○福田康夫総理大臣の突然の辞任
2008年9月1日(月)午後10時56分です。
一時間余り前、テレビ朝日の「たけしのТVタックル 官僚の暴走を許すな 政治家&丸秘脱藩官僚が暴露 改革潰しの手口・・・」を久しぶりに見ている画面に、福田総理辞任のスーパーインポーズが出ました。
そこで、直ちにNHKテレビに画面を切り替えて、21時半すぎからの福田総理の辞任に関する記者会見を見ました。
一言で言えば、現在の政局の中で、九月十二日に臨時国会の開会が予定されている今、総理である自分が国政運営の妨げの原因になっている、と判断したので、自分は迷うことなく、ここで、直ちに身を引いて、後任の総理大臣に後を委ねる、という話、と聞きました。
誰にでも出来そうでいて、中々できない、良い決断を、福田総理はされた、と思いました。
○福田総理は自らを損切した
比喩的に言えば、株式投資における、「損切り」を、福田総理は自らについて行った、ということです。
株式投資において、この株は値上がりする、これで行けると思って買ったら、その後、すぐに思惑とは異なって株価は値下がりに転じて、ダメだ、と分かった時に、出てしまった損を取り戻すまでその株を持ち続ける(塩漬けにすると言いますね)のではなくて、自分の判断ミスや損が出ていることは潔く認めて、直ちにその株を成り行きで売って、新しい投資先を改めてゼロから考える、という処理をするのが、損切、と言われるものです。
損切は、株式投資を職業にしているヒトにとって、必須の投資技術です。
○損切が必要になる原因
ヒトの判断には見込み違いや思惑違いが常に付きまといます。
そこで、見込みや思惑と異なったときに、それにどう対処するのかを、誰でも、人生の色々の場面で、問われることになります。
損切は、この場合の有力な方法です。
なお、「損切」を一般的に言えば、ゼロからのやり直し、リセット、といった言葉に当たります。
○損切はその必要があるときには何度でもするもの
しかも、損切は一度で済むのではなくて、見込み違いや思惑違いがあって損切の必要が生じたときには、そのたびごとに何度でも出来なくてはなりません。
○損切するときには冷静に事務的に機械的にきっぱりとするもの
損切をすると決めたときには、迷わず、ためらわず、直ちに、冷静に、冷酷に、事務的に、機械的に、まるで「他人事」のように、損切の手続きをするものです。
○損切せず、損切が出来ないことを恐れる
損切は、その必要があるときには、そのたびごとに、何度でもする。
損切は、普通、早め、早めの損切が良し、とされます。
損切を躊躇しタイミングを間違えると、更に損が拡大し、ますます売りたくても売れなくなり、投資資金が寝てしまうという泥沼に嵌まり込むことになります(注記1)ので、投資で生計を立てている人達は、損切が出来ないことを、恐れます。
この意味で、内閣支持率も下がっている福田総理としては、臨時国会の開催を控えた多分とても良いタイミングで、自らの損切=辞任を決められたのだ、と受け止めました。
損切の判断は、当事者であるご本人がよく判断しよくできることが望ましい、といえます。
今の場合は、福田総理の判断が第一です。
○損切すること、損切ができることはほめられても非難される対象にはならない
およそ投資の世界で、損切をしたり、適切にタイミングよく損切が出来るヒトは、賞賛されることはあっても、非難されたり、馬鹿呼ばわりされることはありません。
このことは、投資の世界以外でも、立派に通用するのではないのか? と思います。
○注記1 損切の対象外
損切は、損得勘定の判断が先立ちます。
しかし、人生、損得勘定が全てではありません。
自分にとって、自分の命よりも大切、というものがあります。
一般的に言えば、「大義名分」というものがあるものです。
例えば、人間関係。
負け戦だと分かっても、友情のために、滅びつつある友の側を最後まで離れない、という選択と決断は常に有り得ます。
注記1の終わり
○相変わらずの紋切り型の批判
福田総理の辞任の報道に対して、例により、一言で言えば、「無責任だ」とか「行き詰って投げ出したのだ」という非難が、野党から出ました。
しかし、「損切」という観点からいえば、見当外れの非難でしょう。
福田総理の辞任表明を受けて、この後をどうするかだけが問題です。
○民主党にとっての難題
民主党について言えば、国民のためを口実に、内政に閉じこもり、党利党略を最優先にして、政治を停滞させている小沢党首に、この自覚がまったく無いことの方が問題です。
「昔、陸軍、今、総評」という言葉(この言葉に関して後に追加説明文を予定)がありましたが、今は、「昔、陸軍、今、(今夜のたけしのТVタックルでも取り上げられていたその暴走が問題の)官僚&民主党の小沢代表」とでも言うべきでしょうか・・・。
しかし、民主党は、党としても、小沢代表個人としても、損切を知らず、これが出来ないようです。
○政治哲学の貧困
結局、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを前提にして、創造主である神の化身かつ分身の存在に造られているヒトの存在構造を踏まえた政治哲学が無い、ということでしょうか・・・。
これに加えて、日本文化を担う私達の立場について、一般法則論的な意味の哲学的な反省が必要なのでしょう。
この理論武装をするのに、一般法則論・・・。
福田総理の突然の辞任表明に接して、取り急ぎ・・・。
例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
2008年9月1日(月)午後10時56分です。
一時間余り前、テレビ朝日の「たけしのТVタックル 官僚の暴走を許すな 政治家&丸秘脱藩官僚が暴露 改革潰しの手口・・・」を久しぶりに見ている画面に、福田総理辞任のスーパーインポーズが出ました。
そこで、直ちにNHKテレビに画面を切り替えて、21時半すぎからの福田総理の辞任に関する記者会見を見ました。
一言で言えば、現在の政局の中で、九月十二日に臨時国会の開会が予定されている今、総理である自分が国政運営の妨げの原因になっている、と判断したので、自分は迷うことなく、ここで、直ちに身を引いて、後任の総理大臣に後を委ねる、という話、と聞きました。
誰にでも出来そうでいて、中々できない、良い決断を、福田総理はされた、と思いました。
○福田総理は自らを損切した
比喩的に言えば、株式投資における、「損切り」を、福田総理は自らについて行った、ということです。
株式投資において、この株は値上がりする、これで行けると思って買ったら、その後、すぐに思惑とは異なって株価は値下がりに転じて、ダメだ、と分かった時に、出てしまった損を取り戻すまでその株を持ち続ける(塩漬けにすると言いますね)のではなくて、自分の判断ミスや損が出ていることは潔く認めて、直ちにその株を成り行きで売って、新しい投資先を改めてゼロから考える、という処理をするのが、損切、と言われるものです。
損切は、株式投資を職業にしているヒトにとって、必須の投資技術です。
○損切が必要になる原因
ヒトの判断には見込み違いや思惑違いが常に付きまといます。
そこで、見込みや思惑と異なったときに、それにどう対処するのかを、誰でも、人生の色々の場面で、問われることになります。
損切は、この場合の有力な方法です。
なお、「損切」を一般的に言えば、ゼロからのやり直し、リセット、といった言葉に当たります。
○損切はその必要があるときには何度でもするもの
しかも、損切は一度で済むのではなくて、見込み違いや思惑違いがあって損切の必要が生じたときには、そのたびごとに何度でも出来なくてはなりません。
○損切するときには冷静に事務的に機械的にきっぱりとするもの
損切をすると決めたときには、迷わず、ためらわず、直ちに、冷静に、冷酷に、事務的に、機械的に、まるで「他人事」のように、損切の手続きをするものです。
○損切せず、損切が出来ないことを恐れる
損切は、その必要があるときには、そのたびごとに、何度でもする。
損切は、普通、早め、早めの損切が良し、とされます。
損切を躊躇しタイミングを間違えると、更に損が拡大し、ますます売りたくても売れなくなり、投資資金が寝てしまうという泥沼に嵌まり込むことになります(注記1)ので、投資で生計を立てている人達は、損切が出来ないことを、恐れます。
この意味で、内閣支持率も下がっている福田総理としては、臨時国会の開催を控えた多分とても良いタイミングで、自らの損切=辞任を決められたのだ、と受け止めました。
損切の判断は、当事者であるご本人がよく判断しよくできることが望ましい、といえます。
今の場合は、福田総理の判断が第一です。
○損切すること、損切ができることはほめられても非難される対象にはならない
およそ投資の世界で、損切をしたり、適切にタイミングよく損切が出来るヒトは、賞賛されることはあっても、非難されたり、馬鹿呼ばわりされることはありません。
このことは、投資の世界以外でも、立派に通用するのではないのか? と思います。
○注記1 損切の対象外
損切は、損得勘定の判断が先立ちます。
しかし、人生、損得勘定が全てではありません。
自分にとって、自分の命よりも大切、というものがあります。
一般的に言えば、「大義名分」というものがあるものです。
例えば、人間関係。
負け戦だと分かっても、友情のために、滅びつつある友の側を最後まで離れない、という選択と決断は常に有り得ます。
注記1の終わり
○相変わらずの紋切り型の批判
福田総理の辞任の報道に対して、例により、一言で言えば、「無責任だ」とか「行き詰って投げ出したのだ」という非難が、野党から出ました。
しかし、「損切」という観点からいえば、見当外れの非難でしょう。
福田総理の辞任表明を受けて、この後をどうするかだけが問題です。
○民主党にとっての難題
民主党について言えば、国民のためを口実に、内政に閉じこもり、党利党略を最優先にして、政治を停滞させている小沢党首に、この自覚がまったく無いことの方が問題です。
「昔、陸軍、今、総評」という言葉(この言葉に関して後に追加説明文を予定)がありましたが、今は、「昔、陸軍、今、(今夜のたけしのТVタックルでも取り上げられていたその暴走が問題の)官僚&民主党の小沢代表」とでも言うべきでしょうか・・・。
しかし、民主党は、党としても、小沢代表個人としても、損切を知らず、これが出来ないようです。
○政治哲学の貧困
結局、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを前提にして、創造主である神の化身かつ分身の存在に造られているヒトの存在構造を踏まえた政治哲学が無い、ということでしょうか・・・。
これに加えて、日本文化を担う私達の立場について、一般法則論的な意味の哲学的な反省が必要なのでしょう。
この理論武装をするのに、一般法則論・・・。
福田総理の突然の辞任表明に接して、取り急ぎ・・・。
例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。