心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

昇段を果たした藤井聡太六段 )シュタイナーモンテッソーリも新教育には落とし穴がある

2018年02月27日 | 子育て論

天才・藤井四段も学んだ「モンテッソーリ教育」とは-集中力と自分らしさ、周囲に流されず「好きなことをとことん追求する子供」に

棋界最多の公式戦29連勝を達成した最年少棋士、藤井聡太四段(15)が幼児期に受けた「モンテッソーリ教育」に注目が集まっている。子供が成長過程で何かに興味を持ち、同じことを繰り返す「敏感期」を大切に、集中力と自分らしさを伸ばすのが特徴だ。(加納裕子)

「仕事」を通じ自分で育てる ルールは「他の人の邪魔をしない」

 「全員が藤井四段のようになるわけではありません。ただ、その子らしさは最大限に生かされます」

 日本初のモンテッソーリ教師、赤羽恵子さんが昭和54年に創立した京都市伏見区の「深草こどもの家」の園長、根岸美奈子さん(70)はそう説明する。

 モンテッソーリ教育はイタリアの女性医師、マリア・モンテッソーリ(1870~1952年)が確立した教育方法。国内では昭和40年、赤羽さんらが関わった東京の「うめだ子供の家」から全国に広がった。

 「深草こどもの家」には現在、3~6歳の44人が在籍。子供の大きさに合わせたテーブルや椅子、流し台などを備え、棚にはさまざまな教具が並ぶ。登園した子供たちは自分で教具を選び、昼食の時間まで納得のいくまで繰り返す。外で自然の中で遊ぶのも自由だ。

 教具を使った作業を「仕事」と呼ぶのも特徴の一つ。縫い刺しや切り紙、機織りなど手先を使う作業や、試験管の中で色水を混ぜ合わせる「色実験」、千個のビーズを床に並べて数えるなど、さまざまな「仕事」が用意されている。ルールは「他の人の邪魔をしない」ことだけだ。

・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

日本の横一線、詰め込み教育よりは、何気によさそうですね。

モンテッソーリを調べてみると、イタリア初の女性医師で、当時女性医師は外科業務が禁止されていたため、精神医学へ進み、知的障害者の知能テストをして、記憶力がずば抜けていることを発表して一躍有名になったという話しだったはずです。

・・・・・・・(以下転載)

マリア・モンテッソーリ(伊: Maria Montessori、1870年8月31日 - 1952年5月6日)は、イタリアの医学博士、幼児教育者、科学者、フェミニスト。モンテッソーリ教育法の開発者として知られる。イタリア初の女性医師
マルケ州キアラヴァッレに生まれた。19世紀、ローマ大学医学部に女性として初めて入学。当時は女性差別の残る時代だったため、入学後、男子学生と同室での系統解剖が許されず、別室で一人死体に向かいメスを取らざるを得ないなどの差別的処遇を受けたが、それらの逆境を乗り越え、1896年、イタリア初の女性の医学博士号を取得する。

卒業後も女性が医師になることに否定的な医学界で、なかなか職が見つからず、医学とかけ離れた状況にあったローマ大学付属の精神病院にようやく職を得た。当時の精神病院の患者たちは鉄格子に囲まれた暗い部屋に監禁され、治療らしい治療が行われない劣悪な環境下にあった。医師として絶望的と言えるこの職場で、マリアは知的障害があるとされる幼児が床に落ちたパン屑でしきりに遊ぶ姿に目を留めた。それ以降、幼児の様子を注意深く観察するうちに、何ら知的な進歩はないと見放されていた彼らが感覚的な刺激を求めることを認め、指先を動かすような玩具を次々と与え、彼らの治療を試みた。の中で彼女は、感覚を刺激することによって、知的障害児であっても知能の向上が見られるという確信を得て、他の障害児たちにも同様の教育を施したマリアが彼らに知能テストを受けさせると、彼らの知能が当時の健常児たちの知能を上回るという結果が得られ、イタリア教育界、医学界に衝撃を与えることとなった。

モンテッソーリ教育の誕生[編集]
1907年、障害児の治療教育で一通りの成果を挙げた感覚教育法を、マリアはローマの貧困家庭の子供たちに応用する機会を得る。ここにおいても知能向上で著しい結果を得、この方法をさらに追究するため、医師を辞め[1]、ローマ大学に再入学した。

再入学したローマ大学では主に哲学を学び、その後、南フランス・アヴェロンで発見された野生児の教育に着手し、彼の観察と教育を行った感覚教育の先駆者であったジャン・イタールの著書の研究を進め、知的・発達障害者教育の先駆者エドワード・セガン(en:Édouard Séguin)医師に学んだ。さらに、生理学、精神医学の研究にも没頭。のちにモンテッソーリ教育と呼ばれる独自の幼児教育法を確立する。

モンテッソーリ教育の発展[編集]
モンテッソーリ教育が確立されると、その方法は世界各国で支持されるようになり、世界各地に次々とモンテッソーリ教育を専門に行う「子供の家」 (Casa dei bambini) が設立された。モンテッソーリ教育が急速に普及していく中、マリアは教師の質の重要性を認識、教員養成コースと1929年には国際モンテッソーリ協会(通称 AMI:本部オランダアムステルダム)を開設、資格取得制度を整えた。(現在でも、国際モンテッソーリ教員養成は厳密なことで有名であり、養成を受けて教員資格を得た教師のみによる教育システムが維持されている。日本におけるAMI認可の教員養成所は、東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンター(所長:松本静子)のみである。)

イタリアのファシズムを逃れ、スペイン内戦が起こる1936年までスペインに住んだ[2]。

詳細はモンテッソーリ教育を参照のこと。

インド滞在[編集]
1938年にインドの神智学協会の会長ジョージ・アルンデール(英語版) と妻ルクミニー・デーヴィー・アルンデール(英語版)がオランダのモンテッソーリ・スクールを訪問して感銘を受け、インド政府によりインドに招待された。インドの文化センターで神智学徒たちと共に研鑽を積み、マハトマ・ガンジー、ラビンドラナート・タゴールとも交流[3]。インドで多数の講演を行い精力的に執筆し、モンテッソーリ教育の基本的で重要な概念である「宇宙的秩序」理論に基づく「宇宙的教育」(コスミック教育)を体系化した。第二次世界大戦のため10年近くインドで過ごした。[4][5]

先駆的女性とその晩年[編集]
教育者としてのみならず、マリアは一人の女性としても多くの足跡を遺している。20世紀初頭における女性の社会進出の最先鋒として男性と対等な地位を獲得したほか、私生活ではシングルマザーの先駆けともなった。一人息子マリオは幼少時、養父母に預けられたが、10代で彼女に引き取られたのちは、マリアの教育事業を手伝い、モンテッソーリ協会会長として、モンテッソーリ教育の普及に専心した。

また、マリアは晩年、世界平和と子供の尊厳を訴える運動を世界各国で展開。その功績が認められ、1950年、ノーベル平和賞の候補にもあげられている。

1946年に76歳でインドからオランダのアムステルダムに戻り、その後はインドとヨーロパで過ごした。1952年に81歳の生涯を閉じる。オランダの北海沿岸の町、ノールトヴァイク・アーン・ゼーのカトリック教会墓地に眠る。

・・・・・・・・(転載ここまで)

知的障害の子の教育がベースですね。

これを、幼児期に応用したのがモンテッソーリ教育です。

日本ではオルタナティブ教育として広がっているようです。

・・・・・・・(オルタナティブ教育)

日本におけるオルタナティブ教育[編集]
日本におけるオルタナティブ教育(代替教育)とは、学校教育法等の法的根拠を有さない非正規の教育機関とそこで実施される教育を意味する。具体的には、フリースクール、デモクラティック・スクール、サポート校、インターナショナル・スクールなどの無認可校、ホームスクーリング等をオルタナティブ教育と称する。 故に、学校教育法に定めのある一条校は、オルタナティブ教育たり得ない。また、私塾ではあっても、いわゆる学習塾/進学塾もオルタナティブ教育とは言わない。

日本のオルタナティブ教育はその中でも特に、

幼児教育及び学校教育における新しい教育思想(モンテッソーリ教育やシュタイナー教育)
不登校児童生徒の救済のためのフリースクール、サポート校、ホームスクーリング
の上記二種類を示すことが多い。

日本においては、オルタナティブ教育だけでは正規の課程の卒業資格を認定されないので、上位校への入学資格を得る事は不可能。このため、通信制や定時制等による正規課程の履修を併用したり、文部科学省による卒業資格認定試験の受験が必要になる。

21世紀現在アメリカ英語圏ではマサチューセッツ州の定義にあるように[4]、成績や素行の悪さによる落ちこぼれ、中退の危機にある(at-risk) 児童・生徒・学生(以下 便宜上「生徒」と統一する)のための学校を示すことが多い。特別支援教育校やマグネット・スクールを指す場合もあり、「特別な支援を必要とする子供に別の手を差し伸べる教育」という意味合いを持つ。また、ニューエイジ思想においては「近代教育学を超える新しい啓蒙思想に基づき、子ども達をあるがままに愛する学校」こそがオルタナティブ校だとされる。

・・・・・・・・(転載ここまで)

「近代教育学を超える新しい啓蒙思想に基づき、子ども達をあるがままに愛する学校」なんとも恐ろしい、こどもは躾してナンボだと思うのですけど、、、。こどもも放任主義にしておけば、動物と同じになってしまいますから。

オルタナティブスクールを分類するとマグネットスクールというものが存在します。

 

・・・・・・・・(マグネット・スクールとは

一般の公立校とは異なるマグネット・スクールもオルタナティブの一種ではあるが

   ・近年は「児童・生徒が通学を希望するような特別プログラムを持つ学校」をマグネット、

   ・「特別な支援を必要とする子供に手を差し伸べる学校」をオルタナティブ

 

と分ける傾向がある。そのため似通った教育内容の学校でも、

  ・障害児のインクルージョン教育やユニークな教育を売りにする学校はマグネット、

  ・障害児・不登校児・中途退学者・そのほか危機にある (at-risk) 生徒の支援を前面に押し出した学校はオルタナティブ

 

と呼ばれる。オルタナティブ・マグネットは、オルタナティブ教育(通常とは異なる授業内容や学習環境)を売りにするマグネット校である。実際には学区によって様々な名称があるため、オルタナティブとマグネットの境界は曖昧である。

・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

マグネットはオルタナティブの包括的位置づけでなく、米国では障害児向けの学校がオルタナティブスクールです。

ニューエイジ思想の主流が「インディペンデントスクール」というジャンルがオルタナティブスクールにはカテゴリーがあります。

・・・・・・・(インディペンデントスクール)

日本語の独立学校という言葉は「経営独立や障害者の独立のためという独立支援の学校という意味に取られることが多いが、インデペンデント・スクールとは、「(運営方針や財政の面で)独立している学校」を指す。

各自が自由に学習するモンテッソーリの教室

私立校の一種であるインデペンデント・スクールは、自由度が高く、他校に比べて教職員の選択や教育への取り組みに柔軟性がある。最も数の多いタイプは、モンテッソーリ・スクール、ヴァルドルフ・スクール(シュタイナー学校とも言う)、キリスト友会いわゆるクエーカー精神に則った学校(フレンズ・スクール Friends School)、の三種類である。他にも、デモクラティック・スクール (Democratic School)、ドイツ生まれで間もなくイギリスに移ったサマーヒル・スクールやイギリスのサンズ・スクール(Sands School)、アメリカのサドベリー・バレー・スクール、またクリシュナムルティ・スクール、オープン・クラスルーム指導法の学校、体験教育に基づいた学校、国際バカロレア資格やラウンドスクエアなど国際的な基準を持つカリキュラムを持つ学校などがある。大昔からインデペンデント・スクールとみなされてきた教育形態のうち、特にモンテッソーリとシュタイナーは、現在では私立のみならず州立や公立としても存在する。インデペンデント・スクールは最低でも学費の一部をカバーする奨学金制度を設けているところが多い。

・・・・・・・・(転載ここまで)

世の中でもオルタナティブ医療=代替医療(だいたいいりょう、英: alternative medicine)とは、「通常医療の代わりに用いられる医療」を指す用語で、 Medicineは医療とも医学とも訳されることがあるので、代替医学とも呼ばれるものがあります。

・・・・・・・・・・・(以下転載

代替医療は70年代前後頃始まるニューエイジムーブメントと切り離しては考えられない。西洋の知によって、東洋の知が注目を浴び、理論物理学者たちが瞑想や禅、易などの東洋思想に興味を抱き研究、著作をなしている。ニューサイエンスといい、科学を標榜しつつも、東洋思想や禅や、悟りの思想を取り入れた奇妙な学問?である。ニューエイジの分野は多岐にわたっている。瞑想、自己開発、エコロジー、神秘学、超常現象、心霊、地球外生命、体外離脱、前世体験、、、その一分野に代替医療が存在する。ニューサイエンスのブームは過ぎ去ったが、相変わらずその理屈を弄しての解釈は行われている。西洋的実証主義があまり重視しなった悟りや勘といったものが西洋の思想家に新鮮に輝いたものと思われる。西洋から見た東洋の智と、東洋から見た東洋の智には大きな温度差があるように思う。東洋の日本人が通常科学の検証を怠り、ニューサイエンスの理屈や用語を弄し、悟りとか感性などという曖昧なものに結論を導く。擬似科学に犯された治療家は有資格者、無資格者を問わず溢れている。

圧倒的多数の人々が西洋医学を求めそこで癒されていく。しかし、西洋医学で不可能なことは多くあり、不可能である科学証拠も提示される。それは絶望をもたらすものかも知れないが、患者にとって不利益なものではない。不可能に絶望し代替医療へと救いを求めるが、代替医療にも不可能なものが多く、有効か否かの検証も野放しのまま、有効症例だけが一人歩きをする。そのため、西洋医学には絶望がみなぎり、代替医療には希望が溢れるという構図が出来上がる。医療といえるレベルに達していない代替医療も数多いが、頼るひとは少なくない。もし、代替医療が与えうる利益を西洋医学の臨床に取り入れるなら、さらに治癒の可能性は広がりを見せるだろう。癒しは絶望ではなく希望によってこそ叶えられるものだ。絶望や心の隙間を埋める代替医療の特質はこの点でも学ぶ価値がある。

・・・・・・・・・(転載ここまで)

ホリスティックやニューエイジの火付け役が、内海聡や船瀬俊介です。

あくまでオカルト、神秘主義が内包された思想を元に作られた医学です。

ホメオパシー、ベジタリアン、ファスティングなどは、実践してもお金がかかるばかりで、結果がでないものばかりです。

知識が詰め込まれるだけで、結果的にはこれらを学ぶと頭の中がこんがらがるだけなので、医学に頼りすぎるのもいけないのかもしれませんが。


有名芸能人ですと俳優の斉藤工(36)がいますね。

1981年8月22日午後3時40分、東京都港区の病院にて、体重3460gで生まれ、新生児を紹介するコーナーで取り上げられている。家族は東京都渋谷区に在住し、かつて東北新社に勤務していた父親の影響で、幼少期より映画館に通うのが日常となり、映画を多く観て育った[3]。[4]小学校ではオーストリア出身の教育者・哲学者ルドルフ・シュタイナーの教育理念を実践する東京シュタイナーシューレ(現・シュタイナー学園初等部・中等部・高等部)に通っていたが、同級生も7人しかおらず変わった学校で、地元のサッカークラブに入っていたこともあり6年生の時にサッカーの強い公立中学へ進学するために地元の公立小学校に転校したという[5]。

15歳のときに自ら芸能事務所を探す活動をし、その結果「インディゴ」に所属。モデルから俳優への道を目指ようになる

・・・・・・・・・・(転載ここまで)

シュタイナー学校、マリアモンテッソーリ教育など最近、メディアに出てきていますし、一部教育関係者の間では話題になっています。

残念ながらインド、マハトマガンジー、神智学が出てきた段階で、おかしな人達とグルになっていることがばればれです。

シュタイナーやモンテッソーリが良いと思い込んでいるあなた、ブログ後半にその解説や思想のリンク先とブログを添付しておきますので目を通しておいてください。

ですから、こういった類のものは、目新しさ新鮮さがありますが、信用すると、人生が終わってしまう、破滅してしまう道に誘導されるかもしれません。

シュタイナーもモンテッソーリも、「神智学」と関わりがあるもので神智学は、かなりいかがわしい学問です。

・・・・・・・・・・(以下転載

自己啓発もスピリチャル系も悪魔崇拝

前回の対談で「スピリチャル系」と呼ばれるものが、いわゆる悪魔崇拝と大きな関わりがあるという話に少し触れましたので、今回はその「スピリチャル系」と悪魔崇拝の関係について、具体的にお話することにしました。前回の対談は以下のなります。
 
RAPT×読者対談〈第83弾〉アーシング、イヤシロチ、ヨガ……。余りに巨大な悪魔崇拝への入り口。
 
今回の対談は先ず、「20世紀の4大発見」の話から始まっています。
 
「20世紀の4大発見」とは、以下の4つだそうです。(出典はこちら
 
・ダーウィンの進化論
・アインシュタインの相対性理論
・マルクスの共産主義国家
・フロイトの潜在意識の証明
 
で、このうちのアインシュタインの「相対性理論」が真っ赤な嘘だったということは既に分かりました。例えば、以下のリンクをご参照ください。
 
RAPT×読者対談〈第71弾〉嘘と矛盾だらけの核技術。
 
で、ダーウィンの「進化論」も、今では世間一般でも真っ赤な嘘だったという話になりつつあります。
 
マルクスの「共産主義」については言うまでもありません。(若い人たちは学校で「マルクス」のこと自体、習わないみたいなので、よく分からないかも知れませんが。)
 
そして、「進化論」も「共産主義」もどちらも「神の存在」を否定するところから始まりました。
 
アインシュタインの「相対性理論」については、「神の存在」を否定するところから始まったというわけではありませんが、つい最近、この「相対性理論」が古代の文献「カタカムナ」の焼き写しであるということ、そしてこの「カタカムナ」がルシファー信仰の源流であるということが分かってきました。(詳しくは以下のリンクをご参照ください。)
 
RAPT×読者対談〈第82弾〉カタカムナこそルシファー信仰の源流である。
 
ですから、結局のところ、「相対性理論」が普及すれば、「ルシファー信仰」も普及していた可能性大です。
 
そうすると、当然、「神の存在」の否定へとつながっていたはずですが、今やこのブログで「相対性理論は嘘」とはっきりと暴きましたので、「カタカムナ」も「ルシファー信仰」も広まる危険性はかなり薄まりました。
 
で、残るはフロイトの「潜在意識」ですが、少しでもフロイトを齧ったことのある方ならお分かりの通り、フロイトの提唱した「リビドー」は余りにも悪魔的な理論です。
 
何しろ、人間の見る全ての夢が「性欲」から来ているというのですから。
 
ジークムント・フロイト – Wikipedia
 
リビドー – Wikipedia
 
こんな理屈を素直に受けいられる人は、現代にはほとんどいないでしょうし、実際にフロイトは今では多くの人たちから無視されています。
 
で、よくよく調べてみると、フロイトは「アシュケナジー」でした。つまり、偽ユダヤ人であり、悪魔崇拝者です。以下、「フロイト」のウィキペディアの記事です。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
1856年、オーストリア帝国・モラヴィアのフライベルク(Freiberg、現チェコ・プシーボル(英語版))でアシュケナジムである毛織物商人ヤーコプ・フロイト(45歳)の息子として生まれる。
 
母親はブロディ出身のアシュケナジーであるアマーリア・ナータンゾーン(1835年–1930年)で、ユダヤ法学者レブ・ナータン・ハレーヴィの子孫と伝えられている。
 
同母妹にアンナ、ローザ、ミッチー、アドルフィーネ、パウラがおり、同母弟にアレクサンダーがいる。
 
このほか、父の前妻にも2人の子がいる。モラヴィアの伝説の王Sigismundとユダヤの賢人王ソロモンにちなんで命名された。
 
そのため、生まれた時の名はジギスムント・シュローモ・フロイト (Sigismund Schlomo Freud) だが、21歳の時にSigmundと改めた。
 
----------------(転載ここまで)
 
ちなみに、今回の対談の中ではお話していませんが、巷にあふれる「夢占い」の源流はフロイトの「夢判断」にあると考えて間違いないと思います。
 
夢判断 – Wikipedia
 
で、その「夢判断」は全ての夢が「性欲」とつながっているとする怪しげな話なので、全ては全く信憑性のないデマだと考えた方がいいでしょう。
 
で、「フロイト」の後に現れたのが、その弟子である「ユング」ですが、この「ユング」もスイス人。で、スイスといえば「ロスチャイルド」ですね。(詳しくは以下のリンク子をご参照ください。)
 
世界を密かに支配するドルイド教の歴史。ドルイド教とゾロアスター教と古代エジプトと古代ギリシアと古代中国と永世中立国スイスとロスチャイルドと秦氏の奇妙なつながり。
 
しかも、ウィキペディアを見ると、「ユング」が影響を受けたとされる人物が「クラフト=エビング」「イマヌエル・カント」「ゲーテ」「アルトゥル・ショーペンハウアー」「フリードリヒ・ニーチェ」「易経」「グノーシス主義」「錬金術・ヘルメス主義」とあります。
 
「ニーチェ」といえば、ゾロアスター教の教祖を主役とした「ツァラトゥストラはこう語った」という本を書き、「神は死んだ」と言って神の存在を否定した人物です。
 
「易経」「グノーシス主義」「錬金術・ヘルメス主義」については、言うまでもありません、悪魔崇拝そのものですね。
 
特に「グノーシス主義」はそのシンボルマークが、ドルイド教と同じ「太陽十字」です。詳しくは以下のリンクをご覧ください。
 
グノーシス主義 – Wikipedia
 
「ヘルメス主義」のシンボルマークもこんな感じです。(出典はこちら
 
Caduceus.svg
 
で、この「ヘルメス主義」のウィキペディアの記事には、こんなことが書かれてありました。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
ヘルメス主義(ヘルメスしゅぎ、英: Hermeticism)とは、主として、ヘルメス・トリスメギストスという著者に仮託された古代の神秘主義的な一群の文献ヘルメス文書に基づく、哲学的・宗教的思想の総称。
 
ヘルメス文書で扱われる、占星術、錬金術、神智学、自然哲学などを含み、日本語では神秘学の名で呼ばれるような概念にも近い。
 
----------------(転載ここまで)
 
「神秘学」とは、まさに「オカルト学」のことです。以下、ウィキペディアの記事です。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
神秘学(しんぴがく)は、オカルティズムまたはオキュルティスム(仏: occultisme、英: occultism、独: Okkultismus)の日本語訳の一つである。
 
オカルト主義、隠秘学(おんひがく、いんぴがく)、玄秘学とも。Geheimwissenschaft の日本語訳でもある。
 
オカルティズムは、本来は占星術、錬金術、魔術などの実践を指し、これらを occult sciences (オカルト学)と総称することもある。
 
一般的には、オカルティズムの語は近代の西洋神秘思想、秘教的メイソンリーなどのある種の秘密結社、魔術結社などの教義、世界観、知識体系やその実践などに適用される。
 
事実上、しばしばエソテリシズム(秘教)と同じ意味に用いられる。
 
オカルティズムを諸実践・諸技法に限定し、その背景にある理論的信念体系をエソテリシズムと呼んで区別したり、エソテリシズムの下位概念とする向きもあるが、一般的には両者の意味・用法は錯綜しており、区別は曖昧である。
 
----------------(転載ここまで)
 
「ユング」が影響を受けたのが「グノーシス主義」とか「ヘルメス主義」などの悪魔教……。
 
そして、その「ユング」から現代の心理学が始まっている……。
 
これでは当然、この世の中が「うつ病患者」だらけになりますよね。
 
ちなみに「ユング」が影響を与えた人物(思想)として、ウィキペディアには「ニューエイジ」「精神分析」「ヘルマン・ヘッセ」「R・D・レイン」とあります。
 
で、「ニューエイジ」といえば、それこそ「スピリチャル系」の源流みたいなものです。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
ニューエイジ(New Age)とは、字義どおりには「新しい時代」であるが、神智学を淵源として1960年代にアメリカ合衆国西海岸を中心地とした霊(霊性・スピリチュアリティ)の進化論を唱えた思想のこと。
 
旧来の物質文明が終焉を迎え、新たな霊的文明が勃興するという「霊的革命論」をその根幹とし、ヒッピーと呼ばれた若者の間で流行した。
 
ニューエイジ思想の運動は、ニューエイジ・ムーブメント New Age movement・ニューエイジ運動、NAMという。
 
日本では精神世界の名で広まり、その後「スピリチュアル」と呼ばれるものにほぼ受けつがれた。
 
----------------(転載ここまで)
 
つまり、「スピリチャル系」のそもそもの発祥が「ユング」で、その「ユング」が「悪魔崇拝」と深く関係がある。
 
であれば、当然、「スピリチャル系」には「悪魔崇拝」の要素が数多く散りばめられているに違いありません。そして、実際にその通りです。
 
で、最近では「自己啓発」もかなり流行していますが、この「自己啓発」もまた「潜在意識」を利用して成功へと導くという思想ですよね。
 
で、この「自己啓発」のブームを起こした人物に「ジョゼフ・マーフィ」なる人物がいます。(ちなみにこの人は「マーフィの法則」とは関係ありません。)
 
ジョセフ・マーフィー – Wikipedia
 
で、この「ジョゼフ・マーフィ」は「ニューソート思想」なるものを広めた人物ですが、この「ニューソート思想」は一見するとキリスト教的な思想です。
 
それなのに、この日本で「ニューソート思想」を広めたのが、神道系の「生長の家」の教祖「谷口雅春」です。
 
要するに、「ニューソート思想」とはキリスト教っぽく見せかけた「悪魔教」というわけです。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
ニューソート(New Thought、新思考)は、19世紀アメリカ合衆国で始まったキリスト教における潮流のひとつ、一種の異端的宗教・霊性運動で、現世利益の追求を戒めるキリスト教プロテスタント系のカルヴァン主義への反発を背景として生まれ、ラルフ・ワルド・エマーソンの哲学を支えに徐々に社会に浸透した。
 
アメリカのメスメリスト(催眠治療家)・心理療法家フィニアス・クインビーやクリスチャン・サイエンスの創始者メリー・ベーカー・エディの思想を中心とする。アメリカの対抗文化の流れを汲むニューエイジの源流のひとつである。
 
ニューソートは、聖書の内容を従来とは違う立場から解釈しようとするもので、「人間の意識は宇宙と繋がっている」と考え、その根拠を聖書に求める思想が主流である。
 
「そもそも『原罪』は存在せず、あらゆる人々がキリストの力を内包している」「正統的宗教哲学は数百年間過ちを犯し続けてきた」といった主張を展開して異端視されたが、従来の禁欲的キリスト教思想に疑問を抱いていた思想家、労働者、零細農場や工場の経営者らに影響を与えた。
 
「生長の家」の創設者谷口雅春が光明思想と訳しているように、気持ちを明るく保つことによって運命が開けるというポジティブ・シンキングや、日本でも著作がベストセラーになっているイギリス出身の牧師ジョセフ・マーフィーの成功法則などもニューソートの一環であり、いわゆる成功哲学の著者の多くがこれに属する人々である。
 
心や思考の性向が健康や経済状態として表れる(思いは現実になる)という考え方は、現代の自己啓発やビジネス書の源流である。
 
禁欲を説いたカルヴァン主義への反発として19世紀に生まれた運動で、源流として、新教のカルヴァンに火刑にされた16世紀の神学者・医者・人文主義者セルヴェストス(ミシェル・セルヴェ)や、17〜8世紀の科学者・神学者・神秘家エマニュエル・スウェデンボルグを認める向きもある。
 
直接的には、フィニアス・クインビーというメスメリスト(催眠治療家)・心理療法家の治療哲学・病気観が元になっている。彼は、患者の心の在り様が病に影響しており、病気の本質は患者が持つ誤った信念であり、信念を正せば病気が治ると考えた。
 
ニューソート運動は「ポジティブ・シンキング」という言葉を通して普及し、アメリカの価値観や成功哲学や自己啓発のルーツの一つとされている。
 
マーチン・A・ラーソンはニューソートの主張を以下のように要約する。
 
・人間の心情と意識と生命は宇宙と直結している。
・あらゆる病の本質は自己意識に対する無知が原因である。
・原罪は存在せず、万人が「キリスト」の力を内包している。
・全人類に、喜びと成長と発展と幸福の機会が既に与えられている。
・人間は内なる「神」の一部を顕現すべく無限の発展を遂げつつある。
・正統的宗教哲学は数百年間過ちを犯し続けてきた。
・愛の力は神の意志の地上的表現である。
 
(註:東出融氏の言っていることと似ていますね。結局、彼の言説もまたここら辺から出ているというわけです。)
 
ニューソートの多くは説得を主な技法としたが、1893年シカゴの世界宗教会議でスワミ・ヴィヴェーカナンダが人気となってから、インドの心身訓練法もアメリカに伝わり、インド人ヨガ行者ラマチャラカを名乗り呼吸法の著作を刊行したウィリアム・ウォーカー・アトキンソン(英語版) (1862 – 1932)のように、ニューソートの中には呼吸法を取り入れたものもあった。
 
(註:ここでもまた「ヨガ」が出てきました。「ヨガ」と悪魔教の関係については「こちら」をご参照ください。)
 
----------------(転載ここまで)
 
このように「スピリチャル系」も「自己啓発」も、その源流は「ニューソート」思想にあり、その「ニューソート思想」を日本で広めたのが「生長の家」の「谷口雅春」。
 
で、「谷口雅春」といえば「ルシファー=国常立尊」を神と崇める「大本教」の出口王仁三郎の弟子だった人です。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
谷口 雅春(たにぐち まさはる、1893年11月22日 – 1985年6月17日)は、新宗教系教団・生長の家創始者(初代総裁、生長の家では「教祖」「開祖」という名称は用いられない)。
 
旧名=正治。現在の兵庫県神戸市兵庫区鵯越に生まれ、大阪市港区の大阪府立市岡中学(旧制)出身。早稲田大学文学部英文科中退。同学科には青野季吉、木村毅、坪田譲治らが在学していた。
 
(中略)
 
早稲田大学を中退して大本の専従活動家になっていた谷口は、出口王仁三郎の『霊界物語』の口述筆記を任せられたり、機関紙の編集主幹などを歴任するなど、教団内で嘱望されていたが、1922年(大正11年)の第一次大本事件を期に、浅野和三郎に従って大本から脱退。
 
浅野が旗揚げした『心霊科学研究会』で宗教・哲学的彷徨を重ねていたが、当時流行のニューソート(自己啓発)の強い影響を受け、これに『光明思想』の訳語を宛てて機関紙で紹介した。
 
1929年(昭和4年)12月13日深夜、「今起て!」との神の啓示を受けたとして、当時勤務していたヴァキューム・オイル・カンパニーを辞め、文筆活動でニューソート流の成功哲学を全世界に宣布せんとの志を立て、『生長の家』誌の執筆に着手。翌1930年(昭和5年)3月1日に、神道、仏教、キリスト教に現代科学を加味して完成したとする、『生長の家』誌1000部を自費出版。教団は、その発行日を立教記念日としている。
 
雅春は、真理の言葉の力による人類光明化運動の実現を目指し、「言葉こそ真理そのものである」として「声字(しょうじ)即実相」の真理を説き、言葉・文字を用いて「大宇宙の真理」を懸命に書き続けた。 雅春の説いた教えの根本原理は以下の2点である。
 
・人間はみな神の子であり、無限の愛、無限の知恵、無限の自由、その他あらゆる善きものに満ちた永遠不滅の生命である。
・現象界は心の現れであるから、人間の実相は神の子であるという真理を悟れば、現象世界においても幸福が現れる。
 
また、神道や仏教、キリスト教など諸宗教は、その根本においては一致しているという「万教帰一」の立場を取っている。
 
第二次世界大戦期に急速に右傾。国家主義・全体主義・皇国史観・感謝の教えを説いた。
 
こうした教えを記述した雅春の著作は、信徒間で「愛国聖典」と呼ばれた。
 
「皇軍必勝」のスローガンの下に、金属の供出運動や勤労奉仕、戦闘機を軍に献納するなど、教団を挙げて戦争に協力した。なお当時の信者には、高級軍人の家族が多くいた。
 
----------------(転載ここまで)
 
「万教帰一」とは、このように「神」と「悪魔」をごちゃ混ぜにしようとする思想です。やはり彼らは、何が何でも「神」と「悪魔」を一緒くたにしたいようです。
 
で、この「谷口雅春」は見ての通り、「国家主義・全体主義・皇国史観」の教えを説いたとのことで、完全に「天皇崇拝」の人物です。
 
一方の「大本教」は「出雲族」であり、「出雲族」はどちらかというと「天皇」をこの世の頂点とはしない思想の持ち主です。詳しくは以下の対談をご参照ください。
 
RAPT×読者対談〈第63弾〉昭和天皇が人間宣言をした本当の理由。
 
この「天皇」についての考え方の違いで、「出口王仁三郎」と「谷口雅春」が喧嘩した可能性が大ですね。
 
で、この「谷口雅春」と一緒に大本教を脱退したのが「浅野和三郎」で、この「浅野和三郎」とは以下のような人物です。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
浅野 和三郎(あさの わさぶろう、1874年(明治7年)8月 – 1937年(昭和12年)2月3日)は、日本の心霊主義運動の父。茨城県出身。筆名は浅野 馮虚(あさの ひょうきょ)、憑虚 とも。
 
1896年(明治29年)、東京帝国大学に入学、時を同じく小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)が英文学担当教師として赴任し、教えを受ける。
 
(註: ラフカディオ・ハーンもドルイド教徒です。詳しくは「こちら」)
 
1899年(明治32年)に東京帝国大学英文学科を卒業。海軍に請われて、横須賀にある海軍機関学校の英語教官に赴任する。機関学校の同僚スティーブンソンは神智学会員であった。
 
(註:「神智学」もまさに「オカルト学」のことですね。詳しくは「こちら」)
 
1915年(大正4年)の春、三男の三郎が原因不明の熱病になり、多数の医者に見せても回復せず半年を過ぎていたが、三峰山という女行者の言葉通りに快癒した事から、心霊研究に傾倒し、1916年(大正5年)海軍機関学校を退官し、当時もっとも実践的な心霊研究をしていた大本に入信。
 
教団内で有力な信者となり、論客として活躍するも、1921年(大正10年)の第一次大本事件による大弾圧の後は教団を離れ、1923年(大正12年)3月、「心霊科学研究会」を創設。伴に大本を離れた人物として宗教右派に属する政治的新興宗教生長の家創始者谷口雅春が居る。
 
1928年(昭和3年)、ロンドンで開かれた第三回国際スピリチュアリスト会議(世界神霊大会)に出席し、グロートリアン・ホールにて「近代日本における神霊主義」の演題を英語で講演する。
 
さらにロンドンで霊媒や降霊会を訪ね、パリ、ボストン等を歴訪し、心霊関連の文献を多数持ち帰る。
 
この実績をもとに、日本国内での心霊主義(スピリチュアリズム)の啓蒙活動によって、1929年(昭和4年)5月に名古屋に「中京心霊協会」が、同年7月に大阪に「大阪心霊科学協会」が、そして12月に東京に「東京心霊科学協会」が相次いで設立されて心霊研究の実行機関が各地に設置された。
 
「東京心霊科学協会」では、翌1930年(昭和5年)1月15日に設立記念の新年総会を開催して、1月17日に新事務所開きを行って、活動を展開し始めた。
 
妻の多慶子は三郎の病気が治った翌年から、霊的な能力を見せ始め、1929年(昭和4年)、次男の新樹の死をきっかけに霊言(トランス・トーク)を行うようになり、『新樹の通信』、『小桜姫物語』(ともに霊界見聞録等の内容)を収録し出版した。
 
----------------(転載ここまで)
 
見ての通り、「悪魔崇拝」に傾倒し、「悪魔崇拝」を日本に広めることに貢献した人物のようです。
 
こうして見てみると、現代の「スピリチャル系」や「自己啓発」が「悪魔崇拝」から始まっていることは明らかです。
 
なので、「スピリチャル系」をいくら信じても、何もいいことはありません。むしろ、人生がドツボにはまります。その実態については、これから詳しくお話していくつもりです。
 
で、さらにもう一つ付け加えるなら、「スピリチャル系」の先駆者の一人として「スウェーデンボルグ」なる人物がいます。
 
エマヌエル・スヴェーデンボリ – Wikipedia
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
エマーヌエル・スヴェーデンボーリ(Emanuel Swedenborg, 1688年1月29日 – 1772年3月29日)はスウェーデン王国出身の科学者・神学者・神秘主義思想家。
 
スヱデンボルグとも。しかし多くはスウェーデンボルグと表記される。
 
生きながら霊界を見て来たと言う霊的体験に基づく大量の著述で知られ、その多くが大英博物館に保管されている。スヴェーデンボリは貴族に叙された後の名。
 
(中略)
 
なお、思想体系としての現代への影響を見るなら、このスヴェーデンボリとメスメルの思想を背景として、19世紀にはスピリチュアル思想が起こり、これはブラヴァツキー夫人の霊媒論や神智学と相互に影響を授受し合いながら、現代のさまざまなオカルトや新しい宗教の源泉となった。
 
----------------(転載ここまで)
 
で、この「スウェーデンボルグ」も「霊界」についてあれこれと詳しく本に書いた人物です。
 
しかも、彼は18世紀の人でありながら、「宇宙人」についてもあれこれと詳しく書いています。
 
----------------(以下、こちらから転載) 

スウェーデンボルグは、この本の中で、月に人がいるとか、太陽系の他の星にも人が住んでいるなどと書いている。18世紀に書かれたもの。この本とほぼ同時期に、「天界と地獄」というスウェーデンボルグの書いた霊界探索記が出版されている。
 
現代人からすれば、この太陽系にすむ異星人達についての話が明らかにおかしいことがわかる。情報源が同じである同時期に出版された「天国と地獄」に書かれていた内容も同様に間違っている、信憑性がないと言わざるを得ない。なお、邦訳の書名に「霊界」と追加されているが霊界の話などではなく、実際に惑星に行ってきた話。霊界の話なので内容がトンデモでも問題ありません、という出版社、訳者の姑息な工作が感じられる。
 
近代になり科学技術が発達し、アポロ計画によって、月に人がいないことが明らかになり、スウェーデンボルグがまちがっていることがわかった。この本がなければ、スウェーデンボルグがおかしいということがわからなかった。まるで現代になってやっとわかるように仕組まれていたかのようだ。
 
アポロが月に行った1969年以降、スウェーデンボルグ、新エルサレム教会からから離れる人が続出したとか。
もし、この本が発表されていなかったら、スウェーデンボルグの書いた霊界に関することの真偽は永遠にわからないという恐ろしいことになっていた。
 
一定期間だけ人を躓かせた後、自らの教え、教義を吹き飛ばすために自ら仕掛けた時限爆弾だったのかもしれない。コンピュータが発明されなければ隠された情報が解析できなかったバイブルコード、写真技術がなければわからなかった聖骸布とは逆で、科学技術が進歩しないと嘘であることがわからないというのがおもしろい。
 
----------------(転載ここまで)
 
現代でも、「スピリチャル系」と「宇宙人」は切っても切り離せない関係にあります。
 
その走りがこの「スウェーデンボルグ」というわけです。
 
私も「スウェーデンボルグ」の本はかなり読みましたが、「霊界」についても怪しげな話が満載でしたし、しかも「宇宙人がどうたら」と大真面目に書いていましたので、途中でうんざりしてしまった経験があります。
 
彼は18世紀の人物ですから、「月」にも「火星」にも「水星」にも「木星」にも「金星」にも「土星」にも「宇宙人」がいると話しても、多くの人々を騙すことができたのでしょう。
 
しかし、さすがに現代の人たちはそんな話には騙されません。
 
「月」にも「火星」にも「水星」にも「木星」にも「金星」にも「土星」にも、生物はいないということが分かっているからです。
 
しかし、「スピリチャル系」の人々(すなわちイルミナティの連中)は、なんとしてでも「宇宙人」がいるということにしなければならない。 
そうしなければ、多くの人々を「スピリチャル系」の話で騙して、大金をぼったくることができません。「本」も「パワーストーン」も売れなくなってしまいます。 
そこで彼らが思いついたのが「ドラコニアン」「レプタリアン」「シリウス星人」「プレアデス星人」といった存在だったわけでしょう。
で、現実に、この世の一部の人々はこんなインチキな話をそのまま素直に信じ込んでいますよね。本当、笑うしかありません。 
ちなみに、以下のリンク記事には、「スウェーデンボルグ」がいかにインチキ・デタラメであり、かつ「悪魔崇拝」の根源であるという証拠が幾つも書かれてあります。興味のある方はぜひご一読ください。
 
本当は怖いスウェーデンボルグ 【スヴェーデンボリ】 – NAVER まとめ
 
また、「スウェーデンボルグ」のウィキペディアの記事には、こんなことがはっきりと書かれてありました。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
また、フリーメーソンリーの友愛組合の一つとして、スウェーデンボルグ儀礼が存在する。
 
これはスヴェーデンボリの教えを基に設立された、とされており、その組織は徒弟、職工仲間、新しい親方、光輝な神智論者、青の兄弟、赤の兄弟、の計6つの位階からなる。
 
(なお、現代のジェネラルチャーチにおいても、最高聖職者(第三位階)は赤のストールを身に着け、次点の者(第二位階)は青のストールを、それに次ぐ司祭(第一位階)は白のストールを身に着ける。)
 
1773年、マーカス・デ・ソーンによってアヴィニョンに設立され、当初は当時のフリーメーソンリーの悪評に対する権利を主張する目的を持った政治色のある組織であったが、最初の10年のうちに廃れてしまった。
 
1870年になるとこの儀礼はヘルメス主義組織として復活したが、1908年頃には次第に衰退をしていった。
 
が、1982年にこの儀礼の免状は、大英博物館の居室において、英国メーソンのデズモンド・バークによって、メーソンの作家であるミカエル・モラマルコに伝達され、彼はそれをアンティコ・リコ・ノアチタというイタリア儀礼の伝統の復古したような形に再編集した。
 
またスウェーデンにおいても、スヴェーデンボリの思想は、セーデルマンランド男爵に大きな影響を与え、彼は現地のフリーメーソンリー(Svenska Frimurare Orden)のグランドマスターとして、独自の位階制度を作り、その儀典を執筆した。
 
----------------(転載ここまで)
 
どうやらこの「スウェーデンボルグ」、フリーメーソンの中ではかなり崇められているようです。
 
また、今回の対談にも「苫米地英人」の話がちらっと出てきますが、対談者の方もかつては「苫米地英人」にてっきり騙されていたことがありました。詳しくは以下の対談をご参照ください。
 
RAPT×読者対談〈第47弾〉苫米地英人の洗脳工作。
 
ご存じの方も多いかも知れませんが、この「苫米地英人」はチベット仏教の「ダライ・ラマ」から「大阿闍梨」の称号をもらっています。
 
にもかかわらず、彼はある女性とSM行為をしているところを盗撮され、バッシングされたことがありました。詳しくはこちら 
「チベット仏教」の「大阿闍梨」がSM行為をやるなんてもっての他、という考え方自体、大きな間違いです。
 
「チベット仏教」の「大阿闍梨」だからこそ、SM行為をやるのです。やらなければならないのです。
 
なぜなら、それが「チベット仏教」の教えだからです。その証拠は以下のリンク記事をご参照ください。
 
〈閲覧注意〉チベットは悪魔崇拝の聖地です。
 
この世の多くの人びとが、「チベット仏教」は性欲などに溺れない、純潔な思想をもった宗教だと信じきっています。
 
しかし、現実はそうではありません。「チベット仏教」とは、
 
・指導者に美しい16歳の処女を捧げてセックスをさせ、その指導者の精液と女性の愛液を「菩提心」として飲む……。
 
・女性とセックスして、射精せずに歓喜を味わう……。
 
・指導者が弟子に「象徴性」を与える、つまりは性交する……。
 
このような変態的な行為が推奨されている頭のおかしな宗教なのです。(出典はこちら
 
ところが、「ダライ・ラマ」はこの事実をなんとしてでも隠蔽したかったのでしょう。
 
そのため、「苫米地英人」が淫乱な行為をして見付かったとたん、「苫米地英人」と自分は全くの無関係だと言い放ったわけです。そのため、今でも多くの人々が「ダライ・ラマ」のことを一人の巨大なスピリチャル・リーダーだと思い込み、尊敬しています。本当に「思い込み」もいいところです。
ちなみに、今回の対談の中で「神智学」から「人智学」が誕生したという話をしていますが、「神智学」と「人智学」については以下のウィキペディアの記事をそれぞれご参照ください。

 
神智学 – Wikipedia
 
人智学 – Wikipedia
 
で、「神智学運動」を行ったのが「ヘレナ・P・ブラヴァツキー」で、「人智学運動」を行ったのが「ルドルフ・シュタイナー」です。
 
ヘレナ・P・ブラヴァツキー – Wikipedia
 
ルドルフ・シュタイナー – Wikipedia
 
「ヘレナ・P・ブラヴァツキー」の名前を知らない人は多いかも知れませんが、「ルドルフ・シュタイナー」の名前は世間でも割と知られています。しかも、「シュタイナー」は世間から割と良いものとして認知されていますが、「シュタイナー」が悪魔崇拝と大きく関わりがある以上、「シュタイナー」関係のもの(例えば「シュタイナー学校」など)に関わろうとする人はくれぐれもご注意ください。大金をぼったくられた上、精神的にもおかしくなる可能性が大です。現実にそのような人も見かけましたし……。

・・・・・・・・(転載ここまで)

メディアに出てくるものは裏がありますね。

私たちは賢くなり続け、騙されないように気をつけたいものです。

 

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