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秋田ぐらし akita life

日常のできごと、面白いこと、おいしいこと、いろいろ

いにしえの水洗トイレを見学、秋田城跡

2015年08月10日 | 日記
秋田城跡=奈良時代から平安時代にかけて出羽の国におかれた大規模な地方官庁の遺跡である。
昔はそんな認識は全くなく、護国神社、高清水公園だけの記憶しかない。
通りすがりに、なにやら築地壁があるなと思ってやり過ごしていたが、奈良時代の水洗トイレがあるだの、渤海国との交流があっただの、秋田美人の成り立ちに影響しているなどの
情報が垣間見られるので見学してみることにした。
ますは政庁跡へのアプローチ道路を復元したもの

政庁の復元レプリカ(縮小)

築地壁が復元されている。

建物柱跡


政庁跡のそばに出土品収蔵庫があり出土品を展示しているのであるが、そこに秋田城跡ボランティアガイドの方がおられたので、気になっていた水洗トイレの説明をしてもらっているうち
件(くだん)のトイレを案内してもらうことになった。

出土品収蔵庫の建物から道路をはさんで反対側に移動
東門へ続くアプローチ道路

ボランティアの方に説明によると、かつて、道路の幅は城柵のランクによって決められていたとのこと、ここは上中下の上のランクの道路幅だそうである。
東門をくぐると
ハート型の沼が出現

むかしはここで儀式が行われていたようで、右手の沼尻で儀式に関する出土品が多く出土したそうである。
そして、復元された水洗トイレ

入口には目隠しが


中は3室に分かれていて、展示の都合上、左は発掘した儘の状態、真ん中は構造がわかる状態、右が使用していたであろう状態
写真は右の使用していたであろう状態

使用後の水は甕にためた水を使ったものと思われる。

このトイレの重要さは奈良時代後半に水洗トイレが機能的に整備された遺構はここにしかないということ。
設備の沈殿槽の堆積土から確認された寄生虫卵の中に有鉤条虫(サナダムシの一種)があること、これは豚肉を常食とする人間がこのトイレを使っていたということ。
当時の日本には豚肉の食習慣はなかったといわれている。
同じ有鉤条虫は九州福岡市にある鴻臚館(古代の迎賓館)の便所遺溝でも見つかっているそうであるから、
ここ秋田城跡も鴻臚館と同様に、迎賓館としてつかわれていたことをしめしている。

神亀4年(727年)に渤海史が出羽の国に来ている記録があることから、この水洗トイレは渤海史が使った可能性がある。
ボランティアの説明によると、京都~出羽の国の往来は70日以上かかったとされ、行きは、お土産で時間がかかり、帰りは早かったそうである。
この当時、都の政庁からの指示を待つ間、渤海史はこの秋田城跡に駐留していたのであろう。そして渡秋の目的は、移民希望だったそうである。
そして、地元の人と交流が始まったのであろうか。

そこで、やっと秋田美人の素養の一部に東北アジアとの交流があったとの証明になるのである。
この秋田城柵跡の全体像のレプリカ

じつに東西約550m、南北約550mの範囲を外郭築地壁で囲ったほぼ中央に政庁(東西94m、南北77m)を配した大きなものであったことが伺える
地元、足元にもまだまだ知らないことがいっぱいあるぞ秋田、奥深い
そして、秋田城跡ボランティアガイド、素晴らしい。
和銅開チン(銀貨)の出土の説明も興味深い。



コメント
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