私は37歳でRAPTブログに出会い、一般記事を読みながら、「RAPTさんってどんな人なんだろう?」
と知りたくなって、聖書を購入し読み始め、有料記事も購読するようになりました。
流石に、「RAPT理論を解いただけあって独創的な考え、価値観を持っているのだろう」と考えていたのですが
何が違うか?というと「神の視点」を明確に持っている人なのだと分かってきました。
普通に学校教育を受けるとレポートでは
①「学んだこと、知ったこと」
②「私はどう考えるか?」「私はどう思うか?」
③「だから今後どうしていきたいか?」
という内容を書かなければ評価がつきません。
私はこれを「#レポート3段活用」などと言って看護学生に教えていますが、教育には「気付きをさせること」が狙いにあります。
しかし、この気付きも所詮は教育者側から与える物、教育者の信念、価値観を超えるものは与えられませんし、仮に学生が何か気付いたとしても
拡げたり深めたりする力量は教育者側の力量に左右されてしまいます。
ですから、「人間レベルで思考している段階」で思考や発想に限界が来てしまいます。
つまり知らず知らずのうちに、自分で限界を設定し、その考えや思考回路から抜け出せない状態で物事を考えてしまうのです。
RAPT理論の凄いところは、推論から検証していって見事に繋がっていくところです。
大切なのは「仮説を立てたり、推論する」ことで「発想」だと思います。
ここが常識人や知識層が思いもつかない考えが出て来ること、つまり「人間業を超えている」のです。
そしてその論理性も人間業を超えています。
「そー言われれば、そうだな、ふむふむ」と読んでいくと点と点がどんどん繋がっていき、線になっていくのです。
それを読ませる文章構造も素晴らしいのですが、何よりも真新しい考え、知識が飛び込んでくる、知識や情報が繋がることに
面白さを感じるのです。
まさに「全ての道はローマに通ず」
「全ての道は真理(RAPT理論)に通ず」なのです。
聖書や御言葉では神様のことを「王の王」と表現したりします。
世の中には「S,A,B,C」の生き方、価値観を持った人がいると思います。
S「王の王を目指して自己成長させる人」
A「王を目指して自己成長させる人」
B「貴族を目指して自己成長させる人」
C「何も考えたくないから、奴隷や農民でいいやと日々何も考えず感じず生活する人」
RAPTブログに出会うまで、BかCにしか出会いませんでした。
おそらくAの人はイルミナティ連中でしょう。
RAPTさんはSの生き方をしている人だと思います。
御言葉でも「成功」「成長」という検索ワードを入れると、RAPTさん自身がどうやってここまで来たのか?
を惜しげもなく教えてくださっています。
庶民が成功するには「神の道を行くしかない」
「閃き」「インスピレーション」「霊感」はどこから来るのか?
「閃きがない」から嘘や不正、コネに頼るしかなくなる。
文化、伝統と古い物にしがみつくしかなくなる。
成長の積み重ね、どうやって成長していくか?
「Sを目標に生きている人」と「BやCを目指している人」では違います。
ですから、「初めから考え方が合わない」ので付き合うのも「外国人と話している」
と感じてますし、文化が違う人と接するのだと考えればいいため距離の取り方も分かります。
そして、Sを目指して生きる人には「成功だけでなく、愛と祝福が用意されている」
それをロールモデルとして、生き証人として、RAPTさんは見せてくださっています。
RAPT×読者対談〈第104弾〉誰でも世界を変えられる。https://youtu.be/4zYsDE5XH6s
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