『 一寸の光陰軽んずべからず 未だ覚めず池塘春草の夢 』
偶 成 朱熹(朱子)
かの有名な漢詩である。七言絶句の最初と最後の句は、意識的に省いた。また、やはり漢詩だが、杜甫の『 高式顔に贈る 』の最後の二句が、自分の今の心境そのものである。 『 平生の飛動の意い 爾を見ては無き能わず 』
★ このブログは、自分史である。何時かは必ず使うことがあるだろうと買い求めたのはいいが、全く手を付けずに置いた本は何冊もある。本棚の隅からは、書きかけのノートが何冊も出てくる。今が、其の時なのだろう。埃りを被った本やノートを整理しながら、日々の【 よしなしごと 】にかさねて、日記・エッセイ・コラム・-として、カテゴリを超えて掌編小説風に書き込むことにする。
日増しに草木が生気を取り戻し、コガラが、芽の動きだした欅の枝の間を飛び交う。川の対岸にある篠竹藪の中にウグイスの気配がある。朝まだきを切り裂くコジュッケイの甲高かく澄んだ鳴き声、私も気分が高揚する。
平成20年 4月14日(月) 大安 夢 蔡 記す。