宇宙の秩序に調和しながらの煩悩達成日記

自己実現。そうです、願望実現を通して、自己をさらに深く知ってみようという実験の日記ざます!

マインドのリセットには、お詫びが効果的

2013-06-01 19:30:16 | 瞑想にまつわる能書き
6月になってしもた。

なんか不安定な天気が続き、寒かったり、雨が降ったりで、気温の変化が甚だしい。
一定の気候の国に長く住んでいた私は、こういう気温の変化によって、カッタルさが増大してしまう。
かつて、「毎日半そで、素足」で1年過ごしていたわけだが、ここでは、靴下、それも重ねたり、1枚にしたり、
長袖や半そでを、日々の気温で調節しないといけない。めんどくさ。
さすがに毛布は使用してない。豪華羽毛布団(笑)のみであるが、今でも冷える日はマフラーして寝ている。

気候は変化に富んでいるが、私の日常はあまり変化が無いというか、なんというか。
どこへも行かないし、何もしていないし、小難しいことは全然考えていない。
変化の無い日を過ごしていると、月日の経つのがもの凄く速いのかも知れない。


お詫び、というか「懺悔」がマインドのクレンジングに効果的である、とどっかで読んだので
暇な私はググってみた。

お詫び。
ごめんなさい。
すみません。
許してください。
懺悔。


オボノポノにもありましたな。確か。
許しを乞う精神状態、というのは、感謝する精神状態と同等に「イイ!」と思うのだ。
許しを乞う精神状態と、感謝する精神状態って、案外、根っこのトコで同じなのだと思うのだ。
根拠は、無い(笑)

感謝する対象は無限にある。
お詫びする対象も無限にある。

懺悔するには、まず、自分の
あやまち、
至らなさ、
エゴに操られた行為、言動、
果たせなかった義務
叶えられなかった希望、
無力化してしまった自分、
無力を認めた自分、

そういったもろもろを、「素直に認める」事が不可欠であーる。
思い起こせば、いっくらでもある。
人間関係でも、
自分の課せられた仕事や、いろいろでも
「与える事が可能であったのに、私は与えることをしなかった。」とか。

暇なので、あれこれ思い返して、懺悔してみたねえ。
ごめんなさいね。
すまんかった、と。

ゾロゾロ思いつく、懺悔の対象。


なんか、こう、自分の至らなさを認めることって、案外、スッキリするもんである。
間違いを認めるのも、サッパリするわい。

誰に謝っているのか、とか考えると、脱線してしまいそうなので、ここでは考えない。
単に、「すんませんどした。」と深く詫びるのである。
対象が人間であった場合、「あん時は、すまんかったどず。」と心で詫びる。


以前、詫びてばかりいると、なんか、自分が矮小になったような気がした事がある。
ので、やめてしまった。
同様に、感謝行も、なんか偽善っぽい自分が見えるようで、やめてしまった。



何もしない日々を過ごし、感覚が鈍ったのか何か(笑)お詫び倒しても、矮小になった気もせず、
なんか、心からシミジミと、「すまんかったです。」というキモチになれたのである。
私が悪うございました、と。

たぶん、相手が目の前にいないから(爆)
いや、いたとしても、ごめんなさいどした、と言えるだろう。
が、相手にお詫びを容認してもらうのが目的ではないので、心の中で静かに詫びればいいのだ。
ごめんなさいでした、と。


あー、あんなこともあったのう、すまんかったのう。
そうそう、そういえば。。。すみませんでした。
ごめんね、意識的にイジワルしたです。許してくだされ。


詫びる=非を認める
認めることによって、心の深層にあった罪悪感や、自己批判や、そういった「消化不良」が
消滅するような気がした。感情が成仏、するのだ。

そうか。これは、クレンジング、であるな。
なかなかに気分が良くなるもんである。


私は、食堂で働く少年に最初に言った。
「あのね。人の魂、というかコアにあるものはね、不変のものなの。何もしなくて、既に完璧なの。
私たちは、ソレに気がつかないけどね。
でね、人はいろんなフェイスを持ってるのね。親、息子、学生、そしてココで働く、とかね。
それはね、みんな一部、に過ぎないの。あなたが、何していても、あなたのコアは、美しく完璧で
最高なの。
だから、仕事でお客に苦情を言われてもね、ソレはあなたの「働く」というフェイスでの出来事なの。
仕事をするあなた、であって、あなたの本質に苦情を言ってるんじゃないの。
気分が悪くなることもあるかも知れないけどね、あなたの中心のコアはね、美しく完璧なまま、なの。
だから、気分を悪くする必要は全然無いの。仕事をするフェイスを、ちょっと変えればいいだけ、なの。」


18歳、わかったのか、わかんなかったのか(笑)

















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2 コメント

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完璧なコア (six of wands)
2013-06-04 15:18:42
すべての人が自分が神聖な存在である事を認め、組織宗教にもグルにも霊能者にも頼らない世界・・・理想だなあと思います。
(バシャールのエササニ星はそんな感じみたいですね。ああ羨ましい・・)

理想は「すべての人が」ですが、まずは自分がやらないと、ですね。
「自分が神」と認めたら、自分が無価値であるとか、誰それと比べたら価値が無いとか、愛すべき存在ではないとかは言えなく(思えなく)なりますね。神が無価値な訳が無いので。

そう言えば、何年も前に「他者に対してネガティブな人って、皆自己評価が低いんだなあ」としみじみ思った事があります。
普段はそんな事は忘れて「あのアホが!」と怒ったりしていますが、確かに本当の意味で自己評価が高い人が他者に否定的って事はないんですよね。
他者に否定的な人達って、皆、「自分の価値を認められない」人ばかりです。社会的・経済的その他諸々のオプションで「自分は価値があるんだ!自分は凄いんだ!」とか思ってはいるんですが。

すべての人が存在としての自分の価値を認めるようになったら、本当にこの世界は平和で良いものになるでしょうね。
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世の中は自分を映す鏡 (ほわいといーぐる)
2013-06-05 22:07:30
6つの棒さま
毎度、有難うございます。
修行を進めながら(笑)私の中に、ある葛藤がありました。
それは、私の修行の先には、何でも知ってしまった「聖人」みたいな、慈悲の心で満たされた人物像があったわけです。

そうすっと。何か、喜怒哀楽も消え、常に澄んだ湖の湖面のような心になってしまうのか、と思うと、想像がつかないため、チョッと寂しかった(爆)

私の周囲を見渡せば、不条理やカナシミがてんこ盛りなんですが。
思ったです。 私は「わたし」という視点で世界を見て、一喜一憂してますが、私にも内在するらしい「神の視点」で世界を眺めたら、たぶん、全然違う景色に見えるのであろう、と。

しかし、現実は不条理に見えてしまい、「神の視点」が理解できてないので(感じてないので)何だかな、なわけです。
ただ、神の視点で眺めれば、これも喜劇ちゅうか、楽しいドラマなのかもなぁ、と思うと、自分の視界が拡大して、
「ま、いっか。」と思えるようになるのでございます。
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