百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

【雨ニモマケズ】について(2)/H22.2.28付け当ブログ【産経抄】【雨ニモアテズ】カバー版

2011-08-08 14:33:30 | 日記
 少々 品のないタトエで恐縮でございますが、頻尿の尿という字を 感激とか感性の感と替えたがピッタシの 近年のオイラの情緒でありますが、前稿ブログ掲載新聞記事のアルコトに 心が揺り動かされたのであります。

それは、【雨ニモマケズ】は、作品として発表されたものではなく、氏がいつも持ち歩いておられたカバンのポケットの中に仕舞われていた 小さな黒い手帳に、走り書きされていたものであるということでありまして、           
氏が亡くなられて1年後、この世に出てきたものであるということを 識らされたからであります。

で、本棚に寝かせていた本の出番が ついにやってきたということでありまして、
 
この↑昭和56年8月 河出書房新社発行の本の この↑記事によりますと、なお この永瀬清子さんという方は 世の中にさほど知られていませんが、我が国のトップレベルの女流詩人であることは間違いありませんで、生家は 百休庵と それこそ 200m ほどしか離れていないところにあるのでございますが、

昭和8年9月21日午後1時半 永眠された【宮沢賢治】さんの 詩人仲間の追悼会を、年が明けてまもなく、草野心平 高村光太郎さん等と 東京・新宿でなさったそうでありますが、その折 花巻から上京して来ておられた 賢治さんの実弟 宮沢清六さんが持参されていた 大きなトランクのポケットの中の 黒い小さな手帳の中から、太目の鉛筆で 何ページかにわたって 流し書きされていた【雨ニモマケズ・・・】が 見つかったというのであります。 

< H24.3.17 の書き込みです >

これは【小学館イマージュ】さんから届いた【アメニモマケズ創作木版画】の販促用チラシを撮影させていただいたものであります。作者の手帳のメモ書きを模写したものでありまして、落款も作者自ら彫ったものだそうであります。ご参考まで 勝手に載せさせていただきました。





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