百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

百休気まぐれ 8泊旅(14)【笠間市】【笠間日動美術館】

2010-08-06 15:35:20 | 日記
 笠間は文化の香り高い町であります。
素晴らしい【笠間日動美術館】もあるのであります。

ピカソの 裸の女を傍で見ている男を描いた サラッとした感じの絵には、
笑ってしまったのでありますが、愚生には カンジンスキーとマチスの絵が
特に印象的でありました。何か 年を経るごとに、抽象的な絵画に惹かれて
いっているような気がしています。


上は アンリ・マチス の「ジャズ イカルス」
下は ワシナリー・カンジンスキー の「活気ある休息」
(これは美術館で購入した絵葉書を撮影したものです)

高尚な芸術に触れた高揚感(?)を引きずりながら、すぐ近くにあるという
【笠間稲荷j神社】さんに歩いて向かっているときであります。
美術館のすぐ下に空き地がありまして、そこに「大石内蔵助邸跡地」なる
白い立て札が立っていたのであります。

誠に恥ずかしいのでありますが、その折まで 笠間が城下町だなんて全く
知らなかったこともあり、余計にびっくりしたのでありますが、
この稿を立てるにあたり調べてみましたら、

赤穂浪士でよく知られております浅野のお殿様:長矩公の2代前の殿様時代、
笠間から赤穂に転封になっておりまして、ご当地 笠間での浅野の殿様は
2代続いているのでありました。

なお、赤穂には 塩 という 誠に大きなプラスα がありますが、
石高は 赤穂も笠間も 5万3千石 と同じであります。
 

 <PS>
 (以下は 8月14日 になりましての書き込みであります)
【笠間日動美術館】のパンフレットを チラチラ眺めていましたら、
同じ笠間市内の 少し離れたところに 分館があるそうでありまして、
何とそれは【春風曼里荘】と称する 北大路廬山人さんの旧居であります。
大失態でありました。廬山人さんが 実のところ暮らしに、どんなセンスを
お持ちであったか、この目で ぜひ確認したかったこと 大でありまして、
「こりゃぁ も一度 行かずばなるまいて」の気持ちです。
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百休気まぐれ 8泊旅(13)【笠間市】【笠間焼】

2010-08-05 19:30:04 | 日記
 日本6古窯とは、瀬戸・常滑・越前・信楽・丹波・備前 であります。
いずれも中部以西、西日本にある窯でございますが、焼き物好きの愚生は
その全てに行っておりまして、抹茶椀・急須・煎茶椀・花瓶とかの何かを
求めているのでありますが、遠い関東の有名な窯場 笠間と益子にも、
いつの日か行ってみたいものだと 思っていたのでありまして、
いざ、この思いの実行に移ったのでございます。

笠間市には、「茨城県陶芸美術館」「笠間工芸の丘」等の施設が中核の
「笠間芸術の森公園」という 素晴らしいエリアが まっこと綺麗に立派に
整備されておりまして……とは申しましても 情けないことに、美術館も
あっただなんて、今 パンフを見て初めて分かったぐらいのものでありまして、
覗きましたのは、笠間焼を売っております「センタープラザ」だけであります。

で、ビビッとくる焼き物があったのであります。
愚生にしましては 高価なものでありますので、迷ったのですが、
出会いを優先しまして、買ったのであります。
今年 57歳になられる 小川浩さんといわれる方の、青磁の小振りの
抹茶椀であります。もう何回も 朝 味わっておりまして、
高台が あと ほんの少し高かったら 言うこと無しで
ありますが、まぁ、気に入っています。

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百休気まぐれ 8泊旅(12)【日立市】

2010-08-04 12:44:38 | 日記
 時間軸を元に戻します。
会津若松からでありますが、給油キャップを つい忘れてしまった郡山の
ガソリンスタンドを経由しまして、磐越道→常磐道にて日立市に入りました。

ここは、18~19歳に亘る1年間、人生なんて知る由もない新入社員時代と、
20~21歳時 給料戴きながらの全寮制企業内工業専門学校(その昔 アメリカの
雑誌「TIME」の表紙になったこともあります)時代の、都合 2年 を過ごした
場所であります。

海岸工場の周りを 車で2周しましたら、
「ああ 工場のほうは ほとんど同じなんかなぁ」と確認したのでありますが、
しょっちゅう行っておりました駅前の田所書店は、周りが変わり過ぎており
まして、車からは 分かりませんでした。

次に 最初に入った寮の面影を偲ぼうと、兎平から坂道を上がったので
ありますが、このほうも まったく見る影もなく変わってしまっておりまして、
その昔 東洋一の音響設計だと、当時はその名を轟かせておりました、
愚生が会社の音楽祭で、アカペラで「ダニーボーイ」を歌い「努力賞」を
お情けで戴いた、栄えある創業者の名を冠された大劇場「小平会館」が、
見る影もなく こじんまりと、鼠色に、地味に地面に伏せっているのが
見えたっきりであります。

なお、がっかり度が過ぎまして、もうひとつの寮「茨専寮」には、
時間のこともあったのですが、見に行く気になりませんでした。

今 思いますに「志学寮」なんて、なんとも素敵な名を付けたものかと
思われます。当時の会社の意気込みが よく伝わってくる名付けであります。
東北出身の 寮の若くて可愛いマカナイさんに、陰ながら見守られながら、
誰もが、同じ作業ジャンパーを着て、眼下に広がる雄大な太平洋や
昇る朝日を拝しながら、毎日 元気に出勤していたものであります。

次に向かいましたのは、
旅行2日目に滞在しました郡山の市立図書館の電話帳で、
入社時 お世話になった配属先の直ぐ上でありました先輩のお名前が、
渡辺でなく渡部であったことに なかなか気付かず、ずいぶん手間取ったので
ありましたが、何とか電話番号を特定でき、前夜 連絡が取れております
お宅であります。

昭和22年生まれの、旦那さんと同じ山形県出身の、
芯から明るい きれいな奥さんの 温かいおもてなしを授かりながら、
懐かしい先輩に、日立地区代表として、お会いいただいたのであります。
愚生と同じように 56歳で早期退職されたとのことでありました。

宮本という、素手での波乗りを教えてくれた、自転車で一緒に江ノ島まで
行った同期のナイスガイに 特に会いたいと思っているのでありますが、
下の名前の記憶を失ってしまっているため 電話番号帳では特定できず、
また ひょっとして当地にきたら思い出すのではないかとの 甘すぎる
一縷の期待も案の定 外れまして、あきらめざるを得ない状況にて、
後ろ髪を引かれつつも、南に向かったのであります。



新入りのオイラの頭を押えている右側の人が 渡部先輩であります。
何キロ先だったか忘れてしまいましたが、北に行ったところの海岸です。


志学寮の きれいな マカナイさんたちです。納涼大会かなんかです。


当時の茨専寮です。


茨専寮から見た日立茨城工業専門学校です。
志学寮からも 同じように 太平洋が見えました。
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百休気まぐれ 8泊旅(11)【善光寺】【1,600年法要のお願い(3)】

2010-08-03 14:42:26 | 日記

   (これは NHK で放送された「新シルクロード」とは 別物です)
  キジル石窟と鳩摩羅什師御坐像が 表紙にございますので、
  ご参考までに 掲示いたしております。


 と、このようなことを 要領を得ず、
まず お守りとか売っております案内所の やさしそうな女性に、
その後ろに控えておられる 白髪の品のある男性にも聞こえるよう意識し、
話したのであります。

「ご趣旨は分かりますけども ここでは何ともできかねますので、
この裏に、道を挟んで 社務所の3階建てのコンクリートが建っておりまして、
その1階に受付がありますので、そちらのほうに話してみられるのが
いいのではないかと思われます」
ということでありまして 社務所に向かったのであります。

そこでやはり 受付の女性の方にも 他のデスクの方にも聞こえるよう
話しました。しばらくしましたら 白ワイシャツにネクタイ姿の男性の方も
こられまして、話を聞いて下さり、名刺も下さったのでありますが、
何と不思議なことに、「本家長門屋」さんの店主さん専務(おかみ)さんと
同じ苗字でございました。

鈴木係長様、本件 何卒 よろしくお願い申し上げます。
その折は 愚生、必ず 出席 であります。
たとえそれが クチャで開かれるとしましても・・・

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百休気まぐれ 8泊旅(10)【善光寺】【1,600年法要のお願い(2)】

2010-08-02 11:14:53 | 日記
 文部科学省のH18年12月現在の
「全国社寺協会等宗教団体・教師・信者数」
という公式統計によりますと、日本の宗教信者数は

    神道系…………… 1億 681万7669人
    仏教系……………   8,917万7759人 
    キリスト教系………   303万2239人
    諸教系……………    981万7752人
            合計  2億 884万5429人

となっているようでありまして、実人口との乖離が大きいということは、
その実体は 大多数の人々が神仏双方とも信じて(?)いるということで
ありましょう。(ただ、判断のつかない年少者も統計に加えているという
のはどうかと思いますが)

ここで申し上げたいのは、ほとんどの日本人が仏教を生活の一部として
感じているということであります。ということは、ほとんどの人が、
鳩摩羅什さんのお世話になっているということが言えるのでありまして、

漢字の経典を基に普及した国ということも鑑みますと、
韓国は儒教、中国は基本的には道教の国でありますからして、
その規模・割合とも、世界的にも突出していると考えるべきであります。

であるに拘わらず、没後1,600年という非常に大きな節目に当たりましても、
何ら感謝の意を表した法要が行なわれないとは、一体どういうことでありま
しょう。礼儀知らずも程々にしないと、世界中の笑い者であります。

今や ほぼ100% イスラム教徒であります現地住民には何も期待できません。
また新彊ウイグル自治区は、政治的に非常にデリケートな地域であります。
中国が何かするなんてことは、全く考えられないことであります。まして、
中国が 自らの祖先が行った 人道に悖る行為を、おおっぴらに曝け、かつ、
玄奘三蔵の影を薄くするようなことを 絶対 行うはずはないでしょう。

でありますから、日本がやるしかないのであります。
やらなければ、何という礼知らずかと、蔑み笑われる事 必定であります。
日本は 世界に尊敬される誇れる「自然・人間双方に対し信義に厚い国」を
目指すべきでありましょう。そのためにも 絶対に、たとえ 中国に恨まれ
ようとも、やらなくちゃならないのであります。


  
         
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