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カッコいい CM で名前を覚え、NHK-G『うたコン』で、『のど自慢』なら 特別賞 間違いなしと言えるパフォーマンスに目を奪われ、それでも「好い歌じゃねぇ」と思わされた『冬の花』という歌。
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何が好いのだろう、彼の ”美意識” と言うようなものが、彼の心情が、派手さ抑制しつつ、誰に媚びるなく、不器用に ではあるが、今年 54 を迎えるという宮本浩次さんのココロの本音の叫びが、全身から迸(ほとばし)り出でてるとこでしょうか。
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R2.2.24 NHK-G『ファミリーヒストリー』は、『魂のピアニスト』または 現在 最もチケットが取れないピアニストと言われてる『フジコ・ヘミング』さんが対象でした。
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普段は まず 見向きしない番組ですが、何故か、今回だけは録画してました。フジコさんの名前は聞いたことがあっても、人となりは何も・・・まして演奏なんて一度も・・・なのですが
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見てビックリ、フジコさんのルーツは何と 旧 賀陽郡日羽(かようぐん ひわ)、現 岡山県
総社市日羽という所でありまして、
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大東亜戦争時(小学校高学年)には、渋谷からココに疎開。朝夕 練習していたピアノは、
現在も 統合された小学校の体育館にあり、活躍中なんですと。
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以下、番組より知り得た『フジコ史』なるものを記してゆきます。
フジコさんの祖父 大月専平氏は、当地の農家総代の家系を 12歳で継いだものの、青雲の志を抱き上京。犬養毅さん大隈重信さんと交わるなか 印刷インクの開発を思い立ち、23にして日本初 印刷インク開発に成功。30歳前 大阪に工場を建て発展を見ますが、47という若さで病死されてしまいます。
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フジコさんの母 大月投網子(とあこ)さんは、幼少時からピアノに馴染み、大阪音楽学校⇒東京音楽学校に進まれ、権威ある音楽便覧に 名が 記載されるまでになられてます。
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さらなる高みを目指され、ベルリン芸術学校留学(24歳)。ドイツで最も有名であったピアニスト レオニード・クロイツアー氏に弟子入りされます。
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当地で 7歳下の スウェーデン人 デザイナー ジョスタ・ゲオリギ・ヘミング氏と出会い結婚。
昭和7年(1932)日本に帰り、12月5日、フジコさんを 出産。
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S13年 離婚、ヘミング氏はノルウエーへ。投網子さんは ピアノ教師として 生計を立てる一方、フジコさんの音楽教育に熱心に立ち向かわれ、8歳のおり NHK で演奏、天才少女と話題を集めたり、小5からは ユダヤ迫害を逃れ 日本に滞在されていた レオニード・クロイツアー氏のレッスンを受けさせたりしておられます。
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以下、 箇条書きで フジコさんに関する 主な出来事を記します。
・ 16歳、右耳聴力を失う不幸に見舞われるも、東京芸大入学
・ 22歳、NHK毎日コンクール2位
・ S36(1961)ドイツ留学の 8年目、レナード・バーンスタインさんの口利きで、
演奏会のチャンスを得るも、
・その直前 高熱に襲われ、両耳ともまったく聞こえなくなり、キャンセル
・ H5(1991)母 投網子さん死す。享年90
・ H7(1993)拠点を日本に移し、自宅などでの小規模コンサート活動を重ねる
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・ H11(1999)2.11 NHK-ETV特集『フジコ あるピアニストの軌跡』で大反響を呼ぶ
・ 67歳という高齢で 大ブレーク !!!
・ 以後、最もチケットの取れないピアニストと言われるように
・ 昨年中、86~87歳でありますが、計 62回のコンサートを開催なさったと
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ご覧のように涙が溢れてらっしゃいますが、MCの問い掛けには、短いフレーズの言葉を、淡々と ぶっきらぼうに発せられるだけでした。オイラには、次のような二つのコメントが 特に印象に残ってます。
・(ご結婚は?)⇒「ロクなオトコがいなかったから してないよ」
・(お母さんと天国で逢えますね)⇒「嬉しいけど、一緒には住みたくないね」
『岡山繋がり』もありますので、近いうち是非とも フジコ・ヘミングさんの演奏を聴きたく思ってます。きっと メナヘム・プレスラーさん 93歳の演奏のように、ココロに沁みる演奏かと。でも質感は対極にあるかも・・・フジコさんは、例えば 禅の高僧の奏でる音楽 のような気がしてきたり・・・
< 追 伸 > R2.3.15 記
YouTubeの音源をいただき、CDを作りました。ふた回り聴きましたが、ちっとも飽きが来ず、身体に すぅーっと溶け込む感じで、たいへん心地好いです。理由は ? ですが・・・
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