百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

100qテレビpickup (1)【鳩摩羅什さんと鈴木素子さんが映りました】

2012-06-13 17:10:47 | 日記
 H24.4.21 NHK Eテレ【こころの時代~宗教・人生~】という番組で、当ブログを始めるキッカケを与えてくれました【鳩摩羅什】さんが、オイラにとりましては納得ゆかない内容でありますが、今年12回シリーズで放送されるという【永遠のいのちの教え 法華経のことば】その 第1回 で放送され、また 6月2日には BS朝日で既に当ブログで何回か紹介させていただいております わがアイドル【鈴木素子】さんが、【歴史発見 城下町へ行こう!会津若松の城下町】の中、かなりの時間 出演されていたのであります。

オイラは お二方の大ファンでありますから、「もしや出られるのでは…」と思い 録画していたのであります。で どちらも 数日後 見たのですが、【鳩摩羅什】さんの場合「おっ 出たぁ!」と、心踊りつつも、たぶんダメだろうと期待を抑えもって見たのですが、やっぱり オイラが願っている重要な事項は、何かあるやに 臭わせはしたものの、具体的には 何ら説明されることなく 終えてしまったのでありますから、オイラはもう頭にきてしまったのでありますが、【鈴木素子】さんの方は、最初は同じでも、その後はもう 笑いっぱなし状態、嬉しくて嬉しくて 堪らんようになったのであります。

では そのスライドショウ、まずは【鳩摩羅什】さんから ご覧いただくとします。
 



 

 

続いて 【鈴木素子】 さんです。
 




鈴木素子さんは番組のなか 「 会津一 賑やかな オカミさん 」と紹介されていましたが、愛嬌たっぷりの会津弁、おどけあり しゃれあり ユーモアに富んだ 絶妙トークで、ホントに 楽しい気分にさせてくれますが、肝心なポイントは カッチリ押さえておられまして、会津というよりか 東北を代表する素晴らしい女性であります。なお 下は、一昨年お会いしたとき頂いた名刺であります。
                         

さてここで 前段の鳩摩羅什さんに戻ります。サンスクリット語で書かれた法華経を 漢字に翻訳されたのが鳩摩羅什さんでありますから 第一回目に取り上げられているのでありますが、この方に関する報道内容に関しまして、オイラは 大いに不満であり、声を大にして申し上げたいことがあるのです。このシリーズの講師は 左最上写真の 立正大学 北川前肇 教授であります。この先生が知らないはずはないのです。それに、使われた映像は【新シルクロード】で使用されたものですから、そこで語られた内容を NHKスタッフが知らないはずはないのです。なのに どうしてキチンと説明されないのでしょうか。中国のイメージダウンに繋がる報道を避け 中国に諂(へつら)い 媚を売ろう とする姿勢が、見え見えなのであります。いやしくも日本の国民放送ともいえる 大NHK、情けないったらありゃしません。本当に泣けてくるのであります。

では どういうことを語ってもらいたかったのか、以下 書き連ねるといたします。
・亀茲国の鳩摩羅什さんは 30に届かない若さでありながら、大乗仏教の大権威・大天才として、
 インド 西域は もとより 中国全土にも その存在が 広く知れ亘(わた)っていた
・前秦王 苻堅(ふけん)は、その亀茲国および鳩摩羅什さんを得んものと、呂光(りょこう)を
 頭目とする 遠征軍を送り出した
・呂光は亀茲国を滅ぼし、鳩摩羅什さんを手に入れた
・呂光は 長安行を拒む鳩摩羅什さんに 無理やり酒を飲ませ、密室に亀茲国の王女の一人と
 一緒に 押し込め、「この女を妻とせよ、さもなくば・・・」と脅した
・この陰湿で執拗なる脅迫に ついに屈した鳩摩羅什さんは、不飲酒・不淫欲という最も
 基本的な戒を 破った破戒僧として、必然的に 仏教界から追放されることとなる
・失意に眩(く)れる鳩摩羅什さんを拉致、帰国の途に就いた呂光は、途中 苻堅の訃報に
 触れ、涼州で 自らの国 後涼 を興したので、羅什さんは 文化不毛の荒涼たる当地で
17年もの長き年月、教養なく粗暴な呂光 および その一族との 忍辱の生活を 与儀なく
 されることとなる 
・後涼が 長春に建国された 後秦 に攻められ 降伏したので、鳩摩羅什さんは長春に
 連れて行かれる
・後秦王は鳩摩羅什さんを温かく迎え、国師の称号を与えた。この時 羅什さん 51歳とも
 57歳とも
・漢語を十二分マスターしていた羅什さんは、以後 およそ10年間、法華経をはじめ
 阿弥陀経 般若経 維摩経他 全35種 294巻 の仏典を翻訳した
・日本で一番親しまれている般若心経は 玄奘訳であるが、その8割方は 羅什さんの訳を
 踏襲している
・玄奘訳は 正確無比で大学論文のようであるが、羅什さんの訳された経典は 血の通った
 美しい文学と なっている
・今 日本で一般に読まれている経典は、玄奘訳より羅什さん訳のほうが多い
 
だいたい以上でありますが、このことを識りましたなら、誰しも羅什さんの訳された経典が スゴク愛おしく思えてくるのではないかと思うのです。人間らしい羅什さん、オイラは 泣けてくるほど好きであります。そして最後にもう一つ付け加えたいと思います。上の写真には 鳩摩羅什 350-409年ごろ とのテロップがありますが、この写真を ご覧いただきたいのです。
                        
下が欠けておりますが、確かに 公元 344年 413年 とありますよね。これは、上の写真、キジル石窟にある鳩摩羅什さんの坐像に埋め込められている プレートなのであります。中国 新疆ウイグル自治区のクチャにある坐像には このように記されているのです。NHK さんの大好きな中国に こう記されているのです。公元とは西暦のことです。しからば、はっきり このように視聴者に伝えるべきであります。「鳩摩羅什さんは 413年に亡くなられております。すると来年は 没後1600年という記念すべき年であります。振り返ってみますと、世界中の国々の中で 日本ほど鳩摩羅什さんの翻訳された経典に お世話になっている国はないのではないかと思います。ですから この記念すべき節目の年にあたり、日本国民挙げて 感謝の念を捧げても いいのではないでしょうか」と。

なお 2段上の 鳩摩羅什さんに関する記述は、NHK出版発行【新シルクロード 3 天山南路・敦煌】に記されている内容を、オイラの感覚で 箇条書きに まとめたものであります。それから 鳩摩羅什さんのことを、オイラは親しみを込めて 羅什さん と日本名に模して 書いておりますが、これは間違っておりまして、それをするなら 正確には、什さん とすべきであります。念の為。





 

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