
保津川下りの乗船場に着くと、向かい側に美しい山が向かえてくれます。
この山、標高629.8mあり、名前を‘牛松山’といいます。
昔から「秀麗にして、その姿、富士のごとし」と歌に詠まれるほどの
美しい姿は、さながら富士山を思い出させ‘丹波富士’と呼ばれています。
昔は山祭りの際、神に奉げる生け贄として牛をお供えしたことから牛祭ヶ嶽と
呼ばれていたのが訛って今の牛松山と呼ばれるようになったと伝えられています。
この牛松山の山上には金刀比羅神社が祀られており、
私達船頭のお守り様にもなっている関係深い山なのです。
神社は寛延年間(1748~50)に勧請されたといわれ、
海のない丹波地方では国家安全の守護神として参られていたのです。
神社の接待所の天井には保津川下りの小形舟が奉納されていて
代々保津川の船頭衆が川下りの安全を祈願しております。
丹波亀岡を見下ろす形でそびえる牛松山には、保津町や船頭衆だけでなく
奉納されている石鳥居や灯篭に他の町の人々の名前が刻まれていることからも
わかる様に、広い範囲にわたり信仰があったことがうかがえます。
牛松山の裏側には樹齢何百年の経っている巨大な杉の木があるとの噂もあり
歴史と神秘が潜む山、それが‘牛松山’なのです。
保津川下りは、出発点から歴史の醍醐味を味わえる所なのです。
このことは、保津川下りがいわゆるただの観光産業で始まったのではなく
古代から現代にかけ、土地の人々の生活とを結ぶ歴史の掛け橋であることの
間違いのない証拠だとはっちんは考えているのです。
写真は乗船場から見た牛松山です。
美しい山でしょう。
この山、標高629.8mあり、名前を‘牛松山’といいます。
昔から「秀麗にして、その姿、富士のごとし」と歌に詠まれるほどの
美しい姿は、さながら富士山を思い出させ‘丹波富士’と呼ばれています。
昔は山祭りの際、神に奉げる生け贄として牛をお供えしたことから牛祭ヶ嶽と
呼ばれていたのが訛って今の牛松山と呼ばれるようになったと伝えられています。
この牛松山の山上には金刀比羅神社が祀られており、
私達船頭のお守り様にもなっている関係深い山なのです。
神社は寛延年間(1748~50)に勧請されたといわれ、
海のない丹波地方では国家安全の守護神として参られていたのです。
神社の接待所の天井には保津川下りの小形舟が奉納されていて
代々保津川の船頭衆が川下りの安全を祈願しております。
丹波亀岡を見下ろす形でそびえる牛松山には、保津町や船頭衆だけでなく
奉納されている石鳥居や灯篭に他の町の人々の名前が刻まれていることからも
わかる様に、広い範囲にわたり信仰があったことがうかがえます。
牛松山の裏側には樹齢何百年の経っている巨大な杉の木があるとの噂もあり
歴史と神秘が潜む山、それが‘牛松山’なのです。
保津川下りは、出発点から歴史の醍醐味を味わえる所なのです。
このことは、保津川下りがいわゆるただの観光産業で始まったのではなく
古代から現代にかけ、土地の人々の生活とを結ぶ歴史の掛け橋であることの
間違いのない証拠だとはっちんは考えているのです。
写真は乗船場から見た牛松山です。
美しい山でしょう。
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