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旧精神科医療は思想警察なのか?

『精神科訪問看護に必要なマインドセット 解ってもらえないから腹が立つ』

2015年11月17日 | 精神科訪問看護

 

おはようございます。昨日は、自分なりの考えをまとめたものをアップさせてもらいました。

 精神科訪問看護はひたすら、話を聴きに行くという仕事です。所謂、身体系の訪問看護は、入浴介助、レスピレーターや陰部洗浄、体位交換、シーツ交換、清拭やベッド洗髪、軟膏処置、褥創処置、DIVのルート管理などが業務だと思います。30分目一杯時間が必要な処置が多いため体力的にはきついものがあります。しかし、3回くらい手技を行うとそこまで難しいことはないものが多いのもこの業界の特徴だと思います。

 それに反して、いつまでたっても難しいのが、精神科訪問看護です。個別性という言葉をよく耳にしますが、精神科における訪問看護の第一義は、「安定している」ということ。社会性のない人が、一般社会で生活していて安定するって至難の業です。本人が社会性がないだけでなく、家族も社会性がないケースが多い。

 話を聴く仕事というのは、心理労働、感情労働が多いため、マインドセットつまり、考え方を自宅や家族で過ごしている時間と同じものを持って仕事をしていては、勤まりません。インタビュアーのように常に相手に関心を持ち続けるという感じでしょうか?

 普段、訪問看護ではとにかく話の糸口みつけるために質問をいくつかします。これが下手だと相手にとって「尋問」となるのです。

尋問に対しては相手は答えてくれませんし、酷いときは、無言となります。

 心理を学ぶと、無言は意味があるといいますが、それは相当信頼関係ができてからの話。常にテンポ良く質問を投げかけていくことが精神科訪問看護の基本です。

 逆に、ずーっとしゃべってくれる患者は気持ちは楽だと思います。しかし、しゃべり続ける相手からは必要な情報をしっかり取り忘れることも多い。そしてしゃべりつかれていることもあるため、バランスが必要だということ。

 精神障害者とは、「わかってもらえない」という感情の塊です。ですから一般的な話をしようものなら、怒り、クレームの嵐です。そして教育的な会話もNG。

 相手のわかってもらえないオーラ、孤独感を理解することが本質かもしれません。

 ここで大切なのは、人間は「わかってもらえない」から卑屈になり怒るということ。

 自分も私生活では「わかってもらえない」と思い怒りがこみ上げます。

 怒りがこみ上げるときは、解ってもらえないとき。自分は相手を解ろうとしていないときです。ですから、人間関係は共感よりも理解が大切であるということ。

 「目の前で車の中からガムやタバコをポイ捨てする人」を見てあなたは共感できますか?

 99%の人は共感できません。

 共感できないと思った瞬間、あなたは相手とつながれません。

 理解するのです。「想像力を膨らませて!」

 「あの人は何か嫌なことあったのかな?あわててるのかな?自分の友達には注意しよう。」という風に捉えるのです。正しいか、間違っているかは一旦外に置いておく。

 これは、常に自分が傍観しているため大変です。

 意図的に外に置く訓練です。相手を傷つけてはいけません。怒りを沈めるのは、「理解する」しかないということです。人間は、特に現代教育をされた人間は「正しいか間違っているか?」「白か黒か?」「善か悪か?」でしか考えられない特徴があります。

 全体が個とつながっているというフラクタルなイメージ、その根本は2原論ではないということ、フリーエネルギーにもつながりますね。循環させる、相手の力、思考を流すという意識が非常に大切なマインドセットとなります。何事も「穏やかに流れるせせらぎの水」を意識してみるといいかもしれません。

 今回は、コミュニケーションマインドについてお話しました。

 最後までお読みいただきありがとうございました。 

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