前回ブログで申し上げましたように 通常の唱歌や童謡の場合ですと、
唱歌:明治~大東亜戦争が終わるまで、文部省により学校教育用として
作られ 取り揃えられた歌群のこと
童謡:大正中期~昭和初期、上記に物足りなさや違和感を抱いた
鈴木三重吉さんや北原白秋さんが中心となって作成・普及に
努められた 子供向けの歌群のこと
という その用意せられた意図からしましても、聴く側の立場に立ちますと、
歌唱としての完成度よりか、子供の持つ 薄汚れていない真っ直ぐな淡色の感性が
ストレートに感じ取れる、すなわち声変わりしていない子供たち自身による
ソプラノの歌唱に 最も深く感じ入るのでありまして、
これは 幼いとき ボーイソプラノであり、新しい歌を習ったとき、いの一番に
先生から「ハイ ○○君、唄ってみて下さい」とご指名に預かった愚生だけでなく、
皆さんお持ちになっておられる感慨なのではないかと思えるのであります。
ところが 【シャボン玉】 は 例外であります。
子供の歌唱でありましたなら、それは単なる『お遊戯歌』の域を出ないのであり
ますが、
並外れて 全ての【スイ】 酸いも酔も粋も吸いも好いも炊も睡も・・と、甘いを
極められた 【小沢昭一】さんのような方が唄われてこそ、初めてその味わいの
真髄が露呈され 鑑賞できるようになるというものであります。
と 申しますのも、前々稿で掲げました【坂入姉妹】さんの書かれました
『童謡であの日にかえりたい』という本によりますと、この詞は、
作者:野口雨情さんの、幼くして亡くなった 二人の娘さんへの 切々たる想いが
描かれている との説が紹介されておりますし、
また、H22.5.26 付け 当ブログで掲示しました 岩波書店『唱歌・童謡ものがたり』
によりますと、フォーク歌手の【高石ともや】さんは、この歌は『間引き』で死んで
いった子供たちのことを語っているのではと解釈され、自身の代表曲のひとつとして
よく唄われたということも 書かれております。
でありますから、この【シャボン玉 】 は 単なる童謡ではありませんで、人の世の
やるせない出来事が潜められている歌でありまして、さらに、これは愚生が思うこと
でありますが、
シャボン玉のひとつひとつは 人生における様々な出来事に見立てられないだろうか、
年を重ねるということは、中には稀に花が咲き種(み)が実ることがあるかもしれないが、
通常は、すぐに消えたり しばらく飛んで消えたりの シャボン玉のような出来事の
連続ではないだろうか、それが人生というものではないだろうか と思えてくるので
ありまして、としますと、【小沢昭一】さんみたく いわば文化人類学の巨匠とでも
いえるような方でなくば、このような深い意味合いは 到底 表現し得ないのでは
ないだろうか と思えてくるのであります。
終稿にあたり 重ねて 申し上げます。
小沢昭一さんの【シャボン玉 】 は、ほんとうに絶品であります。
皆様方にも ぜひ一度 ご鑑賞いただきたく思っております。
涙なくしては聴けない名歌唱でありまして、それは紛れもなく
一幅の芸術作品である といえるシロモノであります。
写真は 河出書房新社発行 KAWADE夢ムック 【総特集】小沢昭一
という単行本の 表紙を撮影したものであります。
唱歌:明治~大東亜戦争が終わるまで、文部省により学校教育用として
作られ 取り揃えられた歌群のこと
童謡:大正中期~昭和初期、上記に物足りなさや違和感を抱いた
鈴木三重吉さんや北原白秋さんが中心となって作成・普及に
努められた 子供向けの歌群のこと
という その用意せられた意図からしましても、聴く側の立場に立ちますと、
歌唱としての完成度よりか、子供の持つ 薄汚れていない真っ直ぐな淡色の感性が
ストレートに感じ取れる、すなわち声変わりしていない子供たち自身による
ソプラノの歌唱に 最も深く感じ入るのでありまして、
これは 幼いとき ボーイソプラノであり、新しい歌を習ったとき、いの一番に
先生から「ハイ ○○君、唄ってみて下さい」とご指名に預かった愚生だけでなく、
皆さんお持ちになっておられる感慨なのではないかと思えるのであります。
ところが 【シャボン玉】 は 例外であります。
子供の歌唱でありましたなら、それは単なる『お遊戯歌』の域を出ないのであり
ますが、
並外れて 全ての【スイ】 酸いも酔も粋も吸いも好いも炊も睡も・・と、甘いを
極められた 【小沢昭一】さんのような方が唄われてこそ、初めてその味わいの
真髄が露呈され 鑑賞できるようになるというものであります。
と 申しますのも、前々稿で掲げました【坂入姉妹】さんの書かれました
『童謡であの日にかえりたい』という本によりますと、この詞は、
作者:野口雨情さんの、幼くして亡くなった 二人の娘さんへの 切々たる想いが
描かれている との説が紹介されておりますし、
また、H22.5.26 付け 当ブログで掲示しました 岩波書店『唱歌・童謡ものがたり』
によりますと、フォーク歌手の【高石ともや】さんは、この歌は『間引き』で死んで
いった子供たちのことを語っているのではと解釈され、自身の代表曲のひとつとして
よく唄われたということも 書かれております。
でありますから、この【シャボン玉 】 は 単なる童謡ではありませんで、人の世の
やるせない出来事が潜められている歌でありまして、さらに、これは愚生が思うこと
でありますが、
シャボン玉のひとつひとつは 人生における様々な出来事に見立てられないだろうか、
年を重ねるということは、中には稀に花が咲き種(み)が実ることがあるかもしれないが、
通常は、すぐに消えたり しばらく飛んで消えたりの シャボン玉のような出来事の
連続ではないだろうか、それが人生というものではないだろうか と思えてくるので
ありまして、としますと、【小沢昭一】さんみたく いわば文化人類学の巨匠とでも
いえるような方でなくば、このような深い意味合いは 到底 表現し得ないのでは
ないだろうか と思えてくるのであります。
終稿にあたり 重ねて 申し上げます。
小沢昭一さんの【シャボン玉 】 は、ほんとうに絶品であります。
皆様方にも ぜひ一度 ご鑑賞いただきたく思っております。
涙なくしては聴けない名歌唱でありまして、それは紛れもなく
一幅の芸術作品である といえるシロモノであります。
写真は 河出書房新社発行 KAWADE夢ムック 【総特集】小沢昭一
という単行本の 表紙を撮影したものであります。