goo blog サービス終了のお知らせ 

保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

‘ダーウィンの悪夢’を観て感じること・・・

2008-08-03 22:47:15 | 船頭の目・・・雑感・雑記
先日あるドキュメンタリー映画を観た。

作品のタイトルは「ダーウィンの悪夢」

2004年に公開され、ベニス国際映画祭でグランプリを
受賞したのを皮きりに、世界中の映画祭で賞を総ナメに
した話題作でありながら、映像表現が偏っており作者の
意図する主観があまりにも反映された作品として
現地関係者や学識者から指摘を受け物議をかもした
話題作だ。

なんとも面白そうなドキュメント作品なので
「是非とも観たいものだ」と思っていたが、
腰痛休暇中に時間が出来たのでやっと念願叶い
観ることができた。

さて映画の舞台はアフリカ最大の湖「ヴィクトリア湖」

タンザニア、ケニア、ウガンダの三カ国に囲まれた
ヴィクトリア湖は、広さが琵琶湖の100倍もあり、
湖としては世界3位、淡水湖では2位という壮大な面積を誇り、
太古より生物進化を遂げながら約1000種類もの魚が
生息したことで「ダーウィンの箱庭」ともいわれていた湖。

が、しかし1954年に僅かバケツ一杯分の魚を実験的に
放流した事で湖の生態系に狂いが生じてきたという。

この放流された魚が「ナイルパーチ」

肉食で食欲旺盛な外来種である「ナイルパーチ」はそれまで
湖に生息してきた在来種を駆逐し、湖の生態系を破壊すると
同時に湖岸地域の人々の生活環境も一変させ破壊したという
惨劇を映像は現地の風景やインタビューで活写していた。

僅か50年余りで在来種を食べ尽くした「ナイルパーチ」は
一方で食用に適した魚で、欧米諸国は最先端技術を駆使する
一大水産業のを立ち上げを目論み大型投資を実施、
湖岸周辺地域は大きく経済発展を遂げ変貌していくのだ。

「ナイルパーチ」は大きいもので全長2メートル、
重さ100キログラムにまで成長し、脂身の多い白身魚として
EU諸国を始め我々日本など先進国に輸出されている。
タンザニアなどはフィレ(三枚卸し)とて食品輸出の
一位を占めているほど。

日本では「白スズキ」という名で広く国内に流通しており、
毎年4000トンのフィレを輸入、その量は人気の高い
ビンチョウマグロの3分2にあたるほど。
主に外食産業やコンビニ弁当、給食などの白身魚フライに
よく使用さており、私達の食生活にも非常に馴染みのある
魚なのだ。

映像からは、先進国に輸出される一大水産業の誕生が
一方で湖岸漁師や住民たちの素朴な生活環境を破壊し、
新たな貧困を生み出し、街は売春やエイズ、麻薬の氾濫
ストリートチルドレンの増加など風紀の乱れと工場廃水等に
より湖の水質汚染され環境破壊に進むという
まさに‘悪夢’を生み出したという事を強く主張している。

また、先進国へ白身魚を運ぶロシアの飛行機には
コンゴ民主共和国の内戦用に使用される武器弾薬も
運ばれて来るというオマケ付きなのだ。

作品は西欧先進国による‘グローバル化’という名のもとに
古くからの生活環境が破壊されたことで、住民コミュニティー
が崩壊したという流れで作り上げられている様に感じた。

この作品は確かに「西欧先進国=悪」という作者の
強い思惑‘狙い’という主観が強く反映され過ぎている
様にも感じられるが、行き過ぎた経済至上主義が今、
地球環境の悪化を招き、負の象徴的貧困に喘ぐ階層を
生み出したことは否定はできないし、その‘姿’から
感じるものは多い。

元来、ドキュメンタリー作というは作り手の主張が
反映され、焦点を絞り込むほど、わかりやすく
よい作品といわれるものだ。

様は観る側がそこから、何を感じ取り、
何を問題として意識するかが大切だ。

ただ私には、オオクチバスやブルーギルなどの外来魚を
放流したことで年々在来種の稚魚が激減し、絶滅が危惧
されている種もいる保津川を見ているので、
バケツ一杯分の外来魚が50年余りで琵琶湖の100倍の
広さをもつ湖の生態系を狂わせた事実は衝撃である。
ただ「儲かればいい」「楽しければいい」という
一部の人間の欲望のために、太古から地球が育み守ってきた
生態系を破壊してもいいとはけして思えないのだ。

その視点から観るとこの「ダーウィンの悪夢」は
多くの示唆を与えてくれる作品だと私は思った。

清流の山里・清滝を襲う深夜の悪夢・・・

2008-08-02 21:28:28 | 船頭の目・・・雑感・雑記
先日、我がルーツの場所として紹介した清流の山里・清滝で
連日、若者による深夜の迷惑花火で、住民は眠れない日々
をおくっているという。

8月1日付けの京都新聞の記事によると、今年は特に酷く
例年より早い6月頃から、若者グループが深夜に車で
乗りつけ、清滝川の河川敷きや橋の上で花火し騒ぐという
迷惑行為を連日続けているというのです。

清滝では10年前頃から迷惑花火に悩まされていた
そうですが、今年は鴨川河川敷で打ち上げ花火やBBQを
規制する「鴨川条例」が施行されたことから、締め出された
若者たちが車で清滝に来る現象が起こっているという。
実際、例年より早く花火やBBQをする人がやって来て、
その数がかなり増えているそうだ。

清滝は峡谷の里という狭い空間に民家が建ち並んで
いるので、こんな所で花火をされると火災につながる
危険な行為です。
中には、わざと民家に向かってロケット花火を打ち込む
若者もいて、住民は恐怖すら感じているという最悪の状態。

事実、6年前の夏に空家になっていた旅館から原因不明
の火が出て、全焼するという事件も起こっている。
この時は風がなく、防火水槽から近かったこともあり
建物一軒を全焼するだけで、他の民家には飛び火しなかった
のだが、条件が悪ければ集落一つが消滅する最悪の事態も
けして考えすぎではない。


(全焼した元旅館の跡地)

もはやマナーが悪い程度の話ではなく、この行為は
無差別殺人未遂であり、テロ行為にも匹敵するものだ!

バカ騒ぎがあまりにもヒートアップする時は、住民が
110番通報するそうだが、距離があるためパトカー
が到着した時には逃げ去った後という始末。
右京署も「ただ花火をしているだけでは取り締まれない」
と規制がないとなんとも消極的で頼りにならない。

BBQ後のごみも河川敷や住民の家の前に捨てていく者
が後を絶たず、住民がごみを持ち帰るように注意すると
反対に逆切れされ、もの凄い剣幕で脅されるということ
もよくあり、怖くて注意もできないと嘆いている方も。

この国の常識やモラルは一体どうなってしまったのでしょう?

ただ物質的豊かさを享受することが「当たり前」と
育った世代が起こすこれらの狂気的なモラルハザード。
一体私達はどこで、何を、間違ったのでしょう?

そしてこのモラルハザードの波は清滝だけでなく、
保津川河川敷にも忍び寄っているのです。

休日明けの河川敷には毎度、打ち上げ花火の残骸が
持ち帰られることなく、散乱しています。

もはや、モラルや良心に訴えることでは解決できない
ところまで人の心の荒廃してしまったのでしょうか?
厳しい厳罰で取り締まる以外に道がないとしたら、
人としてあまりにも悲しすぎる時代を迎えたと
いえるのかもしれません。

腰痛から一週間

2008-07-04 14:43:15 | 船頭の目・・・雑感・雑記
突然、激しい痛みを伴う腰痛に見舞われてから、今日で一週間が経ちました。

起き上がることはおろか、寝返りひとつうてなかった頃に比べると、ゆっくりだが歩く事も出来るようになり、本当に徐々にではあるが回復に向かっている手応えを感じています。
しかしまだ、安静状態である事には変わりはありません。

完治するのに、これほどの時間を有したことはこれまでの腰痛歴の中でも経験がなかったこと。


腰痛になる一週間前には考えることすら出来ない程、ゆっくりと流れる時間の大河に身を委ねる毎日を過ごしています。

安静にしていると体に疲れが残らない分、朝は早く目覚め爽快なのは意外な発見でした。目覚まし時計など必要なく、毎日決まった時間に目が覚めます。

目覚めてまずする事は腰の痛みの確認。「今日の調子はどうかな?」と寝返りを打ち痛みの度合いから回復具合いを確認するのです。
「もしかしたら、劇的に痛みが解消しているかも?」と微かな期待を持って、腰を捻るも、その期待はいつも無残にも破られ、連戦連敗…

お腹もたいして空かないので軽い朝食を取り、指定席となったリクライニング付きのマッサージチェアに座り、腰の痛くない姿勢を保てる角度に設定し、今日も安静状態に入ります。

ここで出来る事は限られています。
私の場合、ほぼ読書。
この一週間でハードカバーもの、新書、文庫合わせて15冊もの本が読めました。
これだけ活字に触れたのは、学生時代以来かも?

読む時間もないくせに、プロフィールなどで趣味の欄に格好つけて‘読書’などと記入してきた私。今なら胸を張って‘読書’と書き込めるって感じです。

また、庭から聞こえくる鳥のさえずりや虫の声、窓から射し込む日光の眩しさや風の涼しさなど、普段の日常では気がつかなかった、自然ののどかさ、恵みを全身で感じることができるのです。


腰痛症状が長引き、焦る日もありましたが、よく考えると、今、私は得難い贅沢な休息を与え頂いてるようにも感じられるのです。

ここまできたら、どっしり‘腹’を据えて、腰痛ライフを堪能したいと思っています。

そして、朝目が覚め寝返りをうつと「あれ、痛みがないぞ!」と言える日がくることを楽しみに…


押忍!男組〓斯道会はっちん

腰痛再び!この痛みから悟ること…

2008-06-28 23:19:15 | 船頭の目・・・雑感・雑記
2日前、私の腰に再び爆弾が落ちた!

それは何の前ぶれもなく突然やってきたのだ。

約2週間前に患った腰痛は完治し、体調は絶好調だっただけにまさに青天の霹靂である。

腰の状態が悪くなる日、確かに少しの違和感はあった。だかしかし、それはいつもの凝り程度のよくあるもので、とりたてて気にかける程のものではかった。

私と腰痛の付き合いはもう9年になる。以来、腰痛が起こる時は必ず「あっ、やったな!」という瞬間が自覚できるものばかりであった。

しかし、今回の腰痛には全く自覚症状らしきものが思い当たらない。

朝、起きようすると腰が痛くて立てなかった。しかもこれまで体験したことがない程の激痛だった。
2日たった今もベッドから起き上がれず、痛みで寝返りひとつ満足にできない状態が続いている。
よってこの投稿も携帯からによるものだ。椅子にすら腰掛けられないのでPCの前にも座れないでいる。


この体が2日前まで、大のおとなの頭上を廻し蹴りで蹴り上げていた体と同じものとは全く信じられない不自由さに見舞われているのだ。

今回の腰痛の痛みは骨盤と腰骨のつなぎめの骨同士が当たり「こすれてきしむ」様な激痛で、これまで経験したことのない激しいものだ。

もしかしたら完治まで相当の時間を有するのではないか…予感すら感じさせる。
仕事が仕事だけに、内心穏やかではない。

まったく人間の体は本当に摩訶不思議だ。
日頃、健康な時は自分の思い通りに動き、我がのものと信じて疑うことすらないが、ひとたび調和が崩れると、全く我がの思い通りにはならない。寝返りはもちろんのこと、足を引き付けることすらままならないのだ。

私は子供の頃から、信心深い両親に
「このからだは‘天’からの借りものである。心ひとつだけが我がのもの」とよく聞かせて頂いた。この体は自分のものではなく、神様からの借り物でその人の心ひとつに応じて貸し与えられるもので、寿命がきたらお返しし、また新しい体を借りて生まれ変わってくる。というのだ。
つまり、日常的な範囲では体の使用権と使用能力は大幅に与えられているが、厳密な意味での所有権は人間にはなく、自己の所有物である‘心’に相応しい体をを使用させて貰ってといるというのが生きている真相というのだ。

人生経験の浅い、未熟な私にはにわかに信じ難い言葉だったが、この歳になると幾つか感じることがある。
そう思案すると、この言葉は理論や理屈で理解するのではなく‘体験語’として感じるものなのだ。
なんとも深い言葉であろうか。

今の私の状態はまさにその体験の中にいる。

そして、借りものといわれるこの体には、体が体を治そうとする自然の治癒力が備わっている。整形外科へ行っても湿布と‘痛みどめ’しか治療法がなく「日にち薬」と医者がさじをなげる今の状態にあっては、最初から体に治癒力が備わっていることは誠にありがたいことだ。
この治癒力の前には、医学など体の応援団にすぎない。
腰痛に限らすどんな病でも主体となって体を治すのは体なのだ。
この当たり前の事こそ‘奇跡’だ。
奇跡などはどこか特別な所にあるのではなく誰にでも‘今、ここにあるもの’だと今なら確信できる。

貸し主のことを‘天’と言っていいし‘神’と言っていいが今はそんな‘偉大なる何者か’の慈愛深い働きを感じることが出来るし、素直に頼り感謝することができる。
今回の腰痛を台にして人間として深みを増すことができたのなら、この痛みも無駄ではない。
そう思うと何だか不思議に心が晴れやかに感じられる。

完治してもこの思いだけは忘れないでいたいものである。


押忍!男組〓斯道会はっちん

幸運を運ぶタクシー、四つ葉のクローバー号に乗る!

2008-05-12 22:56:57 | 船頭の目・・・雑感・雑記
GW真っ只中の忙しい日のこと。

渡月橋の上をあずき色した1台のタクシーがやって来た。
私達はすかさず手を上げそのタクシーに乗り込む。
このような日の保津川下り乗船場には大勢のお客さんが
船頭の帰りを待っているので、私達はタクシーを利用し
一便でも早い電車に乗りUターンしなくてなりません。

「これで、OO分の電車に間に合うな~」

タクシーをゲットし安堵している私に運転者さんが
「このカードをどうぞ~」
と名刺サイズの緑色した一枚のカードを差し出された。

「このカード、なんですか??」と問う私に

「おめでとうございます。このタクシーは四つ葉のタクシーです。」

「四つ葉のタクシー!!」私はその瞬間思い出しました!
「あの幸運を呼ぶタクシーとして話題の四つ葉のクローバー号か!」

「このカードはその記念乗車証です。」と運転者さん。

三つ葉のクローバがトレードマークの京都のヤサカタクシーグループ。
その数あるタクシーの中でもごくわずかしか走っていないと
いわれるのがこの四つ葉マークのタクシー・クローバー号。
このタクシーにめぐり合い乗車した人には「幸運が訪れる」
とも噂される幻のタクシーなのです。

目撃するだけでも幸運があると噂され
一時期、この四葉のタクシーを写真に収めようと、
京都市内のいろんな大通りでカメラを持って人が
多数出没したと話題になったほどです。

タクシーに乗車する私の脳裡に、幼い頃、家の周りに
たくさん生えていたクローバーの風景が甦ってきます。

いつも引っこ抜いては、クローバーの茎の繊維を一本だけ残し、
葉と葉を絡ませて引っ張り合いをするクローバー相撲という
遊びをよくしたものです。
大きな葉の繊維は太くコシがあるので、いつも大きな葉の奴
はないか、とクローバーを掻き分けて探します。
その中でも最強と云われたのが‘四葉のクローバー’です。
しかし、その四つ葉クローバーに遭遇することは滅多になく
四つ葉を探し出せたら‘幸運が訪れる’といわれた
幻のクローバー。

子供の頃、必死で探し求め、等々一度も見つけることが
出来なかった伝説の四つ葉のクローバーと思わぬところ
で遭遇したようです。


運転手さんがくれた記念乗車証には
「あなたに幸運が訪れますように・・・」
というメッセージが小さな四つ葉のシール
と一緒に入っていました。

四つ葉のクローバー号は、予約は受け付けず、また
タクシー乗り場で待機することもない‘流し専門のタクシ’
のタクシーで、ヤサカタクシー全1400台のうち4台しか
存在しないそうです。
まさに出会う確率は1400分の4の幻のタクシーに
乗った人がその日から幸運な出来事ばかり起こってくる
という不思議な報告が寄せられています。

では、私はといえば、幼い頃に遊んだクローバー相撲の
‘楽しい記憶’‘あの頃の風景’を思い出させてくれた
だけで、もうすでに‘幸せ’をいただいた気がしてます。

‘四つ葉のクローバー号’は本当に幸せを運ぶタクシーでした。

*四葉のタクシーが走るヤサカタクシーグループ
 観光タクシーもチャーターできます。
 申し込み・問いあわせは
 電話075-842-1214

毎日放送「映像’08」家族の再生~とは?

2008-04-20 20:18:05 | 船頭の目・・・雑感・雑記
今夜20日(日曜日)の深夜24時15分から
浜省の会副会長で友人の米田記者(MBS毎日放送)
が制作したドキュメンタリー番組
「映像’08『家族の再生~ある児童養護施設の試み~』」
が放送されます。

児童虐待の増加を背景に、児童養護施設はどこも
満杯の状態が続いている現状を追った作品です。

手厚いケアの必要な子どもが増加する傾向にある中、
家庭で生活できない子どもが暮らす施設を小規模化し、
家庭的なケアを実践する「小舎制」が注目されています。

この作品では、京都府下にある、児童福祉施設に、
心に深い傷を負った子どもたちと彼らに寄り添い、
自立を支える職員を8か月にわたって追い、
現代社会の中で希薄になりつつある家族の絆とは何か?
どうあるべきなのか?を問いかける米田氏渾身のレポートです。

米田氏らしく、きっとあたたかい眼差しで制作されて
いると思います。

深夜の放映ですが、一見の価値アリ!

是非ごらんになって下されば嬉しく思います。

*毎日放送「映像'08」‘家族の再生~ある児童養護施設の試み~’
 4月20日(日)深夜24時15分ー25時15分まで。
 関西ローカル限定の番組です。


マイケル・ジャクソン「HEAL THE WORLD」との再会

2008-04-17 02:22:48 | 船頭の目・・・雑感・雑記
歌には人の心を動かす力がある。

心楽しい気分にさせてくれたり、時には癒されたり、
そして考えさせれたり、気づかされたりと・・・
人は歌に支えられ生きる力を与えてもらうことがある。

私もこれまでの人生を振り返ると‘歌’に支えられ
人として大事な感情の多くを芽生えさせてくれたと感じる。

最近、私の心を動かせた懐かしい歌に再会した。

マイケル・ジャクソンが1991年にアルバムの中で
発表した「HEAL THE WORLD」(ヒール・ザ・ワールド)だ。

私にとっては「We are the world」「Lean on me」
並び、ソウル(魂)を貫いた洋楽のナンバーだった。

妻が所属するゴスペルグループ「Voice of Peace 」
が今夏の京都駅ビル・サマーコンサートでこの
「HEAL THE WORLD」を選曲し、歌うというのだ。

今だ争いの絶えない世界。その犠牲になる弱き者たち。
人の尊厳は冷たい銃の前に踏みにじられていく。

♪世界を治療しよう より良い場所にしよう
 僕と君と そしてすべての人類のために
 人生を注意深く見つめれば
 死んでいく人々がいることがわかる
 より良い場所にしよう 
 僕と君のために・・・  ♪

マイケルの歌詞は、人の愛を信じ、理想の世界を
つくろう、と呼びかける。

♪ どうして僕らは生命を痛め続けるのか?
  大地を傷つけることは魂の虐待にすぎない ♪

人は殺し合うことの愚かさに気が付かねばならない。
神から与えてもらったこの地球を大切にする義務がある。

♪ 僕らは空高く翔き 永遠の魂を手に入れよう
  僕の心の中では君達みんなが兄弟なんだ
  恐れのない世界を築き 共に幸せの涙を流そう 
  世界の国々が剣を 鍬に持ち換える様子を思い描こう ♪

人類は約一万年前に文化を創造して以来、物質的繁栄を
追い求め、今の満足ではなく、明日の繁栄に焦点があった。
その価値観は強い者が弱い者を淘汰し、優れた者が劣った者
を選別するという生存競争の思考に基づいているのではないか。
そこに人種や宗教が絡み合い、複雑な論理を築いてきた。

しかし、物質的繁栄は地球環境すら危うくするほどの限界に
きており、最新の軍事技術が原子力の力を手にしたことで
地球上のすべての生命を破滅させる能力がある。

もう、我々人類は生存競争による物質的繁栄という
価値観を捨て去り、人種や宗教の枠を越え、世界の人
すべてが兄弟なんだという共存共栄の新たな価値観を
構築する時にきているのでは?

ロマンチストの理想論と一笑されるのもわかっている。
でも、訴えかけずにはいられない。

人の愛を信じたい・・・人の尊厳を信じたい・・・

広島の原爆平和資料館に掲げてあった一文を思い出す。

‘人類の尊厳と敬愛は、いかなる破壊力にも動じることなく、
 惨禍を克服し尊敬と平和のうちに国家と国家を結ぶ’

マイケルジャクソンが歌う「HEAL THE WORLD」のやさしい歌声は
10年以上の時を経て、間違いなく私の心を動かせた・・・


散る桜にいのちの大河をみる。

2008-04-14 22:05:08 | 船頭の目・・・雑感・雑記
昨日の雨でさすがの保津峡の桜も
散る時が迫っているようだ。

峡谷に吹く何気ない風にも、ひらひらと
一片づつ舞い散っていく桜。

この姿ほど‘いのちのいとおしさ’を感ずる時はない。

万葉の昔から日本人は桜に自らの心を投影する感性をもつ。

満開に咲き誇る絢爛たる姿は人の心までも華やかにし、
賑やかな花見で盛り上がる。

悲しい気持ちの時に見る桜には、自らが体験した
悲しい物語を思い起こさせる。

移りゆく自らの心のありさまを、花になぞらえ映し出すのだ。
人は桜に語り、桜も語りかけてくる。
恋や愛、そして別れとさみしさ、心にかかる暗示が桜と対話するのか。

ただ、日本特有の繊細な感性が俳句や和歌、行間をよむ
美しい文学を生み出したことだけは疑いはない。

今、私の心に暗示するものがそう感じさせるのか?
絢爛に咲く桜を見ても、散りゆく桜を見ても
‘いのちのいとおしさ’を感じずにはいられない。

一年という時を経て、わずか数日しか咲かない花。
しかし、その絢爛たる美しさは他の花を寄せ付けない
圧倒的ないのちの輝きを放つ。
それは視覚からくる美しさを超え、喜びや楽しさ、
または儚さやものの哀れなど人の生涯、いのちの姿を
幻想的な感覚で映し出してくれる。
その輝きは時に鬼気せまり畏怖さえ覚えさせるほどだ。

眩く美しかった保津の桜も明日には忽然と姿を消しているかもしれない。
でもまた来年忽然と花を咲かせこの世にあらわれ出る。

散りゆく桜にいのちの大河をみる。

死は終局を意味しない。

いのちは今生が終わっても、無限の未来に向かって
永遠に生き続けていく。なんとも‘いとおしい’。

散りゆく桜は‘いのちの摂理’を教えてくれている様に感じるのだ。


散りゆく‘梅’に人生をみて・・・

2008-04-05 01:10:17 | 船頭の目・・・雑感・雑記
今、京都の桜が満開になり、まさに都の‘春爛漫’

そんな華やかさの影で散っていく花があります。

その花は・・・梅です。

「梅は咲いたか 桜はまだかいな」と昔の小唄にあるように
梅は春告草として、万花にさきがけて咲く花といわれています。

寒く厳しい冬の終りを知らせてくれ、春を運ぶ花・・・梅。
薄紅色や琥珀色した小ぶりでかわいい花が、寒さで悴んでいた
人の心に暖かい春の日差しを届けてくれ、大勢の人に愛でられる。

でも、人の心とは移ろいやすいもの。
桜が咲き出すと、人々の関心は一気に華やかな桜へと
移り、梅を振り返る人もいなくなる。

花の主役を桜に譲ってもまだ、梅は、万花咲く春という
華やかな季節の片隅でひっそりと咲き続けていたのです

多くの人が桜に心奪われる。
桜の圧倒的な華やかさと散り際の潔さが
人の心を感傷的にするのかもしれません。

私も若い頃は桜のような人生に憧れた。
華やかに咲き、潔く散る。
一度きりの人生、鮮やかで華々しく咲くが如く活躍し、
いつまでも老いの醜態を晒して生きていかない人生。
これこそ、価値ある生き方だと思っていた。

それに引き換え、梅の未練がましく醜いことはどうだろう。
一時はもてはやされたが、桜という格違いのスターの
登場で、簡単に主役の座を奪われ、薄情な人間の脳裡から
も忘れ去られ、咲く花を振り向く人すらいない。
色あせてもなお、いつまでも枝にしがみつき、
華やかな桜の横で、老体をさらけ出して生きている。

夭折の美学に惹かれる日本人には好みではないでしょう。

だが・・・桜の花の如く、清く潔い人生に憧れた
私も、今ではもう、とてもそのような
気持ちにはなれないと感じています。

というより、今では桜より梅の方が好きなのです。

自分一人の人生と思えば、桜の様な潔い人生は美しく
格好がいいかもしれませんが、守るべきものが
出来た人間には、その魅力は薄れていきます。

今の私には大切な家族がいる、そして大事な友人がいる。
少しでも長い時間をこの楽しき人生をみんなと歩いていたい。

格好悪くてもいい。情けなくてもいい。
醜いと言われようが、未練がましいと言われようが構わない。
梅の花の様に、いつまでもこの世にしがみつき、惨めに
老体をさらして生きのびても勝るものがこの人生にはある。

大勢の人のフラッシュを浴びながら、咲き誇る桜。
その隣で一輪、一輪と散りゆく梅の花を見ながら、
ふと、自らの人生をなぞらえた春の一日でした。

今年最初の桜に思うこと・・・

2008-03-20 00:01:32 | 船頭の目・・・雑感・雑記
今日は冷たい春の雨が降っていますが、今週に
入り、春本番を思わせる暖かい(暑いぐらい?)日が
続きました。

そんな気候に誘われたのか?今年最初の桜を発見!

といっても京都ではなく、昨日、友人と訪れた
奈良県天理市のお屋敷の庭に咲いてました。

日本人にとって桜ほど、心揺さぶられる花はなく、
思い出の中に生きる花もないでしょう。

目の前に咲く薄紅色した花を眺めていると
幼い頃の風景が頭の中に甦り、広がります。

私にとって桜の原風景は、京都の桜の名所といわれる
平野神社の桜です。
京都は衣笠で生まれた私。
登校班に間に合わない小学生だった私にとっての
通学路は、平野神社境内を抜けるコースでした。
もちろん学校が指定している正式なルートではないの
ですが、学校と家とを結ぶ最短距離のルートで
遅刻を免れる為の時間短縮には最適のコースでした。

春の朝、爛漫の桜に覆われた境内の美しさは、遅刻しかけて
時間に追われている小学生の足すら止める輝きがあった。
薄い赤みをおびた可憐な花の集団は、朝の日光に照らされ
さらに輝きを増し、見上げた私の目には、お伽話で見聞きした
‘桃源郷’の世界が目前に広がる様な錯覚を見たのを
今でもはっきりおぼえています。
毎年、桜の花を見るたびに私は、あの頃感じた
春の暖かくのどかな原風景を思い出すのです。


今年最初の桜を見つけたこの奈良県天理市にも、
なんともいえないのどかさとゆっくりした時が
流れていて、幼い頃に感じていた雰囲気や匂い
が、どこか遠い記憶の中にしまいこんでいた
懐かしさと共に思い出させる所でした。

穏やかな春の日の昼下がり。
薄紅色の花びらに暫し、幼い日に帰る情感に浸る。
なんと‘贅沢’な時間なのでしょうか。