■白墨人形/C・J・チューダー 2018.8.27=2
『白墨人形』
「友達だから? 友達なんていても、いいことより、面倒なことばっかりよね。ま、家族よりはましだけど」
ぼくは、このミステリを興味深い青春小説として読んだ。
エディも、彼の友達のニッキー、ギャブ、ミッキ、ホッポ、それぞれに謎があり秘密を抱えている。そして、人知れず悩んでいる。
「大の親友にも言えないやましい秘密ってあるか」
「誰だってあるだろ」
「まえに言われたことがあるんだ。秘密ってのは、ケツの穴と同じだって。誰でも持ってて、汚さにちがいがあるだけだってな」
エディの秘密。
移動遊園地での事故以降も、収集品はどんどん増えていた。どれも拾ったものや、誰かかが置き忘れたものだ(人がどれだけ不注意か、ぼくは知っていた。大事にしないとものはすぐになくなってしまう。そんな肝心なことに誰も気づいていないらしい)。
それに、ときどきは----なにかがどうしても必要なときは----お金を払わずにくすねることもあった。
頭上で雷鳴が轟き、雨がぱらつきだした。
すべてが一瞬にして変わってしまうことを学んだのは、そのときだったと思う。当たり前にあると思っていたものが、あっけなく奪われてしまうことを。だからそれを手に取ったのかもしれない。なにかを守るために。安全な場所にしまっておくために。少なくとも、自分にそう言い訳をした。p25
この物語のほぼ冒頭と言ってもいい部分で、この文章が書かれているのですが、少し唐突で謎の文章だと思われませんか。
冒頭部分で、不思議に思ったことが、もうひとつあります。
ニッキーは、神父の父親と二人暮らしです。
ニッキーの体は、生傷が絶えません。当然、虐待を疑うのですが、作者は、その「言葉」をどこにも使っていません。
事故や事件も起こります。
少女の隣にはブロンドの女友達もいた。
すぐにそちらの子のことは頭から消えた。気の毒だが、そういうものだ。美しさ、それも本物の美しさは、周囲のものや人をすべて霞ませてしまう。ブロンドの友達もきれいだったが、ワルツァーの子は美そのものだった。
当然、話にはしだいに尾ひれがつき、時とともに細部は風化していった。歴史とはつまり、生き延びた者たちによって語られた物語にすぎないのだ。
ひとつひとつ謎が解け、秘密が明かされながら、少年たちと少女は大人になっていく。
子供の思いつきは、風に運ばれる種に少し似ている。芽吹くことのないものは風に飛ばされ、忘れ去られて、二度と口にされることはない。一方、発芽したものは地中に根を張り、成長して、四方八方へと広がっていく。
人生には変えられないものがある。体重、見た目、それに名前も。だがどれほど願い、あがき、力を尽くしても、変えられないものもある。人生を形作るのは後者のほうだ。変えられるものではなく、変えられないもののほうだ。
やめて、とぼくは思った。“でも”は聞きたくない。“でも”の続きにいいことが来たためしはないが、今回はとくに悪いことを言われそうな気がした。ファット・ギャヴがいつか言っていたように、“でも”は“ご機嫌な日にタマを蹴られるようなもん”だ。
自分が求めているのは答えだと思いがちだ。だが、本当に求めているのは都合のいい答えでしかない。それが人間というものだ。望みどおりの真実を得ることを期待しながら問を発する。問題は、真実は選べないということだ。真実は真実でしかない。人が選べるのは、それを信じるかどうかだけだ。
思いこみは捨てろ。すべてを疑うこと。見えているものの奥に目を向けなさい。
なにをしようと取り返しのつかないことがある。
「よく言って聞かせてたわね、後悔はするなって。もっともな理由があると思ったら、そのときは決断しなさい。あとからその決断が誤りだったとわかっても、それを背負って生きなさいって」
「恋に落ちる相手は選べないんだ」
そうやって、よくあるように、時は流れていった。
子供たちが大人になれば、親は老いる。
年を取ると、往々にして智恵よりも狭量さを身につけてしまうものだ。
積みかさねてきた経験を、一生かけてこつこつ集めてきたものを失ったとき、人は何者でいられるのだろうか。それを剥ぎとられたあとに残るのは、肉と骨と血管の塊だけだ。
酒は、人生のお伴だけど。こんな文章も。
もう一度グラスを口に運んだものの、飲みたい気持ちは急速に薄れている。酔っぱらいの相手をすることほど、酒への欲求を抑えてくれるものはない。
我が意を得たり!
「“夢を見ようよ。見ないと夢はかなわない”」
『 白墨人形/C・J・チューダー/中谷友紀子訳/文藝春秋』
『白墨人形』
「友達だから? 友達なんていても、いいことより、面倒なことばっかりよね。ま、家族よりはましだけど」
ぼくは、このミステリを興味深い青春小説として読んだ。
エディも、彼の友達のニッキー、ギャブ、ミッキ、ホッポ、それぞれに謎があり秘密を抱えている。そして、人知れず悩んでいる。
「大の親友にも言えないやましい秘密ってあるか」
「誰だってあるだろ」
「まえに言われたことがあるんだ。秘密ってのは、ケツの穴と同じだって。誰でも持ってて、汚さにちがいがあるだけだってな」
エディの秘密。
移動遊園地での事故以降も、収集品はどんどん増えていた。どれも拾ったものや、誰かかが置き忘れたものだ(人がどれだけ不注意か、ぼくは知っていた。大事にしないとものはすぐになくなってしまう。そんな肝心なことに誰も気づいていないらしい)。
それに、ときどきは----なにかがどうしても必要なときは----お金を払わずにくすねることもあった。
頭上で雷鳴が轟き、雨がぱらつきだした。
すべてが一瞬にして変わってしまうことを学んだのは、そのときだったと思う。当たり前にあると思っていたものが、あっけなく奪われてしまうことを。だからそれを手に取ったのかもしれない。なにかを守るために。安全な場所にしまっておくために。少なくとも、自分にそう言い訳をした。p25
この物語のほぼ冒頭と言ってもいい部分で、この文章が書かれているのですが、少し唐突で謎の文章だと思われませんか。
冒頭部分で、不思議に思ったことが、もうひとつあります。
ニッキーは、神父の父親と二人暮らしです。
ニッキーの体は、生傷が絶えません。当然、虐待を疑うのですが、作者は、その「言葉」をどこにも使っていません。
事故や事件も起こります。
少女の隣にはブロンドの女友達もいた。
すぐにそちらの子のことは頭から消えた。気の毒だが、そういうものだ。美しさ、それも本物の美しさは、周囲のものや人をすべて霞ませてしまう。ブロンドの友達もきれいだったが、ワルツァーの子は美そのものだった。
当然、話にはしだいに尾ひれがつき、時とともに細部は風化していった。歴史とはつまり、生き延びた者たちによって語られた物語にすぎないのだ。
ひとつひとつ謎が解け、秘密が明かされながら、少年たちと少女は大人になっていく。
子供の思いつきは、風に運ばれる種に少し似ている。芽吹くことのないものは風に飛ばされ、忘れ去られて、二度と口にされることはない。一方、発芽したものは地中に根を張り、成長して、四方八方へと広がっていく。
人生には変えられないものがある。体重、見た目、それに名前も。だがどれほど願い、あがき、力を尽くしても、変えられないものもある。人生を形作るのは後者のほうだ。変えられるものではなく、変えられないもののほうだ。
やめて、とぼくは思った。“でも”は聞きたくない。“でも”の続きにいいことが来たためしはないが、今回はとくに悪いことを言われそうな気がした。ファット・ギャヴがいつか言っていたように、“でも”は“ご機嫌な日にタマを蹴られるようなもん”だ。
自分が求めているのは答えだと思いがちだ。だが、本当に求めているのは都合のいい答えでしかない。それが人間というものだ。望みどおりの真実を得ることを期待しながら問を発する。問題は、真実は選べないということだ。真実は真実でしかない。人が選べるのは、それを信じるかどうかだけだ。
思いこみは捨てろ。すべてを疑うこと。見えているものの奥に目を向けなさい。
なにをしようと取り返しのつかないことがある。
「よく言って聞かせてたわね、後悔はするなって。もっともな理由があると思ったら、そのときは決断しなさい。あとからその決断が誤りだったとわかっても、それを背負って生きなさいって」
「恋に落ちる相手は選べないんだ」
そうやって、よくあるように、時は流れていった。
子供たちが大人になれば、親は老いる。
年を取ると、往々にして智恵よりも狭量さを身につけてしまうものだ。
積みかさねてきた経験を、一生かけてこつこつ集めてきたものを失ったとき、人は何者でいられるのだろうか。それを剥ぎとられたあとに残るのは、肉と骨と血管の塊だけだ。
酒は、人生のお伴だけど。こんな文章も。
もう一度グラスを口に運んだものの、飲みたい気持ちは急速に薄れている。酔っぱらいの相手をすることほど、酒への欲求を抑えてくれるものはない。
我が意を得たり!
「“夢を見ようよ。見ないと夢はかなわない”」
『 白墨人形/C・J・チューダー/中谷友紀子訳/文藝春秋』
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