百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

愚息物語(22)【長男(5)】【元気です(1)】

2010-11-06 14:22:05 | 日記
  昨年11月27日付けブログ【愚息物語(8)】以来、長男のことにつきましては
何も申し述べておりませんので、今回は 長男のその後につきまして、既ブログと
重複部分があるかと存じますが、以下、纏めて概略を記したいと存じます。

と申しますのも、先だって長男が、
「オトオ、東京に出張することになった。11月初めの月曜日だが、日曜から
行っても良いことになった。当然 宿泊費は付かないのだが…」と、
遅い晩飯を食べた後、歯ブラシを手に 傍に座り込みながら、確かな 明るい
口調で 話しかけてきたのであります。

派遣社員でありましたなら、通勤の電車賃すら出ないのですから、
出張なんぞ 望むべくもないことでありましょうが・・・・・そうなのです、
ありがたいことに、この 6月中旬からでありますが、契約社員としての扱いを
受けるようになっていたのであります。

初出張は、先般ありましたのですが、行き先は京都でした。
「経費を掛けて行くのだから、見合うだけの成果は必ず出さないとなぁ」
と言いながら、張り切って 出張って行きました。して、今度は東京です。
待ちに待った 念願の東京出張 です。それは 愚生にとりましても、長男に
とりましても、取り立てて格別な意味合いを持っている事柄なのであります

東京を引き上げて以来 長男は、従来から関与しておりますクイズ大会の用件で
3,4回は上京しているのでありますが、今般 初めて、自前で交通費を払うことなく
東京に行けるのであります。日曜早くに行くのですから、永年親しんできた友達に
会えます。それも、心身とも見違えるばかりに甦った、おそらく その友達にしても
見たことのない姿を、晴れがましくお披露目できるのでありますから、大袈裟かも
しれませんが、『錦を飾る』というレベルの感慨すら 湧き起こってくるのでは
ないかとも、あの東京での廃れ果てた状態を想い起こすにつき、思えてくるのです。

一方 愚生にとりましては、東京から引き上げるときでありましたが、
敗者となりて都落ちする我が身を嘆く気力すら失った さまよえる長男に対し、
「とりあえずは家に帰って、本来 お前が持っている元気な心と体を取り戻そう。
そうしたら、そのうちエネルギーも貯まってくるだろうから、そのときまた
東京に挑戦したらいいではないか。どこか 向こうの会社に勤めていても、
東京への出張だってあるだろうし、場合によっては、こっちに転勤できること
だってあるかもしれん」と、その場を取繕うこと第一の、極めて希望的なる
観測を口にした経緯があるのでございまして、

長男は覚えていないのではないかと思いますが、しゃべった本人としましたら、
果たしていつのことになるのか あやふやであるものの、言った このことを、
長男の回復度といいますか、挽回度といいますか、そのような指標の具体的な
目途として設定していたのでありまして、今回めでたく それに到達できたと
いうことであるのです。

こちらへ帰りまして 2年半、想った以上に速い達成であります。
途中 数ヶ月のブランクはありましたが、概ね、某大手教育関係企業系列に
属する派遣会社から、本体会社に派遣され、今まで培ってきた能力を、出し惜しみ
することなく、目一杯発揮していたようでありまして、その働き振りが評価された
のでありましょうか。「仕事には 自信がある」と常々申しておりましたが、
あながち 大言ではなかったようであります。

契約社員でありますから、不安定さが払拭された訳ではありません。先般行われま
した国勢調査・就業形態調査によりますと、契約社員は『パート・アルバイト』項
をマーキングせよ との留意書きがありまして、愕然とすると同時に、置かれた
厳しい現実を、悲しいまでに叩き付けられた次第でございますが、
 
派遣社員とは違い、仕事の枠が大幅に拡がるのであります。裁量範囲も桁違いに広く
なるでありましょう。仕事は やればやるほど 味が増してくるものであります。
本来の、仕事というものの 面白さ・醍醐味・真髄 といったものが 心ゆくまで
味わえるのであります。今まで出なかった交通費も貰えます。正社員としましたら、
至極当然なことでありましようが、今までが今まででしたから、今まさにバリアが
取り払われ、良いように好いように展開する、念願のプラス・スパイラルの世界に
入れたという現実は、まさにブレーク・スルーしたに等しい喜びを授けてくれて
いるのであります。

愚生としましても、ほっと一息つける 安息の日々を やっと過ごせるように
なったのであります。「束の間ことかなぁ」と一抹の不安はよぎるのでありますが、
心に余裕ができてきたのは事実でありまして、「ここまできたのだから、我が家の
恥さらしになったとしても、平成20年代初頭における、戦後生まれのごく普通の
家庭の、その子供の状況およびその子供との係わりの 一つの事例として、
凄まじかった東京の下宿の有様等も含めて、洗いざらい公開してもいいかなぁ」と、
ふと、そんな気が湧いてきたのでございます。

で 書き始めていたのでありますが、なかなか前に進まず、既に相当の日にちが
流れており、ついに、明日出発という日まで至っているのでありますが、当然、
事象は止まってはおりませんで、今月さらに岐阜、来月さらに東京と、次の展開を
見せているのでありまして、ほんとうにありがたく思っている次第でございます。
つきましては以降、記憶を振り返り振り返りしまして、どこまで曝け出せるか
分からないのでありますが、順次 記してゆきたいと存じております。
家族からストップが掛かりましても 書こうとは思っているのですが・・・ 

 
コメント
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