宇宙の秩序に調和しながらの煩悩達成日記

自己実現。そうです、願望実現を通して、自己をさらに深く知ってみようという実験の日記ざます!

映画アポカリプト、Men Of the Honorからのメッセージは??

2006-12-18 22:08:22 | 瞑想にまつわる能書き
たて続けに映画を観た。って、まあ、娯楽は映画、多いけど。今週、「うわあ!」と思う映画に遭遇。
まずは、土曜日、TVの映画チャンネルで、ロバート・デニーロの「Man Of the Honor」という実話を元にしたというハリウッド映画。
1950年代のネイビーが舞台。主人公は初の米海軍初の黒人ダイバーとなった人のお話。

ありがちなストーリーで、差別や困難に耐えていくのだけど、ありがちなストーリーをデ・ニーロの演技力が、素晴らしい感動の巨編に仕立て上げていた。 そういう時代、黒人と白人の差別は激しいものがあったのであろうが、主人公カールは、それを克服していく。そして、『夢』である、海軍の名誉あるマスター・ダイバーになる事に向けて進んでいく。
カール自身の努力も去る事ながら、デ・ニーロ演じる上官のサポートも、夢の実現に多大なる貢献であった。

カールの夢は、かつて名ダイバーでマスター・ダイバーであった上官のサンデー(デ・ニーロ)の心をも揺り動かす。サンデーのサポート無しには、彼の夢は達成できなったであろう。 そして映画に出てくるエリートのイヤーな海軍上司。士官学校出のエリートなので、サンデーやカールより若いが、上司なんである。この上司はレイシストで、黒人のカールが目障りでならない。なので、因縁をつけ軍から追い払おうとするのだが・・・・。
この因縁が凄い。どう考えても不可能!な条件を出し、それをクリアしないと肉体的限界という事でダイビング不能と決定しようという魂胆。カールは事故で片足を失っている。
そして必死のトレーニングが続く。 諦めない、諦めない、、、というより、何かに憑依されたようにトレーニングに没頭していくのであった。

その過酷な試練の課程が、演技力で見事にハートを揺さぶるのだ(笑) 映画の中でのタイムリミットは4週間。4週間後の体力測定に合格しなければ、マスター・ダイバーへの道はそこで閉ざされてしまうのだ。
いやー、素晴らしいシーンの連続であった。 一緒に観ていた友人は、ここ4週間、ダイエットに取組み、毎日のウォーキングと食事療法で7キロ落とした。その彼女は、「いやー、これ(映画)に比較したら、4週間で10キロダイエットなんて、何でもないよね~。」と感心していた。
映画の魔法か何か、主人公の一心不乱に何かに打ち込む姿を見ると、自分も何かしたくなるよねー、と友人と笑った。「明日、私は7時間くらい歩きたい気分よ。」

憎たらしい役のエリート上司も、最終的には主人公の頑張りに納得せざるを得ない。悪役は悪役らしく、とーってもヤーな態度でイジワルであった。しかし思ったね。こういうイジワルでヤーな野郎も、主人公の成功に一役買ってるな、と。 このイジワル、映画では理不尽な人種差別なのだけど、そういうのが起爆剤になって、最高の能力を発揮できる場合も往々にしてあるのでは、と思った。

私のあまり好きではない言葉(笑)、「アナタの苦手でキライな人があなたの最高の師であります。」(爆)も、一理あるなと思った次第です。 そして、諦めないこと。諦めないで目標に向って歩みを続けていけば、必ず、サポートは現われる。
それは、イジワルな上司として、苦手な隣人として登場するかも知れない。
でも。
一度設定した目標が、「わたしのミッション」に適応していれば、どんな逆境も乗り越えるパワーが沸いてくるのでは、と思う。パワーだけでなく、サポートもタイミング良く現われるであろう。それくらい、人というのは誰しも期待値、可能性を持ち合わせているのである。

「自分を知る」ことがとても重要なのである。
多分、自分を知る事無しに他人を知る事も無い。
自分を大切にしない人は、他人を大切に出来ない。
自分に愛を向けない人は、人に愛を与える事もしない。

まずは、自分からだ(笑)

自分の中に、そういう性質、愛、思いやり、情熱、許し、慈愛・・・・を育てていく。そうすれば、周りの世界は、自分の内面に比例して変化していくと思うのだ。それが宇宙の法則ではないか。
自分の中に無いものは、自分の周りにも発見できない。
究極には、自分と自分でないもの(外側)との境界って無い(らしい)。
自分とはミニチュアサイズの宇宙そのものなのだ。
自分サイズの宇宙と無限大の宇宙は呼応しあっている(らしい)。
自分の中に無いものは、当然、自分を含む外側の世界にも存在しない(らしい)。

そこで、例えば、私は「こんなに親切なのに、人は私に親切ではない!」というジレンマが発生する。(笑)
「効果、結果、それによるOut come」を期待するうちは、なんちゅうか、効果は無いと思うのだ。
例で言えば「親切」は自分の思う親切であって、相手は望んでいない場合もあったりするし。

正しい(笑。ホントはコレも無いんだけど)言葉の使い方は、「私はこんなに私自身に親切にしています。」が正しいのでは、と思う。このセンテンスの後に、「なのに、私ったら、反応してくれません。」という愚痴、小言は続かない、よーな気がする。
そう。人にどれだけ親切にしたって、優しくしたって、結果を望んでいては、結局、つまらないカルマを一つ増やすだけである。無為。そんな心境で行為するって・・・・・なかなか出来ないよな(笑)
でも、自分になら、できるかな?というような気がしている。
自分が喜ぶかどうかは分らない。でも、私は私を大切にしたいから、大切に扱うのだ。(笑)と。
ま、「私は私にこんなに親切にしてるのに、親切が還ってこない!」と愚痴る人はいません(笑)
つまるところ、与える対象が「外側」(ここでは他人)に向いてる限り、それは、「分離した状態」にフォーカスしているため、いつまで経っても、満たされる事はないような気がする。

あなたを愛するように隣人を愛せ。

この有名な言葉は薀蓄が深い。 まずは「自分を愛して」それから隣人。 まずは隣人を愛せよ、なーんて言っていない(笑) 
まずは、自分を愛する。そこが全ての始まりである、と私は思うのである。


そして、メル・ギブソンの新作「アポカリプト」
マヤ文明末期のお話。原住民達はマヤ語で会話し、なんか文章(英語)にすると、非常に短い。ので、言葉よりビジュアルでハートに響く映画かな、と思った。
古代人、、ってほどの昔の話でも無いよね。 スペイン人だかポルトガル人が上陸する頃の話だから。
映画によると、人はとても原始的。殺戮を繰り返すのですが、なんせ、ジャングル原住民が主人公なので、武器といえば石器(笑)や、ヤリ、弓の類い。
戦闘シーンは、もう画面、血まみれ(涙)

アカデミーの声も高いそうですが、メル・ギブソンの前作、「パッション」も、血まみれ、、、つうか、見方によれば「残酷」なシーンの繰り返しだったなあ。メル・ギブソン、血が好きなのかな?(笑)
一方で、「残酷すぎる」という評もあるそうだが、私もそう思うよ~。
主人公のジャガーは、逃げ延びるために、ひたすらジャングルを走る。全編、走りまくり(笑) そういう意味でも凄い映画かも。

この原住民の酋長が殺戮される前に、息子であるジャガーに残した言葉。「Don't fear。」
酋長は、「怖れの念を持つと、怖れが忍び寄ってくる。」というような事を息子に話す。Law Of Attraction、引き寄せの法則、です。
ジャガーは怖れを排除し、勇気を持ってジャングルを逃げ延びていく。そして、宇宙のサポートとしか思えないような奇跡に助けられながら、村に接近していくのである。

私は怖れない。ジャガーはその言葉を勇気に変えて、ジャングルをひた走る。怖れてる場合ではないのだ(笑)

人にはいろんな怖れが心にはびこっている。
失う事への怖れ、が最もかな? 怖れる前に失ってみる(笑)というか手放してみると、案外、取るに足らない事だった、なんて事も多い。そういう事を、掃除が一番気ずかせてくれるような気がする。

世の中にはいろんなマジナイがある。そういうのを試してみてもそれなりに効果はあるのかも知れない。占いとかね。
が、私は結局、それは怖れがそんな行為を引き起こすのではないか、と思う。
自分を信頼できて、宇宙を信頼できて、いろんな事を手放す事ができたら、マジナイなんかしてチョビットばっかしの幸運を掴もう、とか思わないように思えてならない(笑)
だいたい、幸運、という概念がどうでも良くなっている。
豊かさ、を勝ち得たいとも思わない。
負け組みでも勝ち組でも、どちらでもいい。っていうか、所詮、どちらも同じ土俵(笑) 

友人が「占い師にアポ取った!」とか言っていたが(笑) それもイイ。それで満足するなら、セラピーの一環だと思う。
「あのさ、心配しなくても大丈夫。理由?無い(笑)」という私の金言(爆)は、あまりにも重みに欠け(笑)聞いてもらえなかった。

私は悩める全ての人に言いたい。
「大丈夫だよ。」 そうすると、『根拠は?』とか反論される。根拠なんか無いんだよな(笑) 大丈夫がアタリマエ。だから。
一見、不幸に見える出来事も、
気分の悪い環境も、
単に「自分の思い通りにならない」だけの話で(笑) それが、「世の中は思い通りにいかない」を知るレッスンで。
というか、自分自身の「思いの通り」ってのが、クセモノでエゴが化けてるだけとかね(笑) ながーい目で見ると、その思い、通らない方がいいので、通らないのだ!
まだまだ「自分」が限界だらけで、境界線が入り組んでる状態だと、矮小化した自己しか把握できない。
「こうすべきだ」という概念に束縛されまくり、で自由な自分自身を発揮できなかったりする。

私は長い時間をかけて、やっと、「大丈夫」な心境に至った(笑) これは到達ではなく、入り口だな~と思ったりする。
私が大丈夫なんだから、誰でも大丈夫(笑)と思う。

二つの映画は、同じようなメッセージを与えてくれた。
ホントにベストなタイミングでこういうのは、やってくる。