考えごとの家日記。

一人暮らしのつもりの考えごとの家が8年経って一気に三人暮らしに?そして今や4人暮らし!?

建築は記憶を映し出す鏡

2015-03-29 05:05:37 | 建築

「小さい頃に住んだ家。お気に入りの部屋。人は空間の中にそれぞれの記憶(思い出)をもっています。そこに生きてきた人々の記憶を映し出すものが建築とは言えないでしょうか。」(NHK総/建築は知っている ランドマークから見た戦後70年/2015.1.3放送より)

2年越しでようやく父の納骨を終え、天国の父も、母も兄も姉も私たちも、ほっとした気持ちです。その納骨のタイミングで、大阪の元実家の後の新居が工事後の引き渡しの日でした。何か偶然とは思えない因縁のようなものを感じました。

その場所は確かに私たちが過ごした家のある場所。でも全く知らないセンスのよい家が建っていると、もうそこには私たちの暮らした家での記憶は蘇ってきません。

しかし、偶然訪れたその時に、新しい家族の方もそこにいらして、突然で失礼かとは思いながらご挨拶しにいったら、覚えててくださり、笑顔で「中もよかったらご覧ください」と声をかけてくださいました。中ももちろんセンスよく申し分ない建物でした。広くとられたベランダから見える風景は、子どもの時に自分の部屋についてたベランダから見える風景と変わりないのも、なんとも不思議なものでした。

子どもの時から住んでいた家や、お気に入りの部屋はないが、その家の裏側にまわった時に見えた裏の擁壁はそのままで、そこにたたずむと昔そこにあった物干し場の記憶が蘇ってきました。建築や空間は、確かに私たちの記憶を映し出すものだと実感するのでした。

また、たまたま偶然でしょうがありがたいことに、表側に少しだけ私たちの家だった時の石垣が残っていて。。それも、私たちが確かにそこに居たことの証を残してくれたような気持ちになりました。

実家がなくなることは、父が亡くなったこと以上に自分の過去が消えていくような空しい気持ちもあります。家族の住む家とは、その期間、住むということだけでなく、家族にとってその後の人生においても確実に心の拠り所になっています。私は女だし、嫁いでしまえば、実家を離れるのは当然のことだけど、兄にとっては、父の想いを貫けなかったという悔しい気持ちもあるでしょう。

兄がその後通りかかったときに、自分たちが住んだ家の場所に、当たり前のように自分たちと違う人たちが出入りする様子を見て、なんとも言えない気持ちであったとメールしてきてました。

それでも大変よい方に住み継いでいただき、またそこに暖かい暮らしが継続されるなら大変ありがたいことです。今頃は、空き家になって廃墟になったとなると、そんな悲しいことはありません。

実家を失うこと。故郷を失うこと。

おそらく、東北大震災のことはそれどころではないことは十分に想像できます。

自分たちの子どもも同じように、この家、または新しい家での日々の記憶を映し出す鏡としてそれぞれの建築を見るのかもしれないと思うと、新居計画もまた力が入ります。

とにかく、早くつくってやらないと。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
懐かしい想い出 (Chie)
2015-04-04 09:42:08
確かに、家の風景は記憶の中に深く刻み込まれていますよね。。私も実感することがあります。建築は、記憶を映し出す鏡、まさにそのとおりですね。
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家族の記憶を映し出す家 (クマクマ)
2015-05-04 23:21:50
Chieさま、ブログはほとんど放置していますが、いつもコメントありがとうございます(^_^)
実家がなくなったことの喪失感は、ホントになんとも言いようのないものですが、それでも私には家族ができて、家族の記憶を映し出す家があって、幸せなんだと実感する日々です。早く新居。。とも思いますが、家族が元気で笑顔でいられることにただ感謝します。
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