鱗尾城(ひろおじょう)
城主;智積寺三郎左衛門尉(大河内家与力)
築城時期;天文年間か
別名;智積寺城、智積城
住所;三重県明和町平尾字志田
経緯;弘治元年十二月、飯高郡の豊田五郎右衛門尉と多気郡の野呂三郎は数百人
を動員して徳政一揆をおこした。一揆団は斎宮城と城主が留守のところを奪っ
た鱗尾城で智積寺氏の妻子を人質に立てこもり対抗する。北畠材親は船江城
主・本田美作守に討伐を命じ、その家臣中西清右衛門尉と高崎次郎左衛門尉
に討たせた。
感想;城主智積寺氏の妻子は無事だったのだろうか。平尾の村落の西南200m辺り
で県道沿いはこの辺ではなかろうか。志田山は開墾され平坦地となり緑いっぱ
いである。
地図;https://mapsengine.google.com/map/edit?mid=zMB0lt7eZPVw.kfXn7gkwAAkU
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