お別れに行こうと思っていたのですが、やめました。僕なんかよりもっと親しい人が行くべきでしょうから。さっき式場の方へ手を合わせました。
当時パワーヒッターとして頭角を現してきた浅井選手(現コーチ)と彼と、随分前ですが一緒に飲み食いしたことがあります。なかなか球団から思うような評価が得られなかったからか、なんか二人の愚痴を聞いたような記憶があります。今となってはよい思い出です。ゴルフに行く約束もしてたんだけど、結局都合がつきませんでした。実現してたら笑いの絶えない楽しいラウンドになっていたことでしょう。そうそう、こんなこともありました。上の娘が10歳くらいのとき、ですから2003~4年くらいかな、当時の市民球場でのこと。家族で観にいってたんですが、なんとそのとき我々はビジョンに大写しになり、娘が「ヒーロー選手と記念写真」に選ばれたんです。結局試合は同点に追いつかれて記念写真は撮れなかったのですが、後日、高コーチから電話がありました。
「本名ちゃん、この前野球行っとった?」
「うん」
「キムタクがビジョン見てさ、『あれ本名ちゃんじゃないん?』て騒いどった(笑)」
選手もベンチからビジョン見てたりするんだ、なんて変に感心したりしたものでした。
忘れられないのは2005年のシーズンオフだったか、河井さんとこへ焼肉を食べに行ったとき、ちょうど彼が家族で食事に来ていて帰るところでした。奥様は妊娠中。
「久しぶり。奥さん、お腹大きいん?」
「そうなんすよ。だから頑張らなきゃいけないんですけどね」
ケガで思うように活躍できなかった年でした。自分に苛立っているような歯がゆそうな表情を今でも覚えています。それだけにその後の巨人での溌剌としたプレーぶりと相変わらずの笑顔を見て本当に嬉しく思ったものです。
こうして思い返してみるといつもそこには彼の豊かな表情がありました。カッコをつけず見栄を張らず、そして強くて明るく。例えてみれば洗いざらしのデニムのような、気持ちのいい男でした。ほんの少しだけれど、そんな彼との思い出を持てたことを幸せに思います。ありがとう。でもやっぱり悔しいよ。
ホントいい人でした。
言いたい事は沢山あるはずなのに、言葉になりません。気持ちの整理がつかないっすよ。たしか15日は38歳の誕生日。球場でなんらかの追悼やって欲しいです。本名さん頼んます。
またいつか、彼の話を聴かせてください。
ラジオでも、直にでも。
緒方選手も最後だったけど、彼も最後の公式戦でした
思い出しても泣けます
残念でなりません
カープを背負って欲しかった
コメントしたくても考えがまとまらず、なんと書いていいものか…ずっと考えていました。
【安らかに…】なんて、自分だったらできません。小さな子どもと妻を残し、親より先に、志し半ばで、何の用意も無く、すべて絶たれてしまったのですから…。
悔しくて悔しくて悔しくて……。
でも、それではいけない…。
じゃあ、どうしたらいいのか?何をしたらいいのか?わからないんです…。
彼の思い出を、見たり聞いたりすればするほど、悔しくなります。
なぜ?彼が?
私にできること……
彼が、安らかに…眠れるように…遺されたご家族が、穏やかに過ごせる日が一日も早く訪れることを…お祈り致します。
そして、今という時を大切に生きる…それだけでしょうか。
ああ、そうなんだ。
ホントに、彼はいなくなってしまったんだ。
分かっていた事なのに、思い知らされた気持ちになりました。
同時に、祈りの言葉さえ浮かばない程に真っ白になってしまいました。
ただ、今は葬儀場の方向に手を合わせる事しか出来ません。
道路を挟んだ河原の歩道で黙祷し、会場で記帳とご焼香を済ませたあと、遺影を見た瞬間。涙がとまりませんでした。
2歳上のキムタクコーチ・・・同世代としても、若すぎるし、帰りの車の中でも・・・ショックが大きい自分がいました。