心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

自信?話を聴いてもらえば良くなる?

2015年11月11日 | 精神科訪問看護

精神科訪問看護をしているスタッフは達観している人多いです。

本当にその当りは勉強になります。

先日、雑談でどのセラピーがいいかな?という話題になりました。

薬物、CBT,SST、カウンセリング、ピアカウンセリング、栄養学

カウンセリング派、CBT派に分かれますね。

でもどれも、結果出ていません。

患者は

「わかって欲しい病」

という本質を。

そして、「わかってあげる振りをして、覚醒剤と同じ薬をたんまり飲ませる」のが医師看護師の仕事。

稀代のジャーナリスト、ユータス・マリンズ氏の師匠である「エズラ・パウンド」さんは、体制反対者、異常思考の持ち主として13年もの間、精神病院に強制収用されました。

そして何事もなかったように退院、釈放です。

精神病院は、刑務所と同じといわれる所以は、医師の主観的な一方的な意見で

医療保護、緊急措置という形で強制入院させることができる。

そこでの処遇は監禁され、薬物を大量に飲まされ、拒否すれば毎日お尻に鎮静剤や麻薬を筋肉注射され、身体拘束までされる。

場末の精神病院には、ホームレス、やくざが多い。やくざしかいない病棟、通称やくざ病棟もある。

彼らは詐病をし、3食昼寝付、昼はマージャンをやり、税金でタバコを吸い、たまの単独外出で酒を飲んで一生を過ごす。

確信犯的なのですが、この話を聴いて、私は少し「うらやましい」と感じました。

しかし、その思考が間違っています。

彼らは、選択する権利を奪われてしまっている、家畜なのです。

医療、ことに精神科医療において患者は牧畜である。

この名言は、精神病院で働けばすぐにわかります。

申し訳ないが、患者も働いている職員も気付いていない。

稀に気付いている先輩はいた。その方たちは、定年退職まで家族を養うためだけにずーっと息を潜めて仕事をされていた。

えらくなることが目的の先輩もいた。

その人その人の人生だから仕方ないけど、その先がない。

自分だけよければいいという発想なのです。

そもそも、思想的におかしい人なんて世の中五万といます。

矯正するのでなく、共生していくことが大事なのですが、現行のトレンドは矯正が治療であり、

妄想的発言がなくなった、治療できたと考えている、お花畑な医者しかいない。

もともと、MyQOLが高い、楽発想で精神科の門を叩いた、しかしそれは前職の警察官という仕事と実はつながっており、運命のいたずらを感じます。

現在の精神科訪問看護もその延長線上で、警察時代の巡回連絡だ。

地域把握とは危険人物を把握する仕事。

国家権力の犬ですね。

 

脱線しましたが、どの療法がいいなんてのはない。

どれも間違っています。

だって、考え方が違うだけの人をマスコミといった刷り込みによるコンセンサスだけで

誰かが決めた価値観と違うだけの人、それを「わがまま病」「妄想」「躁鬱」といったりして

人間を信条を魂を書き換えようとしているのが精神医療だからです。

問題でないのに、そこに焦点をあてて問題化しているだけ。

 

常識という枠組に洗脳されている家族とどう折り合いをつけて生活していくかだと思うのです。

魂が汚染されているのは私達のほうだと最近思うのです。

 

病気でなく「わかってもらえない」のである。

そこからスタートすると、わかってもらえない病の人は、「相手を解ろうとすること」さえできれば、良くなってしまうのです。

どうして周囲は私と価値観が違うのか?

どうして霊的なことや体験を理解しないのか?

どうして、世界が破滅に向っているという事実に直視しないのか?

どうして体にも心にもわるい食べ物ばかりいつも食べるのか?

どうして電磁波まみれのスマホやタブレット、IH調理器具を使うのか?

どうして、世界の貧困や戦争ビジネスから目をそむけるのか?

 

どうしてでしょう?

でも99%の人達はそんなこと微塵も知らず、我関せずで日々生活しています。

99%の人が異常なんです。

ですが、多数決で負けている現実に気付かなければいけません。

オセロがひっくりかえれば、世の中は180度変わります。

そのために、相手を理解し、どうしてそういう思考回路に陥るかを考える。

そして、自分を押し付けるのでなく、自分をプレゼンしていく、伝えていくことが

精神病の人に一番必要なスキル、マインドだと思うのです。

つまり、彼らに何が足りないかというと

総合的な学び、学習が足りないということなのです。

それは、学校での暗記や偏差値を競うお勉強でなく、自分を表現するためには伝える相手の信条、価値観を理解した上で、「どのように伝えれば相手に響くか?相手が動くか?」の1点だけです。

そう、「いかに気付かせるか?」

 

脱線していきましたが、真の治療は学ぶことではないでしょうか?

専門家に任せない、自分が学び、成長してくことでしょう。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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