宇宙の秩序に調和しながらの煩悩達成日記

自己実現。そうです、願望実現を通して、自己をさらに深く知ってみようという実験の日記ざます!

行きかう人々が織り成す曼荼羅

2013-09-04 11:56:42 | 瞑想にまつわる能書き
夏は終わり、私の越冬用の野菜の買出しも終盤である。
トマトがまだ安いので、30キロとか購入し、トマトピュレとケチャップを自家製で作っている。ガス代を考慮しても、自家製が安いのだ。

昨日も青空市場で物色していた。今回はたまねぎを購入予定であった。50キロの袋をゲット。かなり安くなった。 毎回購入するたまねぎやじゃがいもを、卸売り業者から直接購入して配達してもらう、つう事を当然考えたが、「仲介業者」の概念が無かった(笑)それに、デリバリーサービスの概念もあまりない。デリバリーしてくれるのは、飲料水とビールのみ。
ので、こうして市場へ足蹴く通う必要があるのであった。


*アリゾナに行ったときに、吊るし干ししてあった赤唐辛子が素晴らしかった!Youtubeでやり方を発見して、
私もチリを吊るしてみた。 きれーーい!!




当然、購入したものは重いので、私が自力で駐車場に待たせてあるタクシーまで運ぶのは困難。市場には、大量の野菜購入用に、「リヤカーとそれを押す人」がいる。もちろん、有料。
先日、リヤカーを探していたら、ハンデキャップのリヤカー押し人がいた。目は超より目、で接近したものしか見えないらしい。言葉は話せない模様。手足は重度の障害があるが、なんとかリヤカーは押せる模様。
市場で働いているので周りの人は知り合い、という感じ。 彼の押すリヤカー(とんでもないボロ)が、ガタガタの地面の穴に、よく落っこちて、動けなくなる。すると、どこからともなくオッサンが現れて、ワーワー言いながら、リヤカーのタイヤを穴から出すのであった。
周りの人たちは、リヤカーが穴に落ちればハンデキャップの人を助けてはいるが、とりたてて世話を焼いてる様子もなく、ハンデキャップの人は、そのままで、市場の風景に溶け込んでいる。


私はこうした情景に不慣れなため、ハンデキャップの人が荷物タクシーのトランクまで運んだ後の支払いを、通常の5倍も払ってしまった。といっても、たいした金額ではないけど。
ハンデキャップの人は、くしゃくしゃの顔をさらにくしゃくしゃにして喜んでいた。話せないせいか、不自由な手をブンブン振ってバイバイ、と言ってくれた。
私は深いため息をつきながら、タクシーの後部座席に座り、食堂の住所を告げる。

私が行く市場には、こういうリヤカー押しが必ずいる。私の購入するものは米だとか、食用オイルとか重たいものが多いので、必ずリヤカーを利用する。リヤカー押しの人は、とても年老いたおじいさんとか、ハンデキャップの人とかである。市場から駐車場なので、20m程度の距離ではある。たいした重労働ではない。同情するほどでもない。

が。
この国に住んで、この歪んだシステムの中では、いわゆる底辺の人は大げさでなく、死ぬしかない、感じなのである。どこからも救いの手もなく、救援もない。社会自体がビンボーなので(笑)みんな似たり寄ったりで大変なんだと思う。
欧米社会にあるような、富裕層が貧しい人に施す、という図式はここにない。 富裕層が無い、というわけではないが、極端に少ないし、施す対象が莫大過ぎて(国民のほとんど?)どうにもなんないのかもなぁ。

でもさ。そんな難しいことなど考えずに、目の前にいるこの人に、私は多少なりとも与えるものがあるのだから、与えればいいのではないか。そう思うことにしている。 リヤカー押しの人には、菓子パンをあげたり、いろいろ与えさせていただいているのであった。
善人になりたいシンドローム?(爆) まあ、なんでもいいやね。


9月2日、当地のアメリカン・ユニバーシティの始業式?のケータリング。
エマ嬢はサリーを来てご機嫌! となりはセイネン。






で。

9月3日、昨日、娘は来た!

どうも遠いところにある家をを売って、エレバン市街地に家を購入するそうだ。でも、両親はいないと。今は、空港近くの食堂の洗い場で働いてる友達のところに住んでいる、と。
午後3時までしか働けないのは、その友達の子供の世話をしてる(シッター)から、と。家を購入して友達の家から出たら、フルタイムで働ける、と。

娘はランチの時間に来た。まあ、いつも暇なんだけども。常連のインド人がいて、彼だけはランチを食べにしょっちゅうやってくる。そのインド人常連に娘の事を話すと、「ふーーん」
みんな可愛いって騒いでるよ、というと「別にそうでもないじゃん。」と言っていた。常連は同僚のインド人とランチを食べながら、カウンターに座っていた娘を見ていた。
私とエマ嬢、にぎやかなプラカッシュで娘を囲んで話をしていた。なぜか、私のビジネスパートナーも登場。 事情を話すと、「ふーん。ホントかね、その話。」と。 で、娘に積極的に話しかけてみたパートナーではあったが、彼のアルメニア語を、娘は読み取れなかった模様。
「まあ、あなたの好きにしたら。」とか彼は言っていた。

インド人の常連客は帰り際、娘のそばにやってきて「あのさ。俺の家はもう掃除のおばちゃん雇っちゃったし。仮に若い娘を掃除婦として雇い入れるて、何か近所の人に誤解されても困るし(彼は単身赴任)。でも何か金銭的な援助ならできるから、なんでも言ってけろ。」と言っていた。

娘は木曜に来ることになった。

娘が帰ってから、他の常連が来た。こんなことがあったんだよーと娘の話題で盛り上がる。
プラカッシュいわく「インド映画みたいだよね!娘は可愛くって純情でさ。で障害持ってて、それでもひまわりみたいに可憐でさ。親もいない、という不幸もあるのにね。」
プラカッシュは続ける。
「あのさー。金の事は心配要らないからさ。木曜、娘を医者に連れてこうぜ。で、精密検査をするの。もし、手術か何かで話せるようになる可能性があるなら、俺、インドに連れてって、手術受けさせるよ!ほんと、インド映画みたいだよなあ!」
木曜、エマ嬢はインド大使館でヒンディー語のレッスンがあり、娘が食堂に来る時間には来れない。そこで、もう一人の常連の人に「ね。あなた来て。娘と筆談の必要があるからさー。木曜、エマがいないし。お掃除のおばちゃんは読み書きできるけど、私とコミュニケーションできないもん。来て来て! お昼ごはんにカレーおごるからさ~。」

とりあえず、娘には開店時間に来てもらって、食堂の内外の掃除をしてもらおうと思う。で、掃除のおばちゃんは3時間遅く来てもらう。おばちゃんの日当は同じ。下げるわけにはいかないよねえ。。 
娘の日当分が、「余計な経費」になるけど、それくらいは営業で頑張って捻出できるかなあ。

娘が医者に診て貰うのをOKするかどうかわからないが、娘の障害が、手術で治るといいなあ、と単純に思う。