いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

一口解説の試み

2008-09-30 18:15:59 | 一口解説/一口メモ
○一般法則論で使っている用語や概念について簡単な解説をする
 一般法則論を説明しているこのブログのなかで使っている用語や概念について、一口解説的に説明をする文を作ります。
 その狙いは、一般法則論を更によく分かって頂きたいからです。

○「ヒト」という用語の意味
 以下の文中で、「ヒト」とは、創造主である神の化身かつ分身の存在のヒトの意味です。

○一般法則論が説明しているこの世界の成り立ちと仕組み
 一般法則論が説明しているのは、天然自然の存在の唯一絶対普遍の創造主である神が、自らの身心=自然科学で言う「エネルギー」を、この世界の成り立ちと仕組みを造る唯一絶対普遍かつ不変の素材にして、自らの唯一絶対普遍かつ不変の天地創造の原理=自然科学でいう「自然の法則」=原因を結果に自然法則的に絶対的かつ自動的かつ必然的に変換する、「原因→因果の法則→因果必然の現象・結果」の間の関係が「三位一体不可分の関係」で成り立つ、因果必然の法則に則って、創造主である神自らを自己展開する形で造っている、全体でただ一つの、汎神論が当て嵌まる世界です。
 但し、創造主である神は「汎神論」が当て嵌まる世界を造りながら、同時に、創造主である神自体は、この世界の成り立ちと仕組みから絶対的に超越して存在するという仕組みになっています。そして、創造主である神がこの世界の成り立ちと仕組みから絶対的に超越して存在している仕組みのことを、禅では「空」の存在=主体的に絶対的な自由さを持つ存在、と名付けています。

○なぜこの世界の成り立ちと仕組みを説明する必要があるのか?
 なぜ、この世界の成り立ちと仕組みを説明することが必要になるのか?
 この理由は、この世界の成り立ちと仕組みが私達の日々を生きるための生き方の原理の基になっているからです。
 このことを知らないと、ヒトとして日々を普通に生きることさえも難しくなります。
 現に人類は、未だこれを自覚的な知識にしていないために、生きることに難儀をしています。
 一般法則論は、これを、根本的に解決し解消したいわけです。
 一言で言えば、「ばら撒き福祉」を中心とする政治的な解決方法(注記1)や、ヒトとしてちゃんと生きることをしていないことの論理必然的な結果の生きづらさなのに、これを知らず、知ろうともせずに、これを棚に上げて、ばら撒き福祉の元祖総本家/福祉の親玉みたいな救世主の出現を間違って期待し望んでいる多くの宗教家や民衆の生き方を採らずに、です。
 また、全ての煩悩、特に我欲を全て捨てる生き方、何かを求めない生き方をするように奨めていると理解できる仏教的な生き方を採らずに、です。

○注記1 必要不可欠な福祉対策があるがこれが根本の問題解決方法ではない
 「生き方が間違っているから、生き辛くなっているのだ。」
 こう言い放って事が済むものではありません。
 ヒトの住む家が火事になっていたら、その家の持ち主の資産の多寡や有無如何に一切関係なく、また、出火原因の如何に一切関係なく、躊躇せず、直ちにその消火に当たらなくてはならないものです。ましてや、他の建物に延焼中だという場合には・・・。
 ヒトの生き方の原理を知らず、うまく生きられないヒトが、現実には、日本国内でも無視できないほど沢山います。そして、このようなヒト一人の周りには更に何人もの同じように生きることに失敗している家族や友人がいるものです。
 こういう場合は、「個人のあり方が社会問題化している」と言われることになります。
 この人たちを支援し救済するためのNPO法人の活動が、最近たびたび報道されています。
 しかし、「個人のあり方が社会問題化している」場合には、国家・社会のレベルで、公的に=政治的に=社会政策的に=福祉的に問題の解決がなされるべきものです。
 但し、「個人のあり方が社会問題化している」ときに、これを社会体制の所為にして、その社会体制を変えれば、俗に言う「世直し」をすれば、問題が解決され、解消することになるのではありません。
 一昔前ならば、ヒトとしての生き方の原理を知らないのが原因なのではなくて、資本主義的経済体制が人々に貧困をもたらす根本原因であり、資本主義的経済体制を暴力的に力ずくで廃止して、「マルクス主義」と称される社会主義・共産主義社会を作れば問題は根本的に解決するというデマ宣伝が社会に流行っていました。今でもこう主張し信じている人たちの政党は存続しています。
 しかし、資本主義的経済体制以前の社会にも貧困は存在していた事実を同じマルクス主義理論でどう説明するのか、私は寡聞にして知りません。
 つまり、「個人のあり方が社会問題化している」ときに、これを国家・社会のレベルで公的に=政治的に=社会政策的に=福祉的に扱うのは、常に一時しのぎに過ぎません。このことを忘れずにしっかりと踏まえた上での公的=政治的=社会政策的=福祉的な対策です。
 各人の生き方の問題、各人の人生の問題、各人の生死の問題を、政治や社会体制で根本的に取って代わってすることなどできるはずがありません。
 この根本的な解決は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みに絶対的かつ普遍的かつ不変的な根拠がある「ヒトの生き方の原理」とこれをハウツー化した「潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法」を、全てのヒトが何らかの方法で自分のものにするしか、根本的な問題解決の方法はありません。
 一般法則論は、このためにお役に立つことを意図しています。
 注記1の終わり

○この世界の成り立ちと仕組みの特徴
 この世界とは、私達が常識的に知っている、私達が現に生まれ住んでいるこの世界のことです。
 この世界が全体でただ一つの世界であるとは、唯一絶対普遍の創造主である神が自らの身心を自ら自己展開して造ったことの自動的かつ必然的かつ論理必然的な結果です。
 言い換えると、科学的な学問が広く採用している方法である、この世界を何かの基準で部分々々/要素と要素に分離・分割して、その部分だけを説明する、という方法を採ることが出来ない、ということです。

○全体でただ一つの世界を認識し理解する方法
 この世界の成り立ちと仕組みは、常に全体でただ一つのものである。
 すなわち、この世界のどの部分を説明するのでも、例えば創造主である神とは何か、ヒトとは何かを説明するのでも、常に必ず全体でただ一つのこの世界全体の関係でしかよく認識しよく説明することができない、という意味です。
 この世界の成り立ちと仕組みは、認識するのも、説明するのも、理解するのも、最初に、この世界の成り立ちと仕組みの全体を、何らかの形で既に知っている必要があるのです。

○原理的=無意識的には既に誰でもこの世界の成り立ちと仕組みを正しく知っている
 原理的には、この世界の成り立ちと仕組みを認識し理解するための道具である、全てのヒトの心の成り立ちと仕組み/心の構造/心というシステムは、この世界の成り立ちと仕組みを造っているのとまったく一つ同じ創造主である神の心=天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在とその働きで出来ています。
 そして、意識のある心の部分と無意識の心/潜在意識とが一体不可分で成り立っているヒトの心の仕組みの中で、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られている心の大部分は、無意識の心/潜在意識と名付けられて呼ばれている部分にあります。
 この世界の成り立ちと仕組みを認識し理解することが出来るのは、意識のある心の働きです。
 意識のある心の働きは、「自らの生き方を自分で主体的に自由に選んで決めることが出来る機能を持つ心=意識のある心を持つ、(創造主である神自らの化身かつ分身の存在の)ヒト(宇宙大では宇宙人一般)を創り出す」という創造主である神の意図するところに従って、「進化」の名で知られる過程を経て、無意識の心=この元祖大本の創造主である神の絶対的な無意識の心から分化し分節して現れたものです。

 ついでに言えば、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法において、無意識の心/潜在意識が何処にあるのかを探す必要は一切ありません。
 何を実現したいのかを決める意識のある心の働きと表裏一体不可分の関係で常に潜在意識/無意識の心は存在していて、意識のある心が思うことを即座に自動的かつ必然的に引き取ってそれを形あるものに実現する働きに自動的かつ必然的に入るという仕組みになっています。
 一般法則論では、無意識の心/潜在意識は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きと等価、同じだ、と断言しています。

 そこで、無意識の心にあることは、意識のある心の中に意識化し自覚的に確認しないと、その存在が分からない、という仕組みになっています。
 ヒトの心の仕組みがこう出来ているからこそ、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みをヒトの心で認識し理解できるようになっているわけです。
 そこで、誰の説明を聞くまでもなく、この世界の成り立ちと仕組みの全てを既にだれもが無意識のレベルでは正しく知っています。
 ただし、この世界の部分、部分ではなくて、その全体を意識化して自らの自覚的な知識にする体験=悟りの体験をするのがとても難しいので、多くの人達は、一生涯、天然自然の存在の創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの全体を自覚的な知識として知らないで終わってしまうのです。言い換えると、この世界の成り立ちと仕組みを基礎にして成り立つヒト本来の生き方を知らずに終わってしまうのです。

○一般法則論の役割
 全てのヒトの生きる基盤になっているこの世界の成り立ちと仕組みを理解することが、現実には多くの人達には一生涯かけても出来ないし、これをしようとしても難しい。
 しかし、否応なしに、この世界の成り立ちと仕組みにその根拠と基礎を置いている、全てのヒトに日々の生活があります。
 そこで、一般法則論で、この世界の成り立ちと仕組みについて、基礎的で一般的な知識を提供しようというわけです。
 この知識の出所は、筆者の私が、1963年の秋、二十三歳のときに体験したいわゆる悟りの体験にあります。
 しかし、既に説明したように、最初にこの世界の成り立ちと仕組みの全体を何らかの形で既に知っていないと、この世界の成り立ちと仕組みをよく理解することが実際には難しいのです。
 このブログの中での揚げ足取り的なコメントも、この世界の成り立ちと仕組みの全体に対する配慮と認識が未だ無いことに原因があります。

○すでに全部知っていると思って頂こうという「一口解説」という試み
 一般法則論の説明では、一度にこの世界の成り立ちと仕組みの全体を説明し尽くすことは出来ません。
 つまり、一般法則論では、どうしてもこの世界の成り立ちと仕組みの部分に関する説明になります。
 そこで、これを補うために、一つの文の中では説明し切れない残りの部分について、一口解説的な説明文を多数書こうと決めました。
 こうすると、皆さんが、既に全体を知っていると思って下さるかも知れない、というわけです。
 実際、ヒトは、すでによく知っていることしか気がつかないし、理解できないもののようです。

○話の重複は避けられません
 一口解説に当たっては、その内容の一部が、他で説明している一口解説と話が重複することが避けられません。
 なぜならば、この世界は、元々部分部分に分解して、それだけを単独で説明することが出来ない、全体でただ一つに編み上げられている世界だからです。

 よろしくお願いします。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。