百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

嬉しかったこと 3つ & もう手術はしとうない と思ったこと

2024-02-06 20:36:02 | 日記

 悲しいことばかり起きている 今(こん) 年末年始にありながら、こうしてブログに向かっているということは、オイラが何か 特別 嬉しいことにインスパイアされたということに他なりません。

その第1弾はご存じ コレ。ご出身県は お隣ですが、当県にお住まいですから、嬉しさは格別なものがございます。(産経新聞さんのWEB掲載写真を 撮影させていただいたものです)

             

 第2弾目は、R6.1.26 産経新聞に掲載された『第40回 土光杯(全日本青年弁論大会)』で、『土光杯』を獲得されたブータン人 ケザン・ワイモさんの論説要旨。.

日本に来て気付いたことは、

日本は、人間を人間らしく捉える素晴らしい力を有する日本語と、日本人の持つ考え方と価値観が、ほぼ一致しているからこそ、それらが重なり合うことで発展できたのであろう に対し、

ブータンでは、母国語より英語を重視しているので、自分で考え、社会に貢献する発想さえ生まれてこない。つまり、

自国の発展を願うなら、自国語で物事を深く考えることであり、更に言えば、それは 日常会話レベルではなく、より高いレベルの母国語の領域で為されるべきであろう ということ。

上記はオイラの意訳でありますが、母国語が如何に大切であるかを指摘されてらっしゃる点が、たいへん素晴らしいと思います。なお 

★産経新聞社賞  成蹊大学 真家 廉さん 『勝ち抜くため経済の立て直し急務』     ★フジテレビ杯  中央大学 中島 萌さん 『子供は社会からの預かりもの』          ★ニッポン放送杯 駒澤大学 増山実華さん 『SNS依存 自分らしく、私の言葉で』        ★特別賞岡山賞  東京大学 熊谷倫太郎さん『防衛力強化 真に自立すべき』          も それぞれ たいへん素晴らしい ご論説でありましたことを、付記しておきます。

 

 そして3つ目は、R6.1.29 NHK-BS『プレミアムシアター』で放送された 東京バレエ団さんの公演『かぐや姫』。.

これは、東京バレエ団さんの創立60周年記念シリーズ1として、金森穣さんの采配のもと 3年がかりで完成させたというものでして、放送されましたのは、世界初演となる R5.10.20『東京文化会館 大ホール』の舞台。.

                    ↑ フィナーレである 月に去ってゆく場面

で、何が嬉しかったのかと申しますと、日本最古の物語とされている『竹取物語』が バレエとして採り上げられたこと、および それを形成する最大要素である音楽が、全編 オイラの大好きな クロード・ドビュッシーさんの諸々の作品のパッチワークで編纂されていること であります。

当該WEBには「音楽は特別収録による音源を使用します」としか 書かれていませんから、どなたが演奏されているのかなど一切不明。場面毎の選曲は 金森穣さんが中心となって為されたものでしょうが、

フランス・パリにあって、浮世絵を発端に 日本文化に大きな影響を受けたとされる氏の音楽は、どことなく日本の香りが漂っておりますから 相性はバッチリ。

氏のお名前を『来浪登・弩美由図詩衣』と改めたら?なんて思えたりしてくるのですが、いづれにしましても、金森穣さんとともに、『竹取物語』がバレエとして蘇った最大の功労者でございましょう。

しかし斯様に評価するオイラですが、TV画面の前に居座り 全編視聴する余裕はありませんで、いつも通りの鑑賞法である ”CDながら聴き” に相成るのでございますが、

『月の光』『パンの笛』『亜麻色の髪の乙女』『交響詩:海』『牧神の午後への前奏曲』等々、超有名な楽曲を いいとこ取りし、それを繋ぎ合わせ 物語風に再構成した当該音楽は、ドビュシー音楽の精髄集とも言える、この世に 2つとない 贅沢極まりない楽曲であろうことは 紛れも無い事実でありましょう。

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 実は、直腸に近いところのリンパ節に 転移の疑いがあるとのことで、令和6年1月9日 入院 11日 手術 16日退院という経緯を辿っています。

もちろん CT MRI PET検査を経ての処置であります。「ヤバイ疑いのあるところは、取ってしまえばいいや」との単純な受け止め方で、手術に応じた次第ですが、

終えてから、「もう手術はこりごりだ」との思いを強くいたしております。但し、今のところは という注釈付きではございますが。

その思いを強く抱くに至った理由は、術後 入れられる HCUでの長時間に亘る孤独な時間に、もう耐えられないと思うからであります。

今回は、その時間が非道かったのです。手術室入りは 午後2時過ぎ、HCUで目覚めたのは、感覚的には日付が変わっていなかったのでは と思っています。

そこから 午前9時頃、先生が来られるまでの 11時間ほどが、否 それからも大変だったのですが、まずは前段から話を進めます。

当日は手術が混んでいまして、ICUも HCUも満杯だったようですが、その中の患者さん2人には参りました。一人は、おばさん or お婆さん。引っ切り無しに「助けてください。」を叫ぶのです。もう一人はおじさん or お爺さん。大きな声で咳払いを連発するのです。

それがずぅっと続くのです。でもこれだけなら、気持ちは解りますから許してあげましょう。オイラが最も辛かったことは、いろんな管に繋がれて身動きできない その11時間の間、一切の情報が与えられなかったことです。

ICU HCU 一般病棟の違いは、看護師さんの配置密度にあるようですが、その間 1回 顔を覗けてくれたでしょうか。松ぼっくりのように、カサカサに固まった唇を濡らして欲しいと頼んだ覚えがあります。

一般病棟のほうが、余程 頻繁に看護師さんが覗いて下さいます。オイラは思います。術後、目覚めたら、なにより先に「手術は こうでしたよ。」という情報を患者に伝えるべきではないかと。

患者の一番の心配事は、手術がうまくいったのかどうかということです。これに直ぐ応えなければダメではないかと思うのです。看護師さんから伝えられないのなら、担当医師さんからの伝言という形で、応えるべきであろうと思うのです。

喧噪の中、身動き取れない中、 何の情報も与えて貰えない、一人ぽっちの 11時間というものは、本当に耐えられないほど、辛いものでした。

オイラは思います。こういう時間を作っちゃダメなのではないでしょうか。孤独を感じないよう キチンとケアするか、または そうでなくなる時間帯までは、麻酔薬 or 睡眠剤で眠らせておくとかの措置が必要ではないかと。

 更に今回の入院・手術では、他にも シンドイことがありました。時刻ははっきりしませんが、HCU在時、急遽、造影剤を使ったCT検査を受けることになったのです。いろんな管に繋がれたまま、ストレッチャーに乗り移されて、CT検査機のテーブルに乗らなくてはなりません。

何とかCT検査を終え、ストレッチャーで やっとこさ HCUに戻りましたら、休む間もなく 病棟に戻ることが決まったようで、またまたストレッチャー。で、このストレッチャーというもの、乗り移るのも痛みが伴ってタイヘンなのですが、ガタガタガタガタ 乗り心地も頗る悪いシロモノでして、オイラは何回も 吐き戻しそうになりました。

腹腔鏡手術した痕に注射針を刺したまんまですから、じっとしていても痛みがある訳ですが、吐き戻しそうになりますと気持ちが悪いうえに、戻そうとする行為は 自ずと腹筋を使うこととなりますから、数段増しの痛みに襲われることになるのです。

これは本当に苦しかったです。本当に。ところが、病棟に戻り「やれやれ、これで休める」と安堵した途端、またまた試練が待ち受けていたのであります。

リンパ節切除手術の際、膀胱と前立腺を繋いでいる管を誤って傷つけないよう、青い管を挿入しているのですが、それを取り除くので、1階上まで上がって来いという指令が降ったのです。

またまた移動しなくちゃなりません。うんざりしつつも、吐き気と痛みに耐えながら泌尿器科の先生のところに行きました。そこは異様な空間でした。お医者さんの前に女性の看護師さんが 5,6人おられたでしょうか。まるでハーレムのような雰囲気でありました。

オイラは さっと抜いてくれるものとばかり思っていましたが、そうはいきませんでした。どうやら看護師さんにやらせているようなのです。見えないから確かではありませんが・・・・。

初心者なのか、教えながら やらせているようです。掴みそこねたのか、2,3回 繰り返したようです。その都度、痛みとともに、生ぬるい汁のようなものが どばどばどばと 噴き出してくるのです。その痛さと気持ち悪さと言ったら、今まで経験したことのない例えようがないものでありました。

オイラは思いました。何でこんな苦しみを受けなきゃならんのか。単に抜くぐらいなら、たった1階下なんじゃよ、どうして降りて来て、さっと抜いてくれんのじゃと。そして、この先生には もう2度とお目に掛かりたくないものだ とも、強く。

以上のようなことがございまして、もう二度と手術はしたくないと思えた次第であります。なお 1月29日、術後初めての通院時、先生から、切除したリンパ節には癌が転移していたこと および 同時に検査した前立腺には 転移が認められなかった旨の説明がございました。

 

 と、ここまで書いて気付いたことがあります。HCUで放ったらかし状態に置かれたことは、医師から 要観察の指示が特には出されていなかったのであろうこと。ということは、手術は滞りなく順調に執り行われたという証左ではなかろうか ということ。

当日、このことにいち早く気付くべきでしたが、、、でも 放ったらかされたアトでないと思い至らない考えにつき、やはり、患者への「手術は無事に執り行われていますよ」旨の声掛けは、目覚め直後に 絶対に必要な手当てではないだろうかと思っています。

また、29日の外来で 疾患部分の手術前写真を見せてもらっていますが、そこは、動脈や静脈 尿管や射精管 が通っている、たいへん入り組んだ ややこしい処でありました。それらを何ら傷つけることなく、疾患部位のみ よくぞ 切除して下さったものだと、感心するとともに 深く感謝いたしております。

 

下の CD2枚は、『思えば遠くへ来たもんだ』とか『さよならを言う前に』といった 好い歌の取り置きがありましたので、退院後 聴いてみたい歌ということで編集したものです。

ところで、R6年1月の 産経新聞『話の肖像画』は 武田鉄矢さんでして、その最終回の記事に、『思えば遠くへ来たもんだ』は、JRさんからの依頼を受け 谷村新司さんと競作する形で作った歌ですとありました。『いい日旅立ち』も好いですが、鉄矢さんの歌は 時代を経る毎 評価が高まってゆく、たいへん味わいのある素晴らしい歌であると思います。

   

   

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