然災害時期,即一九五八年到一九六二年之間,没有売的。自一九六三年之后,経済又穏定,東西増多,油条也有了。不過直到取消糧票前,公私店中総要用糧票買,現在糧票取消,可以随便買。但漲到三角銭一根了,照四分一根算,只上漲了八倍弱。而工資却難同歩按倍数増長,就為難了……上海人過去説人滑頭,叫“老油条”,就是炸過的油条,再炸一遍,現在這種油条没有了。

・大餅 da4bing3 小麦粉を捏ねて平たく焼いたもので、大ぶりで甘くない。
・手藝 shou3yi4 (手工業での職人の)技能、腕前
・粢飯糕 zi1fan4gao1 うるち米を炊いて方形の型に入れて突き固めたものを適当な厚さに切り、ピーナツ油で揚げたもの。一種の揚げ餅。
・滑頭 hua2tou2 ずる賢い(人)

 上海及び南京、蘇州・無錫・杭州・湖州といった土地では、皆同じような油条であるが、大きさに違いがある。5、60年代、及び7、80年代は、上海の大餅、油条店は、最初は国と民間の共同経営だったが、後に国営になり、70年代ぐらいまでは、まだ多くの手先の技能を持った親方が残っていて、大餅の甘いの、塩辛いの、パイ生地のもの、油条、バターケーキ、揚げ餅、豆乳の塩味のもの、甘いもの、何も入れないものと、何でも揃っていて、半両の糧票(食糧切符)があれば油条1本が四分(分は元の100分の一)であった。それが蘇州に行けば、1本が三分だった。値段は変わらなかったが、自然災害の時期、すなわち1958年から1962年までは、油条は売られなくなった。1963年以降、経済がまた安定し、ものが増えて、油条も復活した。しかし糧票が廃止になるまでは、国営でも民営でも買うには糧票が必要だった。現在は糧票が廃止になり、自由に買える。しかし値上がりして1本が三角になった。1本が四分であったのと比べると、八倍弱値上がりしたことになる。一方、給料はそれと同じ比率ではなかなか上がらず、暮らしにくくなった……。上海人は嘗てずる賢い人のことを“老油条”と呼んだ。つまり一度揚げた油条を、もう一回揚げるのだが、現在ではそんな油条は見られなくなった。

■ 外国油条,中国人吃不起,三年前在新加坡,朋友請在一家酒店吃早点,吃現炸的熱油条,我還和炸油条的師傅照了一張像,売几新元一根,合我們的銭二三十塊。虧kui1得現在油条還未与世界接軌,不然,就更難想像了。

・接軌 jie1gui3 “軌”は比喩的に用い、規則、標準のこと。“接軌”で標準になっている、という意味。

 外国の油条は、中国人には高過ぎて食べられない。三年前シンガポールで、友人があるホテルで朝食を奢ってくれた。揚げたての熱々の油条を食べ、私は油条を揚げていたシェフといっしょに写真を撮ったが、油条1本が何シンガポールドルもし、私たちのお金に換算すれば2、30元である。残念ながら油条はまだ世界では一般的な食べ物ではないのだろう。そうでないとこの値段は理解できない。


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月


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【対訳】老舎《出口成章》を読む: 語言、人物、戯劇(その3)

2011年02月07日 | 中国文学
 老舎の、芝居の脚本に使うことばについて語った講演の3回目、実は、講演の本文は前回で終わっていますが、今回はその後、聴衆の若い作家が要望した《全家福》という作品の創作についての話です。ここでは、失敗を恐れず新たなテーマに取り組み、かつ気にいらなければ思い切って棄てる勇気も必要だと言っています。一つの作品は、すんなりできるものではなく、いくつもの失敗の積み重ねの上に、より良い芸術作品ができてくる、なるほど、そうだろうと思います。

■ (有一位青年作家逓条子要求老舍同志談談《全家福》的創作。)  

 一人の若い作家がメモを手渡して老舎に《全家福》の創作について話をするよう要求した。

■ 《全家福》的材料是北京市公安局供給的。当時正在大躍進運動中,北京市公安局有一万多找人的案件要処理。我首先被這些材料所感動。我看了些材料,有些案件的当事人不在北京,不能進一歩了解,無法選用。后来選用了三個材料,当事人都在北京。当然,原材料是三個各各不相関的故事:一個是儿子找媽,一個是媽媽找女儿,一個是丈夫找老婆。前両件事大体如劇本中写的那様,而后面丈夫找老婆的事例和劇本中写的很不相同。

 《全家福》の題材は北京市公安局が提供したものです。当時は大躍進運動の最中で、北京市公安局は一万人余りの尋ね人の依頼を処理していました。私は先ずこれらの材料に感動しました。私はいくつかの材料を見ましたが、いくつかの依頼件名の当事者は北京におらず、これ以上理解することができず、選定することができませんでした。その後、三つのケースを選びましたが、当事者は皆北京にいました。もちろん、原材料は三つのそれぞれ互いに無関係の話で、一つは子供が母親を捜し、一つは母親が娘を捜し、一つは夫が妻を捜してほしいというものでした。前の二つはおおよそ芝居の脚本に書かれているのと同じ内容で、もう一つの夫が妻を捜す事例は脚本に書かれたのとは全く異なります。

■ 我想文藝不是照抄真人真事,而是要運用想像的,因此我就把這三個各不相関的故事拼在一起。我把她們三個想像成一家人,互有聯系,這様,情節既顕得豊富,又能集中、概括。

・照抄 zhao4chao1 丸写しにする
・真人真事 zhen1ren2zhen1shi4 実在の人間と実際の出来事

 私は文芸というのは実在の人間や実際の出来事を丸写しにするものではなく、想像力を働かせなければならないと思っています。それで、この三つのそれぞれ関係の無い話を一つにまとめました。私はこの三つの人々を一つの家族の一員とし、互いに絡ませるようにしました。こうすることで、話の内容は明らかに豊かになり、また集中させたりまとめたりすることができるようになりました。

■ 我写這個戯是為了表揚今天的人民警察。但我対今天人民警察的生活不太熟悉,他們又都很忙,我也不好意思去多打撹他們。所以在這個戯里,人民警察没有写好。戯里那個母親、姐姐的生活我是了解的,她們的痛苦我也有所体会,写起来就比較得心応手。

・得心応手 de2xin1ying4shou3 [成語]思い通りの結果が現れる

 私がこの芝居を書いたのは、今日の人民警察を褒め称えるためです。しかし私は今日の人民警察の人々の生活をあまりよく知りません。彼らはしかもたいへん忙しく、彼らにいろいろ面倒をかけるのは申し訳なく思いました。したがってこの芝居で、人民警察はうまく書けていません。芝居の中の母親と姉の生活を私は理解しており、彼女たちの苦痛は私も体験しましたので、書いてみると、思い通りの効果を得ることができました。

■ 我也訪問過当事人。劇院有一次把那個找媽媽的姑娘請了来。她来到,一想起従前的遭遇,雖已相隔五六年,却傷心得連一句話都説不出。她愣leng4了一刻鐘,只落涙,説不出話。后来我請劇院的同志送她回去,而由她的母親把她的遭遇介紹了一下。那位姑娘一語未発,却比開口還更感人,我深受了感動,産生一股強烈的写作衝動,。我体会到,光有材料還不行,還要受感動,産生写作激情。不動感情,写不出帯感情的作品。

・遭遇 zao1yu4 境遇。(生活上の)不遇
・欲罷不能 yu4ba4bu4neng2 [成語]やめようと思ってもやめられない

 私は当事者を訪ねたこともあります。劇場では、一度あの母親を捜していた娘を招いて来てもらいました。彼女は来るなり、以前の境遇を思い出し、もう五六年も前のことにもかかわらず、悲しみのあまり一言も口をきくことができませんでした。彼女はしばらくの間ぼんやりとし、涙を流すばかりで、全く話ができませんでした。その後、私は劇場の人にお願いし、彼女を家まで送ってもらい、彼女の母親から彼女の境遇を話してもらいました。その娘さんが一言も話さなかったことは、口を開いてしゃべるよりもっと人を感動させました。私は深い感動を受け、強烈な執筆意欲をかき立てられ、それを抑えることができませんでした。私はこれにより理解しました。ただ材料があるだけではだめで、その上に感動を受けてこそ、創作への激しい思いが生み出されるのだと。感情が動かされないと、感情のこもった作品を書くことはできません。

■ 写戯,還不能怕有時候出廃品,不能像母鶏下蛋那様一下一個。要勇敢地写出来,不成功,就勇敢扔掉。我扔掉過不少稿子。這是我工作的一部分。我写過一個我叫《人民代表》,花了許多労働,后来扔掉了,我没有感到可惜。廃品并不是完全没有用的,労働不会完全白費。后来我写的《茶館》中的第一幕,就是用了《人民代表》中的一場戯,雖然不完全一様,但因為相似的場面写過一次了,所以再写就感到熟練,有人説《茶館》第一幕戯好,也許就是出過一次廃品的功労。在我的経験中,写過一次的事物,再写一次,可能完全不一様,但総是更成熟、更精煉。

・精煉 jing1lian4 文章や講話がよく練れている。簡潔で無駄がない

 芝居を書く時、時には廃品が出ることを恐れてはなりません。めんどりがたまごを生むように、一回に一個という訳にはいきません。勇気を持って作品を書き、成功しなければ、勇気を持って捨ててしまう。私はたくさんの原稿を捨ててきました。それも私の仕事の一部分です。私は自分で《人民代表》と呼んでいる芝居を書いたことがあります。多くの時間を費やし、後に捨ててしまいましたが、別にもったいないとは感じませんでした。廃品は決して全く役に立たないのではなく、その仕事は全く無駄な訳ではありません。後に私の書いた《茶館》の第一幕で、《人民代表》の一場面を使いました。完全に同じでなくても、似た場面を一度書いたことがあるので、もう一度書くとこなれた感じがします。《茶館》の第一幕は良く書けていると言っていただく方がいらっしゃいますが、ひょっとすると廃品を出したことのあるお陰かもしれません。私の経験では、一度書いたことのある事物をもう一度書くと、完全に違ったものでも、総じてより成熟し、より簡潔で無駄のないものになります。

■ 写作需要有生活。《全家福》中的人物,是我在旧社会的生活中常常見到的,較比熟悉,所以写出来就有生活味道。《女店員》就写得差些。這個題材是我到婦女商店里得到的。但是,我対新做店員的姑娘們的生活不十分熟悉,所以戯里面就感到缺少生活。我們得到一個題材,還需要安排生活情節,才能把思想烘托出来,也才能出戯。没有生活怎能表現時代精神呢?今天人与人的関係変了,是従生活各方面反映出来的。如最近看了電影《李双双》(据説劇本比電影還要好,可惜我没有看),就感到戯里的生活很豊富。甚至従一個老太太拿点劈柴這様小事,也反映了個人与集体間関係的変化;生活豊富才能做到以小見大。作者同志的農村生活豊富,所以写来総是很従容,絲絲入扣。

・較比 jiao4bi3 [副詞]<方言>比較的。わりに
・烘托 hong1tuo1 引き立たせる(中国画の画法で、水墨、または淡い色彩で輪郭の外側を塗りつけ、画像を引き立てる手法をいう)
・劈柴 pi1chai2 たきぎ。まき
・絲絲入扣 si1si1ru4kou4 [成語](機織りの)糸が1本1本きちんと筬(おさ)の目に通っている。(ここから転じて)文章が一言一句急所を突いていること。踊りや演技の調子がぴたりと決まっていること。

 創作には生活感が必要です。《全家福》の中の人物は、私が旧社会での生活でいつも眼にしたもので、よく知っているので、書くと生活の味わいがあります。《女店員》はうまく書けませんでした。この題材は、私が女ものの店に行った時に得たものですが、私は新しく店員になった娘さん達の生活をあまりよく知りませんでしたので、芝居の中で生活感が欠けているように思います。私たちは一つの題材を得たら、生活の様子がどうなっているかも把握しておかなければなりません。そうしてはじめて思想を引き立たせることができ、「芝居」に書きあげることができます。生活が無くてどうして時代の精神を表現できるでしょう。例えば最近《李双双》という映画を観ました(聞くところによると、舞台の方が映画より良いそうなのですが、残念ながら見ていません)が、映画の中の生活感はたいへん豊かであると感じました。特に一人の老婦人がたきぎを拾うという些細な場面から、個人と集団の関係の変化が見てとれますが、生活感が豊かであればこそ、些細なことから大きな変化が見てとれるのです。作者は農村での生活が長いので、書かれた内容もすっきりして、一言一句ポイントを突いているのです。

■ 随便地扯,請原諒,指教!

・扯 che3 とりとめのないことを言う

 とりとめのない話になってしまったことをお許しください。ご指導をお願いいたします。



【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月


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【対訳】《雲郷話食》を読む: 茶湯

2011年02月06日 | 中国グルメ(美食)


 昔の北京の写真、特に賑やかな縁日の屋台の写真で、大きな龍の注ぎ口のやかんが写っているのを見たことはないでしょうか。あれは“龍壺”と言い、あれで淹れた飲み物を“茶湯”と言います。“茶”が付いていますが、茶葉は入っていません。今週、2月3日は春節でしたが、北京ですと、白雲観や地壇公園の廟会がたいへんな賑わいです。そうした所の屋台では、必ず“龍壺”の姿が見られることと思います。

■ 《水滸伝》中写王婆子売茶,有点茶、和合湯,還有什麼七宝茶、八宝茶諸名色,茶和湯是常常連在一起的。聯想到北京的茶湯、油茶等,感覚這似乎是一脈相承的東西。而陸羽《茶経》所説的“雨前”、“明前”、“一旗一槍”等等,則是另一個流派。明人講茶、講水,等等,如《陶庵梦憶》所記閔老子茶,這又是一脈相承的。明人筆記中記北京諺語有“翰林文章、太医薬方,光禄茶湯、兵部刀槍”,其中“光禄茶湯”是指光禄寺的茶湯。光禄寺不是廟,是政府机関,是管皇家祭祀龍壺、爵及皇帝御厨酒醋等雑物的。這里所説茶湯,就是用大龍壺焼水,来衝茶湯。旧時北京一到冬天,廟会上以及饽饽bo1bo舗門口,就擺上売茶湯的攤子了。

・点茶 dian3cha2 宋時代の茶を点てる方法で、抹茶を点てること。
・一脈相承 yi1mai4xiang1cheng2 [成語]一つの血統や流儀が幾代もの間受け継がれること。(“一脈相伝”chuan2ともいう)
・雨前 yu3qian2 “谷雨”前の意味。“谷雨”とは二十四節気の一つ、穀雨で、4月20日頃である。それ以前の柔らかい新芽を使ったお茶。
・明前 ming2qian2 “明”とは4月5日の清明節。清明節前に取った新茶のこと。
・一旗一槍 yi1qi2yi1qiang1 茶葉で“旗”は葉、“槍”は芽を指し、柔らかい葉と新芽の付いたところだけを使ったお茶。
・翰林 han4lin2 翰林(かんりん)。唐代以降に設けられた皇帝の文学侍従官。明清代は、進士から選抜された。
・太医 tai4yi1 皇帝に仕える医者、待医。
・薬方 yao4fang1 処方、処方箋。
・刀槍 dao1qiang1 刀や武器
・祭祀 ji4si4 祭祀(さいし)。
・爵 jue2 古代の三本脚の酒器
・饽饽 bo1bo 小麦粉を焼いて作った菓子
・攤子 tan1zi 屋台

 《水滸伝》の中で、王ばあさんが茶を売るのに、抹茶を点てたり、湯と合わせたりし、更に七宝茶、八宝茶などの商品があり、茶と湯はいつもいっしょにつなげられてきた。北京の茶湯、油茶などに連想を拡げると、これらは何代にもわたって受け継がれてきたものであるかのように思える。一方、陸羽が《茶経》で言うところの“雨前”、“明前”、“一旗一槍”などというのは、これとは別の流派である。明代の人々は茶や水のことをあれこれ議論してきた。いやちょっと待って、《陶庵梦憶》に書かれた閔老子茶も、何代にもわたって受け継がれたものである。明代の人が書いたものの中に、北京のことわざに「翰林の文章、太医の処方、光禄の茶湯、兵部の刀や武器」(四つのすばらしいものを指す)というのがあり、その中の“光禄茶湯”とは光禄寺の茶湯を指す。光禄寺はお寺ではなく、政府の役所で、皇室の祭祀用の龍壺、爵、及び皇帝の厨房の酒、酢などの細々としたものを管理した。ここで言う茶湯とは、大きな、注ぎ口に龍の形の装飾がされたやかん(“龍壺”)で湯を沸かし、淹れた飲み物である。昔の北京では冬になると、寺の縁日や菓子屋の入口に、茶湯を売る屋台が店を開いた。

■ 茶湯分葷、素両種,素的又叫油炒面,用香油炒面粉,炒熟呈黄色,加熟核桃仁等,吃時先盛両勺干面,放点涼開水,調成漿,然后用滚gun3開水衝成糊状,加紅糖食之,像広東人吃的芝麻糊差不多。這是老北京人喜歓吃的食品,尤其喜歓買来喂小孩。這種食物有脂肪,富栄養,易消化,吃起来方便,給儿童吃最相宜。又因它是素的,廟里的和尚也喜歓食。用来接待香客,也是極為方便的。

・滚開 gun3kai1 ぐらぐら煮えたぎる
・衝 chong1 湯を注ぐ
・喂 wei4 (口まで持っていって)食べさせる
・相宜 xiang1yi2 適当である。適合している

 茶湯は生臭、精進の二種類に分かれ、精進のものはまた“油炒面”と呼ばれ、ごま油で炒めた小麦粉が、十分に炒められて黄色に色づいたら、よく熟した胡桃の実などを加え、食べる時は、先ず匙に二杯の小麦粉を入れ、湯ざましの水を加え、かき混ぜてとろみをつけ、その後、沸騰したお湯を注ぎ込んで糊状にし、黒砂糖を加えてこれを食べれば、広東人が食べる“芝麻糊”(ゴマのお汁粉)とよく似ている。これは昔から北京の人々の好きな食べ物で、特に買って子供に食べさせたがる。こうした食品は脂肪を含み、栄養が豊富で、消化しやすく、食べるのも便利で、子供に食べさせるのに最も適している。また精進ものであるので、お寺の坊さんも喜んで食べる。これでお参りに来た信者を接待するのにも、極めて便利である。

■ 葷的則名為油茶,最好的是牛骨髓油茶,把牛骨中的油取出来,就是一般説的牛骨髓油了。用這種油炒面粉成浅黄色,再加核桃肉、青絲、紅絲、白糖混合起来,吃時也像調茶湯或調藕粉一様,調起来熱乎乎一碗,這就是牛骨髓油茶了。這比茶湯好吃得多,栄養価値極高,北京天気冷,吃這種高熱量的食物,具有明顕的抗寒作用,也是十分耐飢的食品。老北京常常整斤地買回去,天天早上衝了当早点吃。也有買了牛骨髓油自己炒的。炒這個并不難,把面粉倒在炒菜鍋里,一辺炒拌,一辺加油,把面炒成略帯黄色,把油加到撲鼻噴香就可以了。

・撲鼻 pu1bi2 においが鼻をつく
・噴香 pen4xiang1 よい匂いがぷんぷんと鼻をつく
・藕粉 ou3fen3 片栗粉。正確にはレンコンからとった白色の澱粉のこと。

 生臭のものを“油茶”と言い、最も良いのは牛の骨髄の油茶である。牛の骨の中の油を取り出したものが、一般に言われる牛の骨髄油である。この油を用いて小麦粉を淡い黄色になるまで炒め、更に胡桃の果肉、緑や赤の砂糖漬けの梅の実を糸状に刻んだもの、白砂糖を加えて混ぜ合わせ、食べる時は茶湯や片栗粉で葛湯を作る時と同様で、混ぜ合わせれば熱々の一碗になる。これが牛の骨髄の油茶である。これは茶湯よりずっと美味しく、栄養価も極めて高い。北京は寒いので、このような熱量の高い食品は、明らかに防寒作用があり、また十分腹の足しになる食品である。昔からの北京の住民はよく一斤(500グラム)単位で買ってきて、毎朝お湯で溶いて朝食にする。中には牛の骨髄油を買ってきて自分で炒める人もいる。これを炒めて作るのは別に難しくなく、小麦粉を中華鍋に入れ、かき混ぜながら炒め、油を加えていき、小麦粉がやや黄色くなり、油でよい匂いがぷんぷん鼻をつくようになったら出来上がりである。

■ 在各大廟会売油茶的攤子上,可以看見中間空心処,有一個坐在大炉上的大銅壺,約二尺高,直径最寛処也有二尺。旁辺有很大的壺柄,壺嘴又長又細,一搬壺柄水就可以倒出,正好衝入碗中。這壺又名搬壺,擦得又明又亮,造型精致美観。我見過西安一帯出土的唐代波斯壺,様子極像這種搬壺,我想這種様子的壺,可能是西域伝来的吧。

 各地の大きな寺の縁日で、油茶を売る屋台には、中間に穴が開いているところがあり、ここに大きなコンロに載せた大きな銅製のやかんが置かれる。高さは約二尺(約60センチ)、直径の最も幅の広いところも二尺ある。やかんには大きな取っ手が付いていて、注ぎ口は長くて細く、取っ手を持ち上げると中のお湯が注ぎだされ、ちょうど碗の中に注ぎ入れられる。このやかんは“搬壺”とも呼ばれ、ぴかぴかに磨かれ、その造りも、細かい細工がされていて美しい。私は西安一帯で出土した唐代のペルシャの壺を見たことがあるが、形はこの“搬壺”に極めてよく似ていた。私はこのような形のやかんは、ひょっとすると西域から伝来したものではないかと思う。


【出典】雲郷《雲郷話食》河北教育出版社 2004年11月


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【対訳】老舎《出口成章》を読む: 語言、人物、戯劇(その2)

2011年02月05日 | 中国文学

 老舎が、芝居の脚本を書くに当たり、ことばの選択の重要性について語った講演の2回目です。何も難しいことばを使う必要はない。日常のありふれたことばでよいのですが、ただ何気なく使うのではなく、そこには作者の深い意図が込められていなければならない、そんな主張だと思います。それでは、内容を見ていきましょう。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

■ 戯劇語言還要富于哲理。含有哲理的語言,往往是作者的思想通過人物的口説出来的。当然,不能毎句話都如此,但在一幕戯中有那麼三五句,這幕戯就会有些光彩。若不然,人物尽説一些平平常常的話,聴衆便昏昏欲睡。就是儿童劇也需要這種語言。当然写出一両句至理名言,不是軽而易挙的。離開人物、情節,孤立地説出来,不行。我們対人物要想得多想得深,要従人物、情節出発去想。離開人物与情節,雖有好話而擱不到戯里来。這種閃爍着真理光芒的語言,并非只是文化水平高的人才能説的。一般人都能説。読読《水滸》、《紅楼夢》,很有好処。特別是《水滸》,許多人物是没有文化的,但説出的一些語言却富有哲理。這種語言一定是作者想了又想,改了又改,使其鮮明,既富有哲理,又表現性格,人物也就站起来了。一個平常的人説了一句看来是平常的話,而道出了一個真理,這個人物便会給観衆留下個難忘的印象。

・哲理 zhe2li3 人生や世界の本質にかかわる深い道理
・三五(句) あまり大きくない概数を表す。
・昏昏欲睡 hun1hun1yu4shui4 うとうと眠気を催す
・至理名言 zhi4li3ming2yan2 [成語]至理名言。もっともな道理を説いたすぐれたことば。
・軽而易挙 qing1er2yi4ju3 [成語]たやすくできる
・情節 qing2jie2 事情、いきさつ。話の筋。
・擱 ge1 =放:置く。入れる
・閃爍 shan3shuo4 (光が)きらめく。またたく
・光芒 guang1mang2 光芒。光。

 芝居のことばは人生の道理に富んでいなければなりません。人生の道理を含んだことばは、しばしば作者の思想が登場人物の口を通して話されたものです。もちろん、すべてのことばをそうはできませんが、一幕の芝居の中にそんなせりふがいくつかあると、この芝居は輝きを持ったものになります。そうでないと、登場人物が如何に日常のことを、ことばを尽くして言ったところで、聴衆はうとうと眠気を催すだけです。児童劇についても、このようなことばが必要です。もちろんたとえ一言であっても至理名言を書くなど、たやすくできることではありません。人物や話のいきさつを離れ、独立して言おうとしてもだめです。私たちは登場人物についてたくさん考え、深く考え、人物や話のいきさつから出発して考えるべきです。人物や話の事情から離れてしまうと、良い話があっても、芝居の中に入れることができません。このようなきらきらきらめく真理の光のことばは、決して文化レベルの高い人だけが言えるのではありません。一般の人も言うことができます。《水滸伝》や《紅楼夢》を読んでみることは、たいへん有益です。特に《水滸伝》では、多くの登場人物は教養がありませんが、口に出ることばは人生の道理に富んでいます。こうしたことばはきっと作者が考えに考え、何度も改めたものでしょう。一つのせりふを十分に考え、何度も改めることは、せりふを鮮明で、人生の道理に富んだものにし、その人の性格を表し、ここに一人の人物が形成されます。一人の普通の人が一言日常のありふれた話をして、しかも一つの真理を言うことができれば、この人物は観衆に忘れ難い印象を残すことができるでしょう。

■ 以上説的語言性格化、地方性、哲理性,三者是統一的,都是為了塑造鮮明的人物形象。

 以上お話したのは、ことばの性格化(個性)、地方性(方言の活用)、哲理性(人生の道理を込めること)についてですが、この三つが統一され、鮮明なイメージの登場人物を形作るために使われています。

■ 平易近人的語言,往往是作家費了心血写出来的。如剛才談的《紅楼夢》中那段対話,自然平易,抹去棱角,表面没有剣拔弩張的斗争,只是写一個想吃鮮菜,一個想吃肉食的両位老太太的話,但内中却表現了階級的対立。這種語言看着平易,而是用尽力气写出来的。杜甫、白居易、陸放翁的詩也有時如此,看来越似乎是信手拈来,越見功夫。写一句劇句,要像写詩那様,千錘百煉。当然,小説中的語言還可以容人去細細揣摩、体会,而舞台上的語言是要立竿見影,発生效果,就更不容易。所以戯劇語言要既俗(通俗易懂)而又富于詩意,才是好語言。

・抹 mo3 ぬぐい去る。消し去る
・棱角 leng2jiao3 角々しさ。鋭さ。
・剣拔弩張 jian4ba2nu3zhang1 [成語]剣は抜かれ、弓は引き絞られた。一触即発の状態にある、ということの譬え。
・陸放翁 陸遊のこと。
・信手拈来 xin4shou3nian1lai2 [成語]手当たり次第に取り出す。
  /文章を書く時、語彙や話題が豊富で、すらすら書けること。“拈”は指先でつまむ動作。
   [例]拈鬮儿jiur:くじを引く。従盤子里拈了一塊小点心:皿から小さな菓子をひとつつまんだ。
・千錘百煉 qian1chui2bai3lian4 [成語]①鍛えに鍛える。闘争の中で試練を重ねること。②詩文などで推敲に推敲を重ねること。
・立竿見影 li4gan1jian4ying3 [成語]効果が直ちに現れること

 平易で身近な人のことば程、しばしば作者が心血を注いで書いたものです。例えば先程お話した《紅楼夢》の対話は、自然で平易で、鋭さが拭い去られ、表面的には一触即発の危機は存在せず、一方は新鮮な野菜を食べたいと思い、一方は肉を食べたいと思っている二人の老婦人の話ですが、その中に階級的な対立を表現しています。このようなことばは平易そうに見えますが、実は全力を尽くして書かれています。杜甫や白居易、陸遊の詩も時にそのようであることがあり、見たところ、すらすら書かれたように見えるもの程、作者の工夫が見てとれます。芝居のせりふを一つ書くのも、詩を書くのと同様、推敲に推敲を重ねたものです。小説の中のことばは、読者がこと細かく推察し、理解することができますが、舞台でのことばは、釣竿を立てればすぐに魚影が見えるかのように、すぐに効果が出なければならず、尚更容易ではありません。ですから芝居のことばは、分かり易くて(通俗的で理解し易い)しかも詩趣に富んでいてこそ、良いことばと言えます。

■ 儿童劇的語言也要富于詩意。因為在孩子們的眼里,什麼都是詩。一個小瓜子皮放在水杯中,孩子們就会想到船行万里,乗風破浪。我在《宝船》中写到,孩子們不知道“駙馬”是什麼,因而猜想是“驢”。這是符合儿童心理的。這当中寓有作家的風刺。如果在清朝末年我這様写,就要挨四十大板。儿童劇要写出孩子們心里的詩意,且含有作家対事物的褒貶。

・乗風破浪 cheng2feng1po4lang4 [成語]追い風に乗り、波をけって進む。
・駙馬 fu4ma3 皇女の夫。皇帝の女婿
 (漢代に“附馬都尉”(侍従武官)という官職があり、当初は皇族や外戚の若者を任じていたが、後に皇女の女婿にこの官職を授けたことから)
・寓 yu4 (意味を)含ませる。寓する。
・挨 ai2 ~を受ける/[例]挨打:ぶたれる。挨罵ai2ma4:ののしられる。どなられる
・挨四十大板:“各打五十大板”という成語をもじっている。これは、双方に尻叩き50回の罰を与えることで、喧嘩両成敗の意味。

 児童劇のことばも詩趣に富んでいなければなりません。なぜなら子供たちの眼には、見るもの全てが詩であるからです。一粒のヒマワリの種の殻を水の入ったコップに入れると、子供達はそれを見て、船が遥かに船出し、波をけって進む様を連想します。私は《宝船》の中で書いたのですが、子供達は“駙馬”が何であるか知らず、文字から「ロバ」ではないかと当て推量します。そう想像するのが子供の心理に合っています。ここに作者の風刺が含まれています。もし清朝末期にこんな風に書いたら、尻叩き四十回の刑にされたでしょう。児童劇は子供達の心の中の詩趣を描かねばならず、しかもその中に作家の事物に対する毀誉褒貶を込めなければなりません。

■ 要多想,創造性地想;還要多学,各方面都学。見多識広,只是豊富,写起来就従容。学習不是生搬硬套,生活中的語言也不能原封不動地運用,需要提煉。如今天写劉胡蘭、黄継光這些英雄人物,她們生活中説了些什麼,我們知道的不太多,這需要作家創造性地去想像,写出符合英雄性格的語言。

・見多識広 jian4duo1shi2guang3 [成語]経験が豊富で知識が広い
・従容 cong2rong 落ち着いている。ここでは、見た感じが落ち着いていて、収まりが良いこと。
・生搬硬套 sheng1ban1ying4tao4 [成語](他人の方法や経験を)無理に適用する。機械的に当てはめる。
・原封不動 yuan2feng1bu4dong4 もとのまま手をつけない
 /“原封”もとのままの。封を切っていない。[例]原封退回:封も開けずにそのまま返す。
・提煉 ti2lian4 (化学的、物理的方法で、化合物、または混合物から)取り出す。抽出する。ここではことばに手を加えること。
・劉胡蘭、黄継光 劉胡蘭(女性)は国民党との内戦中、山西省で活躍するが、1947年に閻錫山が派遣した軍隊に逮捕され、殺害された。黄継光は朝鮮戦争に中国が派遣した人民志願軍の一員として活躍するも戦死。

 たくさんのことを想像しようと思ったら、創造的にものを考えなければなりません。たくさんのことを学ぼうと思ったら、いろいろな分野の勉強をしなければなりません。経験が豊かで知識が豊富であるというのは、文字で書くときれいなのですが、学習というのは人のしたことを無理に当てはめるのではなく、生活の中で使うことばをそのまま使うのではなく、手を加えてやらなければなりません。今、劉胡蘭や黄継光といった英雄のことを書くとしたら、彼らが生活の中でどんなことを言ったのか、私たちが知っていることはあまり多くありません。ここで作家が創造的に考え、英雄の性格に合ったことばを書き出さなければなりません。

■ 語言要准確、生動、鮮明,即使像“的、了、嗎、呢……”這些詞的運用也不能忽視。日本朋友已擬用我的《宝船》作為漢語課本,要求我在語法上作一些注解。其中摘出“開船嘍lou!”這句話,問我為什麼不用“啦”,而用“嘍lou”。我写的時候只是覚得要用“嘍lou”,道理却説不清,這就整得我够gou4受。我朗読的時候,発現大概“嘍lou”字是対大伙説的,如一个人喊“開船嘍lou!”是表示招呼大家。如果説“開船啦”便只是対一個人説的,没有許多人在場。区別也許就在這里。

・整 zheng3 =搞gao3 [方言]やる。する。つくる。
 /[例]這東西我見人整過,并不難。(人がこれを作るのを見たことがあるが、そう難しいものではない。)
・受 shou4 [方言]~するに足る。
 /[例]受吃(おいしい);受看(見て気持がよい);受聴(聞いて気持がよい)

 ことばは正確で、躍動感がなければならず、たとえ“的、了、嗎、呢……”のような詞(虚詞)の活用であっても、無視することはできません。日本の友人が私の《宝船》を中国語のテキストにしようと思い、私に文法上の注釈を作るよう要求しました。その中で“開船嘍lou!”という語句を取り上げ、どうして“啦”を使わずに“嘍lou”を用いたのかと問われました。私がこれを書いた時にはただ“嘍lou”を用いなければならないと感じただけで、道理ははっきりとは言えませんが、このように書いたら、聞いて気持がぴったりすると感じたのです。声に出して読んでみると、おそらく“嘍lou”の字はみんなに対して言っているのではないかと気がつきました。もし一人が“開船嘍lou!”(船が出るぞぅ!)と叫んだら、それは皆に対して呼びかけています。もし“開船啦”(船が出ますよ)と言ったら、一人の客に対してだけ言っているのであって、現場にはあまり人がいない。違いはたぶんこんなところでしょう。

■ 語言是人物思想、感情的反映,要把人物説話時的神色都表現出来,需要給語言以音楽和色彩,才能使其美麗、活溌、生動。

  我的話説完了,浪費了大家的時間,対不起!

 ことばは人物の思想、感情の反映ですから、登場人物が話をする時の表情を皆表現しようと思ったら、ことばをメロディーや色彩にしてこそ、それを美しく、活発で、躍動感のあるものにすることができます。

 私の話はこれで終わります。皆さんのお時間を無駄にしたのではないかと思います、申し訳ありませんでした。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

 講演自体はこれで終わりなのですが、実は聴衆の質問への回答、という形でもう少し続きがあります。それは次回で。


【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月


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【対訳】老舎《出口成章》を読む: 語言、人物、戯劇(その1)

2011年02月03日 | 中国文学
 老舎の《出口成章》はきれいな文章で書かれており、学習教材として好適ではないでしょうか。老舎の創作活動の打明け話もたいへん興味深いものです。今回は、《語言、人物、戯劇》という題の、講演の書き取りです。ここで老舎は、芝居の脚本を書くときに使うことばについて述べています。

■ 要我来談談創作経験,我没有什麼可談的。説几句関于戯劇語言的話吧。

 文学の創作の経験を話さなければなりませんが、何も話すべきことがありません。芝居のことばについて、いくらかお話したいと思います。

■ 写劇本,語言是一個要緊的部分。首先,語言性格化,很難掌握。我写的很快,但事先想得很多、很久。人物什麼模様,説話語気,以及他的思想、感情、環境,我都想得差不多了才動筆,写起来就快了。劇中人的対話応該是人物自己応該説的語言,這就是性格化。対一個快人快語的人,要知道他是怎様快法,這就要考慮到人物的思想、感情和劇情等几個方面,然后再写対話。在特定時間、地点、情節下,人物説話快,思想也快,這是甲的性格。假如只是口歯快,而思想并不快,這不是甲,而是乙,另一個人了。有些人是快人而不快語,有些人是快語而不是快人,這要区別開。《水滸》中的李逵、武松、魯智深等人物,都是農民英雄,性格有相近之処,却又各不相同,這在他們的説話中也可区別開。写現代戯,読読《水滸》,対我有好処。尤其是写内部矛盾的戯,人物不能太壊,不能写成敵人。那麼,語言性格化就要在相差不多而確有差度上注意了。這很不容易,必須事先把人物都先想好,以便甲説甲的話,乙説乙的話。

・快人 kuai4ren2 はきはきした人
・口歯 kou3chi3 話し方/[用例]口歯清楚:ことばがはっきりしている。口歯伶俐:口が達者である
・開[方向補語]動詞+開:事物が開いたり、分かれたり、離れたりすることを表す。心理的、観念的な状態にも比喩的に用いられる。→ここでは、違いがはっきりすること。

 芝居の脚本を書く時、ことばは重要な部分です。先ず、ことばの性格化ですが、うまく運用するのがたいへん難しい。私は筆が速い方ですが、事前に多くのことを、時間をかけて考えます。人物がどのような容貌をしていて、話の口ぶりはどうか、それからその人物の思想、感情、環境はどうか、それらを概ね考えた上で、はじめて筆を動かすと、書き始めると筆が速く進みます。劇中の人物の対話は、その人物自身が話すことばでなければならず、これがつまり性格化です。てきぱきと早口でものを言う人なら、その人はどのようにして早口になるのか知らなければなりません。そうすると人物の思想、感情や劇の状況などいくつかの面まで考慮しなければならず、そうしてからまた対話を書き始めます。特定の時間、場所、状況の下で、ある人物の話が早口で、頭の回転も速いなら、これは甲という人物の性格になります。もし話し方が早口なだけで、頭の回転が速くないなら、これは甲ではなく、乙という人物で、別の人物です。何人かの人は、てきぱきとしていますが、話ぶりは早口ではありません。何人かの人は、早口ですが、てきぱきとはしていません。これらははっきりと区別しなければなりません。《水滸伝》の中の李逵、武松、魯智深といった人物は、皆農民出身の英雄で、性格は似たところもありますが、またそれぞれ異なっていて、このことが彼らの話の中でもはっきり区別されています。現代劇を書く時、《水滸伝》を読んでみるのも、私にとっては得るところがあります。とりわけ内部に矛盾をはらんだ劇を書く時、登場人物はあまり悪く書いてはならず、仇にしてしまうことはできません。そうであるなら、ことばの性格化は、その違いがあまり大きくないけれども、その違いに確かに注意が払われていなければなりません。これは容易でなく、事前に人物をよく考え、甲は甲の話をし、乙は乙の話をするようにしなければなりません。

■ 脾気古怪,好説怪話的人物,個性容易突出。這種人物作為次要角色,在一個戯里有一個両個,会使戯顕得生動。不過,古怪人物是比較容易写的。要写出正常人物的思想、感情等等是不容易的,但作者的注意力却是応該放在這里。

・次要 ci4yao4 ⇔主要 二次的な、副次的な。主要ではないこと。
・角色 jue2se4(劇や映画の登場人物の)役、役柄。/“角”は多音字で、ここではjue2と発音します。

 性格が変わっていて、変なことを言うのが好きな人物は、個性が際立ちます。こうした人物は主要な人物には成り得ませんが、一つの劇の中に一人か二人配置してやると、劇は明らかに生き生きとしてきます。けれども、奇妙な人物はわりと書き易いのですが、正常な人物の思想や感情などを描くのは容易ではありません。しかし作者の注意力はここにこそ置かれなければなりません。

■ 写人物要“留有余地”,不要一下筆就全傾倒出来。要使人物有発展。我們的建設発展得極快,人人応有発展,否則跟不上去。這点是我写戯的一個大毛病。我総把力気都放在第一幕,痛快淋漓,而后難以為継。因此,第一幕戯很好,値五毛銭,后面几幕就一銭不値了。這有時候也証明我的人物確是従各方面都想好了的,故能一下筆就有声有色。可是,后面却声嘶力竭了。曹禺同志的戯却是一幕比一幕精彩,好戯在后面,最后一幕是高峰,這才是引人入勝的好戯。

・留(有)余地 liu2(you3)yu2di4 (話や事をする時に)余地を残す。ゆとりをもたせる
・淋漓 lin2li2 さっぱりしている。すっきりしている/痛快淋漓:痛快極まる
・有声有色 you3sheng1you3se4 [成語]生き生きとしている。精彩を放つ
・声嘶力竭 sheng1si1li4jie2 [成語]声をからし力を出し尽くす。声が枯れへとへとに疲れる
・引人入勝 yin3ren2ru4sheng4 [成語]人を惹きつけて夢中にさせる

 人物を書くには「ゆとりをもたさ」なければならず、筆を走らすやいなや全力を傾けてはなりません。人物は発展させなければなりませんが、話の展開が早すぎて、登場人物もそれにつれて発展させなければならず、そうでないと追いついていきません。これが、私が書く芝居の大きな問題点です。私はいつも力点を第一幕に置いて、痛快極まりないのですが、後が続きません。だから、第一幕は芝居がたいへん良くて、50銭の値打ちはあるのですが、その後の何幕かは一銭の値打ちもありません。このことは、時には私の書く人物がいろいろな面からよく考えてあるので、筆を走らすや生き生きと精彩を放つことができることの証明でもありますが、その後は声が枯れてへとへとになってしまいます。曹禺の芝居は一幕ごとに精彩を増し、良い芝居が後ろに控え、最後の一幕で最高潮に達します。これこそ人を惹きつけ夢中にさせる良い芝居と言えましょう。

■ 再談談語言的地方化。先譲我引《紅楼梦》第三十九回劉老老進大観園和賈母的一段話:

 次にことばの地方化についてお話しましょう。先ず、《紅楼梦》第三十九回の、劉ばあさんが大観園に入り、賈のご隠居と絡む場面を引用させてください。

■  賈母道:“老親家,你今年多大年紀了?”
   劉老老忙起身答道:“我今年七十五了。”
   賈母向衆人道:“這麼大年紀了,還這麼硬朗!比我大好几歳呢!我要到這個年紀,
 還不知怎麼動不得呢!”
   劉老老笑道:“我們生来是受苦的人,老太太生来是享福的。我們要也這麼着,
 那些庄稼活也没人做了。”
   賈母道:“眼睛牙歯還好?”
   劉老老道:“還都好,就是今年左辺的槽牙活動了。”
   賈母道:“我老了,都不中用了,眼也花,耳也聾,記性也没了。你們這些老親戚,
 我都記不得了。親戚們来了,我怕人笑話,我都不会。不過嚼得動的吃両口,睡一覚,
 悶了時,和這些孫子孫女儿玩笑会子就完了。”
   劉老老笑道:“這正是老太太的福了。我們想這麼着不能。”
   賈母道:“什麼福?不過是老廃物罷咧!”説的大家都笑了。
   賈母又笑道:“我才聴見鳳哥儿説,你帯了好些瓜菜来,我叫他快收拾去了。
 我正想個地里現結的瓜儿菜儿吃,外頭買的不像你們地里的好吃。”
   刘老老笑道:“這是野意儿,不過吃個新鮮;依我們倒想魚肉吃,只是吃不起。”……

・硬朗 ying4lang [口語](老人が)体が丈夫である。足腰がしゃんとしている
・-不得 (動詞の後に用いて)なんらかの差しさわりがあってその動作ができない
・庄稼活(儿)zhuang1jiahuo2(r) 野良仕事
・槽牙 cao2ya2 奥歯。臼歯。(“臼歯”jiu4chi3の通称)
・活動 huo2dong4 ぐらつく
・不中用 bu4zhong1yong4 役に立たない
・聾 long2 耳が遠い
・嚼 jiao2 噛む。咀嚼する
・-得動 (動詞の後について)思うように動かしたりさばいたりすることができる
・玩笑 wan2xiao4 冗談を言う

  賈のご隠居様が言われた。「おばあさん、今年でお幾つになられました?」
  劉ばあさんは急いで姿勢を整えると答えて言った。「今年で七十五になります。」
  ご隠居様は周りの者達に言われた。「こんなお年なのに、まだ足腰のしっかりされていること!私よりずっと年上でおられるのに!私がその年になったら、もう体が動かないかもしれませんわ!」
  劉ばあさんは笑って言った。「私たちは生まれつき苦労してきた人間ですが、奥様は生まれつきお幸せであられますから。私たちはどうしたってこのように暮らしていかないといけません。あんな野良仕事も誰もやってくれませんから。」
  ご隠居様は言われた。「眼や歯はまだ大丈夫ですか?」
  劉ばあさんは言った。「まだ大丈夫です。ただ、今年になって左の奥歯がぐらぐらするようになりましたが。」
  ご隠居様は言われた。「私はもうだめで、皆役に立たなくなりました。眼もかすみますし、耳も遠くなりました。もの憶えも悪くなりました。あなた方親戚のことも、憶えられなくなりました。親戚が来られたら、人に笑われるのが厭なので、お会いしないようにしています。でも噛めるものを一口二口食べて、寝て、気晴らしに、あの孫たちと冗談を言ったら、それで十分です。」
  劉ばあさんは笑って言った。「それなら奥様はお幸せというものですわ。私たちはそうしようと思ってもできませんから。」
  ご隠居様は言われた。「何が幸せというものですか。逝きそこないのがらくたに過ぎませんわ。」そう言われると、皆はどっと笑った。
  ご隠居様は又笑って言われた。「さっき鳳ちゃんから聞いたのですが、良い瓜や野菜を持って来ていただいたとか。あの子に言って収めさせました。ちょうど採れたての瓜や野菜を食べたいと思っていましたので。外で買うのはあなた方の畑のもののように美味しくありませんから。」
  劉ばあさんは笑って言った。「不作法ですが、せめて新鮮なものを食べていただこうと思って。私たちは魚や肉が食べたいと思っても、お金が無くて食べられませんから。」

■ 這里是両個老太太的対話。以語言的地方性而言,両人説的都是地道北京話。她們的話没有雕琢,没有棱角,但在表面平易之中,却語語,両人的思想、性格都鮮明地表現出来了。賈母的話是假謙虚,倚老売老;劉老老的話則是表面奉承,内藏風刺。“依我們倒想魚肉吃,只是吃不起”,這句話是多麼害!作者没有把賈母和劉老老的話写得一雅一俗,説的是同様的語言,却表現了尖鋭的対立。這是高度的語言技巧。所謂語言的地方性,我以為就是対語言熟悉,要熟悉地方上的一切事物,熟悉各階層人物的語言,才能得心応手,用語精当。同時,也只有熟悉人物性格,才能通過対話准確地表現不同身份、地位的人物性格特征。

・雕琢 diao1zhuo2 過度に文章を飾ること(元々の意味は、玉を彫り刻むこと)
・棱角 leng2jiao3 [比喩]才能。鋭気(元々の意味は、器物の角のこと)
・針鋒相対 zhen1feng1xiang1dui4 [成語]針の先が向かい合う。真っ向から対決する。鋭く対決する。
・倚老売老 yi3lao3mai4lao3 [成語]年寄り風を吹かせる。ベテランであることを鼻にかける。
・奉承 feng4cheng お世辞を言う。へつらう。おべっかをつかう。
・得心応手 de2xin1ying4shou3 [成語]思いどおりの結果が現れる。事がすらすらと運ぶ。
・精当 jing1dang4 (言論や文章が)詳しくて正しい。適切で申し分ない

 これは二人の老婦人の対話です。ことばの地方性から言うと、二人の言っているのは生粋の北京語です。彼女たちの話は飾りがなく、鋭い議論もありません。しかし表面的には平易ですが、一つ一つのことばには、二人の考え、性格が鮮明に表現されています。賈のご隠居の話は謙虚さを装っていますが、年寄り風を吹かしています。劉ばあさんの話は、表面はこびへつらっていますが、内には風刺を含んでいます。「私たちは魚や肉を食べたくても、お金がなくて食べられません」ということばはなんともきつい。作者は賈のご隠居と劉ばあさんを一方は優雅に一方は低俗にと区別しては書いておらず、話しているのは同じようなことばですが、鋭い対立を表しています。これは高度なことばのテクニックです。いわゆることばの地方性というのは、私は、ことばを熟知していて、地方の一切の事物を熟知していて、各階層のことばを熟知していてはじめて、思い通りに表現することができ、使うことばも的を得られるのだと思います。同時に、人物の性格を熟知してはじめて、対話を通じて正確に異なる身分、地位の人物の性格、特徴を表現できるのだと思います。


【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月


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