最近、高橋信次氏について学びたいという友達申請がありました。
高橋信次氏についてはあまりFBでは書きませんが敏感に反応する人も結構います。
またこのブログでも高橋信次氏の記事に関してはアクセスが毎日あるくらいです。
どういった年齢層がアクセスしているか分かりませんが、私よりずい分若いのではないかと思います。
私が高橋信次氏を知ったのは医学部4年生の23~24歳くらいだと思います。
だから高橋信次氏の弟子や彼に会った人も多くは亡くなっているのではないかと思います。
最近絶版であった「誰も書かなかった高橋信次」の本が再販されました。
「誰も書かない」!!そうどうしてあれだけの人物の本が無いのでしょうか。
それは高橋信次氏について語れる人がいないからです。それだけ超特殊な人なのです。
わたしも「私の高橋信次研究」と言う本を書きたかったのですが、
それは大変な作業になるでしょう。
後世仏陀、キリストに関しての本は山ほどありますが、イエス仏陀モーゼを超える彼に関する書物が無いのは不思議でなりません。
弟子がいても自分のことが中心で、純粋に高橋信次先生を単に語る人はいません。正法内容パクリ宗教家も多い上に、時には批判する人もいます!?
しかしながら、私も70歳を超え何時死ぬか分からない状態なので、少しずつは「私の高橋信次研究」を真っ正直に書いて行きたいと思います。
幼少時私は時々霊視や霊聴が少しありました。戦時中19歳で粟粒結核で看護師をしていた叔母の成仏できていない自縛霊の姿や、62歳で死んだ祖母の幽体離脱を見たりしていました。祖父母は敬虔なクリスチャンだったので、死後すぐに幽体離脱できたようです。
3歳ぐらいの時に祖母が死んで死体が安置された部屋の前の部屋にいると「三治(みつはる)さん」と呼ぶ声がしました。そっとふすまを開けてみると祖母の死体の1メートル上に白い霊体の様なものが浮かんでいました。
生前祖母は私を可愛がっていたとのことで別れの言葉ではあったかと思います。しかし実は不思議なことに、もう一人の自分がそのふすまを開けている自分を見ていました。異次元の世界というのはそういうもののようです。そして3歳の子供の記憶にしては鮮明なものでした。おそらくあの世は時空の制限が無い世界でしょう。
つづく