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保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

今年も‘奴ら’花粉の季節が到来です~

2008-03-14 00:32:14 | 船頭の目・・・雑感・雑記
日に日に春の訪れを感じさせる陽気になってきましたが、
この時期の寒気と暖気がぶつかり、低気圧が発達し
強い風が吹き出すとやって来るの「奴ら」です。

奴らとは? そう!スギ花粉の軍団です!

アレルギー体質である私にとっては
この時期、最も‘厄介’な奴らなのです。

外に一歩出るだけで、鼻がむずむずして、
くしゃみの連続から鼻水がずるずる、
息苦しい日々に襲われるのです。

今や国民の16%、5人にひとりが花粉症といわれる
この日本で奴らが引き起こす症状はもはや国民病と
いってもいいでしょう。

そこで‘敵を知れば百戦危うからず’とばかりに
これから強敵となる奴らについて少し調べてみました。

花粉症は本来、体に備わっている風邪や感染症を防御する
免疫システムの過剰反応が及ぼすものといわれています。
その花粉の種類も50種類もあるそうです。
その中で私の最大の敵となるのがスギ花粉です。

では、なぜ?最近スギによる花粉症が増えたのでしょうか?

スギ花粉が増えた要因として3つの事が考えられるそうです。

先ず1つ目。
スギ花粉の量そのものが増えたこと。
スギは樹齢30年をこえたころから花粉をつけ、飛ばすそうです。
これは戦後の無計画な造林が影響しているといわれています。
日本では1950年代にスギは計画性なしで大量に植えられました。
そして80年代に入る頃、スギ花粉の症状が騒がれ出しました。
この事を考えると時期も一致します。

スギの花は米粒大で、ひとつの花に40万個の花粉が詰っている
そうで、長さ40cm枝に約10億個付け、花粉を放出します。
それらが天気のいい風の吹く日を中心に散布され、
山から午前10時頃から飛散がはじまり、数10キロはなれた
都市部に午後3時頃から五時半頃に到着します。

そして2つ目の原因といわれる交通量の増加により
花粉はさらに広く散布されていく。
地面に落ちた花粉は自動車の走行で舞い上がる。
特にコンクリートとアスファルトに覆われた都会では、
花粉がいつまでも土に吸収されず、飛散が繰り替えされる
というわけです。

そして3ッ目の原因は、受ける人間にあります。
近年の欧米型の食生活への移行で、動物性たんぱく質を
大量に体内に吸収するため、免疫システムがアレルギー源と
取り間違え、過剰反応することで起こるといわれています。
その点、摂取量を減らせば、症状を軽減でき、またヨーグルト
などに含まれる乳酸菌も効果的で、こちらは私達の方で
何とか取り払い可能だといわれています。

まあ、いずれにしても、今の私達がこれほど花粉に悩まされる
根本の原因は、自然環境と体内環境という‘外’と‘内’の
環境の不調和、つまりアンバランスにあると推測できると
思います。

自然とともに生きてきた人間は、この世の環境バランスが
崩れた時、息、呼吸という命の根源にまで作用する機能を
脅かす症状が現れてくることを知り、反省のもと
新たな知恵を出していく必要があると思います。

自然とともに生きる人類にとって、多くの示唆と教訓を
‘奴ら’花粉症は毎年、教えてくれているような気が
してならないのです。


最近、家族で話していますか?

2008-02-25 22:28:36 | 船頭の目・・・雑感・雑記
人の人生は‘種’を蒔きながら歩く様なもの。
と聞いたことがあります。

その蒔いた‘種’が後で生えてきて、人は
幸せや不幸に遭遇していくのかもしれません。


最近我が家では、来春中学生になる息子が
PCを操作する様になり、それまで私の指定席
であったデスクトップのPC前を長時間
占拠しだしました。

我が家にはPCは1台。

今まで、PCを操作したいと思えば
いつでもできたものが、最近は早い者勝ちで
連日、争奪戦を繰り広げる様になったのです。

このブログも更新したいのに、彼が終わるのを
待っている間に、その時を逸することも度々。

無理やり退かすのも、なんだか大人げないので
とりあえず「必要性の高さ、早い者優先」という
順序で、ルール決めたのですが、それは間違い
であったと気が付くのに時間はかかりませんでした。

小学生だと侮っていたら、彼らのPC操作術は
なかなかのもので、私が知らない技を使用して、
「授業の調べもの」などと言いながら
長時間マウスを動かせ楽しんでいるのです。

「もう~いかげんにしろ!」などと最後は
父親風をふかし力技で退かして、ブログの更新に
掛かろうとすると、今度は妻に
「それって今、絶対にやらないといけない事?」
と鋭いつっこみを入れられる始末。

確かに趣味の範囲ではあるが、私にとっては
もはや一つのライフワークにまでになった
「保津川下りの船頭さん」ブログ。
書き込みにはいつも、それなりの時間を費やしています。
その姿を家族はどんな気持ちで見ていたのでしょう。

家族との会話よりPCの前にいる時間が長くなりがち
だと、いうことは2年前ごろから気が付いていました。

私のこの姿勢が最近、子供達に伝染し芽を出し始めたのか?

親の姿を子供は真似る。

子供は自分を映す‘鏡’なのです。

‘鏡’は気が付かなかった自分の姿を
しっかり映し出します。

私の育った家には、毎日、今日あった出来事
などを聞いてほしくて一生懸命話をした、
楽しい団欒の時があった。

そうなのです!

PCの争奪戦などするよりも、もっと大切なコミニュケーション。

危うく、忘れてしまうところでした。

皆さん、家族と一緒に過ごす時間を大切にしましょう。

それこそが、なにより幸せの‘種’になると思うのです。


娘にもらったチョコの甘さ。

2008-02-14 23:55:37 | 船頭の目・・・雑感・雑記
今年もこの日がやってきましたね~

そう女の子達の記念日・バレンタインデー!

女子の皆さん、今日はどんな一日だったでしょうか?

我が家の小学3年生になる娘にとっても今日は特別な日。
心なしかいつもよりテンションが上っているのを感じました。

どうやら、意中の男の子がいるようで、クラスの友人達に
気がつかれない様にと、態々その子を呼び出して、こっそり
‘本命チョコ’をプレゼントしたようです。

我が子の成長って本当に早いものですね~
いつまでも「小さい」と思っていたら、もう
好きな子がいてバレンタインデーというイベントに
参加しているのですから・・・

先日も今日という日の為に、母親と一緒に某百貨店の
バレンタインチョコ特設売り場へ、本命チョコの品定め
に行った娘。もちろん、運転手に引っ張り出された私・・・

バレンチョコ売り場は女性だけの聖地。
「じゃあ~お父さん後でね~」と邪魔者を追い払う様に
私に言うと母娘はチョコの売り場会場へ。

チョコを品定めしている間、男たちは
振り返ることなく別の所で時間を潰します。

潰し場所を求めて2階へと向かうエレベーターから
ふと下の階を見ると、楽しそうにチョコを品定めして
いる母と娘の姿が目に飛び込んできました。

それは、女友達同士で恋人へのプレゼントを
楽しそうに探す姿そのものです。

いつまでも小さいと思っていた娘ももうすっかり、
恋する‘ガールズ’の仲間入りを果たしていたのですね。

我が娘は、出産予定日より約1ヵ月半早く生まれてきました。

生まれてきた時はまるで「鳥ガラ」の様に細くて
小さな小さな‘赤ちゃん’でした。
まさに「生まれてきたこと、そして生きていること」だけ
でも‘ラッキー’な子でした。
NICUのカプセルの中で、懸命に生きようと頑張っていた
姿をふと、思い出しました。

それが今では、全くの健康体で過ごし、好きな子までできて
母親と友達同士の様に‘ショッピング’を楽しんでいる。
その姿を見たとき、胸が熱くなるものを感じました。

慌てん坊のおてんばで、いつも心配しているのですが、
「生きているだけでいい・・・」と願ったあの日の
ことを思いおこせば、そんなこと大したことではないと感じる。
今、あの様に元気で楽しそうな姿を見られることは、
なんと幸せなことだろうか。

そんな事などを思いながら、娘からもらったチョコを
今、食べている私。
その味は、なんともあたたかくやわらかい‘甘さ’なのです。

「保津川最後の語り部」が語る‘文化’とは?

2008-02-05 01:10:58 | 船頭の目・・・雑感・雑記
小泉構造改革により地域間格差が進むと予想される日本で
これからの地域を支えていく力の源は、地域で培われた
‘文化’であるといわれる。
それは、その地域の風土で培ってきた日々の生活の中、
また、そこに住む人の生きかたの中から生まれた
歴史でもある。

私達の住む京都府南丹地域(丹波)の歴史と文化の形成には
大堰川(保津川)の水運が大きな役割を果たしてきたことは
異論のないところだろう。

その大堰川(保津川)の水運が丹波地域発展にどのような
役目を果たし、どのように地域を形成してきたかは、
これまでにも、歴史的、文化的、経済的な側面から
多くの場で検証がなされてきた。

が、しかし、実際に現場で従事した者の生の声を
取り上げ、地域文化を支えてきた人間の生きざま
や思いに焦点を当て、その文化(技)習得、継承と
いう側面から検証されたという記憶はとんとない。

文化の定義が上記で挙げたものであるなら、
当然、そのようなアプローチがあってもいいはず。

今回、京都府南丹市の国際交流会館で開催された
府主催「次世代につなぐ南丹地域文化フォーラム」
はまさに、地域で生まれた文化、産業を現場で
支えてきた‘ひと’にスポットを当てた画期的な
試みといえる。

私の参加した「川でつなぐ地域の水文化」フォーラム
では、1200年の歴史を誇った保津川の元筏師と
下り船を曳き上げた経験のある元船頭という
「保津川最後の語り部」であるお二人を招き、
川とともに生きた人生の記憶をたずね、
伝統を受け継ぐ‘技’継承者として、またそれを
支えてきた‘精神’について語っていただいた。

お二人とも16才から川に出てたという。
最初に口に出た言葉は厳しい修行時代のことと
自然の川への畏怖の念だった。
およそ伝統芸や技と呼ばれるものを習得する
為には、苦難の道が待っているもの。
でも、それが命の危険と常に隣合わせという
状況となるとそうあるものではない。
その苦行とも呼べる修行に耐え、身に付けた技
は生涯の宝として、本人の人生と地域の発展を
支え、代表する文化となる。
そして多くの人生と地域を支える産業として今も現存している。

天下の要害と呼ばれ、人や舟など一切の構造物の通過を
許さなかった激流の保津川を、丸太を組んだだけの筏や
木造の小舟で下っていく‘川人’の技と精神。
それが、川の水運文化をつくりあげてきた原点だ。

渓谷を我がもの顔で流れていく激流と対峙する
操船の技を‘花’に例えるなら、その技を生み出し
支える源となる‘川根性’と呼ばれる‘精神’は
‘根’であり‘土’である。

華やかな技の裏には、目には見えぬが支えとなる
精神がある。その二つが備わってこそ‘文化’と
呼ぶにふさわしい。

そしてこの現場の‘人文化’こそが、地域が大事に残し、
次世代へ継承していくものであると教わった気がする。

まさに‘大堰川(保津川)水運の源流をたずね
‘元を知る’旅へ、一歩を踏み出した気がした
フォーラムであった。

米国、スパイ衛星が落下??科学からの警告!

2008-01-30 23:58:30 | 船頭の目・・・雑感・雑記
先週末、米国政府高官から突然発表され、全世界に
衝撃が走った「米国スパイ衛星の地球落下問題」
皆さんご存知ですか?

すでに制御不能状態に陥ったそのスパイ衛星は、2月~3月中
にも地球へ落下する可能性があり、アメリカ政府は現在も
この衛星をモニタリングしながら、注意深く見守っているという。
もし地上に落下した場合、有害物質が散らばる恐れがあると
警告され、その時の被害を最小限にするための手だてを
考えているとのことですが、今のところ、地上の落下地点
は不明だそうです。

その後、この衛星はどうなったのでしょうか?
それ以来、まったく日本のマスコミには取り上げられて
いないので、その後の詳しい情報が入ってきてません。

この様な場合、大抵は大気圏に突入する際に燃え尽きると
いう説が有力で、落下の可能性が低いとみているのか、
それとも、落下地点がわからない状況で、いたずらに
恐怖心を煽っていけないとの判断なのか、
その後の詳しい報道はなされていません。

しかし、政府高官は衛星の規模の大きさから、大気圏
に突入しても、一部細かい部品が散乱する可能性は高く
そうなると相当の範囲に広がり、落下地点を予測する
ことはかなり困難になる見方をしています。
また、搭載しているエンジン燃料のヒドラジンは、
人が触れると死に至る有害物質です。
やはり、何らかの情報は報道すべきと思いますが
いかがでしょうか?

それに今回のアメリカの対応の早さも気になるところ。

本来、スパイ衛星というモノは軌道その他が極秘機密
にあたるので、このような情報を政府自らが公表する
事自体、相当危険な状況にあると見ていいのでは?

今回のアメリカの対応が、世界に対する責任と良心から
出たものであるとしても、この様にうがった見方を
されるのは日頃の行いのせいでしょうか・・・

今回の衛星落下の危険性が報道される度に、私達は
すぐ「どこに落ちるのか?」という事ばかりが
話題になりますが、問題の深刻さはもっと別
のところにもあると思います。

衛星が地上に落下した場合、都市部に落ちる確率は
相当低く、これが我が家の頭上となるとさらに確立は
天文学的なものになります。

しかし、我が家に落ちないからといって
安心していていいのでしょうか?

海に落ちたとしても、山に落ちたとしても、
辺りは汚染され、相当の環境破壊を生みます。

地球環境の保護が世界中で叫ばれている今、私達は
その視点から衛星落下問題を語る必要があると思います。

今、地球の周りには5400以上の人工衛星が打ち上げ
られています。これらの衛星もいずれ故障し、今回の
衛星の様な事態になる可能性が多分にあります。

科学万能信仰から脱却し、科学は永遠の不完全なもの
であるということを再認識し、科学の本質に目を向けた
議論を進めていく必要があることを、このスパイ衛星が
警告してくれていると、私は思うのです。



亀岡の井戸から‘白い水’が!震災の日に思う・・・・

2008-01-17 17:46:52 | 船頭の目・・・雑感・雑記
また、あの日がやって来た。
6434人もの尊い命を奪った「阪神淡路大震災」
が起こった日が・・・
月日の流れは人の記憶も移ろい易くするものだが、
地震の恐怖とともにあの悲劇の記憶はけして風化
させてはならない!と思い起こさせる日にしたい。

時あたかも昨今、私の住む京都府亀岡市でも
大地震の前兆を予感させる不気味な現象が起こって
いることが、昨日の報道ニュース「VOICE」の
レポートで明らかになった。

本来、火山地帯でない亀岡で民家の井戸から、
硫黄が混ざった水が汲み上げられたというのだ。
その井戸水は卵の腐った様な硫黄水独特の臭いを発し、
表面には温泉成分が析出、沈殿したあとに出来る
「湯の花」の膜が張っていたという。
この井戸水を調査した東京大学地震研究所によると
「硫化水素ガスが混在している」明らかに異常現象との
見解を示した。
こんな現象は「150年井戸水を使用していて初めてのこと」
と話す住人の証言に、さらに不気味さが増す。

「VOICE」のレポートによると、この様な不気味な現象は
亀岡地域だけに留まらず、広く丹波地域全域で顕著に報告
されているという。

亀岡市に程近い大阪府猪名川市の民家では、井戸水の
温度が2002年から徐々に上昇しているというのだ。
この井戸は阪神淡路大震災の直後にも30~35℃まで
上昇し、白い色をした温泉の様な水が湧き出たそうだ。
同じ猪名川市の別の民家の井戸では、枯れていた古井戸
にまた水が溜まってきているという。これも震災前後の
現象に酷似している。

また、兵庫県有数のある温泉地でも2000年頃から
温泉水に色の変化が見られる様になり、配管の
整備の必要性がでる被害が出ていると聞く。

これらの異常現象は一体我々に何を訴えようとしているのか?

関西の大地震の前兆はこれら地下水の異常現象があらわれる
丹波山地の微震の動きと関連が深いといわれている。

近畿地域で地殻変動を調査している京都大学防災研究所では
2003年から丹波山地で地殻変動の圧力が2倍以上強くなって
いるにもかかわらず、小さな地震の起こる数が極端に減少
していることを報告している。
この様な現象は地震エネルギーが発散されず、地下に蓄積される
ことを示し、大きな活断層を揺り動かすエネルギーとなる
ことを表しているという。

これら2つの研究所が導き出す結論として
「今後、近畿を中心に大きな地震が起こる可能性
は極めて高く、危ない時期にきていると思っていい」
と警鐘を鳴らす。

私達はあの13年前の悲劇から、いったい何を
学び取らなければならないのか?
そのことを真剣に考える機会を‘あの日’が
与えてくれている気がしてならない。

船頭に誇りを!冬の保津川下りの可能性を探る・・・

2007-12-14 23:04:56 | 船頭の目・・・雑感・雑記
「冬でも川下りやってるの?」
「船頭さんは冬の間どうして生活しているの?」

この時期になると決まって受ける質問です。

どうも保津川下りは、春から秋までの気候の温暖な
時期だけのレジャーで、冬は営業を休止している
ようなイメージをお持ちの方が多い様です。

私のブログでも毎年この時期になると、冬季船の
紹介と案内をさせて頂いておりますが、まだまだ
力不足か、冬の営業はなかなか浸透していないのが
現実なのです。
乗船場も秋の混雑がウソの様に、静かになります。

船の流船数も著しく減り、それに伴い私達船頭の仕事日数も
比例して減少します。そのため多くの仲間が他業種へ職を
求めて働きに出かけることを余儀なくされます。

株式会社の様な雇用契約などは無縁の企業組合という
経営システムに起因するのですが、冬の時期の安定収入を
確保し生活基盤を守る為には致し方ない選択で、
若手を中心に多くの船頭がこの時期、一時
船を離れざる終えません。

私は毎年、冬になると忸怩たる思いにかられます。

年中通して就労できない職場が、どうして社会的に
信用ある職場といえるのか?
そしてなにより就労する我々自身がこの船頭という
仕事に誇りを持ち得ることが出来ようか?

「所詮、船頭なんて冬にはひぼしあがる家業?」
「人様に胸張って自慢できる職業ではない!」
「遊船の為に懸命に汗を流しても無駄~、それより
毎年冬の仕事を探し確保することが第一!」という
精神構造になるのも致し方ないことなのかもしれません。

このような雰囲気が職場全体に蔓延する事が、組合全体の
正常な発展を疎外する要因として根底に潜んでいることは
否定できない事実だと感じます。

私とて、その状況から逃れられない場所に立つ同じ船頭。

でも私は思う!
船頭は生涯、船頭として飯を食わねばならないと!

そのためには、今一度冬の保津峡、保津川の魅力を真剣に
研究し、冬しか味わう事のできない保津川の楽しみ方を
自らの手で創造し、プロデュースする努力を怠っては
ならないと思っている。

自然は生きものです。春になると葉が芽生え、花が咲き、
秋に紅葉で彩られ落葉となる。
それは自然の‘いのち’が演出する究極の‘美’世界です。

でも!それだけが自然のよさでは断じてありません!

葉が落ち、枝だけになる木々。躍動感に溢れ華やかに彩られた
山々は静かに眠りの時を迎え、渓谷一帯に静寂の世界が広がる。
寒さで凛と張り詰めた空気の中、櫂を漕ぐ音だけが深い渓谷に響く。
日常の喧騒とはかけ離れた、冬の保津川が見せる、飾ることの
ない、ありのままの自然がそこにあります。

保津川の大きな魅力はありのままの‘自然の姿’。

冬の自然の姿の中に「保津川の冬」の可能性を強く感じます。


*冬季船は屋根にビニールが張られ、スライドドアの
 付いたた暖房船です。
 雨が降ろうと雪が降ろうと外気からは一切シャットアウト
 されるポカポカ船です。
 その点ではシーズン中の雨降用の船よりよほどいい待遇です。
*この冬季船は3月10日まで運航します。
 中は土足厳禁なので、お乗りの際は靴を脱いで
 乗船してください。
*営業時間にも変更があります。
 最終船が2時30分に繰り上げられますのご注意下さい。
 定期船の時間も10時、11時30分、1時、2時30分です。

散り紅葉にみる‘いのち’の大河・・・

2007-12-03 16:29:57 | 船頭の目・・・雑感・雑記
昨日のポカポカ陽気から一転、今日は冷たい雨が
降った京都・保津川。

この雨に打たれ、乗船場のもみじが散り始めました。

紅葉の散る姿はものの哀れを漂わせ、雨が妙に似合いますね。

もみじの葉はその終焉を迎えるとき、自ら水分と養分を断ち
葉緑素を壊して、色づいていくといわれます。

その終焉の時を迎え、最後のいのちの炎を燃やすように
真っ赤に染まる紅葉。

真っ赤に染まる葉に雨の露が重みを加え、
燃え尽きて落ちてゆきます。

落ちたもみじの葉が地面を赤く敷き詰めていくと
木の周りの空気までが赤く色つき、いのちのオーラが
辺りいっぱいに漂う感じがします。

落葉たちは来年また葉をつける、もみじの木の根への
栄養となり、いのちは姿を変えて続いていく。
永遠に流れる‘いのち’の大河となって・・・

*保津川下りは12月から「冬季船」時間となっております。
最終船は2時30分で、通常営業時間より1時間繰り上げられます。
冬季船にご乗船の方はお気を付け下さい。


保津川下り乗船場の紅葉を眺めながら・・・

2007-12-01 16:34:34 | 船頭の目・・・雑感・雑記
今日から12月、好天に恵まれた今日の保津川下りには
まだまだ、大勢の観光客がお越し下さっております。

その観光客のお越しを出迎えてくれるのが‘乗船場の紅葉’です。

葉は毎年深い赤色の染まり、これから船で下る
保津川峡谷の紅葉風景を予感させるもみじです。
今年は今が見頃で、きれいな‘紅’に色づいています。

乗船時間まで間、このもみじの下で記念写真を撮る
家族連れやカップルも多いです。

秋の乗船場を紅く彩るもみじは、私達の保津川遊船企業組合が
設立された昭和44年に植えられたものだと聞いています。

大手鉄道会社の所有であった保津川下りを、船頭の手に
取り戻し‘自主運航’に漕ぎ付けた昭和44年。
船や事務所、乗船場など施設を会社側に押さえられ
使用できないようにされていた船頭たちは、自分達で
資金を寄せ集め、今の乗船場と船を造りました。
その時、新たな乗船場にこのもみじを植えたのです。
それが38年の歳月を経て、今年も多く訪れる観光客の
目を楽しませ、記念写真を写せるほどの美しい場所に
もなっています。

時代を越えて、人は次の世代に何を残していくのだろう?
そのヒントをこの‘もみじ’は教えてくれている様に感じます。

我々「保津川エコ・グリーン委員会」でも今年から
保津川峡谷に‘もみじ’や‘桜’など渓谷を美しく彩る
植樹を実施していく「プロジェクト」を進めています。

私達の時代ではまだ小さな木々たちですが、
これらの‘木々’たちが今の乗船場のもみじの様に
30年、40年もしたら全国いや、全世界から
保津川に訪れる人々の目にとまり、その人達の
心に多くの癒しや感動を与え続ける。
そしてなにより、これこそが、保津川の川下りを
守り継承していく後輩達への先輩からのささやかな
プレゼントにほかなりません。

‘人間は生きている間に、何を後世に残せるか?’

この答えをこれから「保津川峡谷の大自然に求めていきたい!」
乗船場のもみじを眺めながら、そう思うのです。

秋の保津川下り、朝の風景に感じること・・・

2007-11-26 18:50:18 | 船頭の目・・・雑感・雑記
秋の保津川下りの朝は早いです。

紅葉が美しく色づく頃になると、昼間の混雑を避けるために
大勢の観光客が朝早くから亀岡の乗船所にお越しなるからです。

私達保津川の船頭は濃い朝霧がたち込める中、大きな橋を徒歩
で渡りながら対岸にある船の係留地まで向かいます。

放射冷却で冷え切った気温は6℃くらい。竿を川の中に
付ける手が水の冷たさで悴んで自由を奪われます。

深い霧の中、船はお客さんの待つ船着場へ順次、用意されて行きます。
保津川下りの船着場は一番船から六番船までつなぐことが出来、
秋の朝はそこから一斉にお客さんが乗り込まれます。
一度に6艘とも出航することも多く、順々に船を下げて来る訳です。

そうしている間に霧の隙間から一筋の日光が差込み
スポットライトの様につないでいる船と川面を照らします。

朝日に照らされた川面は、眩い光で温泉の湯の様に
白く沸き立ち、瀬を白銀に輝かすのです。
霧の薄暗さや気温の寒さも一気に吹き飛ばす風景。
一日のエネルギーを運ぶ日光を体いっぱいに浴びると
「今日も一日、頑張ろう!」と元気が沸いくるから不思議です。

深い朝霧を晴らした眩しい朝日を浴び、保津川下りの船が
次々と出航して行きます。今日はもちろん、これからの
保津川下りの未来をも照らしているかの様に・・・

自然が演出する‘光’の風景を目の当たりすると、昔の人々が
太陽のことを‘お天道さま’といって崇めて手を合わした
気持ちが何となくわかる様な気がします。

たとえ時代が変わり科学技術が進歩しても、自然の偉大さ
に感動する、人間の本質というものは変わらないものだ
と教えられる保津川の朝風景なのです。