■ネプチューンの影/フレッド・ヴァルガス 2020.4.27
フレッド・ヴァルガスの 『ネプチューンの影』 を楽しく読みました。
もし、人生の途上でクレマンチーヌ・クールベのような婆様に出会えたらどんなに幸せかと、人生が豊になるだろうかとため息が出ました。
「あんたがいらいらしているのは当然だ。その亡霊はなかなかほっといちゃくれないね。でも、頑張って自分の考えを追うがいい。確実にそうとは言えないけれど、違うとも言えないんだから」
この後のクレマンチーヌの会話が素適だ。
クレマンチーヌが火を熾しているあいだに、アダムスベルグは深く眠り込んだ。老女は椅子にかけてあった毛布をかけてやり、そろそろ寝に行こうとしているジョゼットにぶっかった。
「あの人はソファに寝かしておくよ。妙な話に巻き込まれてるんだから。あたしが気になるのは、お尻の肉が削げ落ちていることさ。あんたも気がついた?」
「わからないわよ、前がどんなだったかしらないんですもの」
「あたしの言う通りさ。とにかく、食べさして肉をつけなきゃ」
アダムスベルグを支える同僚や仲間、ダングラール、ルタンクール、そしてサンカルチエ、いずれも素敵な人たちです。
このような同僚や仲間達と職場をともに出来ることは、何と素晴らしい事よと読後しみじみと感じました。
「話を戻して悪かじゃが、きみの呪わしい悪魔をば取り押さえたら、たとえ十年後でも知らせてくれんか?」
「興味あるのか?」
「うん、それにきみが気に入ったんじゃ」
「よし、たとえ十年後でも知らせるよ」
良き人々に支えられた当の署長さんは、どんな人物だったのでしょうか。
ダングラールにとっては署長の直感は原始時代軟体動物のようなものだった。手足もなければ、上下もわからない、澱んだ水に浮かぶ半透明体。これはダングラールの論理的精神をひどくいらつかせるものだった。嫌悪感を催させるほどだ。しかし、再検討しなくてはならない。署長の軟体動物的直感は、どんな予知能力の恩恵か知らないが、あらゆる精密な論理にも挑み、これまで何度も的中しているのだから。この直感のおかげで、アダムスベルグはここまで昇進してきて今やパリ十三区犯罪捜査検察のこの机に座っている。一風変わった夢みる署長として。
アダムスベルグには人並みはずれた鷹揚さ、穏和さがあった。よく言えば物にこだわらない性格、悪くすれば無関心と取る人間もいた。その雲のような本性を掴もうとしても神経をすり減らすだけである。
アダムスベルグだけだ、、平凡な日常から突飛な展開を引き出し、奇想天外なきらめきを見せてくけるのは。それだから、真夜中を過ぎて眠りを醒まされ、凍てつく冬の町に引っ張り出され、ネプチューンの前に立たされても、ちっともかまわない。
ノエルは署長が時々わけのわからないことを言うのに慣れていたので聞き流すことにする。
ダングラールの論理的精神とは。
「人を殺すためには少なくとも他人に対する情熱が情熱がなければならない。他人のいる嵐に巻き込まれたり、他人の存在に心奪われなくてはならない。人とのつながりが悪化しなければ、殺すようなことはない。過度に反応しなければ、過度に他人と自分を混同しなければ、殺さない。他人との同化が極端になって他人は他人として存在しなくなり、自分の所有物のように自由にすることができると思い込まなければ、人を殺しはしない。署長はそんな状態からは程遠い。署長のように、他人との本当の意味での接触がなくて、いつも人を避けて通るような人は、他人を殺しはしない。殺すほど近くないし、自分の情熱のために犠牲にするようなことはしない。署長は人を愛さないと言うんではないけれど、少なくともノエラを愛してはいなかった。どんなことがあっても、あなたが彼女を殺すわけがない」
酔いどれにも酔いどれとしての哲学がある。
「確かだ。おりゃ思ったんだ、こりゃ、ずいぶん高いところから転落した奴なんだって、な。いるんだよ、そういう奴が。女にふられたのをきっかけに飲み始めて、あっという間にすべり台を転がるように転落する。それとも、会社がつぶれて、ってのもあるな。ふざけるな! 女にふられたからって、会社がつぶれたからって、飲んだりするな、しっかりしろってんだ。おれなんざ、頑張らなかったわけじゃねえ、転落したわけじゃねえ、もともとどん底にいたんだから。そのままってわけだ。違いがわかるか?」
「もちろん」
こんな話も随所に。
「それにしても、女好きはどうして女の尻を追いかけ回すんだろう?」
「そりゃ、そのほうが楽だからさ! 愛するためには自分を捧げなきゃならない。女の尻を追っかけ回すだけなら、そんな必要はないだろう? 豚のつけあわせの野菜はインゲンでいいかな? さっきヘタを取ったんだ」
『 ネプチューンの影/フレッド・ヴァルガス/田中千春訳/創元推理文庫 』
フレッド・ヴァルガスの 『ネプチューンの影』 を楽しく読みました。
もし、人生の途上でクレマンチーヌ・クールベのような婆様に出会えたらどんなに幸せかと、人生が豊になるだろうかとため息が出ました。
「あんたがいらいらしているのは当然だ。その亡霊はなかなかほっといちゃくれないね。でも、頑張って自分の考えを追うがいい。確実にそうとは言えないけれど、違うとも言えないんだから」
この後のクレマンチーヌの会話が素適だ。
クレマンチーヌが火を熾しているあいだに、アダムスベルグは深く眠り込んだ。老女は椅子にかけてあった毛布をかけてやり、そろそろ寝に行こうとしているジョゼットにぶっかった。
「あの人はソファに寝かしておくよ。妙な話に巻き込まれてるんだから。あたしが気になるのは、お尻の肉が削げ落ちていることさ。あんたも気がついた?」
「わからないわよ、前がどんなだったかしらないんですもの」
「あたしの言う通りさ。とにかく、食べさして肉をつけなきゃ」
アダムスベルグを支える同僚や仲間、ダングラール、ルタンクール、そしてサンカルチエ、いずれも素敵な人たちです。
このような同僚や仲間達と職場をともに出来ることは、何と素晴らしい事よと読後しみじみと感じました。
「話を戻して悪かじゃが、きみの呪わしい悪魔をば取り押さえたら、たとえ十年後でも知らせてくれんか?」
「興味あるのか?」
「うん、それにきみが気に入ったんじゃ」
「よし、たとえ十年後でも知らせるよ」
良き人々に支えられた当の署長さんは、どんな人物だったのでしょうか。
ダングラールにとっては署長の直感は原始時代軟体動物のようなものだった。手足もなければ、上下もわからない、澱んだ水に浮かぶ半透明体。これはダングラールの論理的精神をひどくいらつかせるものだった。嫌悪感を催させるほどだ。しかし、再検討しなくてはならない。署長の軟体動物的直感は、どんな予知能力の恩恵か知らないが、あらゆる精密な論理にも挑み、これまで何度も的中しているのだから。この直感のおかげで、アダムスベルグはここまで昇進してきて今やパリ十三区犯罪捜査検察のこの机に座っている。一風変わった夢みる署長として。
アダムスベルグには人並みはずれた鷹揚さ、穏和さがあった。よく言えば物にこだわらない性格、悪くすれば無関心と取る人間もいた。その雲のような本性を掴もうとしても神経をすり減らすだけである。
アダムスベルグだけだ、、平凡な日常から突飛な展開を引き出し、奇想天外なきらめきを見せてくけるのは。それだから、真夜中を過ぎて眠りを醒まされ、凍てつく冬の町に引っ張り出され、ネプチューンの前に立たされても、ちっともかまわない。
ノエルは署長が時々わけのわからないことを言うのに慣れていたので聞き流すことにする。
ダングラールの論理的精神とは。
「人を殺すためには少なくとも他人に対する情熱が情熱がなければならない。他人のいる嵐に巻き込まれたり、他人の存在に心奪われなくてはならない。人とのつながりが悪化しなければ、殺すようなことはない。過度に反応しなければ、過度に他人と自分を混同しなければ、殺さない。他人との同化が極端になって他人は他人として存在しなくなり、自分の所有物のように自由にすることができると思い込まなければ、人を殺しはしない。署長はそんな状態からは程遠い。署長のように、他人との本当の意味での接触がなくて、いつも人を避けて通るような人は、他人を殺しはしない。殺すほど近くないし、自分の情熱のために犠牲にするようなことはしない。署長は人を愛さないと言うんではないけれど、少なくともノエラを愛してはいなかった。どんなことがあっても、あなたが彼女を殺すわけがない」
酔いどれにも酔いどれとしての哲学がある。
「確かだ。おりゃ思ったんだ、こりゃ、ずいぶん高いところから転落した奴なんだって、な。いるんだよ、そういう奴が。女にふられたのをきっかけに飲み始めて、あっという間にすべり台を転がるように転落する。それとも、会社がつぶれて、ってのもあるな。ふざけるな! 女にふられたからって、会社がつぶれたからって、飲んだりするな、しっかりしろってんだ。おれなんざ、頑張らなかったわけじゃねえ、転落したわけじゃねえ、もともとどん底にいたんだから。そのままってわけだ。違いがわかるか?」
「もちろん」
こんな話も随所に。
「それにしても、女好きはどうして女の尻を追いかけ回すんだろう?」
「そりゃ、そのほうが楽だからさ! 愛するためには自分を捧げなきゃならない。女の尻を追っかけ回すだけなら、そんな必要はないだろう? 豚のつけあわせの野菜はインゲンでいいかな? さっきヘタを取ったんだ」
『 ネプチューンの影/フレッド・ヴァルガス/田中千春訳/創元推理文庫 』
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