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新人教育で悩んでいる方は是非参考にしてみてください)Q:何故働くのか?A:生活するためです。が通用する社会を目指して

2018年02月24日 | 目的と目標について

今回の記事は、目的と目標について書いていきたいと思います。

やる気の無い社員をどうするか?

人間を使い捨てのような考え方をしている企業が沢山あるのではないか?いえ、そのような企業ばかりだという記事があったため、転載したいと思います。

会社というのは、自分達が利益をあげるために、安い給料で社員をこき使う業務効率を最優先にした集合体です。

今回の記事では、教育と訓練が大切になってくるのですが、それを感情的にやろうとすると、今の新人世代の人には通用しないということが暗喩されています。

で、その通用しないやり方、古いやり方しかもっていないため、「本人の家庭環境や学習環境、気質や、意欲のなさを醸成した社会のあり方に問題がある」と逃げています。

現代の若者が、ネットが普及して賢くなってしまい、大企業などの使い捨て労働やサービス残業制度を見抜いているだけだと認めたくないのでしょうか?それとも気づいていないのでしょうか?

感情的な問題なのでしょうか?社会が悪いのでしょうか?結果的に問題は解決されるのでしょうか?

新人教育で悩んでいる方は是非参考にしてみてください。


人材コンサルタント関係の方が書いたコラムを転載したいと思います。

 

・・・・(「自分で勉強しない社員」を一体どうすればよいのか?」

最近「勉強しない社員」問題について、話題になることが多かったので、少し書いてみる。

 例えば最近あった事例が、あるIT業の会社での出来事だ。

新人が何名かいるけれど、そのうちの一人が極端に仕事ができない、という相談を受けた。

 「なにか手を打ったのですか」と聞くと、

「他の新人と比べて、基礎となる知識がかなり欠けていたので、彼に対して課題図書を与えて読め、と言った」

「結果は?」

「何も変わらず、全く勉強しないので困っている」

言われたその場では、その新人は「読みます」というのだが、実は全く読んでいなかった、というオチだ。

 上司は1年以上に渡って、

「会社で言われたことをやっているだけだと、マズいぞ」と言い続け、辛抱強く仕事を教え、課題を与えつづけた。

が、もちろん上司の努力だけでは限界がある。彼の伸びは遅く、圧倒的な差が同期とついてしまった。

 上司は彼に「なぜ自分で勉強しないんだ」と聞いた。すると彼は「時間がない」と返事をする。

上司は「家でいくらでも時間があるだろう」と言うと、「すみません」と彼は言うばかり。だが、行動には結びつかなかった。

 これは「本を読む」というだけのことに限らない。

結局、開発言語についても、サーバのセッティングにしても、仕事をやる上でどうしても「自分である程度勉強する」という継続学習活動は必要になる。

上の会社では、彼があまりにも使いものにならないので、今は結局、技術のことはやらせず、雑用ばかりやらせている。

そうすると、ますます他の人との差がつく。 

「一旦採用した以上は、彼の将来については責任を感じる」と経営者は言う。

また、実際にリーダーも「なんとか彼を一人前にしたい」と努力しているが、むしろ本人が「もうついていけません。辞めたいです」と、ギブアップ気味のようだ。

「言われたことをやらない、勉強しない」では、我々もどうしようもない、とリーダーたちは言う。

 技術の変化が遅い時代であれば、「会社が5年、10年かけて育成する」という余裕があったが、今はそうも言っていられないのが、現場の実情だろう。

そして、その変化について来れない社員が、一定数、どこの会社にも存在している。

 以前、別の会社でも同じような事態があった。

「なんで自分自身で勉強できないのか、理由を聞いてもらえませんか」という依頼を受けたので、「勉強しない社員」と目されている方と面談をした。

本人には「会社内部ではいいづらいかもしれないから、外部の人に話を聞いてもらえ」と伝えているとのこと。

 私は会社の外で、彼に会った。

「仕事に必要な勉強ができない、と聞きました。」

「やろうとはしているんですが……、家では、疲れて何もできないんです……。」

 「疲れているんですか。」

「勉強しないといけないことはわかっています。わかってますが、できないんです。」

 「そうですか。」

「多分、私にこの仕事は合っていないんです。もともとやりたいことでもなかったですし……。」

 「やりたいことではなかった。」

「ええ。」

 「入社して、後悔している?」

「……。」

 「転職を考えているのですか?」

「すこし。」

 「どんな仕事なら、できそうですか?」

「……わかりません。」

 私は考え込んでしまった。

そもそも、本人の能力を超える要求をする、企業が悪いのだろうか?

それとも、本人が努力できない(しない)のが悪いのだろうか?

 仮にどちらかが悪いとして、彼がこの会社を辞め、環境が変われば、彼は活き活きと働けるようになるのだろうか?

 若干の疑問が残る。

もしかしたら、彼は他の会社に行ったとしても、同じような状況を引き起こすかもしれない。

 というのも、「学習意欲」にかかる問題は、会社のみならず、家庭や学校、社会全体においても非常に大きな問題となっており、未だに解決を見ていないからだ。

 教育学者の苅谷剛彦氏は、著書「学力と階層」において、「学習意欲」の家庭環境や出自階層との密接な関連を指摘し、これに係る問題を「難問(アポリア)」と呼ぶ。

すでに別のところで明らかにしたように、個人の学習能力には明確な差異がある。

しかもその差異は、子どもが生まれ育つ家庭の環境や階層と密接に結びついている(本書の1章を参照)。「自ら学ぶ」力の測定は難しいが、学ぼうとする意欲や、自分から調べようとする学習態度などの面では、明らかに階層差が存在する。

(中略)

同じような学習資源に囲まれていても、初期の学習能力の差が、学習の成果においても、学習能力のさらなる向上においても、差を作り続け、拡大していく可能性がある。

この格差は、学校教育のあとで、さらにどのような学習機会が準備されるかと関係しながら、拡大を遂げるだろう。

学習資源も豊富なハイスキルの仕事の機会を得るための選抜が、学校時代の学習能力の差に基づいて行われるようになれば、仕事の機会という学習機会の差が、その後の人的資本形成に決定的な影響を及ぼすようになる。

 フリーターの増加が問題になるのは、まさにこうした文脈においてである。それというのも、彼ら彼女たちはより高度な知識や技能を獲得する機会を奪われているだけではなく、学習機会から遠ざけられることで、そもそも持っていた学習能力(学ぶ力)を枯渇させてしまう境遇に置かれているからだ。

 このように初期の段階での学習能力の差が、家庭環境などの影響を強く受けていることを考慮に入れると、選択主体・自己責任主体の形成の問題と重ね合わせて、人的資本主義の新段階が新たな格差を生み出す構図が浮かび上がってくる。

学習能力を磨き続ける者と枯渇させる者の格差であり、磨き続ける者には与えられ続ける、より豊富な学習機会が広げる格差である。前述の市場化がもたらす「選択」原理の広まりは、こうした格差も、個人の問題に還元する見方を受け入れる基盤を作り出していくだろう。

「学習意欲」のない新人には、前述した会社において「雑用」をやらせざるを得ないという状況におかれていた。

するとますます彼の「高度なスキルを身につけるチャンス」は失われ、彼の将来は暗いものになる可能性が高い。

 だが、一方で残念ながら「教育の専門家」にすら難しい「学習意欲」に係る問題を、現場のマネジャーや経営者が効果的に解決できる可能性も低い。

 そう考えていたところ、SNSのタイムラインでこの記事を見た。

シェアハウスを解散するにあたってのエントリ

「地方に残っている人」と「わざわざ住みに来る人」の中で高等遊民的な人の割合が少なそうであることもわかっていて、どんなタイプの人もなるべく受け入れるようにしていたのですが、世界でもかなり安い方だと思われる毎月1万そこそこの家賃が支払えず何ヶ月も滞納する人が何人もいたのは想定外でした。

それでも勉強会を開いて自分なりに育成もしたのですが、このライフスタイルも適正がありますし、そもそも向上心あふれる人や勉強熱心な人だったら1万円の家賃も払えないような貧困層になってないですよね。

向上心溢れる人、勉強熱心な人は1万円の家賃も払えないような貧困層にはならない。そういう認識を、我々はごく自然に「そうだよな」と思ってしまう。

 だが、「意欲」こそが本質であり、「意欲」こそが高い能力の源泉であるとすれば、我々は「意欲の格差」を無視することはできない。

 「意欲」に関する問題は、会社や学校で摩擦を生みやすい。

意欲を持つ人は、意欲を持たない人の気持ちがわからないし、逆も真だからだ。

 ということは、「意欲」の問題を、個人や個々の会社の問題にせず、社会全体で取り組む問題とすること。

そして、特効薬の存在していない問題だという認識を皆が持つことは、結構重要な事なのだ、と今更ながらに思うのである。

・・・・・・・(転載ここまで)

安達 裕哉(あだち ゆうや)
ティネクト代表取締役


1975年東京都生まれ。Deloitteにて12年間コンサルティングに従事 。大企業、中小企業あわせて1000社以上に訪問し、8000人以上の ビジネスパーソンとともに仕事をする。現在は仕事、マネジメントに関する メディア『Books&Apps』を運営する一方で、企業の現場でコンサル ティング活動を行う

という方が書いている記事に目を通しました。

この紹介文だけでは何をしている人なのかわかりません。

この人が言いたいのは

「 教育学者の苅谷剛彦氏は、著書「学力と階層」において、「学習意欲」の家庭環境や出自階層との密接な関連を指摘し、これに係る問題を「難問(アポリア)」と呼ぶ。」

という家柄や家庭環境が問題になると間接的に言っています。

そして

だが、「意欲」こそが本質であり、「意欲」こそが高い能力の源泉であるとすれば、我々は「意欲の格差」を無視することはできない。

 「意欲」に関する問題は、会社や学校で摩擦を生みやすい。

意欲を持つ人は、意欲を持たない人の気持ちがわからないし、逆も真だからだ。

 ということは、「意欲」の問題を、個人や個々の会社の問題にせず、社会全体で取り組む問題とすること。

そして、特効薬の存在していない問題だという認識を皆が持つことは、結構重要な事なのだ、と今更ながらに思うのである。」

と締めている。

 

意欲とは?調べると

「積極的に行おうとする心。」

でした。

積極的に自らが興味を持って、行うには動機が必要です。

動機には「行動して得られる結果が、自分にとって価値がある」と信じ込ませることしかありません。

つまり、著者が引用した文献から、そして著者の言いたいことは

「家庭環境で、学校環境での、洗脳が足りない」

といっているだけですね。

それを、小難しい言葉で

「意欲」の問題を、個人や個々の会社の問題にせず、社会全体で取り組む問題とすること。

そして、特効薬の存在していない問題だという認識を皆が持つことは、結構重要な事なのだ、と今更ながらに思うのである。」

とぼかしているだけです。

「勤務時間外に仕事の勉強をする、サービス残業をすることが人生を豊かにするのだ」

と洗脳することですね。

「なんでも仕事があればいいや。出世できなくても、時間通りに終わって、生活できるだけの給料が手に入ればいいや!」

では会社としては困ります。

会社は労働力をぎりぎりまで搾取したいのです。

一人で二人分働く、仕事バカが欲しいのです。

変な正義感や責任感により、自宅にまで仕事を持ち帰るような

単純なバカ=社畜が欲しいということがお分かりでしょうか?

 で、このコンサルタントの安達さんの経営するティネクト

人材で失敗したくない企業のための不適性検査TM
新卒採用・中途採用の両方に対応、定着しない、成長しない、頑張らない人材を見分ける業界唯一の不適性検査

適性検査なら不適性検査スカウター

という情報商材を売りつけているだけです。

紹介業の片割れみたいなもので、ビジネススーツを着たITやくざそのものですね(汗

 

私が以前勤務していた企業は、あの有名な京セラフィロソフィーを第一にしていた会社だったので

「人生の目的は魂を磨く修行の場所である。

 魂を磨く、心を磨くには、仕事に一生懸命取り組むしかない。

人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

である」

と考えている会社でした。

人生の目的は魂を磨く、、、魂を磨いてどうなるのさ?という感じですね。

「京セラフィロソフィーは仕事を通じて成長し、幸せな人生を送ってくださいね」という話です。

何処かで聞いたことがあります。

ワタミの社長が言ってましたね。

「給料のために仕事するな!成長するために仕事しろ!」と。

成長とな何でしょうか?

彼らの成長とは、仕事人間になり、何十時間でも残業をし、仕事で結果を出せること、24時間365日会社の要求に応えられること、会社のことばかり考えること=社畜になること

こそが、人間としての成長であり人生の目的、高い幸福を手に入れることなのでしょう。

私たち人間は、

金儲け企業のために、いやいやでも自分の貴重な時間を提供して喜んで働くために

生まれてきたのでしょうか?

人間はそれぞれ個性を持って生まれてきます。

それぞれ、得手不得手がありますが、みんな違うから良いのです。

なのに、会社の考える「幸せのかたちに従え!」というのは、

給料という生活費をちらつかせているだけで、

中身はカルト宗教以下ではありませんか?

私たちは、

生活費を稼ぐために企業で働く

この一点だけです。

別に、生きがいを仕事に求めても仕方ありません。

語弊があるかもしれませんが、

①仕事のために働く

②会社のために働く

③生活のために働く

のでは違います。

多くのサラリーマンは「②会社のために働く③生活のために働く」を選択しています。

「①仕事のために働く」人は、いずれ独立開業してしまうでしょう。

起業する人というのは、会社のために働いていません。

その仕事が好きで働いている、その業界が好きで働いているため、いずれ、会社が窮屈になり

辞めて独立するのです。

就職して、自分が夢中になれる仕事に出会える人は10%もいないでしょう。

大学を卒業するまで親の庇護の元生きてきた人間には、自分が本当に何をしたいのか?

何に向いているのか?

ではなく、「同級生から、両親から、社会からどのような仕事、企業に就職したら一目置かれるだろうか?」

しか意識していません。

それは以前も書いていますが、

「人生の目的がない」

からであり、

「人生の目的を誰にも教えてもらってきていない」

からなのです。

ですから、目的が無い人は

「仕事は生活費を稼ぐためだけのもの」

ぐらいしか残っていません。

「仕事をがんばって、結果を出して、出世して偉くなる」

なんて気持ちはさらっさらありません。

「自分の貴重な人生の時間を会社のために使いたくない」

と悟っているのです。ある意味、本当に賢いのです。

ですから、彼らにはきっちり分業して役割を明確にしてあげることで

意欲もあがるし、結果も出せるようになるのです。

つまりは、「9時間拘束の8時間、長時間パートを雇っている」

という感覚です。

「情に訴える古いやり方は通用しない」

ということがお分かりでしょうか?


ここからは人生の目的について書いていきます。


人生の目的は「幸せに生きること」です。

その目的を達成するための手段として

・生活するためのお金を稼ぐ必要がある

だけなのです。

以下のような

・医者弁護士になること、公務員になること

・結婚すること

・子どもを持つこと

・一戸建てに住むこと

・高級車に乗ること

・ブランド品を身につけること

・会社で出世すること、偉くなること

・起業して大金を稼ぐこと、有名になること

で得られる幸福感は長続きしません。

むしろ、それらを手に入れても必死に守ることばかり考えて、どれだけあっても足りないと感じたり

周囲と比較して劣っていると劣等感を覚え

かえって終わりの無い不安と恐怖にさいなまれます。

では幸せとなどういうことなのでしょうか?

「毎日喜びがあり、感謝感激があること」「落ち込まないこと」

いわゆる、心の状態であるといえます。

つまり、「他人からどう思われているか?」ではないのです。

自分勝手に生きるのではありません。

普通の人なら絶望するような不幸な経験をしても、「実際に喜びにと感謝に溢れている人」「落ち込まない人」

でいられるか?ではないでしょうか?

極端な話、

・医者弁護士になること、公務員になること

・結婚すること

・子どもを持つこと

・一戸建てに住むこと

・高級車に乗ること

・ブランド品を身につけること

・会社で出世すること、偉くなること

・起業して大金を稼ぐこと、有名になること

が明日、奪われても、落ち込むことなく、昨日と同じように生きられる状態でいるでしょうか?という話です。


ですから、意欲のない若手社員は、会社の出世や名誉は最初から捨てているので、ある意味人生の目的を理解しているのかもしれませんね。


 

 

 

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