「神の存在を知らずに生きている人」は、野良猫のような人生を生きている人だと、以前の記事で書きました。
RAPTブログ有料記事では、「人間は、自分たちの創ってくれた神様と一緒に生きた方が幸せになれる」と何度も解説されています。
とてもシンプルなのですが、「人間が幸せになる方法」は
「神を愛して生きること」
に集約されています。
仕事や学校などで人間関係の問題が生じます。
人生において一番の問題は人間関係だと思います。
日本の学校教育では「人間関係をうまくやりなさい」と言われます
これは大切なことですが、「良い人間になりなさい」という教育はされません。
そして「実力をつけなさい」とも教えてもらえません。
「人間を頼って生きなさい」
と教育されるのです。
しかし、人間を頼って生きて、最後まで上手くいくのでしょうか?
上手くいくはずありません。
なぜなら、「人間は1日に何百回、何千回と気が変わるから」です。
事故や怪我、病気、仕事の失敗が続くなどといった、不確定なことがおこれば、どのような人間でも同じように心変わりするです。
全ての人が最終的に「損か得か?」「快か不快か?」という結果に左右され、人生を右往左往して生きているのですから、最後まで人間に頼ることはできません。
私自身、信仰を持つ前は
「成功したい!」
「不労所得で楽して生活したい」
「好きな事だけして食べていきたい」
という思いがありました。
実はこの考えは今でもあります。
しかし、自分の願望の中の優先順位で上位には入ってきません。
以前の私は陰謀論をかじって、「一部の資本家が庶民から搾取するシステムを作った。そこから抜け出すためには、金持ちになるしかない。だから事業を成功させ、早期リタイヤ、ラットレースから抜け出したい」という野心を持っていました。
会社という組織で働くことが性に合わないと感じていたからです。
「儲かるから」という理由だけで、国家資格を生かし、訪問看護ステーションを立ち上げようと準備することにしました。
実際、経営者になりたいと野心を持ち「修行を兼ねて」訪問看護ステーションに数年勤務しましたが、ただただ、在宅医療に矛盾を感じるだけでした。
自宅という住み慣れた環境で生活しているのでなく、医療費削減のために、病人の世話を家族に丸投げしている
現代医療から見放された人たちが、ただ死を待つだけの、先延ばしをしているだけに過ぎないことが分かりました。
訪問看護による一時的な安心感などは提供できます。しかし患者・家族に「本物の安らかさや安堵感」はなく、迫りくる介護不安や死への不安しか伝わってこなかったのです。
訪問看護という仕事を通じて、
要するに「問題の先延ばしのお手伝いをしていた」という感覚に襲われたのです。
ですから「目の前の利用者や家族に感謝されること」に矛盾を感じ、医療や看護が、慈善事業でもなんでもないと思い始めました。
(野良猫のような生き方)
続きです
また、訪問看護ステーション経営は、営業して仕事をとってきて、社員に給料を払うことも大切ですが、
それ以上に人材集め、人材育成をして次のリーダーを作っていくことも大切です。
看護師は一人親方のような特性があるため、人材育成は困難です。
「自分は正しい」という自尊心の塊であるため、言う事を聞かないのです。
「仕事の成果が出せればいいんでしょ?」
となるし、損得勘定で動くため、利害関係が絡まない限り、お互いが協力しません。
「自分には労務、人事管理はできない、」「訪問看護ステーション管理者はプレイングマネージャーだから、24時間仕事をしないといけない」
「ましてや好きでもないことを、一生続けることは不可能だ」
そう感じ、訪問看護ステーション経営を簡単にあきらめてしまいました。
「では自分の個性才能とは?」
「自分の好きな事は?」
と突き詰めていったとき、ある1つの答えが出ました。
私が大好きなのは「陰謀論」「RAPT理論」だったのです。
なぜRAPT理論が好きになったのか?というと
「世の中の本当の仕組みを知りたかった。
人生の答えを分かりたかった、知りたかった」という知的探求心が人一倍強かったためです。
そして、親のような、「ただ目の前だけを見て生きる」といった生き方が、とても詰まらなく思え、嫌だったからだと思います。
「たった1度の人生、どうせだったら最高の人生にしたい。」
「見た目も性格も、生い立ちも違う人たちが集まってできている人間社会で
どうやって生きれば人それぞれ
”人間として生まれてきてよかった”
と思えるのだろうか?」
という答えを探していたからでした。
「考える事」「疑問に思う事」が好きだったのです。
ただ、RAPT理論、RAPTブログに出会うまで「考えても答えが出ない」時間が長かったため、考えることを半ば放棄して、「人間は起業して成功して金に不自由なく生活することが幸せなんだ」
と諦めていたのです。
私は実際に起業して成功をして高い社会地位や所得を手に入れたわけでもありません。
しかし、RAPTブログの著者であり、RAPT理論の生みの親であるRAPTさんの生きざまをみて、
「これが人生の答えなのだな」と腑に落ちました。
そのために、今までの人生で培ってきた知識経験を全て使って、RAPT理論を拡げることが、私の好きな事、個性才能なのかな?と思っているのです。
まだ、個性才能に磨きがかかっていないため、「食べていけるところまで行っていない」
ですが、これからも希望を持って、「RAPT理論を通した正しい考え」を拡げて行きたいと思っています。
「成長なくして成功なし」という有料記事の御言葉があるように、地道に成長を重ねていけば、その先に答えや抜け道が見えて来るのだろうと夢を持って日々の積み重ねをしています。
RAPT有料記事425(2019年12月2日)どんなにこの世で成功したとしても、サタンに勝利できなければ必ず衰退の時を迎える。サタンに勝利できるように自分を鍛錬してこそ、永遠の成功を手にすることができる。
RAPT有料記事460(2020年4月20日)主を愛して生きる道には正解があるが、自分の利得のために生きる道には正解がない。そして、正解のある道こそが真理であり、その道を行ってこそ永遠の成功を手にすることができる。
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