三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

天花寺城

2017-08-07 23:22:16 | 松阪の城

天花寺城

てんげじじょう

城主;薗大納言(薗の御所・平安時代)

   久我三郎(鎌倉時代、12世紀)

   久我修理太夫━久我主計介(かずえのすけ)(天花寺氏に改称)

   天花寺広高、天花寺新左衛門

住所;松阪市嬉野天花寺町堀田

遺構;曲輪、土塁、堀切、空堀

位置づけ;伊勢平野の中央を流れる雲出川の支流・中村川の入口で平野部

    に突き出た台地で睨みを効かす絶好の位置にある。西からの尾根を切る

    空堀は大規模である。

経緯;父、久我修理太夫は堀之内城主・舟木光俊を攻めたが失敗し自殺す

    る。以後堀之内が薗の御所と呼ばれることになる。

  修理太夫の子・主計介は曽原城主も兼ね姓を天花寺に改称し北畠氏に

    仕える。後、天花寺広高も居城とある。

  他説①;正平年間(1346-1370)天花寺蔵人が居城し、応安3年伊賀・春

    日部高宗に従い近江を攻め功績により曽原城を与えられる。

  他説②;永禄年間(1558-1570)天花寺小次郎がおり、信長軍を拒み続

    けて3か年にわたって城を守ったが元亀2年小次郎は討死して廃城した。

    書籍「三重の山城ベスト50を歩く」では織田信長が伊勢侵攻の時籠城

    戦の舞台であった、その様子も確認できたと記述されている。

感想;古く7世紀、8世紀からこの地は天花寺として崇められてきた。今未来

  に向かって天花寺は更に営々と歴史を刻んでいくのだろうと想う。

  ここより南西400mの所に支城の天花寺南城がある。

地図;


 平成26年12月20日 天花寺南城は本城の南端の堀切であると解釈した。誤りとして訂正する。

 

 

  

 



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