いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

NHKスポーツ大陸で荒川静香さんを取り上げた番組を観てください

2010-01-06 18:53:19 | 神の化身・神の分身のヒト
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z

○世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)を部屋の構造に見立てて祈る 2009-12-31 23:49:06
 一般法則論の世界観の図解の理解の為にこの文も参照してください。  


○NHK総合で今夜放送される「スポーツ大陸」で荒川静香をさん取り上げた番組を観てください
 今夜、一月七日の午前零時十分から放送の「スポーツ大陸」で、荒川静香さんがトリノ・オリンピックで、日本選手の中では唯一の金メダルを取るまでの過程を記録した番組を、是非観てください。

○夢を叶えるのは単に夢見る以上のことが必要だと分かります
 「夢を叶える」という過程では、何が必要で、何をしなければならないかを、荒川静香さんの例はよく教えてくれます。
 また、身贔屓の不公平な判定が行われないように、技術点中心にビデオを使って判定することになった中で、観客に感動を与える演技をする選択をあえてした荒川静香さんの、金メダルをもたらした、何度観ても感動する実際の映像を楽しんでほしい、と思います。

 私は、今夜の分を見れば、三回目になります。

 「スポーツ大陸」と言う番組は、成功術のノウハウが詰まっている番組だ、と私は理解していますので、よく観ます。
 世の中には、ゼロから始めて三年で、目の肥えた観客が居る世界でプロ・デビューするような物凄い猛者もいますが・・・。

 取り急ぎまして・・・。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

大江健三郎氏のお話から  文の推敲は枝葉末節事になることも・・・

2010-01-06 11:25:49 | 一口解説/一口メモ
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


○筆者の意図を述べたこのブログの最初の文 2004年10月下旬に始まる文を読んで下さい 附 一般法則論を説明する専門用語
 一般法則論は、私たちが生きているこの世界の成り立ちと仕組みを、Ω神=創造主である神(とその天地創造の目的)、自然法則、エネルギーの3語で客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に説明し尽くすことを意図する文/論文です。
 このために、Ω神=創造主である神(とその天地創造の目的)+自然法則+エネルギーの3語とこれから論理必然的に派生して出て来る用語など、必要最小限の術語/一般法則論の考え方を説明する「専門用語」を「例えば~」という形の実例で定義をしながら使っています。
 何かについて、理論的に首尾一貫した説明するときには、日常言葉だけでは不便で、自動的かつ必然的にこのために客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に定義された専門用語/専門の術語が発明され/作られます。

 なお、一般法則論を説明するための術語を、あなたの好みの自分語に置き換えて作ることも出来ます。
 その物を指す「正しい名前」/「正しい言葉」/「正しい言語」は、原理的に無いからです。
 一般法則論は、日本語でしか説明が出来ないものではありません。英語や、中国語という言語は無いので、例えば北京官語にも翻訳できます。
 これは、「一般意味論」を学んだヒトの常識です。
 そこで、国語で言う「イヌ」を英語では「dog」と言えるわけです。
 但し、一般法則論を説明するために筆者が考えて造った専門語を、あなたの「自分言葉」に取り替えることは、実用的にはしない方が良いでしょう。
 ヒトを表す名前は私の姓名以外にはあってはならず、他人に、この私を表す姓名以外の、私が知らない独自の固有の個人的/主観的な姓名を誰かの為に勝手に付けられては、私には理解出来ないからそれを認めず許さない、など式のことを言い張ってはいけません。
 自分は他の誰でも無い独自の存在であり、自分独自の世界を築くために、何を表現するのでも自分独自の言葉を発明する式のつもりで、
例えば、「電気回路は、抵抗器、コンデンサ、コイル、以上の三つを組み合わせて作ることが出来る機能素子で全て出来ている」(電気回路、抵抗器、コンデンサ、コイル、機能素子は、それぞれ専門用語)という文を、全部自分独自の用語に置き換えてしまうと、後で他人と電気回路に関して情報交換が出来なくなります。
 このようなことを、自覚的な知識にしておられない方々がいますので、念のために説明しました。 
  2009年12月31日追加


 以下が本文。

○作家大江健三郎氏の推敲の痕のある生原稿
 今日、新年一月五日のNHKの番組「スタジオ・パークでこんにちは」に作家歴五十年余りの大江健三郎氏が出演されました。
 この中で、大江健三郎氏の手書きの生原稿が登場しました。
 それは、原稿の最初の文に付け加えられた推敲の痕や別の紙を貼り付けて最初の文を書き換えた所があるものでした。
 大江氏によると、推敲は、一つの文を書く時間全体の3/4を占めるそうです。
 ただ、最初の文を書いてからどの位の間隔を置いてから推敲するのかに関する話はありませんでした。
 大江氏に話を聞いた山本アナウンサーが、この点に関するご自身の体験がたぶん無いので、大江氏にこのことを訊くことが出来なかったのでしょう。
 一般的に言えば、最初の文を書いてから、少なくとも翌日まではそのままにして置いてから初めて読み直して推敲するのが良い、と言われていますね。
 この一般法則論の文でもこうしています。但し、誤記、誤字、脱字、不適切な表現等の訂正はこの限りにあらずです。
 今、一つ、最初の文を書いてから、これを忘れてしまうくらい放っておいて、初めて推敲する、というやり方もよく知られています。
 一般法則論の文でも、書いたままで放ってある文が幾つもあります。

○同じ本を繰返して読む習慣
 大江氏は、本を読むときには、その中身を正確に読むことを常に心がけておられるそうです。
 この目的で、同じ本を繰り返して読む、それも、そのたびごとに心をその本に集中して読むことを習慣にしている、と言っておられました。そこで、お酒を飲んだときには、本を読まないそうです。
 また、再読する場合、前にメモをとっておいた場所だけでなく、必ずその本全体を読み直すことにしておられるそうです。

○大江氏の読書習慣の起源
 本は正確に読むことと、同じ本を繰返して読む。
 この習慣は、健三郎少年が、公民館にある二百冊の本を全部読んだとお母さんにお話ししたら、公民館に連れていかれて、お母さんが本棚から取り出した本の内容についてお母さんから訊かれたときに、夏目漱石の「坊ちゃん」については答えられたけれども、「心」については答えられず、読んだ本の内容を答えられないのではその本を読んだことにはならないとお母さんに諭された体験に基づいているそうです。

○読んだ本の最初の印象/理解を記した文は大切  余談
 インターネットのブログに、自分の読んだばかりの本で知ったことや学んだことを記録したものを載せているものがあります。
 これは、私個人の体験でも、とても大切だ、と理解しています。
 同じ本を後で読み直したときに、先の自分の理解の適否や真偽を検証できるからです。
 言い換えると、これによって、本の内容を正確に読む自分の読書能力が分かるからです。
 また、最初に読んだときから何年もたって読むと、その本から学んで実際に身に着けたものが何かの確認にもなります。
 更に、最初に読んだときから何年もたって読むと、新しい視点で同じ同じ本を読んで、別の評価が出来るようになります。

○歩みだす方向や目的/目標の選択間違いや戦略的失敗は戦術では修正できない
 話が変わります。
 計画術で有名な格言は、「戦略的な間違いや失敗は戦術では修正できない」というものがあります。
 何かをする計画やこれを実行する方針が間違っていれば、その計画をどんなに正確に忠実に実行しても狙った目標は達成できない、というわけです。

○計画術の前提になる世界観・人間観・人生観・歴史観等が大切
 また、そもそも、計画術の前提になる、以下のようなことが問題です。
 第一に、達成目標、実現目標、実現目的や歩き出す方向が根本的に間違っていたら、何も有意義なことを達成できません。
 第二に、目標を達成するには、それが何であれ、それをする正しい手段・方法や更にそれを上手に達成することが必要であることを知らずに、何でも力ずくでやろうと考えていたら、事はうまく実現できません。
 第三に、自分が持つ世界観や人間観や人生観や歴史観等が間違っていては、人迷惑この上もありません。

○世界観とは何か
 世界観とは、一般法則論でも言う、この世界の成り立ちと仕組みはどう出来ているのか、ということに関する自分の認識と理解に基いた自分自身の答えのことです。

一般法則論では、この世界の成り立ちと仕組みは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)でできていると言い、これは、Ω神=創造主である神(とその天地創造の目的)+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで全て説明できると言い切っています。

○人間観とは何か
 人間観とは、一般法則論でも言う、「人とは何か 人は何処から来たのか 人は何処へ向かうのか」ということに関して、自分はどう認識し理解しているのかに関する自分自身の答えのことです。

 一般法則論では、全てのヒトは、この世界の成り立ちと仕組みの唯一・絶対・普遍の存在のΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトであり、自らの生き方を主体的に自由に選んだとおりに生きる能力を生得的に備えた「意識のある心を持つΩ神」だと理解しています。

○人生観とは何か
 人生観とは、一般法則論でも言う「ヒトはどう生きたら、良く生き、幸せになれるのか」という「ヒトの生き方の原理」に関する自分の認識と理解に基いた自分の答えのことです。

 一般法則論では、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトとして生まれ、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトの自覚を持って、Ω神の定めた「ヒトの生き方の原理」に則って、世界Ⅰ/この世界の成り立ちと仕組みが世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)で出来ていることを筆者の家の六畳の仏間の構造に見立てた話の中では、世界ⅠのΩ神の世界に見立てた、仏間に接する廊下にΩ神と一緒に立つ形で、Ω神と常に共にあって、常に世界Ⅰ/廊下に立って世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)=仏間全体を視野に入れ、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)全体を丸ごと認識し活用する形で、自覚的に意図的に生きるのが、ヒトの生き方だと言います。

○歴史観とは何か 
 歴史とは、一般法則論でも言う、自然史と人類史のことです。
 更に、Ω神の天地創造の目的に照らして、これまでの人類史を評価するのが、一般法則論的な歴史「観」になります。
 もし、これらが曖昧だったり、根本的に間違っていたら、何を言っても、何をしても無駄と言うものです。

○歴史を歴史の中身の一部である犯罪事件の捜査をモデルに考える
 歴史全体は、犯罪事件の捜査をモデルに考えることができます。
 そもそも、犯罪事件は、人類史の一部です。
 全ての犯罪事件は、既に過去に行われて、それが如何なるもので在るかは、今現在を基準にして観ると、既に、原理的には、全てのヒトに絶対的に等しく、客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に終わり、その何たるかも確定しています。→哲学的思考の大前提
 この世界の成り立ちと仕組みがこうであって初めて、科学的な手段・方法に基いた客観的な犯罪捜査が、原理的に可能になるわけです。
 もし、犯罪事実が、犯罪捜査に当たる人たちの主観的な偏見や判断や願望や予断等を基礎に決まることになっていたら、犯人と犯罪行為が、犯罪捜査に係わる人たちによって、勝手に好きなようにでっち上げられることになってしまいます。実際、特に旧ソ連圏ではこれが当たり前だったようですが・・・。
 ましてや、犯罪捜査は、「在るべき犯人」や、「在るべき犯行事実」や「そうあって欲しい犯罪事件とその犯人」をでっち挙げることではありません。
 犯罪事件は、「何が犯罪行為になるか」を刑法など法律で事前に定めてあることを前提にし、犯罪事件の犯人の特定や、裁判法廷で犯人を有罪にすることができる、過去の犯行事実を立証できる諸々の物証/人証/書証等の証拠を基礎にしてKJ法的に/発想法的に組み立てられる、その犯人による犯罪事件の全体像を発見し描き出すことで、初めて成り立つものです。
 犯罪事件をその一部に含む「歴史」全体についても、犯罪事件をモデルに考察したことがそのまま当て嵌まります。
 但し、百年も千年ももっと前の歴史的な事実は、その真偽の確定の前に、その有無を確かな証拠に基いて確定することが難しいのが一般的です。民族によっては、過去の歴史に関する資料や物証等を殆ど残して無いことだって珍しくはありません。
 最近発生した犯罪事件でさへ、確かな証拠が残ってなくて、犯行状況の確定や犯人捜しが難航することがあるのは、誰でも知っています。
 その部分を、そのときそう在りたかったとかそうあるべきだったという願望で、過去の歴史をでっち上げたのでは、それは歴史と言うことはできません。

○韓国起源説  ウィキペディア
 過去の歴史をでっち上げる。
 この点に関して、韓国/朝鮮民族と中国は、日本が歴史的事実を隠しているとかでっち上げたとか捻じ曲げたと言い張って、「そうあって欲しかった誇り高い民族の歴史」をでっち上げることに熱心です。というよりも、中国とこの支配下に千年もあった朝鮮民族は、歴史をそのときの支配者がでっち上げることを文化的な習慣にしてきたようです。
 NHKで放送されている韓国の歴史ドラマでは、時代考証が全くされていないと思うものがあります。
 韓国では過去の歴史をでっち上げていると聞いたので、この真偽を確かめるために観た「イ・サン」という歴史物のテレビ・ドラマでは、国立の銃製造所が出てきたり、一面にコスモスらしい花が咲き乱れる野原が出てきたりしていました。
 イ・サンを見て、朝鮮ではいつから銃の製造が始まったのか知りたくなって、インターネットで調べたら、銃は、ライフル銃も含めて全て韓国が起源と言うものがあって、宗主国の中国がなぜこの事実を知らずにいたのかとかライフルということばは韓国語で何というのかなどの書き込みが沢山されているのを知りました。→韓国起源説 ウィキペディア(Wikipedia)参照

○自分が選んで繰り返し読む本と自分が書く文/本は如何なる世界観や人間観等に基いているのか・・・
 自分が選んで繰り返し読む本、自分が書く文や本等が、間違った世界観や人間観や人生観や歴史観等に基いていたのならば、何かいわんや、と言うことになるでしょう。
 こう考えると、文の推敲など、枝葉末節のことになります。
 大江健三郎氏に関しては、見当外れな世界観と人間観と人生観と歴史観を持つ進歩的文化人という評判の高いヒトのお一人です。
 一般法則論的な世界観、人間観、人生観、歴史観の観点でも、こう判断することができます。

○大江健三郎氏の本
 ここに、「救い主」が殴られるまで 燃え上がる緑の木 第一部 新潮社 1993年があります。
 この中に「救い主」こと、ギー兄さんが登場します。
 ギー兄さんは、病気の超能力治療が出来るヒトです。
 「屋敷」の百歳近くになって亡くなったお祖母ちゃんの遺体を森に埋めた日に、鷹に襲われて腕に怪我をした時からギー兄さんは周りの人たちから超能力があると何故か言われるようになり、ご本人はその能力を信じて居ない中で、実際に医者に見離された心臓病の子供等の治療に成功して、ご本人もその気になり、さらには、半陰陽の性器をもつ「オトコオンナ」の女性サッチャンを女にし、サッチャンに、ギー兄さんは救い主と呼ばれるようになったことで第一巻は話が終わります。
 しかし、こう読むまでは、何の説明もなくお祖母ちゃんは突然に「オーバー」に呼名が変わったり、突然に登場する何人もの人たちの関係を理解するのに時間が掛かりました。
 英訳された物を読んで、初めて内容が分かったという、大江ファンの上智大学の先生の話もあります。これは、ご本人がこういうのを、私が見ていたテレビで聞きました。これは、大江氏がノーベル文学賞を受賞したときだったかも知れません。
 とにかく、簡単な内容のことを難解な文にするヒトだ、というのが、私の大江健三郎氏の文章に関する最初からの印象です。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。