韓国の応援団激高 覆った旗判定、海老沼勝利 会場内騒然
いったん上がった3本の青旗。しかし協議後に3人の審判が掲げた旗は数分前と正反対の白3本だった。異例の旗判定やり直しで海老沼匡の勝利となった男子66キロ級の準々決勝。対戦相手の韓国、●準好(チョ・ジュンホ)(23)の応援団は激高、海老沼の応援団は日の丸を振り、会場は騒然となった。
海老沼は積極的に攻めたが延長戦にもつれ込み、勝敗は判定に。●の勝利を示す青い旗が上がると、何度も周囲を見回し、信じられないという表情。海老沼のコーチは「なぜ」と両手を広げた。2000年のシドニー五輪で、誤審によって敗退した経験を持つ柔道男子の篠原信一監督(39)もスタンドから眉間にしわを寄せ、大声で判定の再考を求めた。観客のブーイングが広がる。主審と副審2人が審判委員に呼び寄せられ、協議を続けた。
数分後、逆転の白い3本の旗が上がった。観客席で見守った母親の道子さん(52)は、判定が覆ると手をたたいて笑顔に。今度は韓国側からブーイングが起き、●とコーチは呆然(ぼうぜん)と立ちつくした。
審判委員制度に詳しい国士舘中学・高校柔道部の川野(かわの)一成(かずなり)総監督(68)は「これほどまでに判定が覆るのは異例中の異例だ。国際試合での審判技術の未熟さを痛感した」と話した。
●=恵の心を日に
http://sankei.jp.msn.com/london2012/news/120730/jdo12073008140011-n1.htm
韓国選手が腕折の反則をするも試合続行
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延長 有効ポイントを奪い 海老勝ち
↓
第4の審判(ジュリー)が協議要請
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有効取り消し
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続行 海老が攻めて攻めて優勢 (韓国は掛け逃げ[←指導対象]が多し)
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延長終了
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旗判定 主審副審全員 韓国勝の旗(韓国選手が一番驚いてたw)
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大ブーイング
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第4の審判(ジュリー)が協議要請
↓
旗判定やり直し 主審副審全員 海老勝ちの旗
↓
観客大歓声
ルールが変わったので審判を買収しても駄目だったようです。
キムヨナも審判の買収で勝ち続けていたので、
プロのアイスショーから声がかからずふてくされています。
鄭夢準(チョン・モンジュン)大韓サッカー協会名誉会長が、2002年ワールドカップ当時の
国際サッカー連盟(FIFA)の 関係者たちと経験した秘話を打ち明けた。
鄭名誉会長は4日、ソウル・小公洞(ソゴンドン)のロッテホテルで行われた『2002ワールド
カップ10周年記念式』で、「ゼップ・ブラッター現FIFA 会長が『2002年韓日ワールドカップ
の時、MJ(鄭夢準)が審判を買収して(韓国が)4強まで行った』と話した」と明らかにした。
鄭名誉会長は2006年ドイツワールドカップ当時のスイスとの組別リーグ3回戦を回想して、
「アジアサッカー連盟(AFC)のピーター・ベラパン事務総長が、『主審が(ブラッター会長
がスイス人だから) スイスの肩を持っている』と指摘した」とし、「するとブラッター会長が、
『何をこの程度で言ってる。4年前にはMJが審判を買収して(韓国が)4強まで行ったけど、
我々はあの時ようやく16強だった」と話していたよ」と明らかにした。
韓国は当時組別リーグでトーゴを破ってフランスと1-1で引き分けたが、最後のスイス戦
で敗れて16強進出に失敗した。
鄭名誉会長はまた、「1993年にジョアン・アヴェランジェFIFA元会長、ブラッター会長、
ペレなどの日本訪問の席に私も招待された」とし、「その席でワールドカップ開催地が
日本に固まったような雰囲気が起き、『我々も間もなく誘致の申請そするのでワールド
カップの開催地を執行委員に対するロビーで決めず、正々堂々とサッカーの競技をして
決めよう』と提案した」と話した。
ソース:NAVER/朝鮮日報(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=107&oid=023&aid=0002411798
こんな国です。
ある嫌韓サイトに書いてあった言葉。
韓国人の恥は掻くのではなく掻かされるのだ。
韓国人は自分の行いを恥だと思わないそうです、
人から指摘されて初めて恥になり逆恨みします。
関わらないのが一番いいとそのサイトには書いてありました。
そういえば最近もう一つ面白い話があります。
我が国には「いとこが土地を買えば腹が痛い。」ということわざがある。このことわざの意味は私が
知るところでは、隣人がうまくやると気分が悪くなるということだ。このことわざに我が国の人々の
性格を覗き見るようで苦々しい。
ある者はこのことわざは本来、良い意味で使われたと主張する。いとこが土地を買ったのでお祝
いしなければならないが、何もないので腹でも痛くして下痢でもして肥料を与えるという良い意図
を現わす言葉だった。ところが日帝強制支配期に日本はこのことわざを正反対の意味に変えた。
隣がうまくいくのを見ていられない心があるという意味になった。私たちにはそんな欲張りな心が
ないにもかかわらず、日本がことわざの意味を変え、その後変質して現在まで使われていると主
張する。しかし、日本が変えたことわざが今も使われる理由は我が国の人々の心理をよく反映し
ているからだ。もし、現代を生きる私たちに、そういう心理がなければ、いくら日本人たちがことわ
ざの意味を変えても自ずと無くなったり本来の意味で使わる様になっただろう。
こういう猜疑や嫉妬心は本当に我が国の人々に特徴的なのだろうか。最近、EBSで機能性磁気
共鳴撮影(f-MRI)を使ったおもしろい実験をした。韓国の主婦と米国の主婦にどんな状況で喜びを
感じるのかカードゲームをさせた。カードゲームで米国の母親たちは自分が点数を取った時だけ
喜びを感じる脳の補償システム(補償中枢)が活性化する反応を見せた。相手方の利益は何の関
係もなかった。
反面、韓国の母親たちは自身が点数を取った時ではなく、相手より良い点数を出した時だけ補償
脳が活性化した。我が国の母親は絶対的利益より相対的利益を喜んだ。自分がうまくいったら幸
せになるのではなく、人よりうまくいった時に幸福を感じるのが韓国の母親だ。米国の母親は他人
と比較するより自分の絶対的利益に満足する反応を見せた。
なぜ私たちは米国人と違って他人と比較し一喜一憂するのか。資源が制限され、その資源を望む
人が多くて競争せざるを得ないからのようだ。我が国は米国に比べて狭い土地に貧弱な資源を持
ち、密集した環境の中で生きている。それだけ競争することになる。米国人も競争をするが、米国
には広い土地がある。ミシガン州で職が得られなければフロリダ州にある会社に願書を出すこと
ができる。それもだめなら英国やオーストラリアなど他国へ移住できる。さもなければ、韓国にきて
英語講師になれる。選択の幅が広いから米国人が韓国人より競争的ではないようだ。
我が国の社会は急激に変わった。6・25韓国動乱(朝鮮戦争)以後、廃虚になってしまった私たち
は米国の援助なしでは生きられなかった。1960年代後半、小学生の時、筆者も米国から援助を受
けたとうもろこしで作ったパンを無償で食べた。大部分の子供は貧しかったし、弁当のおかずに卵
があれば他の人々の羨望をかった。
その後、現在まで我が国は本当に世界が驚く程、眩しく変わった。そのように変わる間に江南に
住んでいた貧しい農民がベンツに乗るほど成金になった。境遇が似た同窓生がアパートを何度か
売買すると数十億ウォン台の金持ちになっていた。日帝強制支配期から現代に到る私たちの社
会は激しい変化を経験し、その間、似たような水準のまわりの人が人生の逆転するのを見て腹が
痛くなる場合が多かった。このため、ことわざの意味が変わってずっと使われているのだ。
私たちは大きな変化の中で競争に遅れをとらないだろうか常に不安だ。今の機会を逃せば、永遠
に落伍者になるようで不安になる。過度に競争的な社会に生きながら形成されたせっかちな性質
のため、今日も私たちは緊張を緩めることができない。
ソース:ソウル新聞(韓国語) [生命の窓]我が国の人々の競争心
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20120728026001
日帝はことわざの解釈まで変えました。
朝鮮のことわざ
「女は三日殴らないと狐になる。」
「他人の牛が逃げ回るのは見ものだ。」
「他人の家の火事見物をしない君子はいない。」
「弟の死は肥やし。」
「梨の腐ったのは娘にやり、栗の腐ったのは嫁にやる。」
「母親を売って友達を買う。」
「営門で頬を打たれ、家に帰って女房を殴る。」
「姑への腹立ち紛れに犬の腹をける。」
「あんな奴は生まずにカボチャでも生んでおけば、煮て食べられたものを。」
「人が自分にそむくなら、むしろ自分が先にそむいてやる。
「家と女房は手入れ次第。」
「野生のまくわ瓜は、最初に独り占めした物が持ち主だ。」
「らい病患者の鼻の穴に差し込まれたにんにくの種もほじくって食べる。」
「一緒に井戸を掘り、一人で飲む。」
「自分の食えない飯なら灰でも入れてやる。」
「川に落ちた犬は、棒で叩け。」
「泣く子は餅を一つ余計もらえる。」
これは本来どう解釈していたのでしょうか?