佐田城(さたじょう)
城主;初代=佐田左兵衛少将具郷(北畠教具の三男)
二代=佐田治部少輔具英
三代=佐田丹後守忠英
四代=佐田丹後守定勝
築城時期;文明年中
住所;三重県明和町佐田
経緯;天正四年十一月二十五日主君北畠具教の変を知り忠英は三瀬の御所に馳せ参じ、
自害して果てた。
更に具教の弟・具親が再興の旗揚げをした時、定勝も之に加わり戦ったが敗退し、
毛利氏を頼って中国に逃れ遂に佐田城は亡んだ。
遺構;城があったと推定される処は良田となり何も残っていない。
地図;https://mapsengine.google.com/map/edit?mid=zMB0lt7eZPVw.kfXn7gkwAAkU
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